暴君
明くる日――無敵要塞ガリアス・ギリよりはるか西方、大陸有数の権勢と繁栄を誇る大国・ウェインフォード王国の王宮内は、蜂の巣をつついた騒ぎとなっていた。
上を下への大混乱に陥っている王宮の一角、玉座の間の真紅のカーペットの上を、イライラと彷徨く青年の姿があった。
忙しなく歩き回りながら臣下の報告を聞いていた青年――ウェインフォード王国王太子であり、現国王が長患いの身になった今では摂政の地位にある暴君、ライル・ウェインフォードは、長々続いた報告が途切れる頃合いを計らうこともなく喚いた。
「そんなことはもう何度も聞いた! 私が訊きたいのは、あの放送が一体この地上の何処から発信されたものだったのか、だ!」
王子の勘気を被り、ヒィ、と臣下の男は身を竦ませた。
ライルは額に青筋を浮かべながらなおも怒鳴った。
「全く、栄えあるウェインフォード王国の麾下である諜報隊がこうも無能とは……! 一晩経っても発信場所の特定すら出来ないというのか!? 発信したのが誰なのかもだ!」
その怒鳴り声に、報告に来た男は汗みずくの顔で呻いた。
「恐れながら……何もかもわからない、と申し上げる他ありません。まさかあのように広大な範囲内に思念を届けることが出来る存在がいることなど、最初から想定すらしておりませんで……」
臣下の男は何度したかわからない説明を繰り返した。
「発信者の特定も同様でございます。本当にあれが名乗った通り、ジェネロ公爵令嬢であったのかどうかも……。これ以上は直接、当地に赴いて確かめる他方法がない、と申し上げるしか……」
「ならば貴様らはその通りにしたのか? 軍団の組織は? 必要な人選は? もう済んでいるのかと聞いている」
はぇ!? と臣下の男は顔を上げた。
「ぐ、軍団……!? 殿下、まさか無敵要塞を攻撃するおつもりで!?」
「なんだ、その顔は? あれだけ表立って喧嘩を売られたんだぞ。攻撃せずにどうなるというんだ?」
ライルは美しいだけは美しい顔を醜く歪めて吐き捨てた。
「いいか、発信者は《僭主の指輪》を握っていると言ったのだ! あの宝物の名前、そして実在を知っている人間がこの世にどれだけいると思う? それだけであの放送が本物だったことに疑いはないだろう!」
僭主の指輪、と口にした途端、王子の目が濁り――そこから凄まじく生臭い殺気が発した。
それは更なる権力への渇望――この国の王子である事実だけでは到底癒やされぬ、濁りきった欲望が放った生臭さである。
その欲望の凄まじさに圧倒されたかのように、臣下の男はがくがくと震え始める。
「五百年前の魔王戦争の際に失われてしまった《僭主の指輪》――あの指輪さえ我が手中にあれば、我が王家が今のように大陸の一国家で終わることなどなかった! あの指輪さえあれば、ウェインフォード家五百年の大願である大陸の統一、いやもっと凄まじい覇業すら可能になるんだぞ! その事を貴様は理解しているのか!」
「で、殿下……! そのように拙速に事を進めてはなりませぬ!」
臣下の男は必死になって諫言した。
「魔導要塞ガリアス・ギリは、かつて魔王がこの世の中心として建設したと伝えられる伝説の大要塞です! それが空想や言い伝えではなく、実在するというだけでも空恐ろしいこと……! ましてや不用意に接触を持ち、いたずらに関係を悪化させれば……!」
「ん? なんだ、貴様は我がウェインフォード王家はたかが古ぼけた要塞ひとつ落とせないと、こう言いたいのか?」
失言を悟った臣下が真っ青になった。
ライルは心底うんざりしたような表情で臣下を睥睨した。
「相手は如何に魔王の要塞と言えど、五百年前に築かれた骨董だろう? こちらには精兵も揃い攻城兵器も掃いて捨てるほどある。《僭主の指輪》はいまや廃墟の中に丸裸で転がっているも同然だ。そうだろう?」
そう言われて、臣下はもう何も言わずに平伏した。
フン、とその様を見て、ライルは宣言した。
「貴様に失言を挽回する機会をやろう。一週間の猶予と千の兵をくれてやる。それまでに必要な人間を揃え、そのガリアス・ギリとやらを叩け。そして必ずや《僭主の指輪》を私の下に持ち帰ってこい。そこにいる人間の命は――わかっていような? わかったなら行け!」
雷の如くの一喝に、臣下の男は一礼することもなく、這々の体で玉座の間を去っていった。
それから虚空へと視線を逸らしたライルは、ギリ、と歯を食いしばった。
『よくもナメた真似をしてくれたわね。いいか、来るなら来てみろ、私とこの無敵要塞が大歓迎してやる――』
あの声、あの声は間違いなく、たった数日前、婚約を破棄した元婚約者・シャーロットの声だった。
年齢だけは十八歳だというのに、相変わらず小便臭い幼女そのものの声。
十年以上前から時を止め、成長することをやめてしまった悲劇の公爵令嬢の声だった。
「全く、本当に君は私を苛立たせてくれるよ――」
ライルは虚空を見上げて顔を歪めた。
もともと公爵家の兵力と財力をアテにした、愛も情もない政略結婚。
だが、彼女は自分との跡継ぎを設け、姻戚関係を証明するためのお飾りの妻であることすら出来ず、十年前のある時から成長を止めてしまった。
それでも一応は王家と大貴族家の婚約である。辛抱に辛抱を重ねて十年待ったが――進歩のない婚約生活に嫌気が差し、その関係を彼が一方的に破綻させたのは、つい三日前のことだった。
彼は――嫌だった。彼女という、自分を激しく苛立たせる存在が、この世に存在している事実そのものが。
名君と名高き父王を凌駕し、覇道を駆け上がってゆくべき自分の、人生の汚点となり得る彼女の存在が。
だから、滅却しようとした。彼女という存在を、彼女という人間と婚約していたという、事実そのものを。
彼女を抹消しろ――自分の無言の意思をよく汲み取ってくれたジェネロ公爵は婚約破棄の当日、早くも彼女の追放を決定し、これで全てがなかったことになるはずであった。
そこからどのような紆余曲折があってあの小娘が無敵要塞とやらに辿り着き、《僭主の指輪》を握ったのか大いに興味のあるところであるが……そんなことは今はどうでもいい。
問題は《僭主の指輪》で、それが手に入った時、ウェインフォード王家は人類の頂点に立つ存在になるという事実そのものだ。
「あの指輪を手に入れ、その存在を明かしてくれたことだけは感謝するよ。ああ、とうとう君という存在に感謝してしまったな。……あとは君が退場してくれれば、それで全てが丸く収まる」
ライルはニヤリと頬を緩めた。
願わくばこの大陸、否、全世界の併呑。
それがかつて人類を代表して魔王軍を打ち破り、世界に覇を唱えた古の国家・ウェインフォード王国の宿願なのであるから。
「初めて君を愛しいと思ったよ、シャーロット。君こそは我が王国に覇権と力をもたらしてくれる天使だった――」
ウェインフォード国王家の輝かしい未来は確定した。
そう確信したライルは、しばらく玉座の間で低く笑い続けた。
しかし――ライルはこの時知らなかった。
そうである可能性すら、一顧だにすることすらなかった。
無敵魔導要塞ガリアス・ギリは、どちらかと言えば愚かな方の人間である彼の常識など、簡単に覆し、ぶちまけ、踏み躙り、この世から消滅させてしまうほどの――常軌を逸した存在であることを。
【お願い】
新連載はスタートダッシュが重要です。
「面白かった」
「続きが気になる」
「もっと読ませろ」
そう思っていただけましたら、
何卒下の方の『★』でご評価、
またはたった一言コメントで、
『好きな寿司ネタ』
をコメントで教えてください。
よろしくお願いいたします。