良識へご期待を
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ひらひらと、署の窓の外では雪が舞っている。一夜明け、犯人逮捕の報は報道機関に知らされるに至った。北瀬と那世が朝のコーヒーをすする会議室の片隅では、昨日の夕方、彼らが車で抜けた通りが映っている。いまは逮捕の一報のみが大きく取り沙汰されているが、じきに追加で、様々に人々を煽情する情報が流されるのだろう。目に見える未来に、北瀬はテレビに背を向けたまま、ぴらりと摘まみ上げた資料を軽く指先ではじいた。
「有村文人――大物県議会議員の非嫡出子。これで見ると、認知を求めない代わりに、母親が強請りまがいに金銭的援助を受けていたので、経済面での不自由はなかったようだね。区役所への就職もコネで上手く滑り込まされてる。ただ・・・・・・記録に残ってる幼児期だけでも、怪我による診察回数が異常」
「県議は有村が出生してから、一切の責任から逃避。金銭の収受を秘書任せにして、ほとんど家に出入りはしていなかったそうだが、有村の母は恋多き女性だったようだからな。常に不特定多数の男性の出入りがあった。身体的にも精神的にも――悲惨な生い立ちだ」
やるかたない怒りと苦痛と不満は、腐敗し、膿んで溜まっていき、正しく憤れないまま燻った。それゆえ、鬱憤を晴らす理由も対象も歪に醸成され、己より蔑まれるべきものとして、〈あやかし〉を矛先に選んだのだ。彼らは分かりやすく違い、それらしい理由で疎める。
二十年前、有村が生活支援課に配属されていた当時、そこで支援から抜けた〈あやかし〉たちを追いかけると、たいてい契約者を得て、すべての風向きが良くなっていた。有村の供述を読み解くに、それが彼の憎悪に拍車をかけたようだ。どん底で見下されるべき者が、己より恵まれ、認められ、輝いている。身勝手なことに、それが絶対的に許し難かったらしい。
「同じ環境でも、罪に手を染めない人の方がほとんどだよ。痛ましい経験を持っていることは、必ずしも、犯罪をなす理由にはならない」
情を沈めて淡々と、怜悧な青い眼差しは、有村の境遇と供述の載る調書を机に伏せた。寄せたカップに口をつけた弾みで、金糸の髪先がくゆるコーヒーの香りとともに、さらりと肩口を滑ってこぼれる。
「彼は救われるべきだったという事実と、犯した罪は、冷静に冷徹に、分けて考えないとならない」
「俺たちの仕事は、犯人の物語に寄り添うことじゃないからな」
静謐に那世も頷いて、鋭利な黒い双眸をテレビへと向けた。
ちょうど画面の中では、記者たちに囲まれた金色の髪の刑事が、今回の逮捕について穏やかながらも事務的にコメントを残して消えていった。昨夜の映像だ。記者発表で利用したのもあって、無下に振り払えなかったのである。
「報道も、加熱していかないといいがな」
「難しそうだけどねぇ。県議のスキャンダル、犯人の凄惨な過去と陰惨な事件・・・・・・大好物って感じだ。食いつかないわけがない」
司会とコメンテーターのやりとりに内容が切り変わったところで、北瀬は苦笑交じりにテレビを切った。
「まあ、世のあらゆる良識に期待しよう。そういうの、わりと捨てたもんじゃない時もあるし」
「そうだな。良識といえば、だが・・・・・・例の応援メッセージの相手。今朝方また電話があったらしいが、応対した刑事に、『安心しましたとだけ伝えてほしい』と、託して切ってくれたそうだ」
「わぁい、良識的配慮が身に染みるねぇ」
勢いに忘れていた我を唐突に取り戻したかのような対応に、北瀬は可笑しげに笑い声をたてた。声すら聞いていないが、たぶん悪い人ではないのだろう。
そんな小さなこぼれ話でふと緩まった空気に、ノックの音が響いた。待ち人来たりの知らせを受けて、ふたりはおもむろに立ち上がる。
「なにしてるんだ? お前」
ファイル片手にドアに向かいかけた那世が振り返った。北瀬がなぜか、西に向かっていやに神妙な面差しで手を合わせている。
「いや、仏の長洲野のご利益をね」
「他力本願せずに、己が攻撃性を自分でしっかり抑えろ」
戯れ混じりの言動に滲む気勢に、那世は柔らかに肩をすくめると、相棒に早く来るよう促した。




