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現実世界はハードモードのクソゲー

彼は、郊外の丘の上にあるボロアパートに住んで居た。昭和の景気が良いころに建てられたコンクリートの建物は、すでに平成になってから何十年もたち、すっかり壁は薄汚れ、屋根は色があせ、軒が下がって、詰まった雨樋からは雑草が生えたり、全体的にさびれて疲れた感じを漂わせていた。その、古くていまにも潰れそうな家で、年金暮らしの両親に寄生しながら、短期の仕事をしたり、そうでないときは、仕事探しと称し、ほとんどの時間をネットゲームに費やし、とても充実しているとは言い難い人生を送っていた。

おなじみの部屋で、座椅子を尻ですり減らしながら、悶々と過ごす日々。両親が老いれば、当然自分も取り返しのつかない年齢になっているのは周知だが、かといって、これといった打開策もなく、八方手詰まり感の中、世間の自己責任の礫から逃れるように、ひっそりと生きていた。

時々、一念発起したように働いてはみるものの、何をやっても長続きしない。決して、勤務態度は不真面目ではなく、むしろ、誰よりも真面目に働くのだが、待遇が良くないとか、自分に対する評価があまりにも低い事、とはいっても、職歴が怪しい彼にとっては当然のことなのだが、すぐに嫌になってしまう。

彼は、転職すればするほど、人生が不利になる事を妙な話だと考えていた。ゲームの世界では、ボス戦やダンジョンの状況に応じて、最適な職業に転職し、並列してスキルを育てた方が有利になる。たとえば戦士タイプ一筋でやってきて、後半に魔法しか効かないボスがでてきたところで、あわてて魔法使いに転職し、レベル1からやり直そうとしても、後戻りできないダンジョンなら、まさに手詰まりである。筋肉頭の職人や、頭でっかちのモヤシ事務員がゴロゴロしていられるのは、現実世界が今のところ平和で、組織という団体に寄生虫のようにしがみつき、無能だろうが、能力が偏っていようが、完膚なきまでにモウロクしていようが、その真価が問われる機会がないからだ。むしろ、様々な職種を経験して、マルチなスキルを身に付けた方が総合戦闘力が高くなる。などと妙な理屈をつけて、腰を据えて働こうとせず、すぐに辞めてしまう。それでも、若いうちは、まだ次の仕事もあったのだが、年齢とともにそれも難しくなり、転職歴の多さもあってか、仕事にありつくのが難しくなり、最近はめっきり、ひきこもってゲームに没頭する時間が多くなっていた。


その日も、年老いた両親が働きに出る物音を、寝床の中で聞いていた。愚かなことに、生活サイクルはネットゲームが中心であり、ゲーム内のイベントがない時間が彼の睡眠時間である。つまりそれは、世間一般的な活動時間とは大きく異なり、概ね夜型の生活になる。閉めきった部屋は、いわゆる万年床と呼ばれる、敷きっぱなしのすえたような臭いを放つ布団と、足の踏み場のないぐらいに、空のペットボトルやら、各種ゴミ、雑誌、ガラクタとに覆われている。部屋の隅のほうには、会社員時代に使っていた通勤用の手提げかばんが、ほこりをかぶったまま、過去の遺物のように転がっていた。


「しまった!今日は魔鉱山じゃないか!」

なんとも、一般人が聞いたら、何のことやらわからぬセリフで飛び起き、つけっぱなしのパソコンへと向かう。彼は現実世界では無職だが、あっちの世界では、ゲーム内のサークルである「ギルド」の役付きなのだ。ゲーム内イベントがあるのに、顔を出さないわけにはいかない。もちろん、現実世界でのイベントは皆無だから、何事よりもそれは優先される。

彼はデブではない。運動不足で年齢とともに下腹が出始めてはいるが、それでも痩せて見られる方だった。それだけの理由で、世間一般が言う、ゲームオタクとは違う、と思い込んでいる。全く痛いヤツなのだ。そのくせ、ゲーム内では、筋肉モリモリの重戦士をきどっている。現実世界で発揮されない願望を、ゲームの世界で、モンスターやら仮想世界の敵に向かって発揮していると言っても過言ではない。

時々働いて貯めたお金は、すべてゲームに消えるが、生活費は両親が健在で働いているうちば安泰だ。そのような生活をしていれば、現実世界での社会的評価は更に下がるが、それに反比例して、ゲーム内での評価は上がっていく。もはや、彼にとっての現実世界はゲームの世界だった。

ゲーム内では仲間や部下がおり、ギルドの人事決裁権を持ち、内部取引の管理、新人プレイヤーの指導やら、企業なら、中堅の管理職として、立派にやっていただろう活躍ぶりである。しかし、現実世界では、4畳半の安アパートの一室で、部屋を滅多に出ることもなく、食事はインスタントばかり。現実で顔を合わせる友人などおらず、完全に社会から孤立していた。


「やっぱ、平日の昼間はギルメン少ねぇな」

結局、ゲーム内イベントで半日ばかりを浪費し、空腹を覚えた彼は、部屋を出て食べ物をあさりに冷蔵庫へと向かった。すでに、昼の2時を過ぎているが、彼にとっての食事は、「空腹を覚えたとき」であり時間など全く気にしていない。というか、昼間はほぼ寝ているので、この時間に食事をするのはまれなのだが。

冷蔵庫を開けた彼は舌打ちした。

「また煮物かよ」

人間は年を取るとやわらかい物ばかり食べたくなるというが、彼の老いた母親は、野菜の煮物ばかり作る。彼はそれが嫌いだった。かといって、自分で食事の支度などするはずがなく、面倒だからといって何も食べない事すらある。ボロい冷蔵庫の、汚らしい棚に鎮座した、ありあわせの具材を煮込んだソレを一瞥し、彼は冷蔵庫のドアを閉めた。

彼は料理のスキルは皆無だった。そして、すべての行動エネルギーは、ネットゲームに注がれている。しかし、最近、煮物ばかりの食事が多いせいで、食事を抜くことが多く、空腹は耐えがたいものとなっていた。彼は、仕方なしに、数か月ぶりに外の世界、家の外へ出ることを決意せざるを得なかった。もちろん、自分で料理をするなどという発想は皆無である。

外には危険が一杯である。暴虐なモンスターはいなくても、たちの悪いチンピラが、道行く通行人に因縁を付けてくるかもしれない。または、血に飢えた狂戦士のような、殺人鬼や通り魔がいるかもしれない。無職が昼間っからブラブラと徘徊していると、警察に職務質問され、あることないことでっちあげ、いつの間にか牢屋につながれるかも知れない。まるで悪の帝国兵士のようなやつらばっかりなのだ。そいつらの巣食うエリアを乗り越えて、その先にあるコンビニになんとしても行かねばならない。食わねば戦えぬのだ(もちろんネットゲームをやる為だが)


いつものジャージに、サンダルをひっかけ、玄関のドアノブに手を掛けたとき、どこからか、謎の声が聞こえてきたような気がした。

「……そんな装備で大丈夫か!」

よれよれのジャージ。尻やひざは擦り切れ、食べこぼしのせいでシミや汚れまである。しかも、中学のときに着ていたものだから、丈が短い。確かに、怪しさ抜群である。それに着ているTシャツは、いわゆる成人指定のゲームのそれであり、その姿で徘徊すれば、「私は変質者です」と宣伝するようなものだ。もっと、怪しくなく、できれば「職務質問回避」のスキルが付いた装備で危険な玄関の外に出る必要がある。もちろん、かかとの擦り切れたようなサンダルでは、地獄の魔犬(野良犬)や、醜悪なゴブリン(ヤンキー)から逃げることも叶わない。

彼が持っている衣装で、その条件を満たすものはなかった。少なくとも私服においては。滅多に外出しないせいで、趣味性の高いTシャツや、ジャージのような服しか持っていない。友人がいない為、「お出かけ用」の装備など無縁だったのだ。

悩んだ挙句、タンスの奥から、かつて働いていたころに着ていた背広を取り出す。一応正装であるから、現時点での最強装備だろう。しかし、ネクタイの結び方を忘れてしまっている。しまった、「ネクタイ装備」のスキルを学習しておくんだった、などと今更後悔しても遅い。しかし、面接や出勤するわけでもない。ノーネクタイでも構わないと判断し、むしろ「クールビス」のアビリティをゲットした気分になった。効果は、地球環境0.1%アップといったところか。

ひきこもりの彼にとって、外の世界は危険なダンジョンである。未知の暴虐な魔物のような人間がたむろし、悪の帝国兵士のような警察が常に監視しており、隙あらば圧倒的火力をもって捕縛にかかる。彼はゲームの世界では、屈強な重装戦士であるが、現実の世界では、猫背のひょろいおっさんである。なんの有効なスキルもないうえに、リアルな人間関係が希薄なため、挙動が常に怪しい。ただでさえ、無職の中年男性というクラスは、犯罪者かそれに近い予備軍の代名詞のようなものである。最寄りのコンビニに行くだけでも、最高レベルの警戒を怠らず、最強装備でセットアップしていく必要があった。


玄関を施錠し、注意深くあたりを見回す。留守にすることを盗賊に見つからなかっただろうか。だが、昼下がりのおんボロアパートの玄関が並ぶ通路には、誰もいなかった。薄暗い通路を音を立てないように素早く通り抜け、錆びついた鉄階段を下りていく。昼下がりに、背広の男がアパートから出てきても、セールスかこれから出勤するサラリーマンに見えることだろう。怪しくない、怪しくない、と彼はほくそえんだ。しかし、何気なく、鼻のあたりをなでたとき、彼はとんでもないミスを犯したことに気が付きあわてだした。髪の毛はボサボサ、髭は伸び放題、しかも昼夜逆転の不摂生のせいで、本来、寝ているはずの時間に起きて徘徊するものだから、目やにだらけで酷いクマもできていることだろう。服装は普通だが、身だしなみのステータスが浮浪者か不審者レベルに低い。普段、自室でひきこもってゲームばかりしていたので、身だしなみを整えるという習慣がなかったのだ。

しかし、これから自宅に戻って身なりを整えようにも、彼はかつて使い捨てタイプのカミソリを使っていたのだが、引きこもるようになってからは不要になったせいで、そのストックがない。それを買いに行くには、同じ目的地であるコンビニに行く必要があるわけで、結局は無精ひげのまま移動するしかない。髪型についても、めっきり後退する生え際のせいで、自然な髪型からは程遠く、横のところや襟足ばかりぼうぼうと伸び、逆に頭頂部やこめかみは、薄くなってしまったがゆえに、ごまかそうにも毛が足りない。無精ひげ、不健康な顔、やせて猫背、まるで背広を着た、死神のような風采になってしまっていた。

しかし、人に会わなければいいのだ。なるべく、細い裏通りを通って、物陰に隠れながらコンビニを目指せばいい。そこで彼は、「隠密」のスキルを発動させようとしたが、当然、そんなスキルの修行をした覚えはなく、結局は、へっぴり腰で、塀の陰から、鼻の下ばかり伸ばして、表通りをすごい顔で覗き込んでいる。かえって怪しさが倍増してしまっている。

幸いなことに、ボロアパートから緩やかに下っていく道には、人影は見られなかった。彼は怪しげなステップを踏み、もちろんこれは、「無音歩行」の特殊アビリティ、敵との遭遇率を限りなく下げる技……のつもりだが、実のところ、怪しいおっさんがスキップしているだけである。奇妙な動きで、ブロック塀に挟まれた、細い道を通り抜ける。だが、曲がり角の所で、彼は危難に遭遇した。前方を女性が歩いているのだ。しかも、彼にとっては、最も神聖なクラスである妙齢の娘である。ひきこもりの彼は、リアルな女性と接触する機会は皆無であり、会社員時代も、同僚の女性全員からは空気のように扱われてきた。最後に会話をしたのは、何年も前、しかもコンビニ店員の「ポイントカードはありますか?」に対し、「ないです」と答えただけという始末である。女性特有の、やたらにゆっくり歩くという特徴から、奇妙なステップを踏む彼との速度比を勘案すると、あと数十秒で追い越さねばならない事態が発生する。別に話しかける必要はないのだが、あまりにも道が狭いので、かなり接近する必要があり、彼はなぜか黙って追い越してはいけないような気がしていた。しかし、服装はともかく、髪型と無精ひげである。お見合いに行くわけでもなく、知り合いでもないのだから、黙って通り過ぎるだけなのだが、長年のひきこもり生活のせいで、そういう通行人との自然なやりとりを忘れてしまっている。しかも、よりによって、かわいい女の子である。いちおう男なのだから、異性に対して見栄を張るところもある。この顔ではまずい、と彼は思ったのだろう。

彼は、奇妙なステップをやめ、女性を追い越さないように、この狭い路地をやりすごそうと考えた。しかし、ただゆっくり歩くのも苦痛である。万が一、女性が振り返ったりすると危険なので、彼は電柱やポスト、立て看板の陰に隠れながら、女性の後を追い越さないようについて行くことにした。もちろん、使用するスキルは、あの「隠密」である。すごい顔で、鼻の下を思いっきり伸ばし、もちろんこれは体をできるだけ隠したうえで、目だけで覗くつもりだが、人間はカニのように眼だけが突き出ているのではない。当然、目の上のおでこやら、頭部分はあるのだから、全く意味がないうえに、伸びているのは鼻の下だけという、残念な事実があるが、彼は全く気付いていない。電柱の陰に隠れ、怪しい恰好で覗き込み、女性が少し離れると、今度は「無音歩行」で反対側の電柱の陰に隠れる。これは案外、うまくいきそうだと彼がほくそ笑んだ時、背後から声を掛けられた。

「何をしているんですか?」

電柱の陰に張り付いたままで、声のした方を振り返ると、自転車に乗った警察官の姿があった。若い女性の後を、物陰に隠れながら追跡し覗き込んでいる様子は、怪しい変態そのものである。当然の職務質問である。もちろん、彼が普通にしていれば、警察官は、何事もなく通り過ぎて行ったであろう。

「あばば……!」

彼は狼狽し、激しくどもる。対人スキルが皆無なうえに、いきなり強敵と遭遇してしまった。いわゆる最初のダンジョンでラスボス状態である。訳のわからないうちに、究極の破壊技でやられてしまうのだろう。しかも、こっちの世界は、全滅してもリスタートできないのである。しかし、実のところ彼は何もしていない。怪しい動きではあるが、別に女性に危害を加えたわけでもないし、女性が被害を受けた事実もない。決して怪しいだけで捕まることはないはずなのだが、混乱している彼は、意図しないスキルを暴発してしまった。「死んだふり」である。クマに遭遇したら使うとか聞いた覚えがあるが、実は効果がないうえに逆に襲われる危険性があるのだ。しかし彼は混乱した挙句、思考停止してしまい、まるでオンボロパソコンが、過負荷で機能停止するが如く、思考もシャットダウンしてしまったのである。


けがの功名とでもいうのだろうか。突然ばったりと倒れたお蔭で、あの怪しい動きは、体調不良でよろめいていたことになったようだ。彼が担ぎ込まれたのは交番で、しかも目的のコンビニのすぐ近くと言う奇跡のような幸運に遭遇した。病院に連れて行くという警察官の申し出を、うわずった声で辞退し、彼は交番を後にした。危険物も持っておらず、妙な言い訳をしなかったおかげか、警察官はすんなりと解放してくれた。これが悪の帝国兵士であったなら、水も食事も与えられず、死んで骨になっても牢屋の片隅に転がり、永久に地下から出られることはないであろう。

しかし、彼ははやくも次の試練に遭遇したのである。本来なら、「隠密」と「無音歩行」で裏通りからコンビニの裏手に回り、そそくさと用事を済ませるつもりでいたのだが、コンビニの大通りをはさんで向かい側にある交番に、強制イベント移動をしてしまった為、そこからコンビニへ向かうには、かなり人通りのある、広い道を歩かねばならない。それはすなわち、身だしなみレベルが「不審者」クラスの彼が最も恐れる事態であった。

まず、彼は大通りを観察すると、妙な違和感を覚えた。

「名前がない……それに、あいつらレベルいくつなんだ?」

なんのことやら、一般の社会生活を営んでいる人には、さっぱりわからないだろうが、ゲームの世界では、キャラクターの頭上に、名前やらレベル、職業などが表示されるのだ。もちろん、現実世界ではそんなことはあるはずがないが、年単位でひきこもって、そういう光景に慣れきった彼には、頭の上に何も表示されていないことが、逆に違和感を覚えたというわけだ。そして、味方ギルドのプレイヤーは、その名前の文字色がグリーンかブルーで、敵は赤など、一目でわかるようになっている。なにも表示されていない、現実世界の人間たちは、レベルや職業もわからないばかりか、敵か味方すらわからない。彼は急激に不安を覚えたが、そもそも、現実世界で赤の他人が敵か味方か、などというのがわかるなら、それこそ人生の難易度がずいぶんと下がるだろう。

混乱し、挙動が怪しくなってきた彼の耳元に、玄関を出るときに聞いた謎の声がまたしても聞こえてきた。

「……仕方がないなぁ……」

家を出るときは、ささやくほど小さかったのだが、前よりはっきりと聞こえた。彼はあたりを見回すが、怪しいおっさんに話しかけるものなどいない。それに、なんだか、子供か女の声だったような気がする。

そして、大通りに目をやると、彼の見慣れた光景のそれへと変貌していた。なんと、通りをゆく人々の頭上に、名前とレベル、職業が表示されているのである。

「レベル16、主婦、佐々木晴香」

「レベル18、会社員、大島幸一」

全く知らない通行人の職業と名前が一目瞭然である。文字色が白なのは、敵でも味方でもないということだろう。彼は自分の頭上を見てみた。

「レベル2、無職、佐藤博」

そこには彼の名前と、やはり無職である証拠がはっきりと示されていた。それにしても、レベル2とは低すぎはしないだろうか。あそこの信号待ちをしている主婦ですら、レベル16である。ベビーカーに乗っている赤ちゃんですら、レベル5だ。大の大人が、赤ちゃんよりもレベルが低いというのだろうか。いったい、レベルとはなんだろう?彼の知っている知識から言えば、経験値を一定値まで溜め、ある段階を超えたときに能力が向上する。その回数が、彼は1回しかなく、赤ちゃんは4回もあったということだ。ということは、彼の長い人生において、まだ1回しか成長していないことになる。

レベル2の彼が、レベル16の主婦や、レベル5の赤ちゃんを攻撃したら勝てるだろうか。もちろん、物理攻撃力ならば圧倒できるだろう。しかし、主婦や赤ちゃんは、いわゆる「社会的弱者」であり、彼が鼻息荒く襲いかかろうものならば、周囲の人たちが黙ってはいないだろう。あのレベル18の会社員や、振り返れば、交番の中では、レベル30前後の猛者警察官たちがたむろし、何事か起これば、召喚獣よろしく主婦と赤ちゃんの援護に入り、彼などあっという間に鎮圧されてしまうだろう。そして彼は、犯罪者という絶望的な称号を烙印されて、社会的に抹殺された挙句、永劫、牢屋につながれることだろう。では、逆はどうだろうか。彼が主婦と赤ちゃんのパーティに襲われたなら。女性は物理攻撃力は貧弱だが、最強の破壊魔法である、「この人痴漢です!」が使える。多くの無実の男たちが、主に電車でこの破壊魔法によって狩られてきた。もちろん、実際に被害に遭っている女性のほうが多いのが事実だが、ごくまれに、一部の悪質な女性暗黒魔法使いがいて、この破壊魔法を公共の場で遠慮なくブッ放し、多くのゴールドを得ているという。

どう考えても、赤ちゃんを連れた主婦が、その手の女性暗黒魔法使いである可能性は、極めて低いのであるが、社会性が皆無で、レベル2の彼にとっては、レベル差14もある、そして背後に召喚獣やら、お節介な騎士団が見え隠れする主婦パーティは危険な存在だった。となれば、最短ルートの、目の前にある横断歩道は使えない。彼は「無音歩行」でその場を離れ、やや離れたところにある、もうひとつの横断歩道を目指した。


50m程離れたところに、同じような横断歩道がある。しかも、信号待ちしているのは、杖にすがるようにして立っている、ガリガリで腰の曲がった、しわだらけの爺さんだけである。しかもレベルが3ということは、レベル2しかない彼でも勝てそうな相手だ!しかし、接近するにつれ、その爺さんがただものではないことに気が付いてしまった。昔、小学生のころに、通学路で騒いでいると、「うるさい!」と怒鳴られて、さんざん杖でブン殴られた記憶がある。今なら大問題だが、当時は大人が子供をブン殴るのは躾だったらしい。今、横断歩道のところにいる老人は、そのブン殴る爺さんに違いないのだ。あれから20年以上もたって、さすがのブン殴り爺さんも、年齢には勝てず、昔に比べ、よぼよぼとした感じになっている。問題なのは、今にも倒れそうな爺さんではなく、持っている杖である。昔、さんざん殴られたあの杖を、彼は、レーヴァティン(傷つける魔の杖)と呼んで恐れていた。やたら、黒光りして、頭の方に鉛の重りが入っている。爺さんが手加減しなかったら、本気で撲殺できる危険なシロモノだ。低レベルだが、最強武器。ネットゲーム中毒の彼は、まだ始めたばかりのプレイヤーのくせに、現金の力をもって、山のように課金し、およそレベルに似つかわしくない、ギラギラした伝説級の装備で重武装したヤツを思い浮かべた。往々にして、そういう輩は、マナーが追いついておらず、やたらに攻撃してきたりする。まさに、通りすがりの小学生を血祭りにあげる、この爺さんと全く同じニオイがするではないか。

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