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学生服のお巡りさん

 硝子越しの街路樹の若葉が、眩い午後の陽ざしに青々と輝いている。梢をゆらす爽やかな風がふわりと枝分かれして、開け放たれた自動ドアから店内の那世の元まで吹き寄せてきた。散歩でもしたら心地よさそうな日和だとぼんやり思いながら、那世は雑に肩にかけた学生鞄から、ひとくちチョコレートの包みを取り出して口に頬張る。


 そう、学生鞄だ。もちろん、鞄だけではない。チェック柄のグレーのスラックスも、自分では選ばない臙脂のネクタイもさることながら、校章つきの紺のブレザーが学生服を主張し、言い逃れを許さずにいた。


「あ~! くそ、もう少しで取れたのに!」

 店内に鳴り続ける電子音の中でも明瞭に、北瀬の叫び声が響く。同時に、那世が気だるげに身をもたせかけていたクレーンゲーム機がわずかゆれた。北瀬の装いも那世とまったく同じだが、シャツを腕まくりする熱の入れようでクレーンゲームに挑んでいるため、鞄は足元に放り出され、ブレザーはその上に脱ぎ捨てられている。


「お前、ほどほどにしとけよ」

 懲りずにまた硬貨を投入口に突っ込んでいる相棒へ、新たなチョコを口に放りながら、那世はおざなりに釘をさした。

「そもそもお前、もう二個も取ってるだろ。まだいるのか? そのぬいぐるみ」

「ねこ団子ブラザーズは、ピンク、緑、白の三兄弟なんだよ」


 確かに彼の学生鞄に突っ込まれている丸い猫のぬいぐるみは、緑と白だ。しかしどれも気の抜けた顔立ちは似通っており、果たして三匹揃える必要があるほどの違いなのか、那世には疑問しかない。


「あ! また変なとこに落ちた!」

「ぜったい壊すなよ・・・・・・」

 再び揺れたクレーンゲームに、那世は眉を寄せた。ゲーム機を壊したとなれば大騒動だ。悪目立ちすることこの上ない。そうなっては、このゲームセンターにわざわざ学生服でいる意味が無に帰してしまう。


 彼らはいま、おとり捜査の真っ最中なのだ。

 この街では現在、新宿署関係部署と非違検察課の捜査四係、生活安全係との合同で、大規模捜査が行われている。特定暴力組織絡みの児童売春と麻薬密売に関わるもので、実際の売買を行う末端部だけでなく、上層部まで食い込んだ逮捕を目指し、かなりの人員が割かれていた。


 北瀬と那世は捜査一係であり、今回の案件を直接担当する部署ではないが、暴力組織にはたいてい、〈あやかし〉の組織員が複数人所属している。そのうえ今回は規模が大きい。そのため、捜査四係や生活安全係だけでは〈あやかし〉捜査官が足りないと判断され、ふたりは応援要員として、捜査段階から差し出されたのである。


 結果、北瀬と那世はおとり捜査班へと割り振られ、高校生を気取ることとなった。標的は、未成年目当ての麻薬の売人だ。

 ふたりが着ている学生服は、この新宿にほど近い実在の高校のもので、正直、あまり評判は芳しくない。新宿署の青少年課と顔馴染みになっている生徒も珍しくないと聞く。だからこそ、といっては悪いのだが、そこを利用させてもらっているのだ。


 引き込みやすい青少年の特徴を売人たちもよく分かっている。そして特に、春の大型連休明けは、新しいスタートに失敗や挫折をした少年たちが現れだす。売人は新たなカモをそこで狙うのだ。だから、そんな彼らが声をかけてこないか、学校をさぼる形になる昼過ぎから、深夜にかけて、治安に難のあるエリアを制服姿でうろついているのである。


「二十代も後半になって、学生服を着る羽目になる公務とはなんなんだろうな・・・・・・」

「マル暴さんたちは顔が怖いのがお仕事だから、俺たちにお鉢がくんのも仕方ない。あれが学生服着てても、俺なら声はかけないね」

 捜査四係の強面の面々を思い浮かべれば、確かに納得しかない。が、那世はクレーンゲームの硝子部分に薄っすら映り込む己の姿を見て、わずか眉を顰めた。


「こっちもだいぶ無理があるがな。本当に高校生に見えているのか、これ?」

「高校にもなれば、判断基準は制服着てるかどうかだって。学生服の魔法を信じよーぜでござるよ!」

「分かったが・・・・・お前、その口調、どんなキャラづけだ?」


 青い瞳はクレーンを下ろす位置の設定に一心不乱で、会話の返答はたいへんおざなりだ。だがその熱意も虚しくクレーンの先は空を掻き、それどころか狙いのピンクの猫は、より取りづらい方へと転がっていった。口惜しがる悲鳴が、堪えもされず、またも店内の電子音に折り重なって響いた。


 それをうるさいと右から左へ聞き流しつつ、確かに北瀬は狙い通りの学生に見えなくもないかと那世は思い直す。彼の年甲斐もなくゲーム機を睨む様とほどよく着崩された制服姿は、その精緻で儚げな顔つきと相反するからこそ、突けば壊れそうな危うさを醸し出していた。もちろん、見かけばかりで本質はまったく異なるのだが。


(いいとこのやさぐれ坊主に映らなくもなし・・・・・・。鴨ネギを転がしてやってるんだから、早くかかってほしいものだが・・・・・・)

 若葉の香りと陽射しの欠片を抱いたあたたかな風が、再度ドアをくぐり抜け、北瀬の肩口で遊ぶ金糸の髪先をくすぐっていった。那世はあくびを噛み殺す。


「・・・・・・昼寝したいな」

 満足に寝た遠い記憶を手繰り寄せてぼやけば、隣の男もピンクの猫を睨んだまま肩を落とした。

「俺たちいま、週四が応援、週三が捜一の本来業務みたいな生活だからね」

「採用パンフには、週休日って文字があったはずなんだがな」

「週のどこかで休めてれば週休日っていうんだってさ。詐欺だよね。組織改善で多少良くなったのは給料ぐらいだよ、くそ。まあ・・・・・・いまは遊んでるようなもんだけど」


 悪態をついたあとやや語気をおさめて、いそいそと北瀬は何度目になるのか、惜しげもなく硬貨を投入口へ滑らせた。

「それ、公費にねじ込もうとするなよ」

 一応釘をさしてやれば、「分かってるよ」と唇を尖らせる。

「自分だってさっきまで大量に駄菓子取ってただろ」

「俺は、元は取った」


 大量の駄菓子をゲーム機内から引きずり落とし、学生鞄に詰め込んだ男は、勝者の優雅さで、丸くきつい色味の棒つきキャンディの包みを開け、口にくわえ込んだ。悔しげな舌打ちも、いまの彼には哀れな負け犬の遠吠えだ。クレーンを見つめたまま、ひとつ寄越せと不愛想にせびる声に、那世は仕方なく同じキャンディを恵んでやることにした。


「いま手が離せないから、突っ込んで」

「五歳児か」

 不承不承ながら要望に応えてやり、もごもごと聞き取りづらい謝辞を受け取る。そうこうしている間も周囲に注意を払ってはいるのだが、それがなければ本当にただ遊んでいるのと変わりなく思えるのは、那世の気のせいだろうか。


「――実際の学生時代に、こういう経験はなかったな」

「俺もここまで金に飽かせてゲームしてなかったよ」

「そういう話じゃない」

 わずか込めた感慨に情緒なく返されて溜息をつけば、分かっていたのか笑われた。

 中学、高校と家に引き籠っていた那世を、家に帰る暇さえない仕事に引っ張り込んだ張本人だ。意味に気づかぬわけがない。


 そこへ、那世がカフスにカモフラージュして身に着けていた通信機へ、連絡が入った。捜査一係の班長、南方だ。

『那世、そっちはどう?』

「対象らしき影はないですね」

 ネクタイの結び目に仕込んでいたマイクをしめなおす素振りでオンにして、那世も小声で答える。と、同時に、隣で緊迫感のない絶叫が上がった。クレーン先に引っ掛けるようにして釣り上げられていたピンクの猫が、転がり落ちたらしい。


「・・・・・・特に変わったことは、こちらにはまったくありません。そっち、なにかありましたか?」

 今日は合同捜査への応援の日なので、そちらからの連絡はともかく、南方からは定時連絡もないはずだった。つまりは、緊急の要件である確率が高い。


『そう、あったのよ』

「よし、俺たち不良生徒だから、先生の指示なんか無視してバックレちゃおうぜ」

『北瀬に、これ感度いいやつでちゃんと拾えてるから、あとで廊下に立っておけって伝えておいて』

「こいついま、この店内で針が落ちても音拾える状態なんで、聞こえてますよ。渋い顔してます」

 柳眉を苦く寄せた相棒の顔を横目で見つつ報告すれば、南方の豪快で愉快そうな笑い声がした。


『よしよし、なにより。それで本題。あんたたち、そろそろ捜査交代で新宿署へ帰署よね? その前に、その近くで現場発生して、うち絡みの捜査依頼入っちゃったの。ちょうどいいから行って来てくれない? 合同捜査チームの方にはもう話しつけてあるから』

「子どものおつかいみたいなノリで捜査頼まれたよ・・・・・・」

「どのあたりで、案件はなんですか?」


 ぬいぐるみを取り逃したのも重なって不貞腐れ面の北瀬を捨て置き、真面目に那世は問う。現場発生と同時に捜査依頼が入るのは珍しい。ちょうどいま非違検察課と連携を取っているおかげか、ついでか――どちらにせよ、そのために連絡が早かったのだろう。


『現場はそこからならツーブロック先。藤間から携帯に位置情報送っておいたわ。で、案件は、殺人』

 ふたりの携帯が同時に振動した。手早く画面に指を滑らせれば、表示された地図には目と鼻の先の場所が示されている。

「近っ。のわりには、サイレン音しなかったね」

「この付近には複数のおとり捜査官が入ってるからな。あえて鳴らさなかったんだろ」

 サイレン音が響けば、犯罪者は萎縮する。今回のような組織絡みの相手は、こと慎重で合理的だ。危なすぎる橋は渡らない。


「近場で警察官がうろついているのも、こっちの捜査に差し障るな」

「新宿署も、サクッと現場の捜査は終わらせたいだろうね。さっさと乗り込んで、俺たちも仕事片付けちゃおう、か・・・・・・」

 そこで、ふたりは顔を見合わせた。駄菓子とぬいぐるみが顔をのぞかせる学生鞄。紺のブレザーをはじめとした言い逃れ出来ない学生服姿。それを、互いにしばし見つめ合う。


「・・・・・・車は、隣駅だ」

「それもそうだけど、面倒がって最近、着替えもってきてないじゃん。そもそも車中でも着替えようないじゃん」

「車の中ならブレザーさえ脱げばサラリーマンと見た目は変わらない、とか言って横着する奴がいたからな」

「言った奴に乗って、一緒に手ぇ抜く奴もいただろ」

「――鞄だけでも置いておけたら良かったな」

「全部このままかぁ~・・・・・・」

 額を手に、北瀬は天を仰ぐ。


 とりあえずくわえたキャンディを片付けようと、ふたりは味わうのをやめ、虚しくもがりがりと無言で齧りだした。そんな大の男たちの姿を、取り逃したピンクの猫のつぶらな瞳が、憐れむようにじっと静かに映していた。


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