かんたんな比喩の作り方(我流)
初めまして。
私、比喩が大好きなえのころと申します。駄文書きです。思い返すと私にとって比喩は生活の一部の様でした。
まずはこちらの文章をどうぞ。
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雨が、止んだ。
あちこちに出来た小さな池達は沈黙し、後はひたすらに空を映すだけであった。
ボツと最後の涙を受け止めた傘は役目を終え、あちこちからばさり、ばさりという音が木霊した。雨に沈んだ紺と灰色の世界を彩っていたいくつもの花々は次々に蕾へと還っていったのだ。
またひとつ。ちぎれた雲が席を外し、遠いだけの空が顔を覗かせた。まっすぐに走る柔らかな光の柱は、私の何もない掌も平等に温めた。
虹だ、と誰かが最初に言った。太陽は埃の様な雨雲をスクリーンとして、巨きな虹を描いていたのだ。描くのに飽きてしまったのか、七色の橋は途中で途切れてしまっていたが、私にはそれで良かった。何故ならば、敷かれた道を歩くだけが生きる事ではないはずだと信じているからだ。私にとってはそこだけが夢の様で、ここだけが現実であった。
閉じた傘をぎゅっと握って踏み出せば、また新しい恋を探せそうな気がした。
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正直に言わなくてもこれはやり過ぎですが、
「これの十分の一位だったらカッコ良くね?」
「これの十(略)意味分かるんじゃね?」
「これくらいは夕飯前」
「こんな感じでやってみたいと14%位思う」
そんな奇特な方々に、私の謎理論を展開する場がこちらでございます。
別に私は比喩が好きなだけで言語学者ではなく、色々と調べながらやっているのでおかしな点等があればご指摘下さい。
とりあえず、気になる所だけでもどうぞ。
【比喩表現の定義(簡易)】
一応先程の文の比喩の解説をしてみます。すごい陳腐なので読まなくても良いです。
その前にまず比喩の定義(Wikipediaさんより)を明らかにしますね。
以下抜粋。
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「転義法」
転義法あるいは転義(英:trope)とは、修辞学の修辞技法の一種で、例えば、言葉を文字通りの使い方あるいは標準的な使い方とは別の方法で用いることを指すための学術的な用語。
日本語で通常「比喩」「比喩的用法」あるいは「喩」などと呼ばれているものは、およそこれに相当する。
・直喩(明喩) - ようにをつけて比喩であることを表す。
・メタファー(隠喩、暗喩) - 類似した特徴を持った異種のものの並置による対象または概念の説明。
・換喩(メトニミー、転喩) - 近接または対応による転義法。
・アレゴリー(寓意) - 全文、さらには話の全てを通して一貫して使われるメタファー。
イロニー(アイロニー、皮肉、反語法) - 標準的な意味の正反対の意味付けによる転義法を生む。
・同語異義復言法(異義復用法) - 単一の言葉を場合場合で異なる意味で繰り返す転義法。ある種の駄洒落で、他の駄洒落同様に、スローガンの中でよく見かける。
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もう少しあるみたいですが、大体これくらいでいいかなと投げました。
それでは先程の文の解説に入ります。
【例文の解説】
・「小さな池達は沈黙し」
水溜り→池の暗喩、沈黙は擬人法ですね。実は、主人公にとっての雨は心を穿ち続ける後悔と悲しみの涙であったという設定がありました。それがぷつりと終わって心が凪いで、過去を事実として静かに見る事が出来る様になった心情を表したかったですね。
・「最後の涙」
雨→涙ですね。ありきたりですが、主人公の悲しみを雨に例えていました。
・「雨に沈んだ紺と灰色の世界」
普通、沈みはしないですよね。主人公にとって悲嘆等の意味を含む雨に沈んでいた感じです。
・「いくつもの花々は次々に蕾へと還っていった」
色とりどりの傘が閉じられていく様子を示しています。ここでポイントなのが、「枯れた」ではなくて「蕾に還る」点です。傘=恋心的なアレがまた次に花開く準備が出来たという事ですね。
・「雲が席を外し」
擬人法です。「映す」「席を外し」「まっすぐに走る光」「スクリーン」で、天気=映画的な感じの、話全体で一貫して使われるアレゴリー(寓意)です。
・「遠いだけの空が顔を覗かせた」
遠いだけというのは、自分と隔てられている様子を強調しています。後は擬人法ですね。
・「私の何もない掌も平等に温めた」
何もないのは、手を繋いでいた人がいなくなったからです。平等に温めたのは、いつでも、誰にでもチャンスがあるよという意味です。
・「太陽は埃の様な雨雲をスクリーンとして、巨きな虹を描いていたのだ」
埃の様なは直喩、描くのは擬人法です。普通に青空をバックの方が綺麗な虹になりますが、曇った心の上にデカい虹がある事に意味があります。
スクリーンとかいう文中で唯一のカタカナは異質な感じをもたらし、ふっと主人公サイドから離れた感じがありますね。
・「途中で描くのに飽きてしまったのか」
擬人法です。
・「七色の橋」
虹です。主人公にとってはこれからの未来に続く橋です。
・「途中で途切れてしまっていたが、私にはそれで良かった。敷かれた道を歩くだけが生きる事ではないはずだ」
未来は誰に強制されるものでもなく、自分の手で掴むべきだから、途切れた虹は限りない空に向かって伸びる無限の可能性の象徴であると主人公は思っています。
ちなみに別れた彼氏は束縛系で、主人公は「俺がいないとお前はダメだ。俺が導く」的な事を言われ続けて、恋心はあったけれど自分を守るために主人公から別れ話を切り出したという設定がありました。
・「私にとってはそこだけが夢の様で、ここだけが現実であった」
夢=天気(雲以外)=映画で、自分の立つ場所がそこから切り離された現実って感じです。
雲と雨は主人公の心に近かった感じですが、そこからの決別を示した虹や太陽の光は主人公とは対岸にあるものです。
現実味の無さを、天気=映画で示したかった感じです。
ざっとこんな感じです。本文よりも解説が長いのは何事でしょうか。
言っておきますが私は誰かと付き合った経験は皆無ですから、これらは全て空想です。
【比喩表現の注意事項】
さて、比喩表現の作り方の前に、使用上注意すべき点を書きます。
これも私の主観なので、当てはまらない事もあります(免責)。
□何を例えているかを明瞭に
とにかく何か入れれば良いと言うものでは無いです。比喩を使う理由を明確にしてから使って下さい。
□多くの人が知るものへ
人はいつ、「例えば……」という言葉を使うのでしょうか。
それは、自分が知らないものを自分が知っているもので理解しようとする時だと私は思います。つまり、例えに出すものはなるべく多くの人々が知っていそうなものである必要があります。
✖️それは、木を切った後のチェーンソーの様に温かかった。
こんな感じの多くの人々が体験していなさそうな事はアウトです。分からないもの→分からないものでは例える意味がよく分かりません。
この文の前にチェーンソーの温かさが説明されているのならまだしも、チェーンソーを使った事がある方々は多数から見れば少数派には違いないのです……。
⭕️それは、炊き立てのご飯の様に温かかった。
こちらの方が分かりやすいかも知れません。ただ、海外で米を食べた事が無い方等もいらっしゃるとは思うので、全ての人に伝わる比喩表現はまず存在しないと思って良いでしょう。
□陳腐にならないように
多くの人が使ってきた例えだと、オリジナリティが出せずに陳腐になりがちです。
✖️雨はまるで涙の様だった。
パッと見た時、「あぁそうですね、だから?」と私は思いました。雨と涙の類似性なんて今まで腐る程やってこられています。「まだアレの事ネタにするの? さっむ」的なノリを感じます。しかも直喩であると、更にそれが増します。雨が涙みたいなのはもう当然の事として受け入れられているのです(過言)。
・雨滴が頬を伝った。
こういうのは暗喩かつサラッと流してやって、話題の中心に持っていかない事が重要です。アレゴリーを使って文全体で天気=表情等とする場合の一つの材料として使う等の工夫が要りそうです。
「でも、直喩で使ってみたい……」そんな時は、涙を更に他のもので例えるのはいかがでしょうか。つまり、「雨かつ涙かつ○○」のものを探すのです。
・空はまるで泣いている様だった。
空は普通泣かないので、直喩で擬人化にしても陳腐にはなりにくいですね。
□全文で比喩はダメ
全文比喩にすると、まぁ何をしているのだか分からない文章になります。
例文では最初と最後と「誰かが〜」が現実の視点になります。あくまで比喩は情景の描写だったり、一部の台詞であったりする時に使うものであり、例え話を切り出す時に使ったりするものなので、現実の描写とは分ける必要があります。
特に一人称で書く場合は、そのキャラクター視点の観察力の高さと、時間の感じ方、感覚の鋭さ等を意識しながら書く内容や量を決めてやって下さい。
あまりに情景描写に力を入れ過ぎると、現実の描写同士の間が空き過ぎて、読者に何が起こっていたか忘れ去られてしまいます。
だから、比喩はあくまで文章の香辛料みたいなものと捉えて下さい。入れ過ぎるとキツくて食べづらくなるし、ちょっとあると美味しく感じ、組み合わせるのが難しい手法だと思います。
□比喩を使う大きな意味
分からないものを分かるものに置き換える比喩ですが、何が一番分からないかと言えば人の感情ですよね!
感情は大体、仕草や視線やにも出ますが、一人称やそれに準ずる場合は、感情だけで世界が変わって見える事も入れ込むと、感情移入がしやすくなります。
カラスの鳴き声も、機嫌が良ければ「鳴いているなぁ」で済ませるところ、イライラしていたりすると「馬鹿にすんじゃねーよ!」と苛立つ事もあります。
主人公の心の機微を、感覚というフィルターを通じて得ようとするのも、比喩を使う意味だと考えています。
【比喩表現の作り方】
とうとうやってきました作り方ッ!
至って簡単。
1.共通項を探す
2.感情を乗せる
この2項目であなたも簡単比喩表現!
1.共通項を探す
比喩は分からないものを分かるものに置き換えて理解する方法です。分からないものと分かるものの間には、共通の要素があります。
まずはそれを探します。
例)お風呂のお湯の温度を例える
「お湯=だいたい35〜42度=○○」の○○に入る言葉を探す。
1.お風呂と同じ位の温度の概念を含むもの
人肌(約36度)、駅前で買った鯛焼き(約40度)、陽光(幅がある)、晴天の日の洗濯物(人肌より上)、真夏の水道水(場所によるが生温い)、生暖かい視線(測定不能)、脱ぎたての服(≒体温)、放置したスープ(室温)……等々。
2.場面の感情を挿入する
「○○だから△△で、(感情)になる」の△△を探してみる。
様々な感情を抱く場面を記憶から探してみる。
以下例文。
○嬉しさ
「ざぷんと入った風呂のお湯は、あの日に買ってもらった鯛焼きの様に私を温めた」
○怒り
「風呂に入る。肌に纏わりつく温度は彼女の同情の視線と同じ生温かさで、反吐が出る様だった」
○悲しさ
「ひたひたとお湯が満たされていく。少しずつしか温まらないぬるま湯では、失った人肌の代わりにはならなかった」
○楽しさ
「ぴちゃぴちゃと飛沫を上げて水面を叩くお湯の柱は、私が指を入れる度に陽光の様な温かさをもって、まとわりついてきた」
こんな感じですね!
一応また陳腐でやりたくないのですが、一応解説をしますね。
○嬉しさ
「ざぷん」と音を立てて入っているので、語感から何か嬉しそうな気がします。
「あの日」で過去、「買ってもらった」で相手からされた事、「鯛焼き」でお湯の温かさ=買ってもらった事により心が温かくなった気持ちです。
○怒り
お湯と「視線」なので、視線もお湯も「纏わりつく」、視線の「生温さ」=お湯の温度であり、それが不快であったので「反吐が出る」様な感情を受けた感じです。
○悲しみ
「ひたひた」と満たすのは、悲しみとお湯の共通の動きです。「ぬるま湯」が「人肌」には及ばないという事で、今まで何かしらの人肌があったけど無くなった=恋人的な何かを失った感じかなと思っています。大切な人でも良いですが、あんまり家族では肌を触れ合わせて温め合わないですから微妙ですね。
○楽しさ
「ぴちゃぴちゃ」とこの人遊んでいますね。「陽光」はレジャーや外遊びで欠かせない要素ですし、「まとわりつく」のはペットの犬や猫の様に構って欲しいと言っている様な楽しさがあるのかなと思っていました。
以上です。
え? 1と2と例文の間でエクストリームな進化を遂げているって?
そうかも知れない……慣れていない方々には、料理番組で調理時間短縮で置き換えをした鍋の中に知らん材料が入っていた様な気分になるのかも知れない……。
【比喩表現を作るためには】
まず、日常にある物事をよく見てよく考える事だと思います。そんなのじゃ抽象的でよく分からないので、具体的な見方を挙げます。
・物事のイメージを把握する
物事には、それに付随する特徴や要素があります。それぞれを把握する感じです。
例えば、月並みですが富士山だと[山、日本一の標高、3776m、客が多い、山梨県と静岡県、富士五湖、初夢……]と色々と思いつくものはあると思います。そんな感じで日常に溢れる物事の含むイメージを見て、自分の頭の中の辞書に書き込んでおきます。
・イメージから物事の逆引きをする
次は、要素の逆引きが出来る様な練習をします。
例えば「山」ならば富士山、北岳、阿蘇山、飛騨木曽赤石の日本アルプス、「客が多い」ならば観光地、世界遺産、自然公園、キャンプ場等々……いわば辞書の逆引きみたいな連想ゲームに慣れておきます。「山」「客が多い」の二つの要素を持ったもの等の応用もかましておくとgoodです。この場合は富士山や高尾山等ですね。
・風景や日常のシーンを言語化する
何か「日差しだな」程度でも良いのですが、どの様な日があり、どんな陽気なのかを何となく頭の中だけで説明してみたりすると、言語化が得意になってきます。
春の木漏れ日なのか、夏の日照りなのか、それだけでも温度などの感じ方は大分変わってきます。そういうのが苦手な方であれば、実際の温度や光量などの物理的な基準で覚えるのも可です。
上で出した温度を例える時も(視線とかは難しいですが)実際に温度計で測ってみて確認しても良いのです。
・風景に感じるものを入れてみる
別に風景を見て「きれいだな」と思えという意味ではありません。怒ったり笑ったりした時に、風景を見て思う事を言語化する練習ですね。
とても良い事があった日の夕陽を見れば一日が名残惜しくなりますし、イライラしていれば蝉の声も耳に障りますし、帰路で寒い思いをして家に帰る時は小熊が隠れん坊見ていた歌を歌いたくもなりますし、まぁそんな感じです。
これは心を豊かにする気がします。個人的な話ですが、私は以前いじめられていた時に自分の心を蔑ろにし過ぎて、物事の好き嫌いや快不快が分からない時期が続きました。表情もよく分からなくなりました。そこから、様々な本を読み、様々な体験をし、一つ一つ自分はどう思ったのか、どう感じてきたのかを分類していき、心を富ませてきました。
作者も人間なら、読者も人間です。文章は、楽しいと思った感情や、悲しいと思った感情を分かち合う事が出来るツールだと思います。心を揺らす事を知る為の物語であり、それを分かりやすく伝える為の比喩であると、私は考えています。
以上が私がやっていると思う比喩のまとめでした!
未だに無意識でやっている部分を説明し忘れていそうなので、「ここがわからない」や「こういうのを知りたい」等のご意見ご要望ご感想等をお待ちしています(6666字)。
引用
Wikipedia 転義法
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/転義法