5話
闇夜に絶叫が響き渡る。
水夫の上半身を真っ二つに裂き、僕らの目の前に魔物が一匹現れた。
松明の光を受け血に濡れた魚鱗を赤く耀かせる魔物は、魚人めいた様相で二足歩行しこちらにゆっくり迫ってくる。
集積所と中心街をつなぐ細い路地。
魔物と僕らの間合いがじわじわ詰まっていく。
近接戦が得意な魔物か。
槍を構え攻撃に備える。
あと一歩、そこで槍の届く距離。
大きく息を呑んだ。
そして。
魔物は胴を袈裟に切られてそのまま死んだ。
僕が槍を振る前に。
「え、あれ? なんで」
隣のシスターに目をやると、そこにはすでにレイピアを抜き放った姿が。
シスターがあの魔物を斬ったのか!?
魔物からは目を離してはいなかったはずなのに、いつの間に!?
「弱い」
開口一番シスターはそう言った。
いや、貴方が強すぎるんだと思います。
そんな言葉を僕はそっと飲み込んだ。
「弱すぎる、こんな魔物が港街を滅ぼせる……?」
続くシスターの言葉に気付かされる。
そうだ、すでに港街が3つも壊滅している。
ただ人間に寄生するだけの生物で、街が複数滅ぼせるだろうか?
「まさか、ウイルスみたいに感染して?」
「それなら前3つの港街でわざわざ外壁を開放したりはしないでしょう」
「うーん、それじゃ他になにか……?」
思考を続けていると、遠くの水夫達を収容してる建物から悲鳴が上がったのが聞こえてきた。
「始まったようね」
「で、でも船員さん達はほとんどあそこに閉じ込めてるんですよね? だったら……」
「過去3件の例を見るに悪魔の第一目標は外壁の扉の開放よ、つまり、本命はまだ外にいる、そう考えなさい」
「……なるほど」
「しかしまぁとりあえず、今は寄宿舎に向かいましょうか」
「窓また使います?」
「いえ、街の様子を見ながら行きたいわ、走りましょう」
こうしてシスターとともに船員達を隔離している寄宿舎に走って向かう事になった。
細い路地を抜け診療所前の高台を経由して大通りへ。
これであとは寄宿舎まであと数百m。
……としたところで船が来た時に似た鐘の音が街に鳴り響いた。
なんだか船の時よりも忙しないように感じる。
「魔物の襲撃を知らせる鐘ね」
「まさか本命が?」
「……上か」
「上って、空?」
シスターの言葉に習い視線を空に向けた。
するとそこには空を覆う無数の鳥が。
いや、鳥ではない。
普通の鳥はけして2mほどの体躯はしていない!
あれは魔物の鳥の群れだ!
「そ、空から来るなんて卑怯ですよ!!?」
「安心しなさい、空からの侵入なんてよくあることよ」
鐘の音とともに外壁や物見台に人が集まり、すぐさま魔術による侵入防止の結界と、弓や魔法の対空射撃の応戦が始まった。
空を覆う大量の鳥魔物が、一つまた一つと撃ち落とされていく。
負けじと鳥魔物達は外壁で結界を貼る魔術師達へ一塊になり突撃を開始、鳥と人との対地対空戦が幕を開ける。
「おぉ、迅速な対応です」
「これくらいの備えは前の2つの街もしてあったけどね……」
つまりこれすらも敵の本命ではない、と。
「寄生に空襲にとこんなバラエティ豊かな攻め方をしてるのに、さらに本命があるんですか?」
「……」
僕の問に言葉を返すこともなく、シスターは何やら考え込んでいる。
同時に街のあちこちから避難と戦闘で騒がしくなる音が聞こえてきた。
昼の喧騒とは種類の違う、恐怖と悲痛の声が街を満たしていく。
「よし決めた、避難民の救助を、それも外から来た旅人や商人達を優先して優先しましょう」
「え? どうして急に」
「前3つの事例において、外壁付近には戦闘の跡はほとんどなかったわ」
「それが何か……」
「中の人間が、自分から開けたとは考えられない?」
シスターに指摘され思わずハッとした。
空からも体の内側からも魔物が襲ってくる、そんな状況でパニックに陥った人間が外に逃げようとする。
なるほど、ありえる。
特にこの街に家を持たない、外から街に来た人達は外へ逃げたがる可能性が高い。
貿易が行われる港街だからこそ起こりうる状況だ。
「だから外へ向かうよりこの街に留まったほうが安全だ、と思ってもらう事が重要よ」
「なるほど」
シスターの言葉の意味を理解したところで。
結界を突破した鳥の魔物が2匹、僕らの目の前へ降り立った。
体高は2mほど、人に似た頭とけむくじゃらな胴体。
腕に生えた翼は広げれば横幅が3mを超えるほどに巨大。
そしてそれらを支える両脚は馬の後脚と鶏の脚を足して2で割ったような、ゴツゴツとしたぶっとい逆関節。
足の先では巨大な鉤爪が松明の明かりを受けてギラギラと光っていた。
恐ろしい風貌だ。
……が。
「うん、こいつらも弱いわね、本命じゃない」
片方はシスターによって1秒とかからず頭から腰までを両断され絶命した。
「は、はやい……全然見えなかった」
「もう片方は君に任せるわ」
「え?」
いきなりそう言うとシスターは、僕の服の襟をつかみ鳥の魔物の目の前へと投げ出した!
「せめて普通に戦わせてくださいよ!? なんでみんな僕を投げるんですか!?」
片割れを始末され激高した鳥魔物の前に無防備に投げ出される。
魔物はそんな僕に向かって戸惑うこと無くとびかかってきた!
慌てて槍を構えるが鳥魔物の攻撃はさほど早くはない。
虫の魔物の触手よりはるかに遅く、虫の皇の炎のような防御不能の攻撃でもなかった。
これならやれるか?
そう判断し攻撃を真正面から受け、すぐに後悔した。
鳥魔物の攻撃には、今までにない圧倒的な質量がその鉤爪には備わっていた!
槍で受けるが防ぎきれず弾かれて、勢い衰えない鉤爪は肩から胸にかけてを引き裂いてきた。
そのまま衝撃を流しきれず僕の体は近場の家屋に激突する。
息もできないほどの強烈な痛みが襲うが、運よく出血は無い。
シスターが昼に買ってくれた鎖帷子がなければ内蔵や肋骨をその辺にばらまいていたことだろう。
「あーもう……どう見ても"私力自慢です"って相手に力比べしてどうするのよ」
蹴り飛ばされ近場の家屋に激突した僕には目もくれず、怒り狂う鳥の魔物はそのまま真っ直ぐシスターへと襲い掛かり強烈な蹴りを放った。
「手本を見せてあげるから、ちゃんと覚えてね」
シスターは飛びかかってきた鳥に対し最小限の動きで回避。
そして同時に手に持つレイピアをそっと前に差し出した。
驚くほどゆったりとした突き。
だが、その威力のない突きは軽々と鳥魔物の心臓を貫き絶命させる。
敵の攻撃を見極めその動線上に剣を置く。
相手の体重と勢いを利用したカウンターであった。
「天使君、今のちゃんと見てた?」
「は、はい、なんとか」
「こういうやり方なら腕力のない君でもやれるでしょう?」
「……そ、そこまで鮮やかにはできないかも、ですけど」
「下手くそでも不格好でもいいわ、魔物さえ殺せれば過程や手段なんてどうだって」
話しながら、シスターの手から緑の光が放たれ僕に纏わりつく。
覚えのある光の後で傷がみるみる治っていった。
回復魔法だ、すぐに痛みが収まる。
と、同時にシスターは今度は耳に手を当て何か頷き始めた。
「ん、今部下から連絡が入ったわ、逃げ遅れた市民達を避難所にまとめて誘導してるって」
「誘導?」
「私の腹心数名とベルナドットがそこの防衛を担当してる、商人や旅人からの信頼という意味ではこれ以上ないでしょうね」
ベルナドット、と名前だけ聞いて少し誰のことかと考える。
……虫の皇と戦ったとき一緒になった鉄仮面さんだ。
出会ってまだ2日、どんな人かもあまり知らない、名前もうろ覚え、だが強さに関しては疑いようがない。
「商人や旅人が安全を確保できる、つまり避難所とその道中の防衛さえできれば、城壁の内側から門を開かせるという悪魔の目論見は1つ確実に潰せるわね」
「おぉ……」
「そして今、私達がいる場所は見晴らしのいい高台」
「おぉ!」
「天使君の神の権能を使えば、退避中の人を襲う鳥魔物に直行して助けに行けると思わない?」
「なるほど! それでこの場所で窓の開閉をしなさい、と!」
言ってる間に鳥魔物が5匹ほど、結界を突破し街に降り立った。
ここからは少し遠いが、視界にはきちんと捉えられた。
「まかせてください! 今回はご飯もたくさんありますからね!」
「それは頼もしいわ、食料袋はここに置いておくから、早速お願いね」
青い光とともに鳥へ向かって窓を開く。
地に降り市民を襲う鳥魔物の頭上に神の窓が開かれる。
「ああ、それともう一つ」
「なんです?」
「こんな見晴らしのいい高台でそんな目立つ青い光を放ったら、あの鳥魔物ここを狙ってくるかもしれないわ」
シスターの発言が終わるか終わらないかのタイミングで。
予言通り、空にうごめく鳥の集団の一部がこちらに向かって動き始めるのが見えた。
「そうなったら私が街に向かってる間、自分の身は自分で守って頂戴ね?」
「ま、まさかさっきのレクチャーって、そのために……!?」
「じゃ、あとはよろしく」
「待ってくださいシスター、シスター? シスター!?」
シスターが窓に入るのと入れ替えで、鳥の魔物が1匹僕のすぐ横に降り立った。
「一回お手本を見たからって、そんなすぐにできるわけが!!」
窓に向かって文句を言ってる間に、横から石畳が砕ける音が聞こえた。
着地した鳥がその蹴りの間合いまで接近している音だ!
対応しなければ死ぬ!
シスターの説得は諦めて鳥魔物の対処を優先した。
視界の端に鳥魔物を捉え、先程のお手本通り脚捌きだけでその足爪を回避する。
体のすぐ近くを、家屋をボロ雑巾のように破壊する圧倒的質量が通り抜けた。
先の被弾で腕が縮こまってしまい槍を置くまではできなかったが、それでも回避だけならなんとかできた。
やはり虫魔物の触手に比べれば遥かに遅い。
怖い、でもやれる。
次こそはやってやる!
虫の皇の時とは違う孤独な戦いが始まった。
緊張のせいか、じっとりとした嫌な汗が背中から流れ始めた。
◆
「無理! こんなの無理です!!」
シスターと別行動してから20秒後。
僕は情けない声を上げながら全力で逃走を開始していた。
鳥の魔物相手に「やれる」等と思い上がっていた僕に対し、魔物はなんと仲間を呼び複数で襲いかかってきたのだ。
鳥魔物は3体で群れをなし僕の頭上を飛び回り始めた。
もはや着地すらしてくれず、空中から飛びかかってきた後そのまままた空へと飛びあがるヒットアンドアウェイ。
おまけに互いの隙をカバーしながら飛行し蹴りかかってくるため、こちらに反撃する隙がまったくない。
一体だけならまだしも、地上に降りてきてくれるならまだしも、こんな状態で戦うなんて無理!
僕は戦闘を放棄し逃げに徹する事にした。
必死に槍を振り回しながら、とにかく目についた小さな小屋に避難し窓を開く。
「シスター! もう無理です! 助けてください!」
「こっちが終わったらさっきみたいに助けに行くわ、それまで耐えなさい」
逃げ込んだ小屋の中。
背の低い僕ですら天井に手が届きそうなほどに小さな小屋の中。
外から鳥魔物が小屋を破壊しようと蹴りかかるのを背に聞きながら、必死でシスターに助けを求めた。
すると窓の先、ちょうどシスターに助けられた避難民と目が合う。
5歳ほどの女の子であった、ひどく怯えた目をしていた。
神の権能を持ちながら何もできない僕と違って、泣き喚きはせずただじっとシスターにしがみ付いて歯を食いしばっている。
泣く事の無意味さをよく知っていた顔だった。
「……」
「どうしたの?」
「すいません、やっぱり、大丈夫です」
少し逡巡した後、僕はすぐに窓を閉じた。
この程度のこと自分一人で乗り越えなくては。
改めて一人になった建物の中、何かできないか打開の策を探る。
逃げ込んだ小屋はどうやら漁師の物置らしき建物だった。
狭い掘っ立て小屋の中には雑多に物品が散乱している。
使えそうなものは……
漁に使うであろう銛と網。
小船を停めるために使う小さな錨。
そして……油の入った壺!
油壺を拝借するのと同時に鳥魔物の蹴りによって物置が破壊された、瓦礫のシャワーが僕を襲う。
慌てて逃げ出すと、3匹の鳥魔物が滞空しながらこちらを見下ろしている。
3匹とも互いの背後と側面をカバーするためにつかず離れずの距離を保っている。
だが、先ほどシスターを送るために窓を開けた時と同じ、頭上は隙だらけ。
再び魔物の1匹が空中から飛びかかってくる。
その蹴りを躱しながら右手に青い光を灯す。
繋いだ先は鳥の頭上。
飛びかかってきた1匹が再度空中に戻るのを確認してから。
窓に油を撒き、そのまま近場にあった松明を投げ入れる。
あっという間に火は燃え盛り。
互いの隙を補い合うように飛んでいた鳥3匹は、そのせいで撒かれた油と火を自ら広げ自滅するように激しく燃えていった。
「虫の皇の油の使い方、覚えてて助かった……」
危機を脱し一息つく。
「……って、これで終わりじゃなかった! 窓開かないと」
まだ頭上には100を越す鳥の本隊が飛んでいる、速くシスターと合流しないと。
と思い右手に光を灯した所で気づく。
鳥魔物との戦いのせいで、高台からかなり離れてしまっていた。
戻らなければ。
焼け焦げながら落下する鳥の魔物3匹を背にその場を後にした。
……
……
「あら、さっきのは自力で倒しちゃったのね、偉い偉い」
高台に戻ると、窓を使うまでもなくすでに戻っていたシスターがそんな事を言いながら出迎えた。
表情は変わらず余裕の笑み。
だが声色からは疲労が見え隠れしている。
このシスターが強いのは十分理解した。
でもその上で、どこかに限界があることも理解できた。
「シスター、このままじゃ埒が明かないですよ、こっちからも打って出ないと!」
「落ち着きなさい天使君、半端に攻め込めばこちらのやり方を学習されるわ」
「で、ですけど……そうだ、油! 油です! この窓使って群れの上から油ばらまきましょう! これなら一網打尽で学習する暇も……」
「それだと魔物が火に巻かれてから死ぬまでに時間がかかるわね」
「時間はかかるかもですけど確実に……」
「海に落ちて消火、ってされるならまだいい方で、その火がついたまま街に向かって特攻なんてされたら目も当てられないと思わない?」
火に巻かれながら街に突っ込んでくる鳥。
その後火の海に包まれる街。
軽く想像しただけで惨事が予想された。
なるほど、この案は没だ。
「それに、あの鳥達の上から撒くのなら油よりよっぽどいい物があるわ」
「いい物……?」
「おーい、シスター!! 頼まれたもの持ってきてやったぞー!!」
打開策を探っていると、遠くから男の人が一人こちらに声をかけ台車を引きながら近づいてきた。
聞き覚えのある声だ。
昼間、シスターを誘っていた商人だ!?
「商人の人、なんで?」
「救助ついでに1つ宅配を注文したのよ」
「注文って何を……」
「網だよ網!」
その人が台車に載せ持ってきたものは、折りたたまれた巨大な網であった。
漁で魚を捕る時に使う網目の細い頑丈な網。
それも大型船を複数使って引き上げるような1km四方はあろう巨大な網だ。
「こんな網で魔物を一掃できるとは思えないんですけど……?」
「驚くなよ坊主、これだけじゃねえんだ」
さらに商人の後方には男の人が数人がかりで大きな台車を引っ張っていた。
荷台に乗っていたのは巨大な錨!
「これって船を停める錨です?」
「おう、数百トンある船を波で動かさねえようにするでけぇ鉄の塊さ」
「いくら力自慢の魔物だって、踏ん張ることのできねえ空でこんなもんに引っ張られたらたまったもんじゃねぇだろうな」
こちらに説明をしながら、商人さんの連れてきた男達は慣れた手付きで網に手早く四つの錨を取り付ける。
「でも大丈夫なんですか? 正確に投げないと1匹も網にかからないなんて事も」
「おいおい俺達ぁ漁師だぜ、なめんなよ? 視界の悪い海中の、あれよりよっぽど小さい的に向かっていつも網投げてんだぜ?」
「……なるほど!」
空と海ではだいぶ勝手が違う気もするが、言っても仕方ないので黙っておくことにした。
少なくとも道具の扱いについてはプロだろうし……
「今、対空部隊にこっちの作戦を伝えたわ、少ししたら光弾を撃って窓の青い光を誤魔化してくれるって」
「タイミングが命だ、しっかり合わせろよ!」
「はい!」
漁師さんとシスターの指示の元、対空部隊の合図に合わせ鳥魔物の本隊の頭上少し離れたところに窓を開く。
下からの光弾に気を取られてか、鳥達が窓に気づくのに数秒の遅れがあった。
「へへっ奴ら頭上を取る事は慣れてても、頭上を取られることには慣れてねえみたいだな、隙だらけだぜ」
「漁師魂、見せんぞおらぁ!」
その僅かな隙に放たれた巨大な網は、街の空を覆っていた数百匹の鳥の魔物達を絡み取った。
忌々しく羽ばたいていた鳥達を一網打尽に絡め落とす!
そして一瞬の静寂の後。
悍ましい叫びとともに、何かが地上に叩きつけられ潰れる不快な音がした。
漁師さん達の投網は見事成功を収めたのだ。
「はっはぁ! やったなオメーラ!」
「漁師なめんなコンニャロー!」
避難所や対空櫓の方からも歓喜の声が聞こえてきた。
同時に、どこに隠れていたのかそこら中から商人達が現れ自分達の荷物が無事かを確かめていた。
鳥魔物達の血飛沫とともに安堵の声が広がっていく。
難題は解決された。
これで魔物の襲撃も終わり。
誰もがそう考えていた。
街全体が、戦闘状態を終え日常へと切り替わろうとしていく。
……
……だが。
その時、生臭い風が一つ吹いた。
空を覆っていた暗雲が風に流され月明かりが差し込み始める。
街の高台、鳥の魔物の血で染まった中心街、海へと続く下り坂、波止場に留まる巨大な船、そして海。
月明かりがそこまで照らしたところで我々は"それ"の存在にようやく気がついた。
病室で感じた視線の正体、シスターがずっと予見していた魔物達の本命の正体。
高さ20mはあろう巨大な悪魔が、近海に浮かび佇みコチラを見ていたのだ。
無貌のその巨体はドロドロとした体液を垂れ流す傘上の筒。
巨体の体中を覆う黒い疣はうぞうぞと蠢く触手。
触手の影からちらつくのは皮膚ではなく稚魚、魔物の稚魚達がその体表を這いまわっていた。
一般的な生物の様相とはかけ離れた、異形の化け物がそこにいた。
「なんだよあれ」
「大悪魔だ……セイレーンだ……」
「漁師の与太話じゃなかったのかよ!」
そして、雑踏の中から誰ともなく呟いた。
「あんなの勝てるわけがない」と。
その言葉は、その恐怖は、先程まで歓喜に湧いていた人々へ伝染していく。
「た、大砲、船の大砲なら……!」
「大砲が届く距離まであれに近づけってのか?」
「船の奴ら、あのデカブツに卵植え付けられたんだろ!? 俺ぁ絶対嫌だぞ!?」
周囲の人達から、恐怖の声が次々と上がってくる。
城壁の内側から人間自ら門を開けるという、最悪のシナリオが再び現実のものとなりつつあった。
「なるほど、あの寄生してた雑魚はそのために」
「審問官の人達だけでも行けませんか?」
「そうしたいのは山々だけど、大砲を積めるような船は動かすだけでもたくさん人が必要だから……」
こうしている間にも、沖の大悪魔は街へじりじりと近づいてくる!
なんとかしないと。
……と、ここで一つ閃いた。
「船で近づかずにでも戦えるなら、皆さん手伝ってくれるんですか?」
「どうかしら、ヴィンセント」
「そりぁそんなことできんなら……」
網を持ってきてくれた商人は、弱気ながらもそう答える。
僥倖だ、これは商人達も天秤が傾けば味方してくれるサインだ。
ただ、頭を下げてお願いなんて商人に効くとは思えない。
何か一工夫必要だ。
昼に見た客引き。
叩き売り、デモンストレーション。
購買意欲を煽るアジテート。
あれが何とかして自分にできればいい。
でもどうすれば?
もっと頭をこねくり回してどうにか考える。
そして。
「商人のみなさん、少し見てほしいものがあるんですけどいいですか?」
「あ? 何を」
自分にできる最大の客引きは神の権能をおいてほかにない。
恐怖に騒ぐ商人達の目の前で、青く光る窓を開いた。
繋いだ先は大悪魔の頭上。
そこに油と火種を落とし、赤々とした火を灯す。
さしたるダメージは追わせられず、その火は数秒で消えてしまう。
だが、真っ暗な夜の海にその明かりは確かにこちらへ存在を示した。
「提案なんです、さっきの鳥魔物みたいに、今度は商人の皆さんも一緒に、この国に恩を売ってみませんか」
「……」
「大悪魔討伐の栄誉、皆さんで王国へ売りつけませんか」
青く光る神の窓、そしてそれによって引き起こされる赤々とした火。
簡潔に、素早く、そして視覚的に分かりやすくこの権能で起こせる結果を伝えることができた。
これなら……!
「坊主、その窓をさっさと閉めろ」
「っ……」
だめか。
やはり、素人の猿真似では……
「奴ら学習する知能があるんだろ? 用意が終わるまでしまっとけ」
「えっ? あっ、はい!」
「おい、うちの店の大砲の在庫いくらだ?」
「避難所からも人手を集められるだけ集めろ、とにかく人手が必要だ」
「おい坊主、40秒だ、40秒待ってろ! うちの商会の一番すげえ大砲見せてやる!」
「あっ、ありがとうございます!」
それは商人なりの承諾の合図であった。
歓声の代わりに戦支度の喧騒が静かに巻き起こった。
「60点ね、交渉相手が物分り良かっただけ」
「え、何がですかシスター」
「なんでもないわ、後でちゃんとしたやり方教えてあげる、それよりそろそろ準備しましょう」
「何なんですか一体……」
「おい坊主、窓の準備急げ! もう砲撃部隊の方は準備できてたぞ!」
「速くないですか!?」
僕が困惑する間に商人達は窓を利用した砲撃のプランを審問官と一緒に完成させていた。
砲台の用意、砲弾の運送と補給ルート、人員の確保、窓の開く場所の指定までこの数十秒でほとんど完成している。
なんと手早い。
「もうあとは坊主だけだ、準備はいいか?」
「あ、はい、ただ窓の開け閉めは1回に1つだけ、それに何回も開けるわけじゃないのでそこだけは注意を……」
「お腹が空いて倒れちゃうのよね?」
「はいそうなんですだから」
「じゃあ飯喰えばいいだろ、用意するぜ?」
「消化吸収って知ってます!? 食べ物は食べてすぐ栄養になるわけじゃないんですよ!」
「そこは魔法で無理矢理補いましょう、医療班を呼んでおくわ」
「え、それってどう考えても体に良くないやつじゃ」
「忘れたの? 私達は魔物が殺せるなら手段は問わないわ」
「え、あっ」
「シスタージェミネ、砲手砲塔、両方準備完了しました!」
「よし、こっちも早速取り掛かりましょう」
「ま、待っ」
やりましょう、と僕自身が街の皆に提案してしまった手前。
やっぱりやめましょう、なんて言えるはずもなく。
この日、僕は思い知った。
時に災厄とは敵ではなく、味方からもたらされる事もあるのだと。
「砲手一から五番、斉射はじめぇ!!」
「補充は俺らにまかせろ、弾薬費なんて気にすんな! 教会がケツ持ってくれるとよ!」
大悪魔セイレーンの発見から数分後。
即席の部隊による砲撃が始まった。
船上戦闘の経験がある水夫、魔物だらけの荒野を渡り歩く商人、どちらも立派な戦力だった。
巨大悪魔との戦いは順調そのもの。
窓によって繋がれた敵の頭上は魔物側からの反撃の手段は限られる。
「鳥の残党が乗り込んでくるぞ! 防衛隊急げ!」
「審問官、審問官助けてくれ!」
「騒ぐな! 言わなくても奴ら動いてる!」
「触手が来るぞー!! 総員退避ー!!」
「いやだ! 卵植え付けられて死ぬのだけはいやだ!!」
「六番から九番、カバー急げ! 奴らの反攻ごと大砲で叩き落とすんだ!」
泣き言を言いながらもけして逃亡はしない商人や街の水夫達、それらを守る審問官。
即席なのに抜群のコンビネーションで悪魔の硬い表皮を砲撃していく。
戦いは順調だ。
ただ、その裏で……
「BS値49mg/dl! 低血糖が進んでる、ブドウ糖の吸収、出力上げて!」
「おい点滴、点滴止まっちまってる!」
「あの審問官め、雑に刺すから血管が腫れちゃったじゃないか、誰か新しい針持ってこい!」
「伝令!! 大悪魔が再び移動を開始! 窓の再展開お願いします!」
「マジかよコイツまだ回復しきってねぇぞ!?」
「しょうがねぇとにかく食わせろ! 口ん中とにかく食い物詰め込め!」
「も……無理…………」
「ベットごと移動させます、護衛の準備を」
「いっそ、殺して……」
砲手の裏では白いカーテンに遮られた区画でベットに僕が寝させられていた。
お祭りめいた食物の山。
そして対照的な医療器具の山と医療関係者の怒号。
野戦病院めいた地獄の有様と贅を極めた食物の山、相反する二つの様相がまとめて一つになっていた。
「はいベッド通りまーす、窓開きまーす」
「あ……う……」
「おいアイツ顔が土みたいな色になってねぇか……?」
「天使って大変なんだなぁ」
大悪魔との戦闘開始から5分経過、窓の生成は通算11回。
長距離かつ大規模な窓の開閉を行う度に、僕の中から何か大事なものが抜けていく感覚がした。
「おいシスター、さすがにコイツが可愛そうになってきたぜ……なんとかならねぇのか?」
「うーん、最低あと2回って所かしらね」
「なんで……あと2回、て……分かるんです」
「ちょうど今の窓を開いた後、砲撃であの悪魔の外殻が崩れて心臓部が露出したの、あとは砲撃を続けていれば無理しなくても安全に倒せるわ」
「あと2回、2回も……こんなの続けたら……死ぬ……」
満腹なまま飢える苦しみの中。
生後3日の貧困な思い出が脳内を駆け巡る。
「し、死ぬ……死ぬ、前に、死ぬ前に大悪魔ぶっ殺したらぁ!」
「うわぁ! 坊主がぶっ壊れた!!」
結果、僕の記憶に強く刻まれた、一つのセリフがフラッシュバックする。
「神の権能を奪ってより優秀な人間に移す」。
思い出したのは自称偉い人の言葉。
「もう外殻壊れたんですよね! 心臓見えてるんですよね!」
「え、えぇ……」
「なら! もう剣や槍で悪魔殺せますよね!」
「それは、まぁ、そうね……」
「なら、悪魔、ぶっ殺したらぁ!」
あと少しで大悪魔が倒せるなんてこの状況、シスターがその事を再び狙っている可能性は高い。
「なあシスター、こいつ変な魔法のキメすぎで完全に頭がイッちまったんじゃねぇの?」
「……否定はできないわね」
シスターが市民の味方であるのは疑いようは無い。
だが、僕の味方であるかどうかは今でも疑わしい。
「このまま待ってても、満腹のまま餓死してしまいます! だから、もう、待ちません!」
「いいのかシスター?」
「まぁ外殻が破壊された時点で勝利は決まったようなものだし、"こっちの方"は天使君に任せようかしらね」
「なら行きます! 大悪魔の心臓、ぶっ潰します!!」
狂ったふりをしながらシスターや医療班の人たちを背に、白いカーテンで区切られた区画を飛び出した。
目指した先は鉄仮面の大男、今、自分の知る中で一番信用できる人間だ。
出会って2日、どんな人かもよく知らない、名前もうろ覚え、これが自分の人生の中で一番信用できる人物だ。
この程度の信頼の人が一番信用できる人間だ。
自分の人脈の無さに泣けてきた。
商人達から話を聞きながら砲撃部隊をかき分け進むと、窓の近くに魔物の返り血を浴びて悍ましい姿になった鉄仮面さんがいた。
「鉄仮面さん!」
「お前もういいのか」
「はい、トドメを刺せと!」
「よし、なら征くぞ」
「はい!」
すでに開かれ砲弾を打ち込んでいる大きな窓。
鳥と大悪魔の触手がこちらに向かっているその窓へ、二人で思い切って飛び込んだ。
大悪魔の直上、露出した心臓部まで距離にして10m、時間にして1.43秒、敵に視認されても対応される前にすべて終わらせられる距離だ。
障害となる触手と鳥魔物も、度重なる砲撃で片手で数えるほどしかもういない。
今なら!
「やつの触手は卵の植え付けに特化してある、虫の触手より鈍い」
「はい!」
「臆するな、冷静でさえいれば、コイツは大きいだけのただの的だ」
鉄仮面さんのサポートを受けながら目標へと落下する。
襲い来る触手や鳥を二人で切り払いながら。
いつもより大きな、僕の身の丈の倍はある大きな鉄槍を、大悪魔の心臓へと突き立てた!
夥しい量の返り血と。
耳が潰れそうなほどの絶叫が響く。
そして、やがてその叫びも途絶え沈黙が訪れた。
大悪魔セイレーン、確かに討ち取ったのだ。
吹き上がる悪魔の血のシャワーの中で勝利の歓喜に包まれる。
が、それ以上体を動かすことができなくなり悪魔の心臓に横たわった。
度重なる権能の使用で、ついに体力が限界を迎えたのだ。
「よくやった」
遠のく意識の中で鉄仮面さんの言葉が届く。
「さぁ、あとは港まで泳いで帰るだけだ、もうひと踏ん張り、頑張るぞ」
この人、こういう冗談も言えるんだ……
そんなことを思いながら、ほとんど気絶に近い状態で眠りについた。
◆
気が付くと、僕の体は高台の診療所のベットの上にあった。
窓の外を見るともう朝日が昇っている。
どうやら、セイレーンを倒してから数時間が経過しているようだった。
「おはよう天使君、よく眠れたかしら」
そして目を覚ましてすぐ、殺人シスターの姿が視界に入ってきた!
「シスター? げぇ!? シスター!?」
「ひどい反応ね、傷ついちゃうわ」
「ご、ごめんなさい動揺してて……」
「安心しなさいベルナドットや雀の大将も一緒よ」
病室を見回すと鉄仮面さんと雀さんも同じ病室に同席していた。
なるほど、さすがにこんな状況ではシスターも悪巧みはできないか。
「私がここにいるのはね、今回の大悪魔撃退に対する褒賞についての報告よ」
「褒賞……?」
「天使君、君には多額の報奨金と、死刑宣告の正式な破棄が授与される事となったわ」
「死刑の破棄って、虫の皇でもうそれは無くなったんじゃ?」
「虫の皇の時はまだ一部の貴族連中が頑なに死刑にすべきだって騒いでたのよねぇ」
「えぇ……」
「今回、王国の物流の心臓部を守りきった、それも天使君の活躍が大きいとなればそんな反対意見も消し飛んだわ、おめでとう」
シスターは笑顔でそう語る。
確かに喜ばしいことではあるのだろうが、なんとも複雑な気分だ。
もともと「死刑に処すべき!」と一方的に言ってきたのは向こうの方なのに「状況が変わったからやっぱり今の無しね!」としただけなのだから。
「ただ、まだ一つ君には懸念があってね」
「まだ何かるんですか!?」
「あなたを殺すべきって譲らない貴族が一人、君の死刑撤回に反対を続けているの」
「なんなんですか……そこまでして僕を殺してどうしようって言うんですか……!」
「その理由を問い詰めるのも含めて、貴方には1つ仕事をしてほしいのよね」
「……嫌な予感しかしないんですが」
「その反対意見を曲げない老人を、直接ぶん殴って来てちょうだい」
「……は?」
「王国の先代騎士団長、元王国最強剣士キャスパーグ卿、今もなお君の死刑徹底を論ずる彼を君の手で直接、力づくで説得してくれない?」
そして新たな無理難題が、シスターから告げられたのであった。