プロローグ
プロローグ
金と引き換えに人を売り、金と引き換えに人を買う。
この世界では、そんな事が日常の出来事として、当たり前のように行われている。
当たり前の日常である以上、この事を人々が疑問に思う事はない。
買う者と買われる者の階級が、明確に違う事もそうだが、そもそも買う者は買われる者を人とは認識していなかった。犬や猫が人に買われ、飼われる事に、誰も疑問を投げかけないのと同じように、疑問を持つという事自体が、常識的ではなかった。
彼等の階級もその事を如実に表している。
「相変わらず、あんたの所はいい隷族を揃えているな」
隷族。それが売られ、買われる者の階級である。
隷族の階級は人の中で最も下であり、隷族は世界に生まれ落ちた瞬間から、人々に隷する事を定められていた。
「その分、値は張らせて貰っている」
「あぁ、そうだな。まさにプレミア価格だ」
「金貨10枚、確かに」
隷族の売人である江崎透は、無精髭を蓄えたスキンヘッドの男から受け取った金貨を数え、財布の中に仕舞入れた。スキンヘッドの男が言う通り、隷族は一般的には金貨1枚で取引される。その十倍である金貨10枚は、プレミア価格といって差し支えない。
勿論これは隷族にしては破格というだけで、法外な値段というわけではなかった。犬や猫に置き換えるなら、血統書が付いているかいないかの些細な違いだ。血統といってもソレが隷族である以上、劣悪なものばかりになる為、値段が張るのは江崎透というブローカーに対する評価となるわけだが。
「隷族にしちゃあ高いのは事実だが、金に見合ったモノである事と、ソレを用意できるあんたが信用に足るのも事実だ」
「褒めてくれるなら、隷族を欲している華族に、宣伝しておいてくれ」
華族の階級を持つスキンヘッドの男に、透は興味無さそうに言葉を返しつつも、一応は自身の商売について宣伝して貰えるよう言っておいた。商売において人の噂というのは、意外な程役に立つ。
何より、必要な獲物を狩る為の餌は、多いに越したことはない。
「安心しろ。知人達には既に勧めてある」
「どうも」
「・・・どうでもいいが、相変わらず不愛想だな。あんたが商売上直すべき所があるとしたなら、そこだけだ。サングラスも似合っていないぜ」
「こほっ。どうも」
どうでもいい、なんていう言葉を最初に使ってから話をする輩は、気になって仕方ないと言っているに大差ない事を知っている透だったが、そんな事はどうでもいい為、透はスキンヘッドの男に不愛想に言葉を返し、似合ってないと揶揄されたサングラスを中指を使って軽く持ち上げた。
「ふん。まぁいい。じゃあな」
スキンヘッドの男は如何にも不服といった感じで鼻を鳴らすと、購入した隷族を連れ、透の元から去っていった。
「さて、今回は何事もなく業務終了か」
スキンヘッドの男が去っていく姿を見届けながら、透は独り言を呟いた。
独り言である以上、当然誰からの返事もなく、透は返事がない事を認識した後、その場からゆっくりと離れた。
隷族を売るという業務は終了したが、透にはまだ、仕事が二つ程残っていた。
仕事と言っても、人民区に来たついでに行う確認作業のようなものであり、必ず必要かと問われると、そうでもないわけだが、すればより万全となる以上、透の選択肢に『しない』が加わる事はなかった。
因みに人民区と言うのは、華族全般が住む事を許された区画に付けられた名称であり、来たついでと言う以上、透が住んでいる場所は人民区にはなかった。
透の住み家は華族の中でも、一定以上の者しか出入りする事の出来ない、華永区と呼ばれる区画にある。
透はエリートだった。
「おはようございます。江崎様」
結果、透を知る者であれば、人民区のどの施設に入ろうとも、こうして恭しく頭を下げてくる。今見たく、様付けで呼ばれる事もしばしばあった。
今居る役所などは、透が仕事柄多く利用する事もあり、職員全てに透の階級は知れ渡っている。簡単に言ってしまうと、役所にとって透は、ビップな客お客様というわけだ。
「どうも。黒谷さんは居る?」
透は話し掛けてきた受付の女性に軽く会釈をし、要件を告げる。
黒谷舞は透の担当職員であり、そろそろ先回りして情報を提供して欲しい所であったが、黒谷以外の要件もないわけではない。無駄なやり取りが一つ挟まるのも仕方のない事かと、透は頭を掻いた。
「黒谷ですと、今は二階の第三資料室におります。呼び出しますか?
「いや、直接いく。何か問題は?」
「いえ。黒谷には江崎様が来られたならいつでも通して構わないと、そう言われております」
許可を経て、透は役所の二階に上がる。関係者以外お断りの通路を進み、第三資料室分と書かれた看板の差し込まれた扉を、ノックもする事なく開いた。
扉を開くとそこには、カラスの羽で織ったような、真っ黒なドレスと、真っ黒な帽子を被った女の姿があった。切れ長の目の下には泣きぼくろがあり、唇には黒ともとれる濃い青色のルージュが引かれている。全体的に化粧気は強くないが色香があり、スタイルの良い体と、はっきりとした目鼻立ちのせいか、役所と呼ばれる場所に対して、あまりに場違いな恰好をしてはいるが、黒谷舞という存在には、とても良く似合っていた。
「あら透さん。いらっしゃい」
見た目や恰好もそうだが、役人とは思えない、何処か夜の臭いを感じさせる声が黒谷から発せられる。目の前に膨大な紙を挟んだファイルや資料がなければ、酒の一杯でも頼みたくなるような雰囲気があった。
「資料を貰いにきた。もう出来ているだろ?」
とはいえ、透の目的は酒などではなく、開口一番ここに来た目的を告げる。
「勿論。でもタダでは、当然やれへんよ」
「当然、モノはある」
透は30cm程の小さな黒箱を、黒の手提げ鞄の中から取り出し、黒谷に差し出した。中身もそうだが黒い箱も、黒谷の事を考えてわざわざ用意したものだった。
「中身は期待してええの?」
「期待には添えたつもりだ」
「そ。透さんを信じるわ。資料はウチのデスクの二段目の引き出しに入っとるから、適当に持ってて。これ、その引き出しの鍵な」
「どうも」
箱を手渡し、黒谷からデスクの鍵を受け取る。
「鍵はいつものように、引き出しにそのまま入れといてくれればえぇから」
「分かった」
黒谷との会話を終え、透は一階にある黒谷のデスクから資料を回収した。役所で働く黒谷から受け取る資料。それは誰が何処に住んでいるかといった完全な個人情報であり、透は月に一度、この個人情報満載の資料を黒谷から流して貰っていた。
黒谷に頂いた資料を鞄に仕舞い、透は次の目的地として、スケジュール帳に記しておいた不動産屋に足を向けた。
目的は家を買う事にも売る事にもないが、不動産というのは個人情報の塊を保有しており、情報を得るには最適な場所だった。特に役所に載ってこない、ブラックな人物探し出す際はかなり重宝される。役所に不動産。この二つさえ押さえておけば、凡そ全ての者の所在を把握する事が可能だった。
「うわ~、何だか嫌な感じの人だかり」
「自警団が出向いていったから、嫌な感じの事件があったんじゃない?」
「また?最近多くない?」
不動産屋に向かって歩いていると、役所から不動産屋へと向かう道の、丁度中間地点の路地に人だかりが出来ていた。なされている会話やその雰囲気から、何か事件が起きたらしい。
透はその様子に「またか」と、人だかりを遠目に見ていた女学生と同じ感想を口にする。
最近、人民区ではよく事件が起きる。
しかも、その多くは凄惨な殺人事件だ。
「本当、多いね。そして際立つ自警団の無能ぶり」
「自警団は、事件を解決しない事で有名だからね」
「区民を護らない事でも有名」
「・・・だから、自分の身は自分で護らないと駄目。他人任せじゃ、何も変わらない。他人事だと自身に火の粉が降り掛かった時に、手遅れになるわよ」
「えっ、あぁ、はい」
一人の女が、二人の女学生の肩に触れ、人混みの中へと消えていく。
「何?今の?」
「さぁ」
女学生に助言をした後、人混みに消えていった気の強そうなショートカットの女をぼんやりと眺めつつ、透はポケットの中にあった、一口サイズのチョコレートを口に放り込んだ。
9割方砂糖で出来ているのではないか?と感じる程カカオの味がしない、銅貨1枚の安物チョコレートを舌で転がしつつ、透は手帳に明日の予定を一つ書き加える。
「人民区に空き家が増えても、あまり意味がないんだが、物騒な世の中だ」
透は手帳を閉じて、独り言を呟く。
独り言である以上、やはり誰からの返事もなかった。