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夜を駆ける



 サイレン音をあげながら、制限速度ギリギリを攻めて、夜の高速道路を滑るように一台の車が走り抜けていく。時間帯のせいか前に車はなく、後続車も見えなければ、対向車も少ない。暗い海にぽつんと揺り落されたかのような寂寞を切り裂き、車は赤色灯の尾を残して進んでいった。


「この速度でこの乗り心地、リニアかよ。怖ぇよ」

「くだらない感想を述べてる暇があったら、早く追加情報をしゃべれ。口はひとつしかないだろ」

 失礼に褒める助手席の赤髪へ、低く涼やかな声がにべなく返す。焦りはなくとも急くのは分かって、佐倉は太い眉を顰めた。


「わぁってるよ。ただ哺乳類じゃないと調整がちょっと厳しいんだよ。ったく、クワガタ選びやがって、あの野郎」

「まあ、小学生男子が持ち歩いているのは、ハツカネズミよりクワガタの方が妥当だろうからな」


 佐倉の異能。それは他の生物を操り、その感覚を人としての認識に近づけて共有することができるものだった。要は犬を操ってその犬が見た情報を佐倉が共有でき、その場合、犬の視覚から映る彩度の低い世界ではなく、人の目で見たのと変わりない、色の識別が可能な視覚情報となるのだ。その代わり、犬の嗅覚情報の質も、やはり人並に落ちてしまう。また人間は対象とは出来ず、感覚を共有すればするほど、佐倉本人の身体能力が低下するという不利益があった。


 だが、潜伏先の情報を安全に入手するには最適で、捜査対象の特性上、普段は捜査四係で飼育しているハツカネズミを介して、雑居ビルを偵察することが多かった。彼は捜四愛玩の六番手で、帰還してくると、操って情報を入手した佐倉以上にちやほやされる。そのため一時期、強面たちが構い倒し過ぎたせいで肥え、ダクトをくぐれなくなるという支障が生じたこともあった。それ以来、佐倉によって餌やりが厳しく管理されだし、一時、捜査四係の空気がしょんぼりとしぼんでいたものだ。


 しかしそんな捜四の愛されエースのハツカネズミ捜査官も、さすがに小学生が常に持ち歩いているにはいささか不自然だと、今回のおとり捜査からは外されてしまったのである。そこで代わりに駆り出されたのが、那世の恋路にとどめを刺した実績を持つ、クワガタたちだったのだ。


 虫かごの開閉口を三回叩くのを事態進展時の合図に、誘拐が遂行された場合にはすみやかに北瀬の安否確認や位置の特定などができるよう、虫かごから抜け出す手筈になっていた。


「栃木県の籠山こみやま市なのは間違いねぇが、そこからが暗すぎて標識が見えなかった。山中に入ってから車で三十分ほどの場所だ。廃ホテルだな。三階建て、地下なし。外観および内部としては古びた洋館って感じだ。あの野郎、妙な引きしやがって・・・・・・」

 昼間のホラー映画を思い出させられて、佐倉がぼやく。


「籠山市といえば、十数年前、高級志向の小規模リゾート施設がブームになって、各所に乱立した時の一地域だったな」

「ああ。そのままブームが下火になると同時に、畳まれもせず放置されちまった施設も多い。これだけで絞るのは手間取るかもしんねぇな」


『その心配はしなくていいわよ』車内の会話に、開いたままの回線から明朗な声が飛び込んできて、気前よく請け合った。『そこまで分かったなら、場所の特定は、うちの全知全能の電子の海の主になんとかしてもらえるから』

『電子の海の主アレクサンドリアの伝令、藤間です。三分ください』

「アレクサンドリアが本体なのかよ・・・・・・」

『で、他は? 犯人の人数、北瀬の状況。何でもいいから、どんどん言ってちょうだい』


 藤間の言葉は淡々とし過ぎていて、冗談にのったのか、本心からの申告なのか、佐倉にはよく分からなかった。一方、勢いのいい南方の声音は、無線越しでさえぐいぐいと迫る圧が飛んでくる。捜一の面子はノリの高低差が激しいと、乱高下に惑う心地で、佐倉はクワガタ越しの情報を伝えていった。


「北瀬の様子は、一緒に部屋に閉じ込められちまうと世話ねぇんで、廊下からの確認で声はちょっと拾えてないっす。ですが、さっき後からもうひとり男が来た時にドアが開いてちらっと見えた限り、起きはしたようです。あとやっぱ女の子がひとり。それは間違いなくいました」


「まあ、あいつの安否は、俺が突然倦怠感に襲われでもしない限り、心配しないでいいと思いますよ。生きてさえいれば自力でなんとかするはずですから」

『それはそうなんだけど、車に運び込まれたあと、なんか変な感じだったんでしょ?』

「確かに、異能の効きにまだ俺としても妙な違和感があります。が・・・・・・どうせ北瀬なんで。殴られてもただでは起きませんから、あいつ」

『そうね。どうせ北瀬だしね。最終的にはいつも本人の安否より、破損個所の修理代の心配させられるものね』


 過去の素行の悪さのせいなのは明らかなのだが、いっそ冷淡なほど北瀬への憂慮がない。『こらこら、ふたりとも、いまは身体は子どもなんだから』とかすか入ってきた長洲野の窘める声だけが虚しく響いているが、それもいつもの大人の姿ならいいのだろうかと疑問が残る。当人が聞いていたら盛大に不満を漏らしそうだ。


 だが、どう考えてもこの車の速度はその態度と真反対だと、佐倉は速度メーターをちらりと見やった。南方も南方で、誘拐の一報を受けてすぐに各所に手配を回すのはもちろん、原則、人と組んで動かなければいけない彼ら〈あやかし〉が、ふたりだけで向かうことにすぐ許可を出した。「行けば現場に北瀬がいるし、そのへんの細かいところは規則よりも現場判断優先で押し切るから」と、いとも容易く応じてくれたのである。


『それで、佐倉。その女の子のほかに、子どもはいそう?』

「いえ、全部屋見て回れてねぇですけど、様子からして他に攫われた子はいなさそうっすね」

 速度メーターから視覚を切り離して、共有した視界の方を佐倉は追いかける。かすかなでこぼこがあれば、壁の隅でもしがみついていられるのがクワガタの良いところだ。暗がりに沈む廊下の内なら、気づかれることもない。


「他の扉には外側の鍵がないんすよ。なんで、部屋の奥にいたとならばまた別ですが、別室にってことはないはずです」

「まあ、ひとところにまとめておいた方が管理はしやすいからな。犯人は誘拐犯の男とあとから来た男、二人だけか?」

「ああ、どうやら少なくともこの場にいるのはそうみてぇだ・・・・・・っと、いまあとから来たひとりがまた出てった。残りはひとりだ。出てった奴の車を追いてぇが、飛ぶと目立つし、この廊下は窓の位置がわりぃ」


『なら、出た奴の車の深追いはいいわ。行かせましょう。栃木県警にはもう連絡して、覆面車両を籠山市に複数向かわせてもらってる。場所の特定が出来たら、そこから帰路で押さえられるかもしれない。途中で下手に捕まえて、残った男が子どもに何かしかけても困るから、こっそり追跡してもらって、』

『場所、ここじゃないですか。ホテル・トリカサンズ』

 三分より早く、藤間の声が会話にするりと静かに割っていった。


『ブームの時に営業を開始したものの、経営の悪化により八年前に廃業、売却。地図上の計算ですが、山中に入ってからの走行時間も合います。経営時のものですが、外観と内装の写真を送りますね』

「お! これだ、これ! さすがだな、おい。いまは古ぼけて不気味になっちゃいるが、間違いねぇ」

『光栄です。アレクサンドリアも喜んでます』

「あとでもふもふ撫でてやるよって伝えといてくれ」

 かすか得意げな気配が薫った音色に、笑いながら佐倉は返す。見えはしないが、パープルピンクの毛むくじゃらも嬉しそうに目玉を揺らしているのだろう。


「それで藤間。売却されたと言ったが、いまここの所有はどうなってるんだ?」

『待ってくださいね・・・・・・。えっと、買い手はこのあたりで手広くやってる会社のようですね。建設業が主なようですが、不動産業、企業向けの販売業やスーパー経営なども多角的に・・・・・・そのわりには、このホテルは買い取りはしたものの、手をつけずに放置してるようです。その後、再建もなければリノベーションもなし』

「つまりは、監禁用、か」

「こっちが誘拐を把握してんのは五年前からだろ。その前三年もきな臭くなってきやがんな・・・・・・」


『きっかけが五年前の可能性もあるけれどね。藤間の調べてくれた会社の情報を見るに、八年前は羽振りが良かったみたいだけど、手広くやりすぎてその数年後には経営不振で右肩下がり。会社の代表は神上かみじょう淳史あつし・・・・・・神上?』

『これ、例の殺された組織員の知り合いリストにあった名前ですね』

 引っかかりを露にした南方の声音に、佐倉が誰かと尋ねるより先に長洲野の声がした。


「暴力組織と繋がりがあるタイプの経営者ってやつっすか?」

『いや、表向きはクリーンな人だよ。むしろ慈善活動家でね。被害者との関わりも、彼が行っていた非行少年の支援ボランティアを通じてのものだ。被害者の当時の交友関係を把握しているかもしれないってことで、参考人としてリストに入っていたんだ。先日栃木県警が自宅を訪ねた時も、捜査に協力的に応じてくれたらしい。けど・・・・・・これは、参考どころの話じゃないかもしれないね』


「会社経営者は自己実現思考も強い。それが歪に出て、どう転んでも自分が美味しいタイプのボランティアをやっていたかもしれないな。更生したら支援した自分の満足感と功績。更生しなかったから、それはそれでその筋との繋がりの確保。わりのいい慈善活動だ」

「だとしたら、くそみてぇな野郎だな」

 佐倉は憚りなく吐き捨てた。君のためと差し伸べた手は、その実すべて己のため。もしそんな那世の言った通りの手合いなら、一番慈善活動に関わってはいけない種類の人間だ。捜査に協力的だったというのも、クロとなれば一転、ばれぬ自信に満ちていたということで気にいらないことこの上ない。


『藤間、神上の金銭周り、調べついた?』

『はい。いま調べてみましたけど、経営に苦戦してるわりには、カードの利用金額が年々変わらないどころか増えてます。利用先を見るに、どうもブランド志向みたいですね』

『やぁね、見栄っ張りさん。少しはいいけど、行き過ぎは破滅よ?』

 身に覚えがあるわ、などと請求額の恐ろしさに思いを馳せているらしい南方に、柔らかな苦笑をもらして長洲野がそのあとを引き受ける。


『う~ん、けど一度も支払い遅延はないし、どこかから金銭が流れ込んできてるのは間違いなさそうだね』

『ただ、会社や個人の口座で、不審な金銭の動きはあまりないようなんですよね・・・・・・』

『・・・・・・それじゃあ、藤間。その神上に、江島えしま虎徹こてつっていう名前で引っかかる取引先はないかな?』


 長洲野の質問に、調べてみますと藤間が即座に応じる。佐倉には聞き覚えのない名前だったが、隣でハンドルを握る那世には違ったようだ。

「それ、殺された組織員に定期送金があった名前ですよね?」

『ああ。他の名前は被害者の知人ですぐに当たりがついたんだけど、この名前だけ直接の知り合いにはなくてね。知り合いの知り合いに範囲を広げて調査中だったんだけど、もしかしたら、被害者と江島を繋ぐ男が神上かもしれない。もしくは、神上の別名義、とかね』


「なるほど。なんかあった時の保険のために直接関わらず、その江島って存在を介して薬を買い付けてたかもしれないわけっすね」

「神上の裏仕事の請負名義か。そうなると薬ももちろんだが、怪しい金の動きにも絡んでる可能性がある、と」

『それ、当たりっぽいです。ワンホープって会社から、定期的な振り込みが神上の会社にあるんですけど、ここの代表が江島虎徹です。もちろん、定期振り込みの有無だけですと他の会社もいくつか引っかかるんですが、ワンホープに大金の入金があるのが、ここ五年、なぜか毎年七月から十月にかけて』

「おいおい、聞き覚えのある時期じゃねぇかよ」

「攫って、販売ルートにのせて、相手方から入金・・・・・・と考えるとちょうどいい頃合いだな」


『あ、まずいです』

 平淡ながら焦りをのぞかせて藤間の声が少し大きくなった。

『ワンホープの入出金調べてたら、最新の入金が今日・・・・・・です』

「北瀬の野郎は攫いたてほやほやだから・・・・・・」

「すでにいたという少女の方だろうな」

『夜の方が後ろめたい移動には適してるし、お金が入ったなら厄介な取引ほど早い方がいいだろうね』

『場所を移動されて、ここまで来て追えなくなるのは避けたいわ』

「限界まで急ぎます」

「オレも、動きがあったらすぐに知らせます」

『頼むわ。私たちもこのあと合流する。藤間、場所も割れたし、最短ルート那世にナビしてやって』

『分かりました。あと、ついでに神上の写真、会社紹介にあがってたんで、送っときます』

「おう、助か・・・・・・んあ?」

 感覚を半分はクワガタ側に残しながら、手元の携帯の写真に目を落とし、佐倉は妙な疑念の声をあげた。


「こいつ、現場にいた野郎のどっちとも顔が違ぇな」

 てっきり廃ホテルにいた男たちのどちらかが神上に違いないと決めつけていたのだが、写真の男は重たい茶色の髪に、彫りの深い顔立ちの美丈夫だ。黒髪の垂れ目の青年でも、明るい茶髪の眼鏡の男でもない。


「なら奴らの正体は、現場で暴くしかないな」

 折よくインターチェンジに辿り着き、那世が勢いよくハンドルを切る。それでも揺れひとつなかった警察車両は、そのまま廃ホテルへ向けてスピードを落とすことなく、深まる夜を突き進んでいった。








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