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黄昏時の追走劇

 黄昏時の繁華街。ひな祭りも昨日に過ぎ、凍る空気もほどけはじめ、春の息吹が色濃くなってきてはいる。だが、まだ夕暮れは早い。仕事終わりの社会人の姿は見られず、彼らのための飲み屋も軒並み準備中の札をさげている。車が行き交い、学生たちが談笑しながら歩いていくが、ちょうどこの賑やかな場所が、やや閑散とする時間帯だった。


「自分から希望したとはいえ、藤間ちゃんにやらせたくないよねぇ、こういうの」

 車中から一区画先のゲームセンター内の様子を伺いつつ、北瀬がぼやく。中には、服を変え、眼鏡を改め、中学生男子に扮した藤間の姿がある。見事、犯人が好みそうな小柄で薄い顔立ちの内気そうな少年だ。


 おとり捜査を彼女が提案、志願してからかれこれ二週間ほどになる。幾度か対象の車が近くを通り過ぎていったが、いまだそれ以上の動きはなかった。


「藤間ちゃんは基本、情報戦のデスクワークっ子じゃん。運動神経と絶縁してる子じゃん? 犯人と接触するような危険なのは、俺がやるのになぁ」

「顔の系統的には好まれそうだが、お前の顔面は薄いのにうるさいし、なにより身長がでかい。無理だな」

「貶められまくってる気がするけど、俺、『黙って動かなければ最高の薄幸系美青年』の名を、課内でほしいままにしてる男だからね?」

「どう考えても悪評だろ、それ。黙って動かなければって、言動全般への駄目だしにもほどがある」

 己の残念さを掲げて自慢気に笑む、顔だけはいい男に、那世は淡々と返してあんパンを齧った。


「いつも思うけど、那世の張り込みあんパン、定型通り過ぎて毎回なんか、もわんとする。なんかこっ恥ずかしいというか、こそばゆいというか」

「だから、お前のその意味不明な苦情を汲んで、クリームパンとチョココロネでローテーション組んでるだろ」

 今日があんパンだっただけ、と、凛と研ぎ澄まされた鋭い空気を持つ無表情が、あんこを口いっぱいに頬張る。


「お前こそ、なんで車内に引き籠ると分かってて、『にんにくましまし醤油味』なんか買ってきた」

「がっつりいきたい欲に抗えなかった」

 コンビニで購入してきた新作の味のからあげを口に放り込みながら、助手席でふんぞりかえる男に、悪びれるという文字はない。薄幸系美青年が聞いて呆れる。


「あと、苦情ついでにもうひとついいか?」

「聞くだけ聞くよ」

「なんで張り込みに、そんなあくの強いパーカー着てきたんだ?」


 目に痛い原色の緑色であるだけで主張が激しいのに、蛍光ピンクの桜の樹らしきものを背景に、まるで可愛らしくない、角を持つ茶色の四足獣のキャラクターが三匹、ジャンプした様で並んでいる。愉快げに飛び出した目と、にっかり笑顔の口元が、どう贔屓目に見ても危ないものを服用したとしか思えない。


「泊まり込みと出張が立て続いたため、着替えのストックがこんなもんしかなかった」

「むしろなぜ、そんなもんがあった?」

「あんま覚えてないんだけど、たぶん酔った勢いで通販画面ポチったらしく、たんすに入ってた」

「トナカイか? 春に?」

「鹿だよ。奈良の」


 言われれば、背景に小さく法隆寺っぽいものがあるし、三匹の手にある丸いものは、鹿せんべいにも見えなくもない。


「脱げ。目立つ。というか、俺の視界の癪に障る」

「俺、これ脱ぐと半裸になっちゃうの」

「ゼロ百が過ぎる」

 北瀬が無駄に気取ったしおらしさに、ずっと平淡だった那世の声から、静かな苛立ちが角を出した。

「どうしてそうなった」


「いまだこの職業の家に帰って洗濯機回せない率を舐めてたよねぇ・・・・・・」

 涼やかな青い瞳が、哀愁をおびて遠くを見やる。フロントから射しかかる西陽が、北瀬の金糸に絡んで光の粒子を転がすようにきらきらと煌いていた。色白の透き通る肌、男性的だが細い輪郭は儚げにも映る。だが首から下は、原色緑のパーカーの上で、愉快な鹿が蛍光ピンクの桜と踊り狂っている。顔面で誤魔化せるデザインにも限度があった。


「不手際を仕事のせいにしてないで、どこかで適当に上着でもインナーでも買ってこい」

 このあたりならいくらでも店はあるだろうと、那世は冷たく言い放った。だが、

「いや、それ無理」

 ふいに真面目な声で、北瀬は前へのめるように、わずか身を浮かせた。対象のワゴン車がゲームセンター前に滑るように来て止まったかと思ったら、後ろから男が降りてきたのだ。車はそのまますぐ脇の裏道の方に消えていき、降りた男は入口脇の喫煙スペースで煙草をくゆらす。


 同じものを目撃しただろう近場の他の班から、状況を伝える無線が車内に響いた。頃合いを見てゲームセンターを出る、と、藤間からの連絡も重なり、否が応でも緊迫感が瞬時に高まってくる。

「俺、出てもう少し近くで張る。伝達しといて」

「待て、馬鹿。その悪目立ちする格好で行くな」

 すぐに降車しようとした北瀬を止めて、那世は自分の上着を脱いで寄越した。量販店に大人しく並んでいる、変哲も特徴もない黒い上着だ。


「そっちを着てけ」

「ありがと、ダーリン。生ぬるくって嬉しい」

「文句を言うな。礼は歐明堂(おうめいどう)のケーキだ。他はない。分かったなハニー」

「たっか! 脱ぎ捨て寄越しただけで恩着せがましい!」

「いいからさっさと行け」


 高級洋菓子店のケーキをせびられ、追い出され、「横暴だ」と愚痴りながらも、北瀬は自然な風を装い、ゲームセンターの方へと歩み寄っていった。

 ちょうど北瀬が、通りを挟んでゲームセンターの向かいに近づいたところで、藤間が出てきた。彼女があえて対象の車が入っていった脇道の方へ進みだすと、喫煙所にいた男が追いかけてきて、携帯を見せてなにやら困った様子で尋ねかけてきた。応じた藤間を申し訳なさそうにしながら、脇道へと誘っていく。


 そして、脇道に入ってちょっとのところに停めてあった車の側へ、藤間が差しかかったとたん。後部のドアを開けて、そのまま無理やり中へと彼女を押し込んだ。と、同時に、ドアが閉まりきるのを待たぬ勢いで、急加速で発車する。

(手慣れてる・・・・・・!)


 まだ日もあるうちから大胆極まりないが、あれならば、通りを挟んで人がいても、気づけることは稀だろう。だが今回は、なにも知らぬ一般人が通り過ぎていただけではない。


「対象、捜査官を車内へ拉致の上、北西へ逃走。F班北瀬、追跡します」

 潜めていた無線に一報をいれながら、北瀬は一瞬で大通りを跳躍して向かいの脇道へと下り立ち、風を切って走り出した。ぐんぐんとスピードをあげ、普通の人間では到達しえない速度で駆け抜けていく。唖然と振り向く通行人が何人かいたが、気には止めない。


 逃走車両が視界に入った。いまは他の車はないが、次の大通りに抜けられるとそうもいかない。

(ここで捕まえる!)

 さらに加速して、強く踏み込んだ一歩で、北瀬は地を蹴った。そのひと飛びでワゴン車を捉える。だんっと両足を踏み鳴らしてワゴン車の屋根に飛び乗ると、次には流れるように、北瀬は車の前へと躍り出た。


 背後に迫っていたかと思ったら、突然眼前へと現れた北瀬に、青褪めた運転席の男がアクセルを踏み抜く。しかしその加速を制して、北瀬はフロント部分を両手で押さえ込むと、力づくで車を無理やり押し留めた。


 逃げられないように、ついでとばかりに前輪を蹴り飛ばして車体から盛大に外し、後部ドアへと駆けよる。窓がないのはどういう料簡だと舌打ちしながら手をかければ、当然中から鍵がかかっていたので、北瀬はそのままドアを車体から引っぺがした。

 素手が生み出してはいけない破壊音とともに、鉄のドアが乱雑に投げ捨てられる。


「藤間ちゃん!」

 覗き込めば、大丈夫ですと藤間が合図を送るより先に、彼女を押し込んだ男が車から這う這うの体で転がり出てきた。その首根っこを北瀬がすかさず引っ捕まえたとたん、男の身体が一回転、宙を舞った。そのまま背中から、アスファルトに叩きつけられる。


「はい、確保~」

 口調は軽いが冷えきった声音が、手錠をかけた。

 その視線の端を、運転席から抜け出したもうひとりの男が、決死の顔で逃げ出していく。しかし、冷静さを欠いた思考では気づけていないだろうが、周囲はサイレンが幾重にも鳴り響いている。取り囲まれているのはいうまでもない。

 それでも一筋の光明を、と、男が飛び出そうとした道の先を、滑り込むように急停止した車体が塞いだ。戻れば北瀬がいるというのに、反射的に踵を返そうとした男の足を、そのまま運転席から飛び出してきた那世が、流れるように払い飛ばして地に伏せる。


「対象両名、確保しました」

 転んだ姿勢のままで男を押さえ込み、冷静に無線を飛ばしながらその背で手錠をはめる。

「よく回り込むの間に合ったね」

「全国交通課が欲しがる腕だ。なめるな」

 歩み寄ってきた北瀬が掲げた手に、ぱしんと手を叩き合わせて那世がいう。その足元で、「化け物め」と苦く小さい声がした。


 那世に捕えられた男が、情けなく地に転がりながらも、忌々しげに北瀬を睨み上げている。にこりと、北瀬の優美な顔に柔らかな笑みが象られた。だんっと、男の顔面ぎりぎり手前で踏み鳴らされた足が、アスファルトに軽くめり込む。


「化け物はてめぇの方だろうが、この下衆野郎」

 男の目の前でゆっくりと持ち上げられた靴の裏から、ぱらぱらとアスファルトの欠片が、綺麗に足型にへこんだ道路の上に落ちていく。そろりと男が視線をあげれば、凍える青い瞳が、蔑みとともに見下ろしていた。


 これはしばらくかかりそうだな、と踏んで、男に向かって顔だけはにこにこと、なにやらねちねち言い募りはじめた北瀬を残し、那世は藤間の元へと向かった。

 ちょうど現場に乗りつけた南方も駆け寄ってきて、同乗させていたのだろうアレクサンドリアを、藤間へ渡してやっているところだった。


「大丈夫か?」

「はい。やはり連れ込まれるというのは、それだけでも堪えますが、北瀬先輩がすぐに背後から爆走してきてくれましたから。おかげで犯人たちそっちに必死で、車中では私のこと振り向く余裕もなかったです。強いて言うなら・・・・・・」アレクサンドリアをぎゅっと抱き締め、淡々と藤間はいう。「現場が久しぶりだったせいか、車のドアを引きはがす嵐のような破壊活動と、その直後に飛び込んできた心配する王子様顔のギャップに、脳がいささか混乱しました」


「私、最近、そのギャップの感覚忘れてたわ。『こんな儚い系美青年が刑事なんて荒事できるの?』って、初対面時に無駄な心配をした記憶はとうに消したし・・・・・・白馬にまたがった王子様というよりは、こう、北瀬は、熊を制圧した山賊って感じか、むしろ、熊?」

「確かに熊みたいなものですが、ヒグマよりは安全です」

 凶暴性はまるで否定しないまでも、一応、相棒の人間性の保証のため、多少はやわらげてやって那世がいう。


「そういや、北瀬はなにしてんの?」

「あっちで被疑者に、ちょっと熱のこもった説諭をしてます」

「熱こもっちゃってるかぁ。まぁ、そこは目をつぶれるかもしれないけど、ちょっとこっちは、ね。始末書いるかなぁ」

 ぐるりと南方は苦笑交じりに現場を見回した。


 刑事は別に特定危険暴力組織の所属員などではないため、過度な力の行使は禁止されている。しかしここにあるのは、引きちぎられた車のドア。蹴り飛ばされたタイヤの前輪。大破しているワゴン車に、駆けつけた八房署の面々が素直に驚いている声が聞こえてくる。


「・・・・・・ひとまず、そろそろ説諭を止めてきます」

「頼むわ。ところで、那世。あんた、寒くないの?」

 春先の夕暮れは暖かさには遠い。そんな中、長袖とはいえ彼は薄手のインナー姿だ。吹き寄せる北風も堪えよう。

「尊厳の死と寒さで、寒さを取りました」

 呟きと一緒にちらつく愉快な鹿たちの残像を、そっと脳の片隅からさらに遠くへ放り投げる。納得しきれていない南方と藤間に背を向け、那世は北瀬の方へと戻った。


 サイレン音を聞きつけたか、北瀬の疾走を目撃したか――事件を嗅ぎつけた野次馬の一般人の姿も、規制線の向こうにちらほら見えだしていた。喧騒に、畏怖のような嫌悪のような雑音が混じって聞こえてくる。


「おい、なんだよ。あの車」「〈あやかし〉がやったって」「嘘、やっば! 怖っ!」「あの金髪?」「ほんとただの化け物じゃん。人間様に近づかないでほしいわ」


 耳障りなものだと思う。いまだ憚りなく、そういうことを言える風潮が生き残っているのだ。砂利を噛み締めたような不快感が、胸の内からゆるりと燻って、広がっていく。


 〈妖〉と人が交わって、数百年。あまたの嘆きと怒りと命を費やして、近年ようやく、異なりながらも同じ地平を目指す意義が、真っ直ぐに見つめ直されだしてきた。だから、努力はある。確実に前へも進んでいる。けれどまだ依然、〈あやかし〉と人の間の断絶は埋まりきっていないのだ。だが――


「那世。顔がひどい」

 気づけば、彼が歩み寄るより先に近くに来ていた青い瞳が、人が悪く笑っていた。ちらりと野次馬たちの方を、さして興味もなさそうに一瞥する。

「外野は好きに言う。俺は気にしない」

「知ってる」


 知ってはいるが変わらぬ彼に、そっと渦巻いたものがこぼれた吐息に溶けて消えていく。しかしそれはそれとして、と、那世はいつもの調子で淡白に継いだ。

「今回いろいろ言われるのは、少々仕方ないかもな。元をただせば、お前のせいなところが多々ある。班長が始末書だと」

「いや、俺も、こんなにする気はなかったよ? まだ力の使い方に不慣れで」

「お前、俺と組んで何年になるんだ?」

 泳いだ視線に冷たく釘をさす。刑事からも王子からもしてはいけない、不貞腐れた舌打ちの音がした。


「まぁ、いいや。この場合の始末書は、反省の形を定型で見せればいいんだから。今日中にはあげるよ」

「お前、本当に無駄な部分でだけ優秀さを発揮するな」

 呆れも感心も通り越して、もはや那世の声音は無だ。しかし北瀬に、堪えた様は当然ない。


「それよりいまは、気になることがあってさ。始末書分厚くしないためにも、班長に許可とりたいんだよね」

 八房署の署員が引き連れてきてくれた運転手の男を指して、北瀬はいう。

「こいつ臭うんで、ひん剥いていいですか、って」

「言い方」

 那世の眉間に、ぐっと皺が寄った。だが、聞き捨てならない話だ。


「〈あやかし〉か?」

「いや、それは違う。ただ、極めて普通の人間っぽい匂いなんだけど、ちょっと契約者独特の混じりっけがある、ような・・・・・・気がする」

「珍しく曖昧だな」

「だからひん剝くんだよ」


 〈あやかし〉の力――異能と呼ばれるそれは、個々で違う。北瀬は〈あやかし〉の力で、その肉体の能力が強化、向上されているのだ。その力は普通の人間はもちろん、相棒を得て本来の身体能力を持つようになった〈あやかし〉さえ、圧倒的に凌駕できるものだった。強化の範囲は、膂力や脚力、頑強さに加え、視覚や嗅覚など多岐に渡る。


 そして彼は、その異常に高まった嗅覚で、血中の微細な匂いの差を嗅ぎ分け、相手が〈あやかし〉かそうでないかを判じられた。〈あやかし〉と人は、血液の成分にわずかな違いがあるのだ。

 加えて、医療的に問題がない些細さのため、あまり知られてはいないが、実は契約者の血中の成分も、契約と同時にかすかに変わる。それすらも北瀬は嗅ぎ分けられた。


 だが本来なら、たとえ〈あやかし〉であっても、匂いなどで人か〈あやかし〉かの判別などできない。まして、契約者の匂いの違いなど、感じ取れるべくもない。

 だから普通は、〈あやかし〉や契約者を見分けるためには、血の違いを検査で測定するよりも、胸部を確かめる。


 人と〈あやかし〉では、心臓の位置が違う。人は左、〈あやかし〉は右だ。そして〈あやかし〉は、心臓のある右胸に胸紋と呼ばれる痣がある。指紋に類するもので、〈あやかし〉個々で形が違い、重なるものはない。またその胸紋は、〈あやかし〉と契約をすると、同じものが契約した人間の左胸にも現われた。


 今回は、北瀬だけに許された、匂いによる判別がどうも上手くいかないらしかった。しかし引っかかりが消えないので、痣の確認を行いたいというのが意向のようだ。


「いいわよ。身体検査ついでに、確認させてもらいましょう」

 ひょこりと南方がふたりの間に顔をのぞかせた。なにやら話しこんでいるのを見て、来てくれたらしい。


「わぁい。じゃ、さっそく」

 くるりと向き合った北瀬に、歯向かう気力を先ほど根こそぎ奪われきったのか、男は無言で不快げに顔をそむけた。那世の視界の端で、北瀬の口角がまた綺麗に引き上がる。


(不快なのはこっちだよ、とでも言いたげな笑みだな・・・・・・)

 それでもうっかりシャツを引き千切ることはせず、北瀬は殊勝に捜査に許された範囲内の挙動で、男の胸部をあらためた。


「ないな」

「ないわね」

 北瀬の背後からのぞきこむ那世と南方が声を揃える。男の左胸に、契約者を示す胸紋の痣はなかった。しかし、北瀬は難しい顔で眉を顰めた。

「ない・・・・・・けど、あるな。これ」

 訝しむうしろの空気に、なにもうかがえない左胸元を凝視したまま、北瀬は続ける。


「なんて言えばいいかな・・・・・・。いまの俺の五感を総動員して、見えはしないけど、ここにあることが察せられるんだ。消した、ではなく、見えなくしている。おそらく、こいつが契約した〈あやかし〉の持つ異能。存在するものを感じなくさせるんだ。消えてはいないけど、知覚、嗅覚、触覚――あらゆる感覚から遠ざける。だから、ないと認識させられる。おそらく、物体、物質だけじゃないな。ネットの売買ルートが痕跡消えてて、藤間ちゃんをして追えなかったのも、こいつらがサイバー戦略で一枚上手だったからじゃなくて、この力で・・・・・・」

 はたとなにか思い当って、北瀬は顔をあげて振り返った。


「廃工場も、なにも痕跡がなかったって話だったけど、違うかもしれない」

「見えなかっただけ、か」

「塩崎係長に言って、もう一度工場、一緒に再捜査してもらいましょう」

 瞬時に塩崎へ携帯で連絡を入れつつ、捜査の連絡調整のため、足早に南方は乗ってきた車の方へと戻っていく。いまは夕方だが、たぶんこのまま工場へ乗り込むことになるだろう。


「あとはあいつが、どの程度吐いてくれるかだね」

 八房署の刑事に、用は済んだと引っ張っていかれる運転手の男の背を見やりながら、北瀬はこぼした。

「あいつらはふたりとも人間だ。それは間違いない。だから犯行グループには、やつらに加えて最低でも〈あやかし〉がひとりいる。その〈あやかし〉が誰なのか。どういった力関係で、どこまで犯行に関与してるのか・・・・・・。正直、いま確かにできるのは、あいつらが藤間ちゃんを拉致しようとしたってことだけだ。契約者であるってことは、俺の感覚でしか判じられないから、証明できない。もうひとりの〈あやかし〉の存在についても、犯行の詳細や被害者たちの状況についても、しらばっくれようと思えばいくらでもできる」


「だから、証拠を探しに行くんだろう」

 翳りを帯びた線の細い横顔は、憂いの映える造形だ。だが、それは彼には似合わない。

「やつらの家にだって、すぐに捜査が入る。いったい何人が寝食削って這いずり回ってると思ってるんだ。見えなくても見つけ出して、吐かなくても吐かせるだろ」

「まぁ、そうなんだけどさぁ」

 静かに降る声に、北瀬は現場を行き交う疲弊した、けれど力強い捜査員たちを見つめ、相棒を見上げた。ふっと薄い唇に淡い笑みがひかれる。楽しげにその口端から灯る色に、一瞬の愁眉が開かれていく。


「那世の言い方言葉足らずだから、違法捜査みたいに聞こえんだよね」

「人聞きの悪い物言いをするな。行くぞ。そして上着を返せ、寒い」

「え? これ今日いっぱい貸してくれるんじゃないの? 俺にまたあの愉快な鹿を着ろと?」

「着ろよ」


 襟首を引っ張っての苦言に、ずうずうしく北瀬は言い募る。そのままなにやら小競り合いをしつつ、ふたりは車に乗り込んだ。

 薄紫に染まった雲が、西陽のふちで漂っている。東の果ては、もう夜の帳の内。それでも彼らの車は、少ししてからすぐに、次の現場――廃工場へと向かって走り出した。




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