【7】ハワード公爵養女マイラ・ハワード(マイラ視点)
「マイラ、学園生活はどうかね。楽しく学んでいるかな?」
「はい。おかげ様で友人もできました」
恐る恐るそう答えた。
友人と言っても学園内で少し話すくらいだが他に言うべきこともない。
ハワード公の目を見てしまうと怖くて何も言えなくなるので、いつも襟のあたりを見るようにしている。
「その友人がアルフレッド殿下ならありがたいがなぁ」
学園に転入してきた私は、おそらくハワード公の手回しによってアルフレッド殿下と同じクラスになった。
とはいえ、直接話したことなど一度もない。
転入当初に一度挨拶をしただけだ。
殿下はいつもたくさんの眩しい人たちに囲まれている。
私も今は公爵令嬢と呼ばれる身ではあるけれど、元は子爵家の三女で伯母がハワード公爵夫人という縁でこの家の養女になったに過ぎない。
元の家では上の二人の姉が美しい容姿のおかげか、実家より高位貴族に嫁いでいった。
私は姉たちに比べて容姿も平凡でたいした取柄もなく、どうしてハワード公爵が私を養女にしたのかまったく分からない。
殿下の年齢と釣り合い、婚約者もいない親類の娘が私しかいなかったのだろうか。
アルフレッド殿下の目に留まるよう気を引くようにと言われてきたけれど、そんなことが私にできるわけがなかった。
もしも姉たちと似た容姿を持っていたとしても、殿下の興味を惹くにはもっともっと、言い方は悪いが図々しいくらいに押しが強くないと無理なのだ。
同じクラスにいる、マチルダ・パーカー男爵令嬢のように。
彼女の家格は低いが、弾けるような美しさとそれを良いように操れる押しの強さと器用さがあるのだろう。
それらをすべて持って初めて殿下の視界に入ることができるのだ。
私は実家にいた頃、姉たちからそれなりに可愛がられていた。
身内のお茶会に行くときに、姉たちからお下がりの華やかなドレスを着せてもらった。
これがもう悲しいくらいに似合わなかったが、たまのお茶会くらい良いドレスで行きなさいと言われて逃げられなかった。
まるで子供の絵を豪華な額縁にいれたようなちぐはぐさに、私はお茶を楽しむどころではなかった。
身内のお茶会なので、物事をはっきり言う叔母の一人から『ドレスは好きな物を着ればいいというものではない』と小言を言われてしまう始末だった。
好きでもなく似合うわけでもなく場に合ったものでもないドレス姿で小さくなっていた自分の姿はことあるごとに思い出す一場面で、私の人生を象徴している気がしている。
ハワード公爵令嬢という名も、そのドレスと同じだ。
好きでここにやってきたわけでもなくその名が似合うわけでもなく、あわよくばアルフレッド殿下の婚約者にという野望が私にあるわけでもない。
毎日毎日あの時のドレスを着ているみたいに居心地が悪かった。
アルフレッド殿下はひとつ年下のアリシア公爵令嬢と婚約した。
ハワード公には申し訳なく思うが、その話を聞いて全身の力が抜けるほど安心した。
私のせいではないところでこの『任務』から降りていいことになった。
あとはいつ実家に帰ることになるかとハワード公からの言伝を待っていたのに、私はまだ公爵家にいる。
恐ろしいことにハワード公は、私をアルフレッド殿下の婚約者にすることをまだ諦めていないのだ。
「近々、私はシャーリド王国の視察にその総責任者として赴くことになっている。
ついてはマイラ、おまえを一緒に連れて行こうと思う。
何、学園のほうは心配いらない。学長には私から話をつけておく。
アルフレッド殿下も同行するのだから、おまえもその役目を解っていよう。
殿下の婚約者どのも一緒だが、そんなものは気にしなくてよい。
ドレスやその他、シャーリドに向かうにあたって必要なものは早めに言うように。
マイラに私は大いに期待しているのだ、ノックスビル家に負けないようなものをなんでも揃えよう」
下がってよいと言われ、意識もありえないくらいに下がって倒れてしまいそうだった。
シャーリドに私も同行する?
『アルフレッド殿下もいるのだからその役目を解っていよう』
こんなことを言われても何も解りたくなかった。
ただ、平凡で愚鈍な私にもひとつ分かったことがある。
ハワード公はノックスビル公爵に勝つことはできないということだ。
婚約者であるノックスビル公爵令嬢の聡明さと美しさは、彼女がもう学園を辞めたというのに学年の違う私の耳まで届くほどだ。
その令嬢に対抗する人材が『私』でいけると思っているその判断力では、ハワード公爵はノックスビル公爵に絶対に勝てない。
私は、描いた子供自身が明日には忘れるような絵であって、どんなに高価な額縁に収めても高級にはなれない。
恐ろしいことになる前に、いっそ消えてしまいたかった。
***
シャーリドへの視察に私を伴うと言われた翌日に、ハワード公爵夫人に連れられドレスなどを買いにいくことになった。
「旦那様からは何でもマイラの望むものを買えと言われているの。旅に必要なものももちろんだけど、いつも使うものでもいいのよ。何でも言って欲しいわ」
「……お義母様……私は特に欲しいものは……」
なかなか『おかあさま』という言葉が出てこないが、頑張ってそう呼べるようになってきている。
義母となったハワード公爵夫人は、私にあまり興味がないのだと思っている。
ハワード公爵がその野望のために養女にした単なる『手駒』には。
義母がいつもドレスをあつらえているというこの大店に入った時から、義母はマイラの実母のように目を輝かせてマイラに似合うドレスの色は、今の若い娘の間では何が流行っているのかと店のドレスの間を泳ぐようにしていた。
これまでハワード公爵家にドレスを買ってもらったことはない。
実家が持たせてくれたドレスがあったからだ。
高価なドレスや宝飾品に特に興味もなかったので、新しいものが必要だと思っていなかった。
義母は買うことになりそうなドレスを掛けるハンガーバーに十着も掛けて、私に当ててはこれもいただくわと店の者に指示を出している。
「そうそう、忘れるところだったわ! 娘は旅に出るのよ。旅で着られるようなワンピースも持ってきてくださらない?」
いったいどれだけ買うつもりなのかとため息が出そうになったが、旅で着るものは確かに必要なのでそれはありがたい。
行きたくなくて仕方がないが、行かないで済む方法もないのでもう諦めている。
結局義母はドレスやワンピースだけではなく帽子や靴やジュエリーも、途中から私が数えるのをやめたほど買った。
「ああ、たくさん良い買い物をしたら疲れたわ。マイラ、この近くに最近できたケーキの店が人気らしいのよ。一緒に行きましょう」
店は中を覗くと空いているテーブルがないくらいに客でいっぱいだった。
義母が『予約をしているハワード』と名乗ると、約束の時間より少し早く着いてしまったようで対応した係の顔が真っ青になった。
ハワードと言えばそれが誰なのか判る者のようだった。
「まだ時間前ですもの、ここで待たせていただくわ。あまり前のお客を急かさないであげてね」
そう言うと、義母はテラス横の堅そうな木の椅子に掛けたから私は驚いた。
貴族は高位になるほど待たされることを嫌う。
貴族の中でもハワード公爵家といえばノックスビル公爵家と並んでこの王国では最高位にあると言っていい。
そのハワード公爵夫人が、自分よりも下位であろう貴族と平民が交じって賑わっている店の外で時間がくるのを待っているのだ。
「お義母さま、失礼かとは思いますが驚きました。まさかお待ちになるなんて」
思わずそう言ってしまうくらいいい意味で意外だったのだ。
すると義母が小さな声で笑いながら言う。
「旦那様はああいう方でしょう? いかにも公爵という押しの強さで今の地位を守っていらっしゃる。
反発する者も多いけど、あれはあれで必要悪な態度と思っているの。
でも私まで同じであることはないわ。
むしろ私が旦那様とは違う態度でいることで、世間的に少しでもバランスが取れればいいのよ」
「そうだったのですね。私……」
言いかけたところで店の者が、席が空いたことを丁寧に伝えてきた。
店の奥まったところで個室のようにカーテンや植物に囲まれた席だ。
義母は私を連れてくるためにここを予約してくれて、表で待ってさえくれたのだった。
「大きな粒のブドウが丸ごと載ったケーキをお勧めするわ」
義母が勧めてくれたケーキとお茶が運ばれてきて、初めて外で義母とこうしてお茶を飲むのだと気づいた。
「旦那様もああ見えて、あなたを養女にできたことを喜んでいるの。
男子二人を産んだ後、次は娘を欲しかったけれど……三年の間に二度、産んですぐに亡くなってしまった娘たちのことで塞ぎこんでいた期間が長くて、ずっと心配をかけてしまった。
その頃弟の家に三人目となる娘が生まれて、旦那様は生まれたばかりのマイラを養女にもらえないかと申し入れていたのよ」
「私が赤子の頃からですか?」
アルフレッド殿下が年頃になったから、殿下の年齢に見合う娘を急いで『調達』したのだと思っていたが、私が赤子の頃から養女にしたかったのだという。
「ええ、そうよ。私の弟のところは五人の子どもに恵まれていてね。
弟夫婦とはマイラが学園に入るくらいの年になったらと、そう約束していたの。
それまで旦那様は弟の家の資金援助を続けてくれていた。
マイラの誕生日には私たちも招待されて、あなたの成長をずっと見守ってきたわ。
弟夫妻は何も分からない赤子のマイラではなく、分別がついてからということを望んだ。
あくまでもマイラは自分たちの娘なのだと、そう育てたの」
義母はやや冷めたお茶で喉を潤すと、あと少し残っていたケーキをひと口でほおばった。
公爵夫人らしからぬ作法に、少しおかしくなる。
でもそんな自由なふるまいも、私が義母の前で硬くならないようにと慮ってくれているからだと分かりはじめていた。
ハワード公爵夫妻は、私が赤子の頃から『いつかこの娘の親になる』と思って、私の誕生日を祝いに来ていたというの……。
私が思っていたのとかなり話が違う。
「だからマイラがハワード家に来ても『さあ、私があなたの母よ』なんてできなかったわ。
マイラは旦那様から大変な役割を押し付けられてしまったと思っているかもしれない。
実際、正直に言うと私もそれはどうなのかと今も思っている。
でも、旦那様はマイラの幸せのことを蔑ろに思っているわけではないの。
ハワード公爵家からマイラが王室に嫁ぐことが、公爵家だけではなくマイラ自身のためでもあると、あの不器用でちょっと……いえ、かなり偉そうな旦那様は思っているのよ。
でも、マイラはマイラ自身のことを考えてくれたらいいわ。
私はあなたが自分の気持ちを大事にしてくれることを、母として祈っている。
ああ、もっと早くこうして家の外でマイラと話せる機会を持つべきだったわね。
さあお茶をお替りしましょう」
新しく運ばれてきたお茶を、今度は落ち着いて味わった。
義母の話を聞いても、今までハワード公爵に対して感じていた印象がひっくり返るほどではない。
私の幸せが王室に嫁ぐことだと決めつけられていることにも反発心はある。
ただ少なくとも、消えたいと思っていた気持ちはどこかへ行った。
もちろんもう婚約者がいる殿下を私のような者が奪えるとは思っていないし、したいとも思わない。
でもハワード公爵にシャーリド王国に同行するようにと言われたことを、少しは前向きに捉えてみようかという気持ちが芽生えた。
アルフレッド殿下に近づくためではない。
何かそれ以外で養父であるハワード公爵の役に立てることがないか、考えてみようと思った。