欧州集団と西方集団
ロシアで出たコステンキ14号と言うのがややこしい。ハプロはC1B1。インドに多いアボリジニに近い系統。ドラヴィダ族がオーストラノイドといわれたり、日本人と父系が近いアマンダン諸島人もそういわれる。それらには意味があって、元々はこれらは皆古い系統として繋がっていたからになる。
この人物が欧州人に3大系統すべての持ってるという。ここから欧州人はもっと前からいたのじゃないか?との説が出てきた。これどうだろうか…。意味の無い話に思える。これが示唆するものは、最近明らかになったもので、これが案外そのきっかけの1つだったかもしれない。西部系統は実は東から西に向っておしよせた新しい系統で置き換わってしまったのじゃないか?になる。
Y染色体ハプログループFはこれまで中東かインドの西で分岐したと思われていたが、インドの東だったのじゃないか?と言われている。Fの直接の下位系統はアジアに多く分布する。Pほど東じゃなくても、東よりのインドから西に向って逆送したのじゃないか?となって来てる。探せばCやDがあるのだが、現在西方ではCDはほとんどなくなってしまっている。新しい集団に上書きされてしまったせいじゃないか?と見ている。
ちなみに僅かに残ってるものとしてかなりしっかりした系統が最初の欧州人と言われるC1A2の系統になる。過去居たはずのCDの系統は消えてしまっている。
さてコンテンキに戻ろう。この系統が何故3大系統持ってるか?インド東でFが生まれたなら当たり前なんじゃないか?と思う。欧州のクロマニヨンはC1B2をベースにI系によってで出来た集団になる。これもFの下位系統なのでこれらもインドで生まれた可能性がある。Iと母系の原型はすでにインドに居た可能性が高く。それらとC1B1が混血していてもなんら不思議は無い。
次にGHLJ2のアナトリア農耕民の存在になる。これも当然Fの下位系統なので同様に生まれていたならこれらの原型集団も当然インドにいた事になる。しかもLはKの下位系統だがKの中では早い系統で、インド西海岸に多い、Hはインド南部で一番頻度が高い。
最後にRだが、これもKが東南アジアで生まれた後インドに逆送してるので同様に元々はインド集団だと言える。これを欧州の原型だと言うのは無理があるじゃないだろうか…。
ただ欧州などのコーカソイドが中東まで含めるのは意味がある根拠にはなってるとは思う。今時人種の概念は古臭いが、系統的にもきちんと中東と欧州には遺伝的には近いグループにある部分があると思う。
じゃアジア人はどうなのか?アジアのC2は早くから別れたアジアのC1の子孫になる。Dはもちろん古い集団。アボリジニなどのC1B2も早くに西方と分かれた古い集団の系統。
アジア人が異質なのは実はハプロで多いOの影響よりも早くに分かれたF以前の系統のせいじゃないか?と思う。インド北部のC1B1はコンテンキ人から分かるように早くからF集団と近い集団で古い集団としての性質が薄かったのじゃないか?と見ている。インドの南部は逆に今でもはっきり分かる古いアジア集団に似た集団としての性質が近代まで残ったのじゃないか?と見ている。
特に東アジアは、見た目と言う意味においてはQNC2の系統を超えた寒冷地での変化の方が大きいため、そちらですべて括られてしまう事が大きいのじゃないか?と見ている。
後鼻の変化にはっきりとした淘汰圧があった事が分かっていて、鼻の変化が西方で顕著に現れた事もかなり大きいと思う。適応的だったのか?は分からない。性淘汰も激しい選択圧がかかるためどっちか分からない。
ただインド南部はややこしい。下位系統からJ2に関しては新しく中東で発達したJ2がまた戻って来た事が分かっていてインドから直接広がったわけじゃない。多分Hも同様なケースがあるだろう。これは寒冷適応のNC2がそうじゃないものと分かれるのと似てると思う。Qに関しては、寒冷適応したエスキモーが南下したのは多分無いと思う。
アメリカ先住民集団の残った集団のかなり早い時期のでもどり組だろうと考える。ただ過去の人骨からシベリア東部に移住する前の中央部にすでにQの下位系統は豊富に出揃っているのが確認できる。そういう流れがあったとの研究があったためそれにしたがっているだけで、元から移動しなかったハプロがいたかもしれない可能性がある。
インド南部は同じC1B1でも、元から居た集団の形質がHが入ってきても強く出たと予想できる。そもそも欧州組みから色の黒さはどちらも色黒の集団だったと分かる。
さてもう一度欧州人は早くから成立していたか?でそもそもシベリア草原集団が3系統揃った状態で西部に移住している。まずIがもつ青い目をすでに持っていた点。これは東部に早くから移住したウイグルのトカラ集団が青い目の人達だったので分かる。スキタイも東部の集団はかなり早くから東部に移住して西部の集団とは混血が全く違っていたといわれている。東部集団は濃いモンゴロイドの混血集団になる。
今の欧州人と変わらない遺伝系統と身体の特性は欧州に行くかなり前から持っている。かつ彼らが土台とした牧畜はイランアナトリア農耕民が伝えたものなので、ほぼ欧州の農耕民と同じ遺伝子を持っている。
要するに欧州人は遺伝的には大きな変化は無かったが、3系統の集団が混血した事実は変わらないって点。これを3万年前のインド集団が北上した人類に遺伝的には同じ欧州人と語るのは苦しいと思う。
西方と言うのはアフリカを除いて、ロシア、欧州、中東、中央アジアで遺伝的にかなり古くから似たような部分を皆持ってるのじゃないか?と思う部分がある。ただこの中でR集団はかなり後にならないと広まっていかない。その例外はレヴァントの農耕民の特殊な系統のRだけだろう。これはアフリカまで言ってるがヤムナ文化の継承集団じゃないと思う。当然印欧語族でもない。