勇者を召喚したら前世の孫が来た
その少女を初めて見た時の感想は「ずいぶん大きくなったな」だった。
初めてなのに「大きくなった」とは一体どういうことなのか。
魔法陣の中心でぽかんとしている少女を見つめてロニールは考え、一分経たないうちに答えが出た。
少女は、前世の自分の、かわいいかわいい初孫に似ていた。
ここはジェリーメグ王国という国にある、ローゾフウィルソン教会という建物の、女神の間という大きな部屋である。人間が困った時、女神に問題を解決するヒントを貰ったり女神の力を借りたりできるかもしれない場所だ。
ジェリーメグ王国を含むアテメト大陸は、魔物という存在に悩まされている。生き物は何であろうと襲う非常に厄介な存在だ。五年程前から急に数を増やし、最近では対処が追いつかなくなり被害の規模が大きくなってきてしまった。
かなり困った人間たちは女神に助けを求めてみた。すると女神は「別の世界から勇者を喚ぶのが良いでしょう」と言った。そこで人間たちは、余所の人たちに迷惑をかけるから使用禁止とされた魔法を何百年かぶりに使って、別の世界から勇者を召喚した。
そうしてこの世界にやって来たのが、今魔法陣の中心にいる少女だ。
いきなり居場所が変わったことによる驚きは過ぎ去ったのか、少女の表情が不安そうなものへと変わった。そんな彼女に、この場の一番の責任者である教皇がそっと話しかける。
「私の言葉がわかりますか」
「は、はい。……え?」
少女は返事をして、一拍置いてから戸惑ったように口に手を当てた。
「魔法によって、あなたはこちらの言葉を理解し、話せるようになっています」
「そう、なんですか」
「ええ」
教皇は頷いた。それから自分が何者であるかを言い、少女の名前を尋ねる。
「あなたのお名前は?」
「かつらぎさつき、です」
どんな字を書くかロニールにはすぐにわかった。「葛城さつき」だ。
やはり彼女は前世の初孫だ。五月生まれのさっちゃんなのだ。
教皇はさつきに、今の状況を説明した。さつきは話を聞いている間困ったような表情を見せていたが、勇者として活動することを了承した。
ロニールは、さつきが頼もしく成長したと思った。それと同時に、危ないから断ってほしかったとも思った。しかし断られては困るので悩ましい。かわいい孫と思う前世の気持ちと、手を貸して欲しいと思う今の自分の気持ち。どちらも同じくらいの大きさだと感じた。
さつきは普通の女子高生で戦闘経験などないので、勇者の活動を始める前に訓練期間が設けられた。こちらの世界に馴染んでもらう期間でもあった。
まずは魔法の練習をした。指導したのは二人。一人はロニールだった。
練習の合間合間にロニールはさつきと話し、彼女に関することをいろいろと知ることができた。
召喚された時点で、さつきは十八歳になっていた。
ロニールの前世が最後にさつきを見た時、彼女は八歳だった。ロニールは十九歳なのでこの世界に約二十年存在するわけだが、前世が生きていた世界はまだ十年しか経っていないらしい。
前世の妻(さつきにとっては父方の祖母)はまだ元気にしているそうだ。最近懸賞に応募したところロボット掃除機なるものが当たり、送られてきたそれを喜んで使っているという。
ロニールはさつきに対してほぼロニールとして接し、前世が彼女の祖父であることは言わなかった。前世を思い出してから一晩経ってみれば祖父としての気持ちは弱くなっていた。ただ、さつきが魔法を連発してへとへとになりながらもノルマを達成した時など、「よく頑張ったなあ。偉いなあ」と祖父的な感情を持つことは何度かあった。
魔法の次は剣術だった。どのようなことをしたかはロニールは見ていないのでよく知らないが、見学した人によると初心者には厳しそうなことをしていたそうだ。しかし、さつきとしては、自分の体が信じられないくらいよく動くものだからあまりつらくなかったらしい。
召喚から一ヶ月後、さつきは勇者として各地の魔物を退治して回る旅に出た。ロニールと、ルーテという二十歳の女性も一緒である。
ルーテはさつきの剣の先生だ。さつきと歳が近いので先生に選ばれ、気が合ったので旅に同行することになったとロニールは聞いている。
ロニールは教えるのが上手だからと魔法を教える担当になり、学んだけれどさつきにはまだわからないことがたくさんあるので、さらに教えるために旅についていくことになった。ちなみにもう一人の魔法の担当者は高齢であるから旅は無理である。
旅に出てから三ヶ月が経とうとする頃。
とある村でさつきたちは魔獣退治のお礼として珍しい梨を貰った。
ここに来るまでにさつきと同い年の少年が旅の仲間に加わっている。少年は名前をゼトといって、あまり愛想がないがいいやつだとロニールは思う。
朝早くに村を出発した一行は山道を歩き、休憩の際に梨を食べることにした。
さつきとルーテが太い木の根の上に並んで座り、そのそばでゼトが梨の皮をむく。ゼトの姿にロニールは前世の妻と幼いさつきをふと思い出した。祖母がりんごの皮を細く長くむいていく様子をさつきはじっと見つめていた。その後、切れずにむかれた皮を持って「長ーい!」と喜んでいたのがかわいかった。
「どうしたの、ロニール。にこにこして」
ルーテに声をかけられて、ロニールの思考は思い出の世界から現実に戻った。
「何かいい物でも見た?」
「ゼトの皮のむき方が綺麗だなって思ったら、おばあちゃんを思い出したんだよ」
嘘は言っていない。ただ言葉が足りないだけである。
梨の皮をむき終えるとゼトは実を四分の一切り取り、芯を取ったそれをさつきに差し出した。
「私はいいよ」
さつきが断ってもゼトは手を引っ込めない。彼は何も言わないが、目が「食べて」と訴えているようにロニールには見える。
ゼトにじっと見つめられてさつきが目をそらすと、ゼトの代わりにルーテが言った。
「これからまだまだ歩くんだから、食べておくの」
「うー……」
「ほら」
ルーテがゼトの腕を掴んで、梨をさつきにぐっと近付けた。
目の前に突きつけられた梨を、さつきは渋々といった様子で受け取り、一口食べた。
「おいしい?」
ルーテが尋ねると、さつきはこくんと頷いた。しかし、おいしいと思っているにしては微妙な顔をしている。
さつきはあまり食べたがらない。必要な食事を欠かすことはないが、食後に出るものがあれば大体は誰かにあげてしまうし、今のように拒否することも多い。食べたそうな顔をしていることもあるのに。
最初は太ることを気にしているのかとロニールは思ったがどうも違う気がする。ならばこちらの世界の食べ物が口に合わないのかとも思って聞いてみたことがあるが、その時は「そんなことないよ」とはっきり言われた。あれが嘘だとは思えなかった。その後、何故食べないのかと単刀直入に聞いてみたら「言いにくい……」と返された。だから、もしや男には言いにくいことかと考え、ルーテに理由を聞いたかと尋ねてみたが、彼女も教えてもらえていなかった。一応ゼトにも尋ねたが彼もやっぱり知らなかった。
一週間後、ロニールたちは、近くの森に強力な魔物がいるという町を訪れた。森の魔物は強いだけではなく数が多く、しかも森が広いため、しばらくは町長が提供してくれた空き家を拠点に行動することになった。
翌朝から一行は森に入り、魔物退治に励んだ。ついでに薬草なんかも摘んでみた。
当初の目的の魔物は三日目の夕方に倒した。その魔物は、一目見たさつきが「トリケラトプス?」と呟いた、見た目からして強いやつだったが、ほぼさつき一人で片付けた。他の三人は周りの雑魚排除係だった。孫はかわいいし優しいし賢いし強いしでじいちゃんは鼻高々である。
その日町に戻ったロニールは、さつきを休ませてルーテとゼトと一緒に夕食の用意をした。町の人が持ってきてくれたものもあるのでそこそこ豪華な食卓になった。
「食べてくれるかな」
ルーテがぽつりとそう言うと、
「食べてほしい」
ゼトが希望を言った。
ロニールとしても、たまにはさつきにお腹いっぱい食べてほしい。強制的に食べさせるのはよくないとは思うが、拒否する理由があるのならさつきはそれを伝えるべきなのだ。伝えてこないからには食べてもらう。
「強敵と戦って力を消費したんだからたくさん食べる、かな」
ロニールが作戦を言うと、ルーテとゼトが頷いた。
「明日も戦うから、も足そう」
「そうだな。……呼んでくる」
ゼトがさつきを呼びにいった。
結果は……まずまずだった。
満腹は無理だった。しかし、いつもは七分目のところを八分目までは恐らくいった。
ゼトが作ったスープを飲んだ時には、おいしいと言って少し笑ったのでゼト個人としては大勝利だろう。
ロニールとルーテで最後に甘柿を勧めたがこれはだめだった。小さく切っていたのに完全に敗北した。柿が好物のじいちゃんは柿のおいしさを孫と共有できなくて悲しい。……ので、突撃することにした。
前に食べないことについて聞いた時よりロニールとさつきは仲良くなれていると思う。今なら理由を話してくれるかもしれない。
夕食の片付けを済ませたロニールは早速、さつきが使っている部屋へ向かった。扉越しにこれでもかという程真剣に「お話があります」と言ったら、さつきは若干ビビりながら部屋に入れてくれた。
座る所があるのにさつきが床の上で正座したので、ロニールも同じようにした。
「お、お話というのは」
「食後のものや間食を拒否する件について」
「……ああ……」
さつきは顔を曇らせた。悪いことをしていると思いつつもロニールは話を続ける。
「前に聞いた時は、言いにくいって言ったね。せめてその理由を聞かせてほしいな」
「……それは……それはね……悲しくなるから」
「……そう……」
悲しくなるなんて言われては追及しづらい。ロニールは引こうかと思ったが、
「……でも、みんなを困らせてるのはわかるから、言う……」
さつきはそう言った。だから聞かせてもらうことにした。
「……あのね……」
そう言ったきり、さつきの口からはなかなか言葉が出てこなかった。口を開けるけれど、声に出せないでいるようだった。
「…………あの、あの、ね」
ようやく再び声を出したさつきの目が潤んだ。何度か苦しそうに呼吸した後、彼女は震える声で話し始めた。
「お、おじいちゃん、おじいちゃんが」
おじいちゃん。
前世か、それとも母方か。
「わたしが、七歳の時に転んで頭打って、血が止まらなくて、脳を血が圧迫して、うまく動けなくて起きてるのか寝てるのかわからないような状態になっちゃって、それで、ご飯食べれなくなって。ずっと点滴とか、チューブから栄養送ったりしてたんだけど、良くならなくて」
声の震えが大きくなる。
「も、もう、何も、何も、しないって、お医者さん、と、お、おばあちゃ、ん、と、お父さんが決めて」
目に浮かんでいた涙がとうとう流れ落ちた。
「何も、貰え、な、なくなった、おじいちゃ……二、週間、で……」
最後まで言わないうちにわんわん泣き始めた。
さつきが言いたいのはこういうことだ。
彼女の父方の祖父、つまりロニールの前世は、回復しなかった。これ以上は本人も家族もつらいだけだからと、医者と妻と息子たちの判断で、もう命を繋ぐことはしないことになった。それから二週間で彼は息を引き取った。
さつきはロニールの前世の死をかなり引きずっているらしい。それでなぜ食事が嫌になるのかわからないが、ロニールはさつきに対して申し訳なさを感じた。だから前世の記憶のことを話そうとした時、さつきが続きを喋り出した。
「おじいちゃん、きっと、すご、く、つらかった。……な、に、何も、食べ、られなくて。わ、わたし……おじい、ちゃ、に、悪くて……食べ、たく、な……」
何も与えられず死んでいった祖父に申し訳なくて、食べられなくなった。
やっと理由がわかった。
「……やっぱりさっちゃんは優しいなあ」
思ったことをそのまま口にしたら、
「……!」
さつきが驚いたように顔を上げた。
「にほんご……何で、日本語。何で、さっちゃん」
彼女のその呟きもまた日本語だった。
「じいちゃんは生まれ変わっておいしいご飯たくさん食べてるよ。さっちゃんもたくさん食べて元気になれ」
「……」
さつきは何も言わず、目に涙を浮かべてロニールをただ見ている。
「飲まず食わずでつらかったことなんてじいちゃん覚えてないなあ。それよりさっちゃんが戦時中でもないのにちょっとしか食べないことがつらいなあ」
「……ほんと?」
「ほんと」
しっかり頷いてみせたが、さつきはまた声を上げて泣き出した。たくさん涙を流しながら、それでもなんとか喋ろうとする。
「ごめ、ごめんなさい。ごめ、な、さい。せい、成人、式、の、着物っ見たいって、いっ、言ってたのに、みす、見捨てて」
「さっちゃんは悪くない。転んだじいちゃんが悪いんだ。気をつけろって言われてたのに、まだそんな歳じゃねえわ思ってよお」
「でも、い、い……生きたかったでしょ。あのまま病院に、いたらっ、良く……」
「若かったらそうなったかもしれないけど、じじいだからなあ。みんなの負担にもなるしなあ。孫たちが大人になったのを見られなかったのは残念だけど、未練って程じゃねえし。そんなんだったら生まれ変わってないで幽霊になってるわ」
「……その方が良かった」
そう呟くとさつきは顔を伏せて膝を抱えて小さくなってしまった。今度は静かに泣いている。
「ごめんなあ」
謝ってさつきの頭をよしよしと撫でる。その手が若者のものであることに気付いて不思議な気分になった。
「じいちゃんに悪いって思うなら、おいしいもの食べて元気にしててくれないか」
「……それでいいの? 本当に、おじいちゃんが、そう思ってる? ロニールさんが考えて言ってない?」
顔を伏せたままさつきが不安そうな声で聞いてきた。
「……そう言われると、ロニールが、ロニールとしての、えー、あー、かんー、考え……思考が強くなっちゃうんだけど」
ついでに日本語が急に怪しくなって、頭を撫でる手が止まった。
「……」
ロニールの返事を聞いたさつきは改めて小さくなった。
しょんぼりした孫を見てじじいは焦った。
「でもじいちゃんが本当に思ってることだからな。外に出せないことだから証明できねえが」
「……ほんとに?」
「本当。さっちゃんがばあちゃんになれば、じいちゃんの気持ちがちったあわかると思うわ。だから元気に長生きして確かめてくれねえかな」
さつきがようやく顔を上げた。様々な感情が混ざっていそうな複雑な表情をしている。とりあえず涙を止めることはできたらしい。
「……嘘だったらロニールさんのこと怒るからね」
「僕は、ええと、こんな時に」
ロニールは日本語を喋ろうとしたがまたうまくいかなかったので、いつもの言葉で言うことにした。
「僕は、こんな時にさつきさんを騙せる程嘘はうまくないよ」
「そっかあ」
それきりロニールもさつきも何も言わず、二人ともしばらくじっとしていた。ロニールは床をぼんやりと見ていたし、さつきは先程よりは緩く丸まっていた。
そのうちにどこからか喧嘩しているらしい猫の声が聞こえてきて、さつきが、
「山田さんちのたまが一昨年亡くなったの」
と静かに言った。ロニールは顔を上げたがさつきは俯いたままだった。
山田さんって誰だとロニールはあれこれ思い出してみたら、隣の家がそうだった。あの家で飼われていた三毛猫のたまは上品なやつだった。さつきは前世の家に来る時、たまとの交流も楽しみにしていた。
「山田さん、たまがいなくて寂しがってたんだけど、去年たまに似た子猫もらってきたの。たみって名前つけて、最初はたまの代わりだったんだけど、今は代わりじゃなくて、後から来た子としてかわいがってるんだって」
さつきが目線を上げてロニールを見た。少しだけ表情が明るくなっている。
「私は、ロニールさんのこと、おじいちゃんの代わりにはしないようにするよ。だからロニールさん、あんまりおじいちゃんにはならないでね。でもね、ときどきおじいちゃんへの伝言頼んでもいいかな」
「ご飯しっかり食べてくれるなら」
「うん。食べる」
ロニールはじじいと共に心の中で万歳しつつ、さつきの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「髪の毛ぐしゃぐしゃにしないでよー」
軽く文句を言いながらさつきは笑った。
さつきの部屋を上機嫌で出たロニールは、すぐに仏頂面のゼトに捕まった。さつきの泣く声は部屋の外にも聞こえていたはずだから、彼はさぞそわそわしていたことだろう。
「どうしてサツキは泣いたんだ?」
思ったとおりのようだ。
答えによってはロニールがぶん殴られそうな雰囲気である。
前世とさつきのことは他人には言わない、とロニールとさつきで決めてある。だからロニールは質問には答えないで別のことを言う。
「明日からあの子はご飯を堂々とおいしそうに食べると思うよ」
「答えになってない」
「旅が無事に終わった時、きみがまだ知りたいと思ってるなら教えるよ。そういうことになってるんだ」
「……そうか」
「羨ましい? 嫉妬する?」
ゼトの表情に焦りが出た。彼のことをさつきは「わかりにくい」と言うが、ロニールはそんなことはないと思っている。
「んなっ、何を……」
「見事なまでの一目惚れだったね。普段の行動にも出てるのに、さつきさんもルーテさんもどうして気付かないんだろう。気付いてないふりしてるのかな。世界の壁は大きいだろうからね。で、さつきさんと秘密を共有してる僕は羨ましい?」
顔を少し赤くしたゼトは「殴りたい」と呟いて、ロニールの前から去っていった。逃げた。
ロニールとしてはゼトを応援してもいいなと思う。祖父としては応援も支持もしなければ拒否もしない。そういうのは父親のすることだろうから。
じいちゃんの役割は、さっちゃんがめでたい報告をしてくるのを待つことだ。