古代遺跡で・眠りが浅かった日に・蒲公英色のスカーフを・一等賞として貰いました。
2023年5月16日に作成しました
そのときは幻覚を見たんだとわたしは思ったらしい。確かに慣れない土地で眠りが浅く、おまけに妻の趣味で古代遺跡に行くなんて話だったからかなり気乗りのしなかった。妻は普段から活発なたちではなかったが、古代の遺跡や歴史については特定の深い興味を見せて、ついにはそのためのお金を貯めきり、私を連れてこんな旅行に出かけたくらいだ。短い睡眠時間でも、妻はかえって生き生きとして、この睡眠時間さえもが遺跡に向かう者に必要な条件であると考えていた。だから彼女はツアーガイドよりも先に、遺跡の中に足を踏み入れたのだ。私はこの遺跡、森の中のピラミッドにたどり着くまでの車内で吐きそうであったし、妻の元気さに当てられて余計に気分が悪かった。ガイドが妻を先行しなかったのは、ひとえに青白い顔の私を案じてのことで、中には照明があるし、既にここに来るまでに何カ所もの遺跡を巡って、勝手知ったると妻が先に走って言ってしまったから、まあ足下から転げたとしても死にはしないだろうとガイドもそこまで気に留めなかったのだ。すべての安全な要素が揃っていた。遺跡の中までは一本道である。私がようやく遺跡に入った時に、その乾いた石の感触が肌に迫るようで息が詰まったが、長い階段を慎重に降り、降りきったときに私は妻に帰ろうと言おう。そう決めて口を開いたが、そこは遺跡の展示物が並んでいるだけで、人の気配がなかった。他の観光客に邪魔されたくないと、妻の要望で可能な限り一番早い時間帯での来訪である。そして観光客が見られる場所は平坦で、人が隠れる場所などもない。私はうろうろと見回ってみたが、妻はいなかった。なぜだか、妻の気配も存在も微塵も感じなかった。
私は少々のパニックでヒステリックに妻の名を叫んだ。だが見当たらない。石の神殿の中枢部、この石が崩れたら私は生き埋めになってしまうだろう。それでも、妻の名前を何度も叫んでうろうろ、うろうろとした。そうしているうちに、私の手元にはいつのまにか蒲公英色のスカーフが握られていたのだ。妻が付けていたものだ。だが妻を捜していないし、その痕跡が見あたらないのにどうして。私が自分の手の中に、まるで手品のように現れたのを呆然と見ていると、帰りが遅いからとガイドがやって来た。彼は、私の手にあるスカーフを見て、そして妻がいないことを知って、血相を変えて遺跡の入り口にまで戻っていった。警察や捜索隊を呼ぶためだろう。母国語で叫ぶように何か言っている。私といえば、その間に妻のスカーフを握った手は私のものでなくなりわたしのものとなって、耳に幻聴が聞こえてきた。これを授ける。
私はおかしくなって笑った。その笑い声が遺跡中に響きわたっていたとき、どやどやと現地の警察や捜索隊が怪訝な顔をして、ガイドがその人の波からもがいて現れる。なんとかわたしを宥めようと、日本語を使って丁寧な口調でわたしを出口まで導いた。遺跡を出ると、わたしの笑いはひきつったものに変わっていたが、まるでずっと笑わされているような感覚さえしていた。だがそれも、妻が慣れぬ外国の古代遺跡でいなくなってしまったと頭にしみ通った時に、ずんと頭の上が重くなって、私は顔を覆って神を呪った。私は無心論者であるが呪ったのはこの遺跡の神に対してだ。何が授けるだ、これは妻の物なんだ。そう毒づいてみてももう幻聴は聞こえないし、応えてくれない。だが、時間が経って地元の人々の喧噪を遠巻きに聞いていると、なんだか妙に解放されたような気分になっていた。妻は捧げられてしまったのだ。きっとそうに違いない。この古代の神々に人身御供をされてしまったのだ。だが彼女はきっと本望だったに違いない! その日の晩になるまで、ガイドからは何度も頭を下げられた。日本語を知るだけでなく、礼儀まで知っている彼に異国の地で日本を感じられたので、私はかえって申し訳なくなってお礼を言った。妻はまだ見つかっていない。その日の晩、私は現地の女を一人買った。若い彼女の長い指が、わたしのでっぷりとした腹を嫌がりもせずにくすぐってくる。その時、わたしは遺跡で笑ったことを思い出し、もう一度あの声量で笑えるかなどと考えたが、中年の私の喉からはひきつった笑いしか出なかったのだった。