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深夜のヒーロー


 非違検察課が間借りしている八房署の会議室では、今日もカップラーメンの湯気が深夜に立ちのぼる。被疑者を逮捕したものの、強姦事件に殺人事件が加わって三日。この署にいる誰もが、引き続き優しい寝床の姿を夢に見ながら、椅子や床で眠っていた。

 いや、眠れるだけ、まだましなのかもしれない。


「仮眠もなしで三徹すると、ぼちぼちアドレナリンのきまり方が、エンジン上げてきたなって感じがしてくるよねぇ」

「お前いま、ラーメン出来るまでの間、寝てただろ」

「三分しか仮眠できない刑事じゃなくて、三分で仕事を終わらせられるヒーローに俺はなりたかった・・・・・・!」


 うきうきとカップ麺をすする北瀬に冷たく那世が返せば、浮ついた空気を急降下させて、激しく悲しげに彼は頭をかかえた。確かに言葉どおり、アドレナリンがおかしい方向にきまってきている。だがそれをまるで構わず、那世は自分も麺をすすり、いちごオレを流し込んだ。


「・・・・・・俺、那世の食べ合わせ、いつ何度見ても、意味わかんないって思う」

「お前に引かれると、いつもどうしてこんなに腹が立つんだろうな」

 隠しもせずにげんなり顔をする北瀬に、那世も憚りなく真っ直ぐ伝える。


「しかし、これはハズレだったかもな」

「いける気もしたんだけどなぁ。里見署の案件。ちょっと似てるって感じたのは、直近だから引きずられただけかな」

 ラーメンをすする合間にも、ふたりはそれぞれ、手元のリストに目を通す。それは、彼らが八房署に来る前に応援に入っていた、里見署の遺体盗難及び損壊事件の犯人の顧客リストだった。


 そちらも鼻持ちならない事件で、死体アーティストを自称する男が、葬儀会社から女性の遺体を盗み出し、様々に組み合わせる素材として利用していたのだ。そのうえ彼は、己の作品、およびその撮影写真を販売もしていた。そして作品の性質上、購入者には身元が分かるものを提示させることを徹底し、リスト化して安全のために所持していたのだ。そのリストが、いまふたりの手元にあるものなのだが、そこそこの量になるのがまた、気が滅入るところである。


「海外在住、国内でも遠方は弾くと・・・・・・どうも該当しそうな人物はいなさそうだな」

 今回の現場の女性たちの姿と、作品にされた遺体の姿とに似通ったところがあった。被害者の年齢も二十代から三十代の女性と酷似している。殺害まで行っている点で、今回の犯人の方が凶暴性はあがっているが、なんらかの模倣の可能性も十分考えられた。だからふたりは、昨日など里見署まで車を飛ばして、なにか手がかりが得られればと、犯人と面会までしてきたのだ。しかし――


「あの芸術家気取り、わざわざ会いに行ってやったのに、自分の話しかしやしねぇ。こっちはお前が芸術論とか言ってる犯罪への拘泥と、自慢話を聞きにいったんじゃないんだよ! 女性ファンがなんだ、知るか!」

 今回の犯人が、彼の犯行を一部模倣しているとするなら、熱烈な支持者として接触をしていてもおかしくない。そう睨んでの聴取だったのだが、男はふたりの質問には答えもせず、ただ北瀬に多大なる苛立ちだけを残して面会は終わったのだった。


「あの男、そもそも生きている人間に興味が薄いようだからな。女性なら辛うじて、というところだ。男の支持者なんて、まともに答える気があっても、覚えていなかったかもしれない」


 現在、犯行グループの三人目である〈あやかし〉については、情報がほとんどない。唯一、確実に相手を知っているであろう契約者の男に聴取しているが、自分は殺害には一切関与していないの一点張りで、話す義務はないと主張している。それどころか、面の皮が醜く肥大しているらしく、〈あやかし〉の情報を元に司法取引を持ちかけてきているらしい。昨今、司法取引の対象犯罪が、一部の組織犯罪だけから犯罪全般に広げられたのをちゃんと把握していたわけだ。


「里見署のもだし、今回のもだし、ここいう手合いほど憚りなく偉そうなんだよな。司法取引には一応、反省の気持ちを態度で示すっていう側面もあんだよ! 反省しろ!」

「量刑軽減システムだと思ってる輩がいるからな・・・・・・」


 ばんばん机をたたく北瀬から自分のカップラーメンを守りつつ、その意見には那世も同意する。むしろ、殺害犯も検挙したいが、彼の罪をそのために軽減したくないというのは、人としての捜査チームの総意だ。そのため、取り得る手段の限りを尽くして、犯人像を絞り込もうとしているところなのである。


 倉庫の被害者は、全員で四名。すべて二十代以上の〈あやかし〉の女性だった。契約者たちの標的としていた、十代男子とはずいぶんと対象が異なる。そのため、契約者の主張を待たないまでも、強姦犯の男ふたりが積極関与はしていないだろうという予測はついていた。おそらく、互いの嗜好にそった犯行に、必要最低限の協力を行う仲だったのだろう。


 取調官によると、契約者でありながら犯人の男は〈あやかし〉を嫌っているようで、共犯の男のことを語る時と、協力者の〈あやかし〉について語る時とで、語調にあきらかに差異があるそうだ。


 男が下に見ていること、被害者の年齢から、いまのところ犯人の〈あやかし〉は、二十代後半から三十代にかけての男性だと目されている。〈あやかし〉の女性を的確に狙えていることから、人と〈あやかし〉の判別が可能な職業。医療職や、〈あやかし〉関係者に携わるカウセリング事業への勤務が想定された。 


 もちろんこうした推察が当たらず、徒労に終わることも少なくない。が、犯人逮捕まではどんなわずかな可能性でもかけなければならない。だから、藤間を始めとした情報チームは、ずっと医療者、カウセリング従事者の名簿とにらめっこをし続けているし、別チームは廃倉庫付近の道路の防犯カメラ映像を延々と見て、不審な男がいないか探している。

 そしていま、一番重圧にさらされているのが――


「長洲野さん、わずかな仮眠で働きづめで、いま聴取担当でしょ。南方班長、人の心がない」

 ずぞっとラーメンのつゆまで不健康に飲み干して、北瀬がぼやく。

「とはいえ、今回の犯人、自尊心が歪に高いからな。ああいう手合いには、長洲野さんが効く。的確な配置だ」

「〈仏の長洲野〉はすごいよねぇ。俺、犯行自慢ずっと優しく聞いてやんの、ほんっと向かないからさ。殴りたい衝動がこぼれでちゃう」


「昨日の里見署の聴取でも、漏れ出てたものな」

「そりゃ、『男だが目だけはいい。死んだら連絡をくれ』とか言われたら、漏れ出るくらい誤差」

「まぁ、そこは感謝する」

 至極当然という北瀬の顔に、いやな目のつけられ方をした黒い瞳を、機嫌良さそうに那世は伏せた。


 そこへ、会議室の扉が開き、外のざわめきが明瞭に飛び込んできた。なにやら先刻までと空気が違う。

「ふたりとも、お疲れ。これ差し入れだよ」

 扉を開けた人物が、そう野菜ジュースのパックとエナジードリンクの小瓶を掲げる。刑事らしからぬ人当たりのよい顔立ちと雰囲気。特に優しいたれ目が印象的な男性だった。茶色みのある、ふわふわとした癖のある毛先が、柔らかく耳元で踊っている。


「野菜も摂らないと不健康だからね」

「さすが〈仏の長洲野〉! 好き!」

 さっそくエナジードリンクの方の蓋をひねる北瀬の横で、疲れを伺わせない温和な笑顔から、那世も礼を言って差し入れを受け取り、ジュースにストローをさした。


「聴取、なにかひと区切りついたんですか? 署内の雰囲気が違ってますが」

「ああ、逮捕時の北瀬の説諭のおかげでね。思ったよりも早く、奴が打ち解けてきたんだ。持つべきものは共通の敵ということだ。と、いうわけで、それは悪口言ってたぶんのお詫び」

「利用された! ひどい! でもそういうところも好き!」

「すみません、長洲野さん。いまこいつ、アドレナリンの出方がおかしいんで」

「大丈夫、大丈夫。いつもの北瀬」


 不躾に相棒を指差す那世に、長洲野はにこにこと笑う。「その認識もどうかと」と、北瀬は不満をたらしつつ、早くも飲み干した己のエナジードリンクの空瓶を置き、那世の分へと無許可で手を伸ばしていた。


「こう、北瀬は頼む前に怖い刑事をやってくれるから、優しい刑事としては助かるよ」

「こいつ、そのへんは別に考えてないですよ」

「違いますぅ。長洲野さんがいるから俺があらぶってもいいや、と、考えて動いてますぅ」

「余計たちが悪い」

 苛立ちを誘うおちょぼ口の金糸頭を、わりと加減なく那世がはたく。窃盗の罪も、そのまま現行犯逮捕されていた。まぁまぁとそれを適当になだめながら、長洲野も彼らに混じって会議室の椅子につく。


「今回もそれが功を奏したから。北瀬への悪印象が強くてね。言える範囲だと『あの顔だけ〈あやかし〉野郎』とか、聴取の合間合間に、北瀬が車壊したこととか、その後に言われたことの苦情を挟んできて」

「ねぇねぇ、長洲野さん。『とか』と言いつつ、例示一言だけとか、他にあいつどんなこと言ってるんですか」

「拳をならすな。おさめろ」

 身を乗り出す北瀬を、ジュースを飲む片手間に那世が引っ張り戻す。長洲野は苦笑した。


「まぁ、色々とね。だからこっちも、『娘があいつにバレンタインにチョコを渡して、いらいらしてる』っていうところから、話を振ってみたんだ」

「わりと本気のやつがぶち込まれてた」

「あのあと長洲野さん、南方班長から娘さんに、顔だけで相手を選択する危険性について、話してもらってませんでしたか?」


「どうも班長からの方が、父親の言葉より聞いてくれるからね。『那世には彼女がいるから渡さない』、『北瀬へ本命渡す』ってあたりに、実際に交際を視野に入れ出しているのを感じて、思いのほか真剣になってしまったよ」

「ワンクール前に、女子高生を警護する刑事が、なぜか同棲して恋愛するドラマがあったせいですかね・・・・・・」

「俺、未成年への適切な対応を遵守して、大人として節度ある世間一般の範囲内のお礼の気持ちを、長洲野さんづてで返しますから」

 やり過ぎたかなと恥じらう長洲野に、いつにない真面目なトーンで北瀬が宣誓する。


「まぁ、ともかく、そうした本当に聞こえることから入らないと、身内の悪口を真に受けて、のってきてもらえないからね。そのあとは、気が緩んでいくように頷いて、会話を合わせて・・・・・・少しずつ、ね。あの手のタイプは、乗せると自分のことを話したがるから。で、ダシにした北瀬には悪かったけど、言うのも憚られる差別的な思想や罵詈雑言をのぞいていくと、なかなか収穫のある供述がとれたんだ」


 見ている世界が違うのだと、憤りすら届かない醜悪なものを、まざまざと突きつけられる供述などままある。普通ならば自分の心を守るため、避けたり逃げたり、怒りをぶつけたりするような代物だ。それと時に、優しい刑事は淡々と向き合うことを求められる。

 今回などは事件の凶悪性もあいまって、心労は人一倍つのっているだろう。だが、長洲野は平時と変わらず微笑んで、そこにいてくれるのだ。


「まず、〈あやかし〉の異能については、奴自身の強姦事件にも関わっているからね。明確な説明は得られなかったが、発言の断片を繋げれば内容が一通り掴める程度は聞き出せたよ。北瀬が見込んだとおり、やつが契約した〈あやかし〉の異能は、『消すこと』ではなく、『感じなくさせること』のようだ。生物、無生物のほか、認識に関わることまで効果があるらしい。ただ、術者である〈あやかし〉にもその効力は及び、本人も、分からなくまではならないが、ぼんやりとしか判別できなくなるそうだよ。そのうえ、意図的に解除はできず、対象の性質に応じて、時間経過で解けるとのことだ。そのため、生物には短時間しか効果がなく、隠してもおきたいが確認もし続けたいものには、使えなかったらしい」


「なるほどねぇ。だから、倉庫の扉は隠しても、中の遺体はすぐに見える状態だったのか」

「ああ。犯人たちの自宅から押収された犯行の録画も、見えなくなっていなかったのはそのおかげだろう。だからもう、こっちの件で言い逃れはできないはずだ。あと、被害者の少年たちについても、無事・・・・・・であることは分かった。犯行時の記憶を『見えなく』して、放り出していたそうだ」


「生存が確認できたのはよかったが・・・・・・」

「割り出して、記憶が戻ってきた時の対応は、必ずしないとならないね」

 無事を言い淀んだ長洲野の晴れない顔に、苦く難しい表情のまま、那世と北瀬が言葉を重ねた。命さえあれば――そう、外野が片付けてはいけない被害だ。それはけっして、いまは見えなくても、消えてはいない。


「そのことについては、班長の方から、もううちの特殊生安チームへ依頼を出してもらってる。だからいま、こちらとしてはもう一件の方だな。殺害犯の方だけど、当初の想定犯人像が決定的に違っていたことが判明した。〈あやかし〉がどんな相手なのかについては、取引内容にする魂胆を崩さなくてね。ほとんど触れないよう話していたんだが、とうとうさっき、気が緩んだらしく、口を滑らしてくれたんだ。『あの女』ってね」


「女性?」

「え? 男じゃないの?」

 同性。しかも〈あやかし〉とういうことは、被害者は犯人にとって自分と同族だ。自己と重なる存在に残虐性を見せる例は、あまりない。ふたりが素っ頓狂な声をあげるのも仕方がなかろう。先ほど変わっていた署内の空気も、その予想外に、慌ただしく捜査方針を変更していたからだったのだ。


「失礼します。使用パソコン台数増やしたいので、こっちの部屋戻ってきました」

 視覚に刺激的なピンクパープルのかたまりが、ぎょろんとした目をゆらしながら会議室の扉を通過して、すみやかに所定の席についた。同時に、開いた四台のノートパソコンの画面が、目まぐるしく文字や画像を検索しだす。


「藤間ちゃんが完全な戦闘態勢」

「洗い出しのし直しだものな」

「はい。そのうえ、対象範囲が広がったので、やや厄介です」

 画面を後ろからのぞき込むふたりを振り向かないまま、キーボードをよく分からない勢いで叩き続けて藤間がいう。


「犯人と被害者が女性同士となると、相手を〈あやかし〉と認識できるきっかけが増えます。医療従事者、カウセリング従事者など繊細な個人情報に触れる者はもちろんですが、エステティシャンや下着販売員などは、胸部の痣を目にすることが可能ですから」

「エステはなんとなく分かるけど、下着販売員もなの?」

「フィッテイングっていうのがあるそうだからね。妻が言ってたことがある。きちんと体にあったものか、店員さんにチェックしてもらうらしいよ」


「へぇ、そんなものがあるのか」

 知らなかった、と口は感心しながら、北瀬の手と目は、机の上のリストをぱらぱらとめくりだした。

「ただ、そうだとすると・・・・・・」

「これだろ。的場望恵(まとばのぞえ)

 同じくリストを確認し直していた那世が、一覧の該当部を指して藤間に渡した。


「藤間、この女性が捜査対象圏内の下着販売員のリストにいるか調べてくれ。こっちの記載住所にまだ居住してるかも含めて頼む」

「すぐやりますけど、この女性は?」


「例の自称アーティスト野郎の熱心なファン。アトリエまで来て、自分のコーディネートした衣服や下着を使用した作品を作ってほしいって、熱烈に頼んでたらしいよ」

「あいつの自慢話も役に立ったな」

「頭くんのは変わんないけどね」

 珍しい那世からの軽口に、北瀬は不満げに唇を尖らせる。


「そいつのアトリエは防犯カメラが設置してあって、来訪者があった時間帯の映像は必ず保存されてる。里見署が押収してるから、行ってすぐに見せてもらう」

「その映像と、こっちの防カメ精査班が見てる工場付近の道路映像に、同一女性が映ってたら、令状とれるでしょ」

「ついでに、女性の持参した衣服や下着類も預かってくるか。こちらで使われてたものと、メーカーや嗜好が一致するかもしれない」


 がさがさと雑に荷物をまとめて片付け、上着を引っ掴み、放り出してあった車の鍵を北瀬が那世へと放り投げる。

「安全運転でね、ハニー」

「無事故無違反の最速で送ってやるよ、ダーリン」

 ふざけながらも真面目な顔で、ふたりは嵐のように会議室を出ていった。


 残された那世のエナジードリンクを拝借しながら、長洲野がおかしそうに笑う。

「いっきに動きそうだ。どっちか知らないけど、やっぱりあのふたりは持ってるね」

「おかげで久しぶりに、明日にはちょっと仮眠が出来そうですね」

 ぎょろんとアレクサンドリアの飛び出た目玉が、持ち主の代わりに嬉しげに揺れた。


「住所、確認取れました。転居届なし。光熱水費、直近の支払いあり。住んでますね」

「じゃ、僕は南方班長に報告してくるよ。管轄違うから、調整しないとだ」

 差し入れの使い回しでごめんねと、藤間の横に野菜ジュースを置いて、長洲野も去る。

 中とは違い、静かな夜に浸る署の窓の向こうから、さっそく車が走り出ていった音が聞こえたような気がして、藤間はアレクサンドリアを抱きしめながら、小さく微笑んだ。



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