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【2】陛下の言葉(アルフレッド視点)

「アルフレッド殿下、陛下がお呼びでございます」


執事からの言葉に、これから出かけるところだったのにと心の中で舌打ちする。

それまで俺を包んでいた解放感が一気に萎む。


「わかった、すぐに参る」


面倒なことはすぐに片付けるのが俺の信条だ。

それを放置していてよかったためしはなく、たった今その面倒ごとをひとつ処理したところだった。

婚約者であるアリシア嬢に婚約破棄を伝えた。

彼女に何か決定的な問題があったわけではない。

むしろ婚約者としてよくやっていると聞いていた。

妃教育に関わるどの教師もアリシア嬢のことを、優秀で飲み込みが早く機転も利くと褒めていた。

ただ、今の自分に婚約者という存在が要らなかった。

そんなときに同級生の下位の令嬢が親しげに近寄ってきて、都合のいい関係になった。

だからといって、その令嬢を新しい婚約者にするつもりはない。

しばらくは誰とも、婚約も結婚もするつもりがないのだ。

海の向こうの国へ見聞を広めに行ったり、南方地域へ視察を兼ねて旅に出たり、玉座に縛り付けられる前に俺はいろいろなところへ出かけいろいろな人間と出会いたい。

それなのに父である国王陛下の命によって、婚約者という存在を押しつけられた。

陛下はご自分が若くして即位と結婚をしたことで、それがこの国のためであり自身のためになったと思っている。

思っているというか陛下にとっては実際にそうなのだろう。

前国王が病気がちで二十代の若さで即位した陛下と違い、壮健な国王を父に持つ俺が即位するのはかなり先の話になるはずだ。

一番下の弟は三つになったばかりで、両陛下とも何かとお元気そのものなのだ。

四十歳? いや、五十歳での即位さえありうる。

そんな年齢まで、学園時代に婚約した令嬢とずっと添い遂げなければならないというのは少々現実離れしてはいないか?

国王が側室を持ったり王宮内に愛人を囲ったりしている国はいくつもある。

だが、この水と緑の都ヴェルーデ王国の護り神は『愛の女神』だ。

王たる者が愛の女神に背けば国中の水が枯れると謂われている。

いつの時代だの話だったか、王が秘密裡に囲っていた女が子どもを産むと、国中が干ばつに苦しんだ治世もあったという。

それでは婚約者がいる身で他の令嬢と不埒な関係になるのも問題なのではと思うところだが、今ではこのように母上ひとすじの『固い王』となっている父上も、学園に通っていた頃はずいぶん自由奔放に過ごしていたと叔父上から聞いたことがある。

俺はその話を聞いて以来、父である陛下にひっそりと親近感を持った。

俺も自由になんの『足枷』なく過ごしたい。

長くなる即位までの時期を一人の女性に縛られたくない。

アリシア嬢が嫌だとかそういうことではなかった。

そんなことをつらつらと考えながら、陛下の執務室の扉の前で足を止める。


「国王陛下、アルフレッド殿下がお見えになりました」


執事はそこで下がり、部屋の中は陛下と自分だけになる。


「アルフレッド、そこに掛けなさい」


ソファを勧められてそこに座ると陛下も向かいの席に座り、話が長くなりそうな予感がする。


「この頃若い者たちの間で隣国のうわさが囁かれていると聞くが、おまえは知っているか?」

「……フォートナム王国の王太子殿下の話でしょうか」


まさかそのうわさを聞いて背中を押され、つい今しがた婚約者に破棄を伝えたとはこの場で言ってもいいものか……。

近いうちに話をしなければならないが、この場ではないほうがいいかもしれない。


「そうだ。一国の王太子という立場でありながら、卑劣なやり口で婚約者である令嬢を貶めて婚約を破棄したというなんとも酷い話だ」


陛下があまりにも強い言葉を選んだことに驚いた。


「……その卑劣な……というのはあくまでも尾ひれがついたうわさだと耳にしましたが」


「いや、残念ながらうわさではなく事実だ。むしろうわさのほうがマイルドに脚色されていると報告が入っている」


報告が入っているということは、陛下は『王の三つ眼』を隣国に送り込んでいたのだな。

『王の三つ眼』は、王は三つめの目で遠くの物を見るという意味らしく、まあ言うなれば王の命で対象者を監視する者のことだ。

他国との折衝の前にその国に『王の三つ眼』を送り込み、その第三の目が見たものから王は情報を得る。

『王の三つ眼』には王が誰も介さずに命を下すので、王太子である自分でさえ『王の三つ眼』が誰なのかを知ることはできない。

それも一人や二人ではないのだ。


「その隣国王太子の婚約破棄騒動を聞いて、私はおまえに七日ほど『王の三つ眼』をつけていた」


「は? ど、どういうことでしょうか……」

「アルフレッドよ、私はおまえが婚約者のアリシア嬢とうまくやっていると思っていた。

『王の三つ眼』からは少々違った報告が上がってきたがいったいどういうことだろうか。

私の『王の三つ眼』の目が曇っていたのか、それともおまえの頭が曇っているのか。

『王の三つ眼』がどのような報告を上げてきたのか聞きたいか?」


ここ七日ほど、俺に『王の三つ眼』が付いていたなら何の言い訳もできない。

マチルダ嬢にせがまれて劇場の王室席で芝居を見たことも、その後宝飾店でネックレスをねだられて買ったことも、おとといは王宮の客人用の部屋にマチルダを泊めたことも、すべて正確に報告されているだろう。

何の警戒もしていなかったし、客人用の部屋には朝食を運ばせることまでやったのだから、自分ですべて晒していたようなものだ。

『王の三つ眼』たちにとってこんなにラクな仕事もなかっただろう……。


「それだけ黙っているなら、ここ七日の自身の行動を思いだせたようだな。

さぞや愉しい思い出だったろうが、それでどうするつもりなのだ?

まさか隣国の王太子と同じ道を辿るつもりなのか?

隣国は王子が一人しかいないせいでその後大変なことになっているが、うちにはおまえの下にあと三人も王子がいることをついでに思い出してくれたらいいのだが」


陛下は言外に『王太子に一番近い椅子からいつでも下ろせる』と言っている……。

俺とひとつしか違わないリカルドがいるのだから、陛下がその気になればすぐにそういうことになるのだろう。


「アルフレッド、己の立場を忘れてもらっては困る。

卒業まであと僅かということでこれまで多少のことには目を瞑っていたが、隣国の王太子の件があっては話が違ってきた。

率直に聞くが、おまえは婚約者の首をすげ替えたいと思っているのか?」


「……そうではありません。

私も畏れながら率直に申し上げますが、ただしばらく自由でいたいのです。

妻を持たない自由な立場で諸外国を見て回り、見聞を広げたいと思っておりました。

アリシア嬢が嫌だとかそういうことではなく、十年は結婚したくありません。

妻の機嫌を取ったりドレスを買ってやったりする時間も金も、私が見聞を広げるために使いたいのです」


「ほう、見聞を広げたいと。……なるほど」


陛下は少し考えるような顔になった。

王太子が国の内外のことに興味を持ち見聞を広げたいということは、悪いことではないはずだ。


「ひとつ、別の話をしよう。

およそ百日後にシャーリド国の王族がドラータ帝国にやってくるのはおまえも知るところと思う。

南方の中小国を次々併呑していったシャーリドはその勢いのせいで敵も多く、帝国の皇女をシャーリドの第一王子の正妻として娶りたいというのだ。

ドラータ帝国と婚姻を結ぶことで、内外に南方国の覇王はシャーリドだと喧伝するつもりなのだろう。

血を貴ぶあのシャーリドが外の血を、それも第一王子の正妻として迎え入れるとはずいぶんと賭けに出たものだが、それだけ南方国を治めるのは一筋縄ではいかぬということだ。

シャーリドの一行はその後ドラータ帝国内の王国をいくつか訪問し、我がヴェルーデにもやってくる。

目的は水と緑の都と言われる我がヴェルーデの治水の視察と言ったところだろう。

砂漠の国であるシャーリドにとって治水は重要な事業だ。

アルフレッド、アリシア嬢を婚約者として伴いシャーリド第一王子の饗応役として入れ。

ヴェルーデを出ずとも十分に、おまえの言うところの見聞を広められると思うがどうだ」


ヴェルーデにやってくるシャーリドの第一王子の饗応役を俺が?

それをどうしてアリシア嬢を伴ってやらないとならないのか。

だが、ここは即答するしかない。


「はっ、陛下の命に従います」


シャーリド第一王子の饗応役という責務は重いがやりがいはありそうだ。ただそれに婚約者としてアリシア嬢を伴えというのが問題だ……。

この執務室に呼ばれる直前に婚約破棄を伝えたばかりなのだから。


「では戻ってよい。おまえに付けた『王の三つ眼』は下げてあるが、今後もうそんな必要はないと私に思わせるように」


「胸に刻みます」




自室に戻ると、喩えではなく頭がズキズキとしてきた。

婚約破棄を伝えたことで身が軽くなった気分でいたが、今は背中に山を縛り付けられたように重い。

このまま床にのめり込みそうだ。

だがこうしてはいられない、床にのめり込んで王宮のオブジェ役をやるわけにはいかないのだ。

急ぎアリシアに婚約破棄の撤回をしなくてはならない。

しかし何と言えばよいのか……。



「……ジャン。俺はどうしたらいいと思う」


「はぁ。壁に問いかけても答えが返ってこないからって俺に訊くのもやめてください。

壁と同じくらい答えられません」


乳兄弟で護衛騎士のジャンにそっけなく返される。

アリシア嬢に婚約破棄を伝えた直後には、ジャンは深いため息をついていた。

もちろん何も言ってはこなかったが、何か言いたいことがあるようなため息だった。

ジャンは母親である俺の乳母にそっくりで、同じ年齢なのにしょっちゅう俺のすることに小言めいたことを言っていた。

成人してからほとんど小言は言わなくなり、その代わりため息でじっとりと何かを伝えようとする。

それがまた小言以上に俺に効果があるとは言いたくない。


「分かっている。婚約破棄を伝えた俺が浅はかだった。でもその上で、今どうすべきなのかと」


「……俺でしたら今すぐ馬車をかっ飛ばしてとにかく謝りにいきますね。でもまあ、俺でしたらそもそも婚約破棄なんて言わないですけど……」


……今の俺でもそんなことをアリシア嬢に言わない。でも言ってしまったことをどうしたらいいのだって話なのだ。


「分かった。馬車をかっ飛ばすからついてくるように……迷惑をかけてしまうな」


「はい、かしこまりました。迷惑なんていうのは、わりといつものことですのでお気になさらず」


ジャンは飄々と、かつ迅速に出かける準備を整えてくれた。


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