君と白身と。
その日は雪が降っていた。静かな暗い夜だった。張り詰めた空気が緩むことは決してなかった。そう、あの人は、来なかった。
当時、中学生の私たちはクラスメートだった。4月に発作で休んで、出遅れた私は、いつも独りでいた。心細かっただけしれないけど、唯一話しかけてくれた彼がとても良い人に思えた。
出会って1週間ぐらいは、ずっと本の話をしていた。彼もホームズオタクだったから、話題には事欠かなかった。
「あなた、テニスをしたことがありますね。」
最初に言われた時は本当に驚いた。私が読んでいた本がシャーロックホームズだったから、そう言ったらしい。
「どうして?」
と聞くと、彼は少し笑いながら、
「だってさ、腕とか真っ黒なのに顔はそうでもないやろ?これで、色黒じゃないことがわかる。そんなに日焼けするのは、外でするスポーツくらいやし、豆だらけの手になるにはずっと何かを握ってないと。」
「ソフトボールかもよ?」
と私が反論すると、
「袖とか裾の長さ。」
と簡単に打ち破られた。
彼ともっと話がしたくて、買ってもらったばかりで使っていなかった携帯を取り出した。
「メアド、教えて?」
緊張から極めてぶっきらぼうになっていたけど、彼は笑顔で
「もちろん。」
と言って紙に書いて渡してくれた。
それから私たちは毎日やりとりをした。次第に、シャーロックホームズの話から、目覚まし時計が壊れたとか、あのテレビが面白いとか、そう言った日常の話題も多くなっていった。当時はまだLINEなんてなかったし、回線も3Gしかなかったから、届くのに2分ほどかかっていて、それが永遠のように感じられた。くだらない話が多かったのに、メールは待ち遠しかった。
そんな生活が1週間続いたある日、事件が起こった。1限目の体育から帰ってきてみると、確かに持ってきたはずの数学の教科書がなくなっていた。私が途方に暮れていると、教室に戻ってきた彼が
「あったよ。」
と名無しの教科書を差し出してきた。私は名前を書いていたはずだから、
「違う人のじゃないん?」
と言うと、大きな声で
「誰か教科書ない人おるー?」
とクラスに聞いた。
「おらんわ!」
という笑い混じりの声があちこちから返ってきて、
「借りたら?」
と言った。持ち主不明の名無しの教科書。
少し迷ったが、私は借りることにした。
授業が始まってしばらくすると、先生が彼の机の前に止まって、教科書を取り上げた。
「お前はいつから山本になったんぞ。」
と怒られていた。
「忘れましたー。すいませーん。」
「忘れ物したら立っとかんかい!」
「りょうかいでーす!」
謎の教科書は彼のもので、本来なら立たされるべきは私だったと知った。
「ごめんね。」
そう言うと、
「許さん。」
と笑顔で言った。
「え。」
私が困惑していると、
「ごめんよりも、ありがとうがいいなー。」
彼は抗議して、
私がありがとうと言うと、
「どういたしまして。」
そうやって、とびきりの笑顔をくれた。
人のピンチまでも背負いこみがちな性質を持っていた彼は、それを解決する天才でもあった。給食をつぐ係の子がこぼしたときも、
(それも、4、5人前ほどこぼしたものだから全く足らなくなってしまった。)
彼はその容器を持って、休みの子がいるクラスを
「すいませーん。給食こぼしたので恵んでくださーい。」
と駆け回り、10分後に彼は充分な成果とともに戻ってきた。
そんな彼はその持ち前の明るさと、キャラクターから、人気者だった。周りには常に人がいたけど、昼休みには必ず、私と給食を食べた。
「よ、熱いね!」
「さすが夫婦は違うな。」
などと周りが囃したてても、まるで気にしていない様子でいた。私は真っ赤だったのに。
私の誕生日の日、夕食を食べ終わった後、ベルを鳴らした人がいた。
「夜分にすいません、真帆さん呼んでもらえますか。」
彼だった。
「誕生日おめでとう。これ、プレゼント。渡辺が好きそうやなと思って。」
それは目覚まし機能のついた、木のオシャレな置き時計だった。
私は舞い上がってしまって、お礼も言わないままに、
「好きです。」
告白していた。
彼は意外そうに驚いて、
「え、本当に。ちょっと、」
私は彼の言葉を遮るように、
「返事は後でいいです。」
そう言ってドアを閉めて部屋へ戻ってしまった。失敗した。そんなことを言うつもりはなかったのに。彼は困惑していたし、自分は振られるんだろう。そんなことを考えていて、翌朝彼からのメールを見た時は、まだ夢なんじゃないかと、うたぐってしまった。
「急なことでびっくりして、即答できんかった。ごめん。俺、今まで付き合ったりとかしたことないし、全然満足なことできんと思うけど、こんな俺でいいなら、よろしくお願いします。」
そうして、私達は友達から恋人になった。
その翌日、学校で彼が、恋愛成就のお守りをくれた。
「知っとる?近所の神社、互いに異性のお守りもっとったら、長続きするらしいよ?」
それがとっても嬉しくて。
「うん。」
顔がとても熱くなった。
それから、今まで名字で呼ばれていたのが名前呼びになり、朝迎えに来てくれたり、放課後部活が終わるのを待っていてくれるようになった。それがこそばゆくて、
「健郎、変わったね。前よりもっと優しくなった。」
と言うと、
「俺は変わってないよ。真帆の方やって。」
「え?」
「真帆が俺の大切な人になったけんやろ。」
私は自分が幸せの絶頂だと信じて疑わなかった。
文化祭が終わったあたりから、彼と少し距離があるように思えた。彼の延長練習が始まって、時間が1時間もずれたから、私は先に帰るようになっていたが、それ以外にも、朝練だ、ミーティングだなどと、一緒にいる時間は短くなっていった。
お互い初めてだったのがダメだった。
もっと話し合えばよかった。
だけど、私は不安で怖くて、
「避けてるの?」
その言葉を口に出せなかった。
クリスマスが近づいてきて、私と彼は約束をした。当日、街中の石像の前で7時の約束のはずだった。
両親を説き伏せ、(父は無理だったから、こっそりと)そこへと足を運んだ。20分も早く着いてしまって、彼は当然来ていなくて、待っていた。けれど、いくら待ってもこなかった。
「なにか急用?大丈夫?」
すがるようにメールを送った。しかし、返事はなかった。そのことは私に深刻なダメージを与えるには十分すぎていた。
彼のことが気になって、なにも手につかなくなった。成績は落ちたし、レギュラーも逃した。嫌われたかと思うと、食事は味がしなくて、そして鉛のようだった。気がつけば、5キロも痩せていた。
追い打ちをかけるように、彼が友達と話しているのを聞いてしまった。
「なんであいつと付き合っとったん?」
「え、いや、だって告白とかされたことなかったし、付き合ってとか言われたら断れんやん?別に好きじゃなかったけどな。」
認めたくなかった事実は、無慈悲に目の前に現れた。決して嫌われたわけじゃなく、元から好きになっていなかったんだと、ただ、優しい演技が限界を迎えただけだったんだと。幸せは最悪の形でその終わりを告げた。
私とは対照的に彼には全てが上手くいっているように思われた。
冬休み明け、クラスマッチのバスケットボールでは、10得点して、チームを勝たせていたし、なにか事件が起こればたちどころに解決してしまった。いつもの彼そのものだった。
唯一違ったのは、目の下にクマができていたことと、テストで珍しく2桁台の順位だったことくらいだ。それらはまるで、私の苦しみは彼には全く関係ないと証明しているようで、私の容態を深刻化させた。
もう終わっているんだと理解していたが、未練がましくも彼と話がしたくてたまらなかった。納得がいかなかった。ただ一言、
「好きじゃなくてもいいから側にいて」
と、そう言いたかった。
しかし、私は自分がかわいかった。断られたり、拒絶されるかもしれないという事実がそれをすることを躊躇わせた。
一月が過ぎ、二月が過ぎた。時間は私を癒すどころが、苦しめるだけで、彼と話すことへの欲望が、私の中で募っていった。恐怖に欲望が打ち勝ったその日、とうとう私は彼に、話がしたいと申し出た。
意外にも彼はすんなりと承諾し、部活が終わってから近くの公園で待ち合わせた。
「告白したとき、好きじゃなかったの?」
唐突にそう切り出した。
「うん。」
「じゃあなんで……。振るのはかわいそうだとでも思った?」
いっそあの時断られていたらこんなに苦しくはならなかったのに。
「いやだって、かわいかったから。しょうがないやん。真帆みたいなかわいい子に告白されて、舞い上がってしまってさ、好きとか考えたことなかったけど、OKしてしまったんやって。」
「え。」
戸惑いを隠せなかった。彼の好みが自分だと、そう言われて、単純な自分の心がすーっと晴れていくのを感じた。しかし、そうなると、解せないことがある。
「クリスマスの日は?」
そう、彼は来なかった。取り繕ったところで、それは変わらない。
「じいちゃんが、発作で倒れて、連絡せんとって思っとったけど、そんな気になれんかった。」
彼の口調から事態の深刻さが伝わってきたが、それで言及をやめられるほど私は正常ではなかった。
「学校で無視してきたのは!」
言い訳にしか聞こえなくて、思わず叫んでいた。
「だって、休み明け学校行ったら、クラスのやつが、
「渡辺って、別にお前のこと好きじゃないらしいで。頭がいいけん、キープしとるんやってさ。賢くてよかったな。」
って、それで俺、想いは一方通行やったんやって思って。でも、嫌われたくないけん、焦って勉強したけど、結局間に合わずに順位下がってしまって、怖くて逃げてしまった。ごめん。やっぱり今日って、」
彼はの声は次第に遠くなっていき、最後には絞り出すようにして言った。
「俺、振られるん?」
彼は震えていた。それを見て私は、あまり要領のいい方ではなかったけど、全てを察することができた。つまりは、私がいかにクラスメート嫌われているかということだ。その事実を突き付けられたにも関わらず、心は軽くて、
「ぷふははははは。」
思わず吹き出して笑ってしまった。
「え、なに。」
笑っている相手を前にしても彼はまだ怯えていた。そのことがたまらなくかわいくおもえて、
「しょうがないなあ。いいよ、許してあげる。」
そう、言った。なにを許してあげるのか、私にもわからない。逆の立場だと思っていた。彼ははるか高みにいて、私に落ち度があるとかたく信じて疑わなかった。しかしながら違う。彼も同じだった。そのことが何より嬉しくて、今までのすべての不幸を打ち消してなお、私を暖かく包み込んだ。
「ちなみに今は好き?」
「うん。」
「私は好きじゃないかも。」
「え!」
彼が悲壮な声を上げる。
「好きじゃなくて、大好き。」
声にならない声をあげる彼の手を取り、歩き出す。
「え、どっか行くん。」
「クリスマスの続き。」
あの日、私たちは妨害されていたわけだけど、純粋な彼はそれに気づいてもいなくて、ただひたすらに私の元へ来ようとしていた。
「もう、遅刻にもほどがあるよ。」
きょとんとする彼の目は、卵の白身のように透き通っていた。
ご愛読ありがとうございました。
初めて書きました。読みにくいかもしれませんが、お赦しください。
一応、実話に基づいたノンフィクションになります。
私の想像も若干入ってはいますが、登場人物の名前だけ変えて、できるだけ事実をそのまま執筆しました。
好評なら続きを書こうと思っています。
新人なので、ここをもっと詳しく、ここが読みにくい、などアドバイスを感想に書いて頂けると助かります。