訪問者
「え――!?」
思わず左手を見た途端、ボン! という轟音とともに建物が変形し、変わりになにかを形作った。
うわっと思わず左手を離したところで、足がもつれて私は尻もちをついた。
「ぉ……」
呆然と目の前を見上げると――そこには天を衝く高さの、ぴかぴかと黒光りする石像が立っていた。
右手を高々と天に突き上げ、左足であのクソ王子の頭を踏みつけ、悪魔のような形相とともに高らかに勝利を歌い上げる私が形作られた像。
現実の私よりかなり胸が大きいのと、身長がかなり高いのは私の一方的な願望の結果である。
私は思わず、自分の左手を呆然と見つめた。
「な、なんで……!? 左手で触っただけで物凄い魔力が……!」
「……なるほど、《僭主の指輪》ですね」
ガリアスの言葉に、私は左手の薬指に嵌った金無垢の指輪を見つめた。
「《僭主の指輪》はこの地上の覇王となるべき存在が持つべき宝物……それぐらいの魔力はあるでしょう」
「そ、そうなんだ、この指輪のお陰か……」
「まぁ、何はともあれよかったです。しかし……」
「しかし、何?」
「主、これは一体……?」
ガリアスは黒光りする彫像を不思議そうに眺めた。
「ご自分の彫像……ですよね? それにしても発育が少し現実のそれよりいいような……それに、誰ですかこの踏みつけられている男は?」
「それは私を捨てた元婚約者よ。いつかこうしてやるっていう決意の現れね。まぁ、現実より発育がいいのは愛嬌っていうか……」
「ほほう、なるほど! これは素晴らしい!」
てっきり呆れられるかと思っていたけれど、ガリアスはニコニコと笑顔になって手を叩いた。
「やはり貴方様はご趣味がよろしいようですね! なるほど、彫像とは考えつかなんだ! 私はてっきり要塞と言えば武器や陣地をこさえるものと――しかし、まずはご自分の絶大なる権威をお示しになられるモニュメントを作るとは――全く、恐れ入った!」
「え、褒めてくれるの? っていうか、褒めていいのそれって?」
「もちろんです! 中でもこの像のこれ! 悪魔のような表情! 今にもこの男に向かって唾を吐きかけそうな醜悪な表情をしている! これぞ悪魔の大要塞に相応しい形相だ! やはり主は素晴らしいセンスをお持ちですなぁ!」
再び決して褒められてはいけないところを褒めそやされて……私は照れて頭をボリボリと掻いた。
なんだかなぁ、この男は犬かなにかだろうか。
私のやることをなすことにいちいち大袈裟に喜んだり笑ったりして、否定するということはない。
たまに私をちんちくりんの小娘扱いするきらいはあるけれど、それにしたって私の父や元婚約者とは雲泥の差だ。
なんだかむず痒いような気持ちでいる私に、さぁ、とガリアスが手を差し伸べてきた。
「さぁ主、この要塞内にはまだまだ未完成地区がございますから! 近日中に一通りの整備を終わらせて……」
『盛り上がってるところ悪いけれど連絡よ』
不意に――私の頭の中にシェヘラの声が響き渡り、私たちははっと口を閉じた。
シェヘラには今、要塞内の指揮所に一人残ってもらい、この要塞内に近づいてくる敵性体のモニタリングをお願いしている――というより、本人がそうしたいと申し出てきたのだ。
なにせ五百年前はおちおち寝てる暇もなかったからね、ゆっくりしたいのよ、と言われれば私如きが意見を述べる筋合いはなく、シェヘラは今、要塞内に一際際立って見えるあの指揮所のテーブルで優雅に紅茶なぞを啜っているはずだった。
これは――例の思念波での通信、ということだろうか。
私がガリアスに目配せすると、ガリアスは自分のこめかみに右手を添えた。
同じようにしろ、ということか。私も真似をしてこめかみに右手を添えた。
「シェヘラ、なにか見えたの?」
『ええ、レーダーになにかの反応があるわ。おそらく徒歩でこっちに向かってきてる』
シェヘラの言葉に、私の精神に緊張の針が突き立った。
この要塞にはレーダーシステムとかいう名前の、要塞の周囲に漂う魔力の濃淡で敵の有無を感知する便利なシステムがあり、それに反応があったらしい。
「まさか……ウェインフォードの軍隊かな?」
『いいや、人数は一人。それから……かなり後方に複数の反応があるわね』
「ということは?」
『おそらく、なにかに追われてるわね、この人。なにかから逃げてる最中にこの要塞が見えたから、やぶれかぶれで逃げ込もうとしてるのかも……』
私は瞬時にガリアスに目配せした。
「ガリアス……」
「主、ご安心ください。……シェヘラザード、後は私がやる。俯瞰映像を表示、拡大」
ニュン、とばかりに虚空に現れた映像の上で、ガリアスは両手を撫でるように動かした。
途端に、遥か上空からのものと見える俯瞰映像が徐々に徐々に大きくなり――ガリアス・ギリの周囲に広がる荒涼とした草原地帯の拡大映像になった。
草原の上を、何者かがこけつまろびつ走ってくる。俯瞰映像なので詳しい顔立ちや背丈はわからないが、かなり小柄な人物であるのはわかる。
「とりあえず、保護してあげないと、か……。ガリアス、あの人に声を届けて」
「御意。宣下モードに移行します」
途端に、私の足元からニュンと伝声管が伸びてきた。
私は伝声管を使って二人に語りかけた。
《えぇ~……えっと、要塞から南の方角にいるそこの方にお伝えします。そのまま要塞を目指して走ってください。門を開放します》
私の声が、うわんと周囲の空気を震わせた。その声に驚いたかのように、その小柄が弾かれたように顔を上げ、それから再び駆け出すのが見えた。
ん? とその顔を見ていたガリアスが声を上げた。
「え、どうしたのガリアス?」
「主、これを御覧ください」
ガリアスがこちらに向き直ると、虚空に現れた画面も私の方に移動する。
私がそれを覗き込むと、上を向いたままおろおろする顔が徐々に拡大され――画面に大写しになった。
まず目に入ったのは、どこかで見たことのある瞳――赤く妖しく輝く神秘的な瞳だった。
この目はどこかで――しばらく逡巡した私は、それが魔族との混血児だというシェヘラの瞳と全く同じ雰囲気を持つ瞳であることに思い至った。
まさか、と思った途端、彼が目深に被っていたローブがぱらりと脱げた。
「これは……」
私だけでなく、ガリアスも画面に釘付けになった。
まだ成人していないと見える、幼女である私と同じぐらいの外見年齢と思える子供だった。
年齢にも驚いたけれど――私の目を釘付けにしたのは、彼の側頭部、人間であればなにもない部分に突き出た、雄の山羊のような丸まった角の存在だった。
ほう、と、隣りにいたガリアスが、何かを懐かしむような声で言った。
「彼らはどうやら、魔族――のようですね」
魔族――ほぼ十年間幽閉されていた私でも、そういう人々が世界に少なからず存在しているのは知っていた。
この世界創造時の混沌より生じたと言われる彼らは、人間より遥かに長命で、頑強で、人と比べれば繁殖力に劣りながらも、かつてこの地上の半分以上を支配していたと言われる種族だ。
だが、五百年前の魔王戦争時――彼らの王であり、彼らの偉大なる庇護者だった魔王が討ち取られてからは、住むべき地を失って世界中に離散し、今は人間たちの厳しい監視下に置かれながらほそぼそと暮らしていると聞く。
その魔族の少年が、泣きそうな表情を浮かべながら、何かから逃げ、この要塞を目指している――。
どう考えても訳ありとしか思えない光景に、私はガリアスを見た。
「ガリアス――!」
「えぇ、私にとっても五百年ぶりに会う同胞です。ちょうどいい、彼から詳しく話を聞きましょう」
言うが早いか、ガリアスは私の足と背中に手を回し、有無を言わさず抱え上げた。
うわっ!? と悲鳴を上げる間もなく、私はガリアスによっていわゆるお姫様だっこをされてしまうことになった。
「ちょ、ガリアス――!? な、何するの!?」
「この要塞は徒歩で移動したのでは時間がかかりすぎます。彼が目指しているのは南南東の門……そこまで空間転移で移動しましょう」
「てっ、空間転移――!? そ、それって――!」
空間転移。こともなげに言ったガリアスの言葉に、私はぎょっとした。
空間転移と言えば魔法に詳しくない私でも知っている、超高難易度の時空魔法だ。
熟練の魔導士が十数人集まり、実行と同時に魔力切れで昏倒するほどの大魔法、そんな物凄い大魔法を今から――!?
仰天している私に向かって、フ、とガリアスが笑った。
「主、主が何を仰りたいのかはわかります。――ですが恐れながら、私は無敵の魔導大要塞です。ことこの要塞内のことであり、しかも主である貴方様がそうお望みになることならば――私には不可能などなにひとつないのですよ」
はっ、と、私はその一言に赤面する自分を発見した。
貴方様がお望みになることなら私に不可能はない――それって、その、かなり情熱的な……愛の一言なんじゃないだろうか。
十年間、屋敷に幽閉されていた間、私がやることと言えば侍女に頼んで取り寄せてもらった本を読むことぐらいで、なおかつ、私は巷で話題の恋愛小説を読むことが唯一の趣味らしい趣味だったのだ。
もう君を離さない、君は僕のものだ、僕が君を守る。
大丈夫、君のためだったら、僕には不可能なんてないんだから――。
十年鍛えた乙女脳が、一瞬でガリアスの言葉をそんな意味に変換した。
ぶわあっと赤面して「やっ、やだぁ……! この溺愛眼鏡ったら……!」などとモジモジ身体をくねらせる私を不思議そうに見つめてから、ガリアスはスッと虚空を見上げた。
「さぁ、行きますよ主――《空間転移》!!」
次の瞬間、薔薇が咲き乱れていた私の脳内に、なんだか凄まじく不気味な衝撃が突き通り――。
私たちの姿が一瞬で消え、無敵要塞ガリアス・ギリの南南東の門へと跳躍していった。
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