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【5】周りを冷めた目で見ていた男の目覚め(アルフレッド視点)


「アル! このあとみんなで街に出るのだけどあなたも行くわよね。

最近ぼんやりしすぎだから、パァッと外に出た方がいいわ」


一国の第一王子である自分をこのように呼ぶのはマチルダ男爵令嬢だ。

王子である自分にこうして近づいてくる者は男女問わず少なくない。

実際、貴族の子弟は学園で過ごしている間に、親から王族と親しくなるようにと言われているとも聞く。

俺自身の興味を引きたいのではなく、王子という甘い蜜に群がるハチのようだ。

それならば逆にこちらも利用してやろうと思い、近づいてくるマチルダを邪険にしなかった。

俺が言うのもなんだが、男爵令嬢ならば家のためにそのうちどこかの貴族に嫁ぐのだろうに、こんなに簡単で大丈夫なのかと心配になるほどだ。

でもその潔さと明るさは自分の周りにはないもので、一時の付き合いであるならばむしろ好ましかった。後先考えなくていいのはラクだった。


婚約者であるアリシアは、聡明そうだが典型的な貴族のお嬢様という感じでぼんやりと色褪せて見えた。

貴族のお嬢様というのはパーティ会場のシャンデリアにぶら下がっているガラス玉のようなものだ。

キラキラして見えるがどれも似たり寄ったりで宝石ほどの強さもなく、光がなければ自分で輝くこともできない。

俺はこの先アリシアというシャンデリアのガラス玉を、国王の命により家に飾らなければならない。

埃が積もろうがガラス玉が曇ろうが、ずっと家の中にぶら下がり続ける。


ただ、ベッドを共にしたらマチルダもまた、ただのガラス玉だと気づいた。

自分で輝くことができないからか、宝石をねだられた。

この先に必ずやってくるいつかの手切れ金のつもりでひとつ買った。

こうしたすべては国王である父が把握し『学生のうちに身綺麗にしろ』と、買ってやった宝石の金額分の小言が降り注ぐ。


マチルダと二人きりなら断って帰るつもりだったが、皆も一緒だったので外に繰り出した。

帽子を目深にかぶり、似合わない口ひげもつけると皆が笑って俺も笑う。

そうして外でひととき旨い物でも食って騒げば、少しは憂さも晴れた。

シャーリドの王太子の饗応役なんていう面倒を押し付けられて憂鬱を抱えていたところだった。

この饗応の総責任者に任命されているのは、アリシアの父ノックスビル公爵家と対立しているハワード公爵。

俺はその間に立たされ、そこにアリシアも関わらせるという面倒さに、できれば逃げ出したかった。

ただ、これには弟のリカルドも一緒なので逃げるわけにもいかない。

このところのリカルドは、表向きはいつもどおり穏やかに俺に接しているが、俺が見ていないと思っているときに向ける目は剣呑そのものだ。

あんな目をしていたら、他国であればすぐに第二王子派などという存在に担がれてしまいそうだ。

幸いにも父は国王となってからは身持ちが固く、他国でありがちな『異母兄弟』という厄介なものはいない。

自分もリカルドも兄弟全員、王妃である母の子どもである。

それでもリカルドが自分を見るあの険しい目つきを思うと面倒なことのひとつだった。


「アル、どうしたの?」

「ちょっと水分を取り過ぎたようだ」

「まあ、うふふ、いってらっしゃい」


マチルダに笑いながら送り出されて店の外に出る。

店の中に用を足すところはなく、往来からやや外れたところに横板に三方を囲まれた場所がある。

少し遅れて付いてきた護衛騎士のジャンも、隣り合って用を足す。

外で互いに目を合わせるようなことはない。

ぶらぶらと来た道を戻ると、小さな子供たちが何かを通行人に売っているのが見えた。

それらは茎を紙で包んだ花、布でできたおまもりと呼ぶもの、袋に入れたクッキーなどのようだ。

おそらく孤児院の子どもたちだろう、年配のシスターとまだ若いシスターらしき者がいる。

そんな子供たちに、足を止める者はいない。

このまま誰も買ってやらないようなら、花くらいなら全部買ってやろうかと思ったときだった。

頭に大きなスカーフを巻き、長い髪を後ろで一つに編んでいる若いシスターの声に聞き覚えがあった。

農民が着るような質素な花柄のブラウスに、風にそよがない硬そうな布の長いスカート姿だが、あれはアリシアではないか……。

俺は咄嗟に物陰に隠れた。

アリシアはときどきしゃがんで子供たちの頭を撫でながら何か言っている。

そこで燃料を補給したように笑顔になった子供たちは、また元気にカゴを持って通行人にまとわりついていく。

アリシアも自らカゴを持ち、


「祈りがこめられたお守りはいかがですか。素敵な生地のおまもりです!」


そんなふうに声を掛けている。

通り過ぎていくかと思った男がアリシアの手首を掴んだ。


「このお姉ちゃんなら買ってもいいな」


まだ酒が入るような時間でもないのにと舌打ちしながら、アリシアを助けに出ようとした。


「子どもたちが見えませんか。子どもたちの前でそんなことをよく言えますね」


アリシアが強く言い返したら、男は存外すぐに手を離した。

それが乱暴だったせいで、アリシアが持っていたカゴからおまもりがいくつも道に落ちた。

男は下品な捨てセリフを吐きながら小走りで去り、アリシアは去った男に目もくれず道を這うようにしておまもりを拾い集めている。


「シア、大丈夫?」


小さな女児がアリシアに駆け寄り、アリシアはふわっとした柔らかい笑顔を見せた。

思わず目を奪われた。

アリシアがあんなふうに笑うところを初めて見た気がする……。


「ありがとう大丈夫よ、ちょっと落としてしまったわ。さあ、あと少しがんばりましょうね」


アリシアをシアと呼んだ女児がうなずいて、道行く者に声を掛ける。


「お花いかがですか、いろいろな色の束があります!」


仕事道具が入っているのか大きなバッグを斜めに掛けた赤毛の男が、女児から白い花の小さな束を買った。

給金が入る日だから、妻に買って帰るのだと笑っていた。

俺は、さっき花を全部買ってやろうと思ったことを恥じながら、そっとその場を離れた。




「遅かったじゃない、どうしたの?」

「帽子にヒゲの庶民だから、いい子に並んでいたんだろうよ」


皆が笑ったがその声がずいぶん遠くに聞こえる。

声だけではなく皆の笑顔も何もかもがもっと遠くにあるように感じた。

先ほどのアリシアの笑顔が頭の中で立体的に浮かんでくる。

そしてそのすぐ隣に、婚約破棄は冗談だったと言った時に涙をこぼした顔も浮かぶ。

食事に誘ってみたが断られたのは、孤児院でのああした仕事があったからか。

妃教育に今日も来ていたようなのに、その後に孤児院に?

そんな疲れも見せないアリシアだった。

これまで見たことがない、なんていうか清らかで柔らかな笑顔だったな……。


「ねえ、アルってば! さっきからどうしたの?」


「すまないが、先に帰る。ここの勘定はこれで払ってくれ」


俺はこの店の全員分に足りるくらいの金をテーブルに置いた。

こうして金を払うのはいつものことだが、この金を自分が稼いだわけでもないことが急に疎ましくなる。

この金であの子供たちの花もクッキーもおまもりも、全部買ってもまだ余るだろうと思うと、なんとも言えない気持ちになりながら店を出る。

マチルダが追いかけてきて俺の腕に自分の腕を絡ませた。


「やっぱりどこか元気が無いわね。今夜行ってもいいけどどうかしら? 

 ……ちょっとなあに、いやだ、あっちに行きなさいよ、何も買わないわよ!」


マチルダがクッキーのカゴを持って近寄ってきた男児を、泥にまみれた犬にそうするように追い払った。


「なんてことなの、汚い手で触られたわ! アル、早く行きましょう!」


俺は帽子をさらに目深にかぶり直し、


「お終いにしよう。この間の宝石が手切れ金だったと思ってもらえれば」


驚くマチルダの腕をさっきの男のように振り払う。

俺もあの男と同じかそれ以上にクズだった。



***



自分の部屋に戻り、着替えも何もせずにそのままベッドに大の字になる。

何かモヤモヤした気持ちが全身に渦巻いていた。

この感じはなんなのだろう。

天井の模様をみつめながら、頭の中でバラバラと点在している言葉を集める。

どれを並べても何か足りなかった。

ふと、思うところがあってモヤモヤを蹴り飛ばすように反動をつけてベッドから降り、部屋を出て執事のところに大股で歩いていく。


「アルフレッド殿下、いかがいたしましたか」


勢いよく入った俺にゆったりと執事が声を掛けた。


「アリシア嬢が受けている妃教育のカリキュラムが判るものがあるだろうか」


「かしこまりました、ただいまお持ちいたします」


ソファに腰を下ろし、イライラと爪先で床を鳴らす。

絨毯が敷き詰めてあるので何の音もしないことにまたイライラする。

さっきから何にイラついているのか自分でも分からない。


「お待たせいたしました。こちらがアリシア・ノックスビル公爵令嬢の受けている妃教育の内容でございます」


「……これはどのくらいの期間でこなす分だ?」


「昨日の一日分でございます」


一日分だと? 驚いて紙に噛みつくようにもう一度よく読んだ。


ヴェルーデ王国フェリテ三世の治世と文化・後編

ドラータ帝国建国の歴史と五つの王国:第二章:ウッドランド王国

水と緑の都ヴェルーデ、王都の治水事業

南方国共通『シャフラーン語:王族の言語』

シャーリド王国の系譜

パーティ主催の心得

王妃の手仕事その7:王妃サフランの育て方とその効用

薬草と毒草

ヴェルーデ貴族名鑑

刺繍の種類とサンプラー


「この全部が一日分だというのか?」


「はい、さようでございます」


「……分かった。突然邪魔をしてすまなかった。あと、この資料には孤児院に関するものが含まれていないようだが」


「はい、アリシア様は孤児院と救護院を交互に三日に一度訪れていらっしゃるとのことですが、妃教育にその二か所の訪問は含まれておりません。

その二つについては、監督をしていたハワード公爵からノックスビル公爵に移譲となりましたので、御父上であるノックスビル公爵のご指示かと」


「……わかった」


執務室を出て歩いていく。

受け取ったのは紙一枚なのにずっしりと重みを感じた。

ハワード公爵が監督をしていた孤児院と救護院という金を引き出せない仕事を、ノックスビル公爵に体よく押し付けた。

その一部をこれだけ多忙なアリシアが引き受けているというのか。

路上で子どもたちと物売りをしていたアリシアをまた思い出す。

朗らかに子どもに笑いかけ、乱暴にからかう男にも恐れることなく屈するでもなく毅然と対応していた。

毎日これだけの妃教育を受けた後に、公爵家の一人として孤児院に通っていたというのか。

これでは学園を退学するしかなかったのもうなずける。

学園で学ぶものと重複するものもあるが、妃教育のカリキュラムのほうが高度なうえ、単純に時間が足りない。

アリシアが友人たちと学園で過ごす時間と引き換えに、俺の婚約者としての責務を果たしている間に俺といえば……。

首のあたりに寒気を感じ、自室へと急いだ。



「そろそろ夕食の時間となりますが」


俺が服を脱ぎ始めたので慌てて手伝いにきた下男に、


「少し頭が痛むので今日はもう休む」


そう言って、夜着に着替えた。本当に頭も身体も重い。

ベッドに横になると、ぐったりと身体が沈み込むような気がした。

目を閉じるとまぶたの裏にアリシアの笑う顔が映る。

質素な花柄のブラウスのアリシア。

子どもたちの頭を撫でていたアリシア。

硬いスカートで道に這い、落ちたおまもりを拾うアリシア。


アリシアをシャンデリアのガラス玉だと思っていたのは間違いだったのだろうか。

どれも似たり寄ったりのはずが、あんな質素なブラウスを平気で着る貴族令嬢を見たことはない。

宝石ほどの強さもないはずが、絡んできた男の腕を振り払って毅然としていた。

ひとりでは輝くこともできないはずが、笑った顔は晴れやかだった。

今日見たアリシアのどこがシャンデリアにぶら下がるガラス玉なのか……。

見聞を広めたいなどと言いながら、すぐ近くに居る婚約者のことすら俺にはちゃんと見えていないのではないか。


アリシアのあの笑顔をもう一度見たいと思っているうちに、いつの間にか眠りの淵に引っ張り込まれた。


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