【25】ヴェルーデに戻って(アルフレッド視点)
「アルフレッドです。シャーリドの視察から戻ってまいりました」
陛下の執務室に入ると、中に居た者たちが静かに出て行った。
ここまでの人払いをするとは意外だが、自分にとっても都合がいい。
「シャーリドを見て回り、おまえの言うところの見聞は広がったか?」
「はい。シャーリドのことを一つ知るたびに、それ以上に我がヴェルーデのことを知り、考えるようになりました。国の外で見たものを明かりとして、私が見ていなかったヴェルーデに自分なりに光を当てることができたように思います」
「……ほう。では詳しく聞かせてもらおうではないか」
「その前に、陛下にお伝えしなければならないことがあります。
陛下からシャーリド王国の饗応役の命を受けたその三時間前に、婚約者であるアリシア・ノックスビル公爵令嬢に婚約を破棄したいと伝える愚行を犯しました。
あの日この執務室を出た私は、急ぎ公爵家のアリシア嬢を訪れ婚約破棄の撤回を申し入れたのです。
自分がいかに愚かであったか、後悔の日々を過ごしています。アリシア嬢に謝罪をし、受け入れてもらうことができました」
陛下は俺の目から何かを読もうとするかのように、じっと見ている。
痛いくらいの視線を、今の自分はきちんと受け止めることができているはずだ。
「国外追放となったフォートナムの元王子に会い、何か思うところはあったか?」
「陛下とアリシア嬢に引き返す機会をいただけた自分は果報者だと思いました。
ただ、私はアリシア嬢を陥れようとはしていなかった、そこだけはご理解いただきたいと」
「まあ、ご理解も何も、あの時はおまえの一言一句違わず複数の『王の三つ眼』から報告されていたからな。自分のことだけを考え、それ以外のことは何も、いっそ清々しいほどになーんにも考えていなかった愚か者の一挙手一投足をな」
陛下は『なーんにも』と怒りが地を這うような大きな声で言った。
「……この短い期間にも何度反省したか、数えるのを止めました……」
「シャーリド王からの書簡にはおまえと相対したことを喜んでいると書かれていた。胸襟を開き互角に付き合っていけるとイクバル殿下が言っていたと。あの国は考え方や生き方の根本が異なる部族で形成されている国だ。相手の言葉すべてに裏があるものとして動かなければすぐに足元を掬われる。そんな中でおまえのある意味まっすぐなところが美点と見えたのだろう」
「裏も表もないペラペラな人間と思われたのでしょうが、それを見せ看板として利用していけばいいのですね」
「そういうことだ。少しは物が見られるようになったようだな」
陛下は厳しい目ではあったが、陛下という立場ではなく父としての言葉をくれたように思えた。
きっとそう思ってしまうところに自分の甘さがあるのだろうが、人払いをしたのは父としての顔を他者に見せないためだったのかもしれない。
それから、一杯の茶を飲むこともなく今度こそシャーリドの報告を始める。
陛下は父の面立ちを完全に引っ込めた厳しい顏に戻った。
『王の三つ眼』であったリカルドが、シャーリド滞在中に逐一報告を上げていた内容を陛下がざっと話され、そこに無い話を報告せよとのことだったのでこれでも短く済んだのだ。
リカルドが『王の三つ眼』だと俺が知った事実がなければ、陛下は俺にすべてを報告させて密かに答え合わせをしたのだろう。
『王の三つ眼』からの情報と何か違いでもあれば、それこそが俺への冷たい評価となるところだった。
陛下は、中でもイクバル殿下やバースィル殿下とのやり取りを一番興味深そうに聞いていた。
何度も質問を挟んできて、王妃殿下の庭を案内されたことやバースィル殿下の鍛造工房など、結構細かく尋ねられた。
そして、ガズワーン殿下によるアリシアたちの誘拐については、シャーリド王にまんまと利用されたと陛下は歯噛みした。
ガズワーン殿下がイクバル殿下に任されたヴェルーデの者を利用し、何らかの形でイクバル殿下に傷をつけることをシャーリド王側は予測していた。
それを掴んでいながら敢えて止めないことで、側室サルワー妃一派の排除に逆に利用したのだ。
そのことに陛下は怒りを露わにした。
ヴェルーデ第一王子の婚約者と、視察団を率いた公爵の娘が危険な目に遭ったのだ。
シャーリド側から提言のあった、シャーリドが保有する楯状地の優先的な発掘権利をヴェルーデにという話だけでは済ますつもりはないという。
具体的には口にしなかったが、楯状地を含むヴェルーデに隣接する土地をシャーリド王に割譲させることを落としどころとするつもりのようだ。権利だけではなく土地そのものをヴェルーデのものとする。
シャーリド王が『この程度なら』と目論んでいるよりも多く──そう陛下は低い声で言った。
そして今日の一番の驚きは、リカルドの婚約についてだ。
シャーリド王から、第二側室を母に持つニスリーン王女との婚約を打診されたという。
第二側室はシャーリドの第一貴族の中で、王妃殿下の実家に次いで王家に近い血筋を持つ由緒ある家を出自としている。その第二側室が産んだ子はニスリーン王女と第四王子となる兄のターヒルで、ニスリーンはシャーリド随一の美姫だという。
そんなニスリーン王女の輿入れ先はシャーリド国内だけでなく帝国内の国々でも注目されており、口さがない者たちはシャーリド王が最も高く売りつけられる先を探していると噂しているほどだ。
そのシャーリドの宝珠であるニスリーン王女をリカルドにと、シャーリド王から陛下に打診があったそうだが、なんとリカルドはそれを断ったという。
政治的なことを考えれば、ヴェルーデにとっても願ってもない話だろう。
俺より先に単騎でヴェルーデに戻ったリカルドが、真っ先に陛下に話したのはマイラ・ハワード公爵令嬢と婚約を結びたいということだったという。それも、陛下がニスリーン王女の話をする前に、何より先にリカルドはその希望を口にしたというのだ。
マイラ嬢は俺の同級生で、リカルドはマイラ嬢より一つ年下だ。
リカルドはニスリーン王女との婚約の打診を聞いても揺るがなかったという。
今回のシャーリド行きで『王の三つ眼』であることを俺に言わざるをえず、明らかになった時点で『王の三つ眼』の任務は解かれている。
学園卒業と同時に俺が立太子の儀を済ませれば、リカルドも第二王子として表舞台で俺を支えることになる。
その立場であっても、シャーリドの王女をヴェルーデの王宮内に入れるより、アリシアのノックスビル公爵家と肩を並べるハワード公爵家のマイラ嬢との婚姻が我が王室のためになるはずだとリカルドは言うのだ。
今になってもまだ、マイラ嬢を俺の婚約者とすることを諦めていないハワード公も、第二王子妃にマイラ嬢をというのであれば納得するのではないかとリカルドは読む。
ノックスビル公爵家とハワード公爵家は同じ爵位であるものの、家格でいえばノックスビル家のほうがずっと高い。ヴェルーデ建国からの伝統ある家なのだ。
それでもハワード公爵の令嬢が、第二王子であるリカルドと婚約となれば、それは王家にとってもいい話だ。
ノックスビル公爵家が権力を一人で握るような状態になるより、それをハワード公爵家と分かち合ってくれたほうが王家にとっては都合がいいと陛下はお考えのようだ。
帝国に対し強い発言力を持つシャーリドと婚姻関係を結べば心強いが、破竹の勢いで領土を広げている分だけ、危うい側面も持っている。
もしもリカルドがシャーリドの王女を娶っていたら、何か事が起きた時ヴェルーデも巻き込まれてしまいかねない。シャーリドという大きく膨らむ風船が万が一割れるようなことがあれば、その時の衝撃は計り知れないのだ。
ヴェルーデ王国はシャーリドに比較して国内は安定している。
それらのことから、リカルドはマイラ嬢を婚約者としたい。
……と言ったのかと思えば、むしろそうした政治的な思惑はすべて後付けだというのだ。
リカルドはシャーリドでマイラ嬢と接して、まあ有体に言うならば恋におちたという。
聡明で強いのに、可愛らしいところがあると。
マイラ嬢が一つ上であることなど気にならないくらいに可愛くて可愛らしくて可愛いのだと、リカルドは可愛いしか言わなくなっていたと、陛下が面白そうに笑ったのだ。
地下の檻から救出できた時、二人は俺から見てもいい雰囲気だった。
また、マイラ嬢とアリシアはシャーリドではアリシアの部屋で即席茶会をしたくらい仲が良いようだ。
未来の王太子妃と第二王子妃の仲が良いというのは、王家にとってもいいことだろう。
他国の王家での妃同士の足の引っ張り合いは、そのたびに噂となってヴェルーデにも届く。妃同士の争いが兄弟間の争いに発展すれば、国をも揺るがす。
これまでリカルドは『まずは第一王子が片付いてから』などと言って、婚約者を決めてこなかった。今にして思えば『王の三つ眼』の任務があったからこそ、陛下もリカルドに婚約者を選定していなかったのだろう。それが良い方に作用したことになる。
リカルドの想いが成就するといい。
俺よりも真面目で頭も良く、何より誠実なのだ。
シャーリドでイクバル殿下とバースィル殿下、そしてガズワーン殿下の三人の兄弟が袂を分かつことになった流れを見た。
異母兄弟ということが国を揺るがす事態へと繋がったのだ。
リカルドと俺、そしてその下の弟たちも皆、正真正銘、陛下と王妃殿下の子だ。異母弟という存在が俺に居たとして、どういう気持ちを抱くかは分からない。
もしもリカルドが俺を押しのけて王の座を欲することがあれば、俺はきっとリカルドに譲るだろう。リカルドは勝算の無い夢物語は口にしない男だ。
俺より自分が相応しいと、リカルドが出した答えがそれならば、俺は喜んで譲る。
イクバル殿下とガズワーン殿下との違いは、些細なようで途方もなく大きい。
自室に戻ってソファにだらしなく横になる。
シャーリドでの日々は刺激的で楽しかったがさすがに他国、与えられた豪華な部屋の中でさえ『おりこう』にしていた。
どこに誰の目があるか分からない。
シャーリドでは寝る前の時間に、ゆったりとはしているがシャツのボタンをきちんと留めて着て、ベッド横の小さなデスクでシャーリド語の本を読んでいたら、
ジャンが『どちら様でしょうか』と言ってからかってきた。
『王子様です』と応えると、毎日きちんとし過ぎておかしくなったと酷いことを言われた。
ジャンの不敬スタンプはシャーリドで相当増えたように思う。
だが、ジャンがそう接してくれていたことでずいぶんと救われていた。
ジャンとくだらない話をしている間は、ヴェルーデのこともシャーリドのことも、いずれ継ぐ重い立場のことも考えずにいることができた。
ガズワーン殿下のこと、フォートナムの元王太子のことは、王家に生まれた者としてずっと頭から離れなかった。
ひとつの言葉が、思いが、国の在り様を変えてしまう
その時間があっての今の自分だった。
***
「兄上、失礼します」
リカルドが俺の部屋を訪ねてくるなど珍しい。
だが、俺もゆっくりリカルドと話をしたいと思っていたところだ。
「ちゃんと自分の口から話そうと思ってさ。父上から聞いたのでしょ、マイラ嬢とのこと」
「ああ、驚いた……とは言えないな。シャーリドでそんな予感がしたんだ。シャーリドの王女のことは本当にいいのか?」
リカルドはその話はしたくないと言うように、眉間にしわを寄せる。
「シャーリド王のそんな手口に乗せられるわけないよ。シャーリド随一の美姫と噂が高いっていうけど、あれは王宮からわざと流した作り物の噂だね。ぽってりした顏と肉に恵まれ過ぎた肢体は僕の好みじゃない」
「おまえ会ったのか!?」
「会ったのではなく『見た』だけ。第二側室の宮にちょっと迷い込んじゃって。まあ何でも確認しておくのは大事だよね」
「……ちょっと迷い込んじゃったって、七歳を過ぎても使えるんだな」
「ヴェルーデの令嬢たちをあんな目に遭わせたシャーリドがどうやって賠償するつもりだろうと思ってさ。シャーリドは戦費が嵩んでいるし、イクバル殿下の結婚に関する費用も膨大だ。もうすぐ完成するイクバル殿下が帝国のルチアナ皇女と住まう宮殿も、かなりの金がかかっている。ヴェルーデに賠償しないわけにはいかないから、金以外の何かを寄越してくるとは思ってはいた。僕にニスリーン王女をという『支払い方法』は想定の範囲内だった」
「それを蹴るためのマイラ嬢との婚約なのか?」
「まさか。僕は二番目に生まれたおかげで相手を選ぶ自由があるからね。マイラ嬢から時折見える、可愛らしいところを好きになった」
なんのためらいもなく、だけど少しはにかむように言ったリカルドが、ずいぶん頼もしく眩しく見える。
「そうか、それならよかった。誤解されていたら困るから言うが、一番目に生まれた俺もアリシアでよかったと心から思っているからな?」
「うん、今はちゃんとそう見えるよ」
「これから忙しくなるな。ハワード公爵のところへ行くのだろう?」
「行くけど、その前にマイラ嬢とデートしようと思って。まだヴェルーデでは一緒に街さえ歩いてないんだ。タヌキ親爺に会う前にそっちが先だよね」
「まあ、あれだ。上手くいくことを祈っていると言おうと思ったが、リカルドのことを心配する必要はなさそうだな」
「いやいや、婚約者とのアレコレ初心者の僕に、いろいろご教授願いますよ、あ・に・う・え」
リカルドは『兄上』を一言ずつ区切りながら笑顔で嫌味たらしく言って部屋を出て行った。
本人が気づいているかどうかは知らないが、リカルドは機嫌が良いとやたら饒舌になる。ああ見えてマイラ嬢のことは、自身の心もその立場も考え抜いてのことなのだろう。
ハワード公爵のことも、きっちり足場を固めているに違いない。
リカルドはマイラ嬢と……そうか、デートか……。
考えてみれば、アリシアとデートをしたことがなかった。
シャーリドでは一緒に街を歩いたりしたが、あれは視察であってデートではない。
これは俺もアリシアを誘って出かけるといいのではないか。
考え始めたら、心が浮き立ってきた。
まずは誘わなくては。
アリシアがずっと笑顔を見せてくれるような、そんな場所へ。




