なろうのスローライフ物は全然スローじゃないというのは全くの的外れな批判であり、忙しい事こそ正しいスローライフの姿なのです
まず初めに私はスローライフ物を全く読んだ事がないので、このエッセイこそ見当外れになっているかもしれません。
Wikipediaによると、
<スローライフ(Slow Life)とは、生活様式に関する思想の一つである。ファストフードに対して唱えられたスローフードから派生した考え方で、大量生産・高速型のライフスタイルに対して、ゆっくりした暮らしを提案するもの。Slow livingに相当する和製英語である。
明確な定義はないが、地産地消や歩行型社会を目指す生活様式などを指すことが多い。日本の高度成長期以前の生活はスローライフであったとも言える。>
だそうです。
言ってみれば忙しい現代社会へのアンチテーゼというか、疑問から生まれた概念なのですね。
しかし、そもそもどうしてファストフードが世界中に広がっているのでしょう?
一定な品質の商品を手頃な価格で、しかも素早く提供されるから、でしょうか。
待たなくて良いのは忙しい現代社会人にとってはありがたいですし、限られた時間を有効に活用出来て効率的ですからね。
スーパーのお惣菜なんかもそうですね。
全て家庭で調理すれば生活費の節約にはなりますが、共働きの家庭ではそれも難しいのでお惣菜は便利です。
最近では完全なるお惣菜ではなく、レンジでチンするだけで熱々の料理が食べられる商品も販売されてますね。
ファストフードもスーパーのお惣菜も、消費者の求める商品、サービスとして開発された物です。
それが二ーズと合致していたからここまで広がっている訳です。
対してスローフード、スローライフはどうでしょう?
忙しい現代社会や薄い人間関係に疲れた都会人が、ゆったりとした生活やふれあいを求め、定年退職を機に田舎に移住するケースや、新規就農を目的とした若者の移住も増えていますが、数としては微々たるモノです。
だって、仕事の無い地方から職を求めて都会に出て行ったのが高度経済成長を支えたのですし、それは今も同じだから過疎化が深刻なのです。
言ってみればスローライフはキツイし面倒だからファストフードなのです。
だってそうじゃなければ様々な便利グッズは売れてませんよね?
洗濯機や冷蔵庫は三種の神器(残りはテレビ)として主婦に大人気でしたもんね。
スローライフがしたければ洗濯は手でしろって話ですよ。
今時そんな事出来ます?
私は東南アジア滞在中は自分の手で洗っていましたが、無茶無茶大変でしたよ。
今からあの生活に戻りたいとは思いませんね。
洗濯機くらいはスローライフで使わせてよ、ですか?
だったらファストフードもいいじゃん、なのです。
彼らは「出来るだけ」というのを免罪符にして己を誤魔化します。
出来るだけ地産地消だとか、出来るだけ自分の手で、とか。
だからWikipediaにある様に、スローライフとは思想なのです。
要は頭でっかちなのです。
現実に即していないのです。
そもそもの話、高度経済成長期以前でも塩はどこかから買った物です。
塩まで自給していた人なんて相当な暇人です。
また、塩サバを馬に乗せて山を越えるのは昔話にもありますよね?
昔から交易は盛んだったのです。
地産地消なんてせざるを得ないからやっていただけで、誰もが見知らぬ土地の美味しい物に憧れを抱いていたのです。
また、面倒な家事を他に頼めるなら、頼むお金があるなら、誰もが他に頼んだ事でしょう。
現に、江戸の長屋暮らしの町民は自分で調理する人が少なかったそうです。
火事を恐れたからというのと、長屋では各家庭に調理場なんてなかったからです。
今でいうファストフード、当時は屋台とか飯屋、物売りから買って全て賄っていたみたいです。
どこが高度成長期以前はスローライフなのでしょう?
誤解も甚だしいと言わざるを得ません。
従いまして、なろうのスローライフ物は全然スローじゃないというのも見当外れな批判です。
そもそもスローライフとは大量生産・高速型の現代社会への疑問から発生した概念であり、何事も自分でやるのが正しい道でしょう。
なろう的に言えば、モンスターの駆除をギルドに依頼するのは現代社会的であり、なろう主が自分で解決するのはスローライフです。
つまり、全くスローじゃないと言われている今のなろうのスローライフこそ、スローライフの王道なのです。
スローライフは本来忙しいのです。
自給自足は忙しいし面倒だから便利な現代社会に繋がっているのです。
昔の日本人だって、誰が危険な生物の駆除を自分でやりたがりますか?
村でお金を出し合って強い侍を雇うのが昔話のテンプレじゃないですか!
最後に蛇足ですが、洗濯は手でやるのが正しいスローライフであり、魔法でやるのは邪道だとは申し上げておきましょう。
それでは全てを家電に任せる現代社会と同じだからです。
同じ意味で家事を奴隷ちゃんやメイドちゃんにやらせるのも、スローライフ的には邪道です。
家族の誰かがやるのであればスローライフですが、奴隷ちゃんは面倒な作業を外部へ委託する行為の延長なのでスローライフ的に間違いです。
いやまあ、スローライフっていうのが頭でっかちな概念である以上、どうでもいいっちゃあどうでもいいのですけどね。
スローライフとは自分の生活を自分の手に取り戻そうという運動だと理解しています。
つまり、面倒事を自分で引き受けようという姿勢が大事です。
季節の山菜を味わうのにスーパーのお惣菜を買えば手軽で簡単ですが、自分の足で山に入って山菜を探し、手間をかけて処理し、料理する。
それがスローライフではありましょう。
山菜って採るのは楽しいのですが、採る過ぎると処理が大変です。
ワラビでもツワブキでもアク抜きが必要ですし、ツワブキは皮を剥くのが手間です。
タラの芽だとアク抜きは必要ありませんが、全部採ると木が枯れますのでマナーが必要とされます。
そもそも私有地であれば勝手に入ってはまずいですしね。
子供の頃は両親に連れられて山菜採りに行きましたが、採ってからが本当に大変でした・・・
また、お風呂を薪で沸かした事がありますか?
私は数年間五右衛門風呂で過ごしましたが、仕事帰りで疲れているのにお風呂を沸かすのは面倒ですよ。
まず薪の確保が一苦労です。
乾燥の為に薪は1年くらい置かないと良くないですしね。
燃えているなと他の事をしていて、偶に途中で消えている事もあるし。
幸い水は蛇口を捻れば出てきましたが、昔は井戸から汲んでお風呂に貯めていたのですよ?
そんな生活をしたいですか?
出来ますか?
まあ、そんな感じでスローライフって忙しくて面倒なのですよ。
異世界なら生活魔法でささっと解決~なら全然いいのですけどね。
だからそれは現代社会と同じだっていう話ですよね。