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第三章 焼け(上)

 額からじんわりと吹き出した汗を袖で少し拭う。男はハンカチというものを持たないやつが多いのが昔から不思議だった。

 中学生になってから,女子達がトイレの中で櫛を使って髪をといている姿を見てようやくわかったのを憶えている。ああ、女子にとってトイレとは身なりを整える場所なのだと。化粧室なんて言い回しも何となくわかった。

 だからといって自分も女子と同じようにハンカチを持つようになったのかというと、全然違う。そんな自分に少し笑ってしまう。

 人目を気にしない自分ってのは何なのだろうと、苦笑に少しだけ近い笑いを漏らしたことがある。自分への評価が低い人間が対人恐怖になったり、傲慢な人間の自己主張が爆発すると酷かったりするが、俺の場合はどちらでもない。俺は自分を評価していない。無価値だと思ってる。だから誰にどう思われようと関係無いし、知ったことではないのだ。

「ああ、全然売れねえ!」

 熱くなった足の裏を解放するかのように足を伸ばして座り込んだ。

 よく、考えたら売れるわけがなかった。この薬、通称「0」―ゼロ―は脳内のアドレナリンの量を一時的に増やして通常の力より遥か上の怪力を生む出す薬だ。しかし、無駄に命懸けでケンカをする馬鹿もめっきり減ってきたのだ。喧嘩はあくまでも手段であって喧嘩そのものに意味があるわけではない。大体、正当な理由がある喧嘩など面白くない。ちょっと生意気だったから蹴っ飛ばしてやったぐらいのノリのが聞いていてスカッとするものだ。そんなノリのケンカをするのにこんな大層な薬はまず必要ない。好戦的な奴になら売れる薬かもしれないが……と、そこまで考えて気付く。『武道派のギャングなら売れるかもな』と。ここらだと2チームいるからそこそこ売れるかもしれない。

「そーんなに真剣な顔して何を売るのかな?」

 突然の女の声に身体がスタンガンで打たれたみたいにビクリとして後ずさった。いつからそこに座っていたのかわからなかったから面食らったのだ。

「いつから座ってた?」

 ビクつきながらその問いに女は可笑しそうに笑って答えた。

「そりゃあ、わたしは猫だからねぇ。足音は静かですよぉ。引っ掻くけど♪」

 茶色のブラウスから白くて小さな手を覗かせて猫の手招きをする。それが妙に愛らしい。

「まじ、ビビった」

「あはは」

 本気でビビった。対して向こうは可笑しそうに笑うだけ。ただ、その笑いは不良娘というには些か上品なものに感じる。髪型や服装もそうで上品だ。髪は綺麗に切り揃えて常に一定の長さを保っている。化粧はしてるがそんなにくどくない。服もかっこいい物を選んでくるが高級ブランドには興味なし。というか着たくないらしい。何でも『若いうちにあんなものを買っても格好がつかない』と言っていた。『あれはさ、自分でバリバリ働いた金で買うからビシッと決まるのよ。親の金で暮らしてるお子様には必要ないのよ』と力説していたことを憶えている。

「ハロー♪学」

「おう」

「何その返事?」

 ちょっと不満そうに訊くので言い直した。

「いや、こんちわっす」

「よろしい」

 二歳も年上のこのお姉さん、空ヶ(そらがわ)なゆ。通称、『なゆ姉』は俺をあらゆる駆け引きで翻弄してしまうちょっと怖いお姉さんだ。何故か毎回ペースに嵌められて勝手に勝ち逃げされてしまう。

「で?何売るの?」

 長いまつげをしばたたかせて訊ねてくる。黒い瞳がこちらを全て見透かしているようで恐い。

「研究をして極めて合法な手段で運び込まれた、皆がハッピーになれる物だよ」

「ドラッグね」

 凄い遠回しに言ったのに一瞬で当てられて唸る。逆にここまで即答だと気分がいいような気がしてきた。

「だーめじゃん」

「いや、まだ法律出来てねぇし」

「ふきだまりを増やしたら、そんだけで人として罪」

 はっきりと強い口調で言う、なゆ姉。

 ふきだまりとは、薬から抜け出せなくなった、あらゆる意味で哀れな薬の常習犯のことを指す。警察の目を気にしながら薬を買い、常習しているうちに薬に支配され、それでも売ってやるぞと言われれば高額で買ってしまい、最後は警察に捕まり、刑務所行き。犯罪からも国の組織からも護られない最悪の被害者であり、そして加害者だ。

「これ捌けば、ダチの夢が叶うんだ」

「男の友情は結構だけどさあ、君らはそういう稼ぎ方しか出来ないのかな?腕っぷしが強いなら工事現場でも建築現場でも、いくらーでも雇ってくれる所はありますよ?」

「俺らはワルよ。そんなとこには落ち着かねえよ。社会とは関わんないって決めたんだよ」

「過去形……」

「は?」

 なゆ姉がボソッと呟く。俺は意味がわからず不機嫌に声をあげる。

「決めた、って昔のことでしょ?今は少しは変わりたいんじゃないの?」

「そんなこと―――」

「ないのかな?ホントに?」

「……」

 調子が狂ってきた。完全に向こうのペースだ。だが譲りたくない。何でも言い返してやろうと思う。

「なゆ姉には関係ないだろ?」

「……」

 今度はなゆ姉が沈黙した。わけがわからなくなってきた。心配してくれてんのかと思ったが、『いや、こんな俺みたいな不良品に愛着なんかないだろ?』と思い直す。

「いいよ、いいよ。君の好きなとこに行きな。天国でも地獄でも好きなところへどうぞ~。万が一、君がそこに行けたら私を観光ツアーに招待してほしいねえ。まぁ、人間の君にそんな所は必要ないだろうけど」

「話が飛躍しすぎだろ!?」

「ぜーんぜん!現実世界の話をしています」

「どこら辺が?」

「人間は繋がって生きてくしか、生きてく方法がありません。誰もいない空間に行こうとしても無駄無駄~」

「……」

「もうちょっと真面目になったら、私も君のこと見直すのになあ」

 と、かなり残念そうに言うなゆ姉。

「それって、どういう意味?」

「いや、最初、君を見たときはカリスマ君でかっこ良かったけど、本性見てがっかりしたって話!」

 俺は、知らない間に振られてたのか?と心の中で叫ぶ。

「公園でも散歩してきたら?」

「なんで?」

「君に必要なものがあるよ?」

「それって――――」

 そこでなゆ姉の携帯のアラームが大きな音で鳴った。なゆ姉は取り出してアラームを止める。

「ああ、ごめん。今から用事があるの」

「ああ、そうなんだ……」

 中途半端な所で話が切り上げられてめちゃくちゃ寂しい気がした。

「バイバイ」

「ああ」

 身を翻して早足で歩いていってしまった。後ろ姿を見送ってから考える。


 ――――わかんねぇな、何が正しいとか悪いとか俺にはわからねぇよ。これが上手く行けば颯人の夢を叶えれる。その方法が社会への規範から外れたものだとしても間違いとは思えない。

――――『ふきだまりを増やしたら、そんだけで人として罪』


――――そうか?俺には関係無いだろ?関係ないからどうでもいいんだよ。俺は颯人を早く欺瞞的な檻から出してやりたいだけだし。でも……くそっ!何だよ、この気持ちは!?


――――『いいよ、いいよ。君の好きなとこに行きな。天国でも地獄でも好きなところへどうぞ~』


 嫌な人に出会っちまった。今日は家、帰って寝る。そんで全て忘れる。

 気をまぎわらすために煙草に火を点けたが上手くなかった。半分もいかないうちに踏み潰した。

 苛立ちがおさまらない。

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