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【3】婚約破棄を撤回(アリシア視点)


「アリシアお嬢様っ、あの、アルフレッド殿下が、いらっしゃいました!

貴賓室でお待ちいただいておりますので、お、お願いします!」


日頃は沈着冷静を絵に描いたような執事のオリバーが慌てているので何事かと思ったら、本当に驚きの来訪者の名前を口にした。

アルフレッド殿下がこの家に来た?

冷たい目で婚約破棄だと言われたのは、ほんの三時間前のこと。

殿下が来ることなど無いと言い切れるわ。

お父様に婚約破棄の件で何か伝えにくるとしても、それは殿下ではないはず。

それだって呼び出すことはあってもここには来ない。


「待って、それはどの世界のアルフレッド殿下のことなの? 

いやね、からかって。

私が知っているアルフレッド殿下なら、ここにいらっしゃるわけはないわ」


「どの世界ってこの世界のアルフレッドだ。……本当にあの菓子を全部持って帰ったのか」


「え?」


キラキラした何かがそこにいる……。

アルフレッド殿下が私の部屋に入ってきたような立体感あふれる幻が見える。

私は幻が見えるくらいに婚約破棄に打ちのめされたというの?


「婚約者どの、少し邪魔をする。あ、私にも茶をくれないか。茶もなしに甘い菓子は食べられないからな」


「ほ、本物!」


「まるで幽霊にでも遭ったみたいに」


「……幽霊はこんなに眩しくないかと……」


オリバーは貴賓室に通したと言ったような気がするけれど、本物の殿下が私の部屋のソファに座り、さっき私が王宮から持ち帰った菓子をつまんで口に入れている。

キラキラ眩しい……夜なら灯りの節約になるのに。

ちょっと待って、今、婚約者どのと言った……? 


「オ、オ、オリバー! お、茶とお菓子を、ア、アルフレッド殿下に……お、出しできる……お、菓子を……すぐに、持ってきて……」


最初は大声だったのに、最後は小さな声になって膝から崩れ落ちそうになる。

いったい何が起こっているの? どうして殿下がこの家に来ているの?


「菓子がこれだけあるのにまだ足りないのか」


「いいえ、そんな……私が適当にナプキンで包んで持ち帰ったものを、今ここでアルフレッド殿下に召し上がっていただくわけには……いかないと言いますか……。

きちんとしたお菓子をお出ししなければ……」


「菓子はどうでもいいからとにかく座らないか? 話があるんだ、アリシア嬢」


私がのろのろとソファの端に浅く腰を下ろしたかどうかくらいの早すぎるタイミングで、オリバーが侍女と共にお菓子とティーセットを運んできた。

こんなに迅速に持ってきてくれたのに、ノックスビル家の紋章の入った正式なティーセットに、美しく模様切りされた果物まである。

水差しも一緒に持ってきてくれたオリバーの気遣いが嬉しい。

私は『失礼します』と殿下に声を掛け、水差しの水をグラスに二度継ぎ足して飲んだ。

本当に失礼な態度だが、ここで呼吸困難で倒れるよりはマシだと思いたい。

やっと息ができるようになった。


「急にやってきたりしてすまなかった。どうしても今日中に話をしたかったんだ」


「婚約破棄のお話でしたら、後で父に申し上げるつもりでおりました。まだ何も話せておらず、大変申し訳ございません……」


ゆっくりお菓子を食べてから父の執務室に行けばいいかなんて、悠長に構えていたことを後悔した。

でもお父様からお叱りを受ける前に甘いものを補充しておきたかった。

お父様の小言は始まると長いのだから。


「まだ公爵には何も伝えていないのだね? 他の者には?」


「は、はい、本当に申し訳ありません。誰にも話すことができておりません。

今すぐにでも父に報告に参りたく思っております」


「ああ……よかった……。

実は先ほど婚約破棄と言ったのは、その……冗談だったんだ。

君を驚かせてみたくてあんなことを言ってしまった。

頃合いを見て戻ったら、君はもういなかった。

それで慌てて謝りにやってきたというわけで」


「……ご冗談……だったのですか……」


婚約破棄というのは、冗談……。

信じた私が帰ってしまったから、慌てて謝りにやってきたと……。


鼻の奥がツンと痛み、涙がじわじわやってくる。

婚約破棄は冗談。


……そんな言い訳を誰が信じるというの。

あの時のアルフレッド殿下の冷たい目は、冗談を言って驚かせようというものではなかった。

面倒なものを切り捨てたい気持ちが、美しい顔にありありと浮かんでいた。

私が受け入れたら、ずいぶんあっさりしたものだと、でもここで泣いて縋られるよりはいいか冷たくと言ったことをお忘れになったというの?

突然過ぎて息もうまく吐けなかったあの瞬間が冗談だった?

いったい殿下の真意はどこにあるの。

ここまで馬鹿にされるほど、私が何かやってしまった記憶はない。

婚約破棄と告げられた時と同じ悔しさがこみ上げ、こらえていた涙が落ちた。


「アリシア嬢、泣かないでくれ……。本当に悪かった」


そう私を覗き込むアルフレッド殿下の目は、確かに困っているように見える。

悪かったという言葉どおりの気持ちが青い瞳に浮かんでいる。

殿下が何を考えているのか真意がまったく分からないけれど、ここはとにかく殿下の望むストーリーに流されておくのがいいように思えた。

本当のことはいずれ分かる日がくるはずだから。


「アルフレッド殿下……私は婚約破棄と言われて目の前が真っ暗になりました……。ご冗談でしたなら、本当によかった……」


「いくらなんでも戯れが過ぎたと心から反省している。どうか許してほしい」


「分かりました、殿下。もうこのような冗談はおやめになってくださいね」


「ああ、約束する。このような戯れは二度と口にしない」


「ホッとしたら喉が渇きましたわ。殿下もどうぞお茶をお召し上がりください」


アルフレッド殿下こそが、誰が見ても分かるくらいにホッとした顔でお茶を飲み始めた。

ここがどこなのか思い出したように部屋の中を遠慮なく見回している。


「明日の妃教育にもこれまでどおりに」


「かしこまりました。いつもの時間に参ります」


殿下がお茶を飲んでいるその姿は、なんとも言えず美しい。

昼間に見た時は煽るように一気に飲み、作法も何もあったものではなかった。

今は茶器を大切に扱いカチャリと音もたてず、お茶をすするようなこともしない。

オリバーが持ってきたお菓子をきれいに食べる姿は思わず見惚れてしまうほどに優雅だ。

でも私はこの美しい顔にはもう騙されないわ。

いつもとは違うことが起きたとき、たいていそこには誰かの手や誰かの考えが存在するもの。

婚約が決まってからも、一度もこの家に足を向けたことのない殿下がわざわざやってくるだけの『理由』が必ずあるはずだった。

この美しい婚約者のために悔し涙をこぼすことはこれで終わりにしようと私は決めた。


***


「ノックスビル公爵殿、突然やってきて驚かせてしまった。

アリシア嬢にちょっとした急ぎの用事があったのだが、よくよく考えれば明日でもよかった」


「いえ、きちんと応対できず申し訳ございません。

どうぞまたお越しください、いつでも殿下を歓迎いたします」


アルフレッド殿下が帰っていき、私は玄関までお見送りをしたあとそのままお父様の執務室へ連れて行かれた。

途中で弟のハーヴェイが絡んできた。


「アルフレッド殿下がやってくるなんて、姉上は何かヘマでもしたのですか?」


「な、なんでそうなるのかしら。たいした理由はないわ」


「たいした理由もなく殿下は王室の馬車で来られたのですね、たいした理由もなく」


「そうよ、殿下といえどもそんな気持ちになることもあると思うわ、たぶん」


そういうことにしておきましょうと言いながら、ハーヴェイは自室のあるほうへと歩いて行った。

同じことをお父様にも繰り返し言うのかと思うと、こめかみのあたりがズキズキしてくる。

そして確実にお父様は、ハーヴェイみたいに途中で切り上げたりはしないわ……。

納得のいく理由がみつかるまでとことん追求されそうだった。



「アリシア、アルフレッド殿下といったい何があったのだ? 

突然王室の馬車がやってきたと、あのオリバーが走ってこの部屋まで来たのだ。私も椅子から転がり落ちそうになった。

走りながらオリバーはあちこちに指示を出し、すぐに料理人がとりあえずのフルーツを切り始め、庭師は殿下を迎えるためのバラを切ったがこれは間に合わなかった。

屋敷中が養蜂箱をひっくり返したような騒ぎになった」


「……お騒がせして申し訳ありません。

アルフレッド殿下は私がお妃教育の時に忘れてきたものを通りがかりに届けてくださったのです。

明日私が王宮に向かった時でもよかったのですが、殿下のお気遣いをいただいてしまいました」


これまで一度も婚約者の家にやってきたことがないアルフレッド殿下が、護衛をひとり付けただけで王室の馬車でやってきたのだから、それは騒ぎになるわ。

そんなことを想像できない殿下ではないでしょうに、そうなることを分かった上で今日のこの時に『婚約破棄は冗談だった』と言う必要があったということ。

その理由が分からない以上、婚約破棄のあたりをお父様に言わないでおいたほうがよさそうだと判断した。

ただ、忘れ物を届けてくれたなどというへたくそな言い訳をお父様が果たして信じるかどうか。


「特に殿下との間で何か問題があったわけではないのだな?」


「はい。何の問題もありません。明日も普通にお妃教育に参ります」


「それでは殿下はただ単に、おまえの忘れ物に乗じておまえの顔を見に馬車を飛ばしてやって来たと、そういうことでいいのだな?」


「……はい……私が……今のお父様のお言葉に対して、そうですと言うのもどうかとは思いますが……」


殿下が私の顔を見に馬車を飛ばしてやって来た。

そんなふうに言われて顔が熱くなる。

全然そんなロマンティックな話ではないのに、殿下の端整な顔を思い出したらこれだから、私は馬鹿みたいに単純だわ。

そっとお父様の顔を窺う。

私の顔が赤くなったのを見逃さなかったのか、やっと警戒を解いた表情になったから、これはこれでよかったのかもしれない。

美しい顔の正しい使い道だったということにしておこう。



私室に戻ってソファに座ると、今日の疲れがどっと出て布地に染みこんでしまいそうだ。

じっくりと考えなければならないことがあるのに、今は何もしたくない。

とりあえず明日のお妃教育に出向いてから考えることにして、残っていたフルーツとお菓子を平らげる。

平らげてから、もしかしてアルフレッド殿下が手をつけたものまで食べてしまった?

そう気づいて転がり回りたくなるほど恥ずかしくなる。

ついさっきまでここにアルフレッド殿下がいたのね……。

婚約破棄をたった三時間で撤回された。

そもそもどういう理由で婚約破棄だと言われたのかも分かっていないのに、それを撤回した理由なんて更に分かるわけがないわ。

あの美しい顔に騙されないようにと思いながらも、ひとまず婚約が継続されることになって安心する自分もいた。


そして頭の中のノートに『婚約破棄の撤回理由は?』と書き込んだ。


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