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第2話、関羽と張飛

劉備とせきが、黄色い布を巻いた人々の流れに身を任せて数日歩くと、やがて開けた土地に築かれた巨大な野営地が見えてきた。土塁が粗雑に巡らされ、無数の天幕や掘っ立て小屋がひしめき合っている。

人の声、家畜の鳴き声、鍛冶の音、そして何よりも、異常なまでの熱気が渦巻いていた。ここが、太平道、すなわち黄巾賊の一大拠点の一つらしかった。


「す、すげえ…こんなに人がいるのか…。」


石が呆然と呟く。劉備もその光景に息をのんだ。

故郷の涿郡の市など比較にならない人の数だ。

老若男女、誰もが黄色い布を身に着け、その顔には希望とも狂信ともつかぬ光が宿っている。一方で衛生状態は決して良いとは言えず、あちこちで小競り合いも起きており、混沌とした空気が漂っていた。


やがて二人は長い行列の末、配給の場所にたどり着いた。大きな釜で炊かれたあわの粥が、木の椀に盛られていく。劉備は震える手で椀を受け取り、その温かさにまず涙ぐんだ。そして、一口、また一口と、夢中で粥をかき込む。


「うめえ…うめえよ、石さん…!」


久しぶりの「満腹」という感覚に、劉備の目からは自然と涙が溢れ落ちた。飢えから解放された安堵感と、生きている実感。今はただ、この温かい粥が何よりも尊いものに思えた。石もまた、貪るように粥を食べていた。


その時だった。配給の列の後方で、怒声と悲鳴が上がった。


「どけ、じじい! 俺によこせ!」


体格の良い男が、よろよろと列に並んでいた老人を突き飛ばし、その分の粥を奪い取ろうとしている。周囲の者は見て見ぬふりをするか、遠巻きに眺めているだけだ。


「やめろ。」


低く、しかし有無を言わせぬ響きを持つ声が響いた。声の主は、身の丈六尺(約180cm)はあろうかという大男だった。赤みがかった顔に、長く整えられた見事なひげを蓄え、どことなく人を寄せ付けない威厳を漂わせている。

男は老人を突き飛ばしたごろつきの前に立ちはだかると、ただ黙って睨みつけた。その眼光の鋭さにごろつきは怯み、舌打ちをしてその場を去っていった。


大男は倒れた老人に黙って手を貸し、起こしてやると、再び何も言わずに列に戻ろうとした。劉備は思わず声をかけた。


「あ、あの! 助けてくださり、ありがとうございます!」


大男はちらりと劉備に視線を向けたが、特に表情を変えることなく、「…当然のことをしたまでだ。」とだけ短く答えると、人混みの中に消えていった。その孤高ともいえる佇まいに、劉備は強い印象を受けた。


その日の夕刻、寝床を探してごった返す野営地を歩いていると、今度は別の場所で騒ぎが起きていた。


「んだと、てめえ! この酒は俺が見つけたんだ!」


大声で喚き散らしているのは、がっしりとした体躯の男だった。いかにも粗暴そうな顔つきで、酒甕さけがめらしきものを抱え、因縁をつけてきた相手を一方的に殴りつけている。周囲は関わり合いになるのを恐れて遠巻きにしているだけだ。


(また揉め事か。しかし、あの男…)


劉備は、その男に見覚えがあった。

昼間、配給の列の近くでやけに大きな声で騒いでいた男だ。乱暴な振る舞いとは裏腹にその目だけが妙に冷静で、周囲の状況を観察しているように見えたのが気になっていた。

今も相手を打ちのめしながら、その視線は周囲の反応を探っているように見える。


(わざと、やっているのか?)


確信はなかったが、劉備にはそう思えてならなかった。騒ぎが一段落すると、男は勝ち誇ったように酒甕をあおり、周囲を威嚇するように睨み回した。


その夜、劉備と石は、なんとか風雨をしのげる程度の、打ち捨てられた荷車の陰を見つけて身を寄せ合っていた。他にも同じような境遇の者たちが、焚火を囲んでいる。


「なあ、玄徳。昼間の髭の大男、見たか? すげえ迫力だったな」


「ああ。それから、酒飲みの暴れん坊もな…。」


劉備が言うと、背後から不意に声がかかった。


「ん? 俺のことか?」


振り返ると、そこに立っていたのは、昼間の酒飲みの暴れん坊だった。手にはまだ酒甕を持っている。

「げっ!」石は思わず身を固くした。

男はにやりと笑うと、劉備の隣にどかりと腰を下ろした。


「まあ、座れや。俺は張飛ちょうひ、字は益徳えきとくだ。よろしくな!」


乱暴な口調だが、敵意は感じられない。


「俺は劉備、字は玄徳だ。こっちは石。」


劉備が名乗ると、張飛はふん、と鼻を鳴らした。


「劉備に石か。まあいい。で、さっきの髭の大男ってのは、どいつだ?」


劉備が昼間の出来事を話すと、張飛は興味深そうな顔をした。

そこへもう一人、焚火の輪に加わる者がいた。昼間老人を助けた、あの髭の大男だった。彼は何も言わず、焚火から少し離れた場所に腰を下ろした。


「よう、あんたも一人か? 俺は張飛だ!」


張飛が馴れ馴れしく声をかけるが、大男はちらりと視線を向けただけで、答えない。

劉備が改めて話しかけた。


「昼間はありがとうございました。私は劉備と申します。よろしければ、お名前を…。」


大男は少しの間、劉備の顔を見つめていたが、やがて重々しく口を開いた。


「……関羽かんう。字は、雲長うんちょうだ」


こうして、三人の男は、黄巾の渦巻く混沌とした野営地の一角で、偶然にも顔を合わせた。


劉備玄徳。貧しい筵売りの青年。人の良さと、内に秘めた何か。

関羽雲長。過去ありげな寡黙な大男。圧倒的な威圧感と、義侠心。

張飛益徳。粗暴を装う、がさつなようでいて鋭い男。


境遇も性格もまるで違う三人だったが、この巨大な賊徒の集団の中で、互いに何か通じ合うものを感じ始めていた。一人では心もとないこの場所で、まずは生き抜くために。劉備は、この二人となら何かできるかもしれない、という予感を、根拠もなく感じていた。


「関羽殿、張飛殿。よろしければ、今夜はここでご一緒に。少しでも暖かい方が良いでしょう。」


劉備の申し出に、関羽は黙って頷き、張飛は「おう、そうさせてもらうぜ!」と威勢良く答えた。


まだ、彼らが後に兄弟の契りを結び、歴史に名を刻むことなど、誰も知らない。ただ、三つの魂が、黄巾の風の中で、確かに引き寄せられようとしていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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