人民不可 3
漆黒の闇と共に町が静かに寝静まる中、二つの小さなシルエットが月明りによって描き出されていた。三日月の乏しい月明りであるにも関わらず、二つの影ははっきりとその色を映し出していた。
一人は全身を赤と赤で染め、もう一人は、斑な赤で染めていた。
二つのシルエットを彩る赤色が、血の赤である事に疑いの余地はなく、二人が人ならざる存在である事もまた、疑いの余地はなかった。
月明りに輝く瞳が宝石のような、赤色と青色をしている為である。
彼等の瞳が持つ特徴は、人民不可と呼ばれる人ならざる存在と一致していた。
人民区画のすぐ外にある巨大湖、落隷湖の奥地には、落村区と呼ばれる隷族の集落が存在する。落村区を管理しているのは、下流華族や中流華族に組する一部の道楽家であり、彼等の主な仕事は、隷族の選別にあった。
彼等は隷族に動植物の世話をさせながら、華族のお眼鏡に適う隷族を選定し販売している。
華族は隷族を汚い物と認識しており、自らの足で落村区まで隷族を獲りに行く物好きは滅多にいない。殆どの者が綺麗にラッピングされた状態の、肉や野菜を手に入れるのと同様、綺麗な状態に整えられた隷族を、一つの商品として手に入れる事が、華族にとっての常識だからである。
彼等は、同じ華族という中間業者を経由する事で、あたかもそれが綺麗なモノであるかのように錯覚する。中身がどれ程醜く腐っていたとしても、人というのは、ブランドや見た目を重視するのである。
そしてこの中間業者として、隷族をブランド品のように美しく着飾る仕事をしている透は、故意的に中身の壊れた商品を客にあてがっていた。
「ゲヘゲヘ。素晴らしい商品だ」
問題のある商品を醜い笑顔で購入していった、汚臭を放つ肥満デブ華族の後ろ姿を見送りながら、透は「ふっ」と笑みを零した。
気持ちの悪いデブに買われていったのは気の毒だが、問題のある商品を二つも購入したデブは同じか、それ以上に気の毒ではあった。
これでまた一つ、華永区に隷族の住まう屋敷が出来上がる。
透は自身の首周りに手を触れた。
隷族の首には、一目でそれと分かる焼印が普通は刻まれている。
しかし透には、隷族の印となる焼印は体の何処にも刻まれてはいなかった。
落村区を管理している道楽者の中流華族に、文博も名を連ねていたからといえば説明になるだろうか。現在はこの事業から手を引いているが、文博に任される形で今は、中流華族である透が落村区の管理も行っていた。透は華族に隷族を売るブローカーであり、文博が趣味と実益を兼ねて行っていた、華族狩りもしっかりと引き継いでいた。
透が売り捌いた問題の商品は、一見すると焼印の刻まれた隷族だが、彼女達は、元華族様の首に刻まれた焼印を剥ぎ取って作られた、皮のアクセサリーを首に巻いているだけだった。
透の目から見て、華族と隷族に外観的な違いはない。しいて挙げるとすれば、無駄に栄養を蓄えている華族には、脂ぎったデブが多く、栄養を取れない隷族には、痩せこけた者が多いといった所だろうが、そんな事は人としての違いに含まれる事はない。
華族と隷族との見た目の違いは焼印だけであり、焼印さえなければ、透がそうであるように、隷族であっても容易く華族になれる。
そしてこれは、人民不可という人ならざる存在にすら、当てはまる事柄だった。
もっとも人民不可の場合その多くが、一目でそれと分かる外観的特徴を持って生まれてきてしまう為、隷族を華族とするよりも、遥かにハードルが高いのだが・・・。
「面白ろおかしな商売している華族様見ぃーつけ。アルバイトは校則違反だお」
「学生でない女が、学生でない男に校則を語るのか?」
透は唐突に話し掛けてきた、紺の学生服を着た少女に答える。
この女の名前は色瀬ひらり。女らしい長い黒髪に、眉毛の辺りでパツンと切られた前髪が特徴の、嫌な感じで良く笑う女だ。歳は透の三つ下であり、学生服を着て校則違反とは言っているが、透もひらりも学校と呼ばれる場所に通ってはいなかった。
透はサングラス越しにひらりの瞳を少しだけ視界に映した。ひらりの黒の瞳は歪な十字の形をしており、何処か狂気を感じさせた。
「何となく、言ってみたかっただけだお」
ひらりは悪戯っぽい笑顔を浮かべる。人民区で堂々と取引をしていた事もあり、誰かしらに目撃される事は想定していたが、ひらりに見られたというのは予想外だった。
ひらりはキチガイと言って相違ない程の変わり者であるものの、上流華族がふらふらと人民区に現れる事は普通ないからだ。
普通はない。
となれば偶然でなく必然の出会いと考えるのが妥当か。
透は一瞬だけ合わせた目を素早く逸らし思考し、一つの結論に辿り着いた。
「で、俺に何か用か?」
結論に対する答えを聞く為、透は適当でありながらも言葉を選んで質問した。透にとって相手に質問するという行為は、攻撃と防御の両方を兼ね備えていた。
「華永区や人民区に緑を増やして、一体何するつもりかなー?と思ったお。後、ぬるま湯を当たり前とする連中も、急激な温度変化には流石に気が付くお」
「疑問に思っても、動かないと予想してるんだが?」
華族というのは大半が怠惰だ。ある程度資産を持った者なら、働くことは勿論、華族間の交流さえしない者も多い。そこを、ひらりの言う所の緑が意味する、隷族が抑えたとしても、何も問題ないというのが透の考えだった。
「あまいなー。動かないから、動かそうとするヤツが出てくるんだお。特に学生なんかは、暇人の集まりだお」
「ふっ。今のは凄い説得力だな」
ひらりの言葉に透は苦笑した。
相応の階級を持ちながら、江崎透という厄介者に、厄介者と分かっていて関わろうとするひらりを鑑みたなら、学生という存在がいかに暇をもて余しているのかを、容易に想像する事が出来る。
「で、その動かそうとしている暇人は、ひらりじゃないよな?」
「ひらりのポジションは優秀な情報屋。美味しい所だけを食べるのがもっとうだお」
「つまり場合によっては、こちらの情報を流す事もある。という事でいいのか?」
「勿論」
ひらりは悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
ひらりの言葉に嘘はないと透は、確信した。
馬鹿でない華族が気が付いた。まぁ、馬鹿でなくとも気が付くような派手な事もしてきた為、ここは問題ない。問題なのは、疑問から行動に移した華族がいるという事にあった。
透の考える華族は、他人の不幸は櫁の味という一言に尽きる。
華族にとって他人の死や不幸は、自身を追い込むものではなく、寧ろ上げる位の出来事であり、選ばれた人間が、次ぎは自分かもしれないなどという強迫観念になど、駈られるはずがないからだ。
「情報屋として、目星は付いているのか?」
「あるといえばあるし、ないと言えばないかもお」
「そうか。なら、ある情報を早速買わせて貰おうか。奇特な邪魔者は、排除しないといけないからな」
邪魔者は速やかに排除する。それが江崎透の流儀だった。
「ところで、奇特な邪魔者に、ひらりは入っているのかお?」
「当然だろ?」
持って生まれた体質によって、華族や隷族を色で識別出来るような存在が、透にとって邪魔者でないはずがなかった。透の持つ体質がひらりに対して抜群の相性を発揮しなければ、ひらりの首の皮は今頃、隷族のアクセサリーになっていた事だろう。それだけひらりの持つ、能力と言って差し支えない体質は、危険なものだった。
「おぉ、怖い怖い。怖すぎるお」
ひらりがこの日初めて吐いた嘘に、透は「こほり」と一度だけ小さく咳きをした。
情報社会において、嘘を見抜ける体質というのは、本当に役に立つ。
ひらりが百発百中で人を仕分ける能力を持っているとするなら、透は百発百中で、人の嘘を見抜く能力を持っていた。
透の咳は相手の嘘に反応して吐き出されるものだった。