②
「・・・そういやさ、最近、子供、多くない?」
「え?」
「滅多に見かけないのにさ、子供。それなのに・・・、なんか、何度か見かけた気がする」
「それ、まだ子供ってだけなんじゃないの? 新しい子供なんて,滅多に増えないんだから、そんなに何回も見かけたりなんてしないだろ? 僕、もうかなりずっと、子供、見かけてないと思う」
「そりゃ、そうだけど・・・、見た、と思う。ってか・・・、あっ、そっか・・・」
「なに?」
「オマエが連れてるのを見たんだよ」
「・・・僕?」
「そう。オマエ。持って歩いてたり、連れて歩いていたりするのを見たんだ」
「・・・僕、知り合いに子供なんていないし、さっきも言ったけど、最近は見かけたことすら全然ないんだけど」
「まぁ、そうなんだろうけど・・・、あれじゃない? 明日以降のオマエなのかも?」
「あぁ・・・、受け取った子供を見たってこと?」
「たぶん。だって、見たのは間違いないんだから、もうそれしか考えらんないだろ?」
「そう、だな・・・」
知らぬ間にぼんやりと取り留めのないことを考えている耳に入ってきた、ぼんやりとした声。
あまり強い芯を持たないその声は勿論、この場にいる自分が以外のもう一人からのもので、ギンが発したそれに、心当たりのない事実を答えるのだが・・・、心当たりがないなんて何の証明にもならないのだから、続けられた会話の結論は当然の結末として、ギンの台詞へのぼんやりとした肯定となる。
時計の針は、『十一時五分』、ほんの少しの考え事と、同じくほんの少しの会話の果てに通り過ぎてしまった、数時間。
まだ、子供は受け取っていない。過ぎ去った時間の中に子供を受け取る時間は含まれていなかったようだ。だから、まだ僕の記憶には子供の姿は存在しない。
ギンが見たという、持って歩いていた子供の姿も、連れて歩いたという子供の姿も、何も分からない。どんな、姿をしているのか。どんな、顔をしているのか。渡される時の光景も、渡しに来た相手と交わしたかもしれない会話も、何も分からない。まだ、訪れていない時。しかしギンは既に何度か見かけたという時。
他者が見かけた以上、きっと確実に訪れるのであろう、時。
受け取りたくなんてない子供・・・、でも、見かけたと告げられたその姿を、少しだけ見てみたい気もする。
珍しく沸いた好奇心なのだろうか? ほんの少しだけ感じるモノではあるが、どれだけ少なかろうと、積極性がある感情を抱くことは珍しかった。ましてや、事態を忌避する気持ちがあるにも関わらず、感じてしまう興味だなんて。
落ち着かない、気持ちになる。自分が少しだけいつもと違うのではないかという微かな疑いが生まれる。否定する要素は見つからない。だから、まるで逃げるように視線を再び、時計に絞る。
『十一時二分』
・・・早く動けと多少逃げを打った思いを抱いていた所為か、時計は進むどころか微かに後退していた。本当に微かな、数分程度の過去。しかし訪れてしまえば未来だろうと現在だろうと、大差は無い。つまり、小さな差だけはあるということだが。
「受け取ったっていうなら・・・、受け取りに行かないとだよなぁ」
「受け取ったのを見られてなくても、受け取りに行かないとだろ。受け取れって・・・、シコウの奴が、言ってるんだろ?」
「誰に言われたか全然分からないけど、まぁ、子供のことだからシコウだろうね」
「じゃあ、行かないと」
「ま、そうだなぁ」
カレンダーと時計を見る。相変わらず、カレンダーは『七月七日』のまま。
目が覚めてから何回も見るカレンダーがこれだけ一定なのは珍しい。時計も、『十一時一分』、また僅かに戻っているが、やはりこれだけの違いで済んでいるのもまた、珍しいと思う。いつもなら、もっとずれていてもおかしくないのに。
やはり今日は自分にとって特別な日となるのかもしれない、と思い当たると少しだけ憂鬱な気がしないでもないので、抱いた思いはすぐさま踵の付近に転がしおく。
そして転がしたモノを踏みつけるようにしてベッドから降りると、一つ、腰の骨が言葉を詰まらせるほど両手を上げて伸びをする。凝り固まっている節々、一体いつから固まっているのか、確認する術はない。興味も、ないが。
「仕方ないもんな」
「行くの?」
「うん、行く。待ってても昨日に戻りそうにないし・・・、シコウが決めたことなら、ちゃんとクリアーしないと、このうだうだした時間が何回でもきそうな気もするし」
「それ、有り得るな。ま、じゃあ、とりあえず・・・、行ってらっしゃい。面倒だろうけど・・・、少しくらいなら、手伝わんこともなし」
「本当?」
「今のところ、だけど。お互い、名前も呼べる、たった一人の友達だしね」
「だな。じゃ、行ってくる」
「はいはい。頑張ってー」
一人暮らしの部屋は、大股で数歩進めば外へ繋がるドアへと辿り着く。後ろからとても簡単な励ましの言葉を貰いながら、力なく履き散らかされている鈍い灰色のショートブーツのうち、小さめの物に足を突っ込む。同じ靴のほんの僅かなサイズ違いの為、気をつけないとついうっかり、ギンのブーツに足を入れてしまうのだ。
物事にあまり強い興味や関心を持ったりはしない僕達だが、他人の靴に足を突っ込むことの堪え難い不愉快は流石に無視出来ない。体温が残っているわけでもないのに、他人の内蔵に勝手にこの身をしまわれたようで、鳥肌が立ちそうになる。
そんな不快な思いをしないように気をつけて選んだ靴に突っ込んだ足の爪先を数回、床に軽く叩きつけて足の位置を整えながら、手は近くのフックに掛けてあるコートに伸びる。これもまた、同じデザインの二着。
不思議と間違っても靴ほどは気持ち悪さを感じないのだが、他人の持ち物を間違って持ち出すという、言い訳のつかない失敗に対する謝罪を重ねる煩わしさを想像すれば、この選択も間違いたくはない。だから、二つ並んでいるコートのうち、少しだけ小さめの方を手にとって、袖に手を通した。
ブーツと同じような灰色の,少しだけ厚めのコートは、装飾的な部分は一切無く、生地でとにかく人体を包む形を作り上げました、という主張しか感じられない、どこもかしこも円筒を思わせる単純な形をしている。
身体の前に着いているジッパーだけが、ある意味においての唯一の装飾かもしれない。防寒はなされるが、個性はないので大きさ以外に他者の物との区別はつかない。
『彼ハ誰』では、服も靴も、同じデザインの物ばかりがある。なんというか、同じ物を作る方が楽なので作られてしまうし、着ている者達も何の拘りもないので、作られた物をただ何となく着てしまうのだ。こうして他の人間が自宅に一緒にいたりする場合は、どちらの持ち物か分かり辛いという難点はあるのだが、しかしそれも大した問題ではない。
そもそもこの『彼ハ誰』では、誰もが自宅で一緒に過ごすほど親しい相手など、一人いれば凄いレベルの人間関係しか築けないのだから。
コートの前のジッパーを閉めれば、準備完了。特に声をかけるまでもなくドアを開けて外に出る。
部屋を出た後で、鍵をかけることはしない。出る時も、特に解錠しなかった。鍵など、中に誰かしらかいる時はかけないし、誰もいなくともかけ忘れることもしょっちゅうだ。忘れたからといって困るような事態が想定出来ないので、真剣に注意して鍵をかけようという意識がどうしても持てず、改善される様子もない。する気すら、ない。
ぼんやりと日々を過ごすだけの、無気力な人間ばかりが住んでるこの『彼ハ誰』では、態々他人の家に入り込んで盗みを働こうなんて気概のある人間はいないし、たとえそんな気概を持つ変わり者がいたとしても、盗んで諸手を挙げて喜べるほど価値あるものなんて殆ど無いのだ。いつなくなっても大して困らないものばかりが部屋の中にある。
・・・というより、何がなくなったところで気にするほどの気力や情熱を持ち合わせていないのだが。
身体の大半を占めるそんな無気力が、背後で閉まるドアの音に感情を増幅させられて、一歩目を踏み出す気力を削いでいく。瞬間的に湧き上がるのは、面倒、帰りたい、知らなかったことにしたいの三点だ。
誰もいない廊下、他に人が出てくる気配のない並びにあるドアを眺めながらぼんやりと回した頭の中では、浮かんだ希望的願望に対する緩やかな計算が走るのだが、当然のことながら、答えは計算する以前から出ている。出ているからこそ、出たくないと思っていた部屋から出てきたのだから。
「・・・っていうか、なんで僕なのかなぁ?」
小さく零した呟きは、誰もいない、ひんやりとした空気が効率よく保存されているこの場所では思った以上に響き渡る。おそらく、空気と共に零す呟きも保存されているのだろうそこを、もう一つ、無言の溜息を零してから歩き出す。フロアーの一番奥に位置している自分の部屋から、階下へ続く階段まで、並んでいるドアの数は二つ。
ただ、中に誰が入っているのか、もしくは誰も入っていないのか、または定期的に入れ替わっているのか、その辺りの状況は全く分からない。並んだドアから出てきた住人を見かけたことが一度も無いのだ。時折微かな物音が聞こえる気がしているので、全く誰も住んだことがない、というわけではないのだろうが。
どうでも良いこと、ではある。だから足を止めることなく進んでいき,二枚のドアを通り過ぎて階段へと到着した。誰もいない階段でも足は止まる必要性を見つけることなく下へ向かって動いてくれる。勿論、引き渡し場所に向かって足は動いているのだ。考えることが面倒で放棄しているうちに、このままならきっとその場所に辿り着くだろう。
・・・辿り着くべき場所が何処なのか、僕は知らないけれど。
二階から一階までの階段は、いつだって白々しい明かりが灯っている。ただでさえ冷たい空気が、居心地の悪い寒さを孕んだような色だ。
何故か常に微かに点滅し、小さな虫が寄り集まって洩らす呟きのようなノイズが聞こえているが、聞こえていない日が訪れない為、聞こえているという認識が殆ど持てないでいる。時折、何かの拍子に耳につくが、それも知らぬ間にまた意識から零れ落ちてしまう。
たぶん、心音と同じだ。これも、聞こえているのに聞こえないし、時折、妙に大きく聞こえてくる。まるで、自分のことを忘れるな、と主張しているかのように。
忘れていたって、何の問題もないというのに。
階段を下りきって、建屋の外へ。目の前には一切の個性を捨てた道が延びている。アスファルトを延ばした、大人が両手を伸ばして二人横並びしたぐらいの道幅。一旦立ち止まって何となく見上げた先にあるのは、『彼ハ誰』に相応しい、はっきりしない曖昧な天気。薄い雲が満遍なく広がっていて、その雲が幕を下ろすように辺り一帯も薄く白い。
廊下で感じていたようなはっきりとした寒さは和らぎ、代わりに、ぼんやりとした寒さが満遍なく全てを覆っている。羽織ったコートの前をきっちり締めていても、何故か何処かが足りないように寒い。ぽっかりと、コートの中が空いているような予感。踏み出される足は行き先を知らずとも戸惑いなく突き出され、何もなくとも踏み出せる事実に、安堵のような諦めの溜息が口から零れる。
そして零れた溜息を賛同と判じたかのように、足は交互に踏み出され続ける。ゆっくりと、しかし淀みなく、けれど決然とした意志は一切持てないままに。視線は、足下。踏み出される足を、他人事のように眺めている。
一体何の動力で動いているものなのか、永遠に近い謎を解こうとでもしているかのように、呆然とした眼差しで見つめている。
・・・が、それは勿論、眼差しだけの話だった。本当は、何一つ考えていない。ただ、視線を上げて歩いてしまうと、ごく稀に擦れ違う『誰か』を見かけてしまうので、それを避ける為にも、外を歩く時は出来るだけ下を向いているようにしているのだ。
もし『誰か』を見かけて、もしその『誰か』が自分の知っている『誰か』に似ていると思ってしまったら、もしくは相手がこちらを『誰か』と似ていると思ってしまったら・・・、それなのに、僕も相手も、お互いが浮かべた『誰か』でなかったとしたら・・・。
外で出会う『誰か』が自分の知っている人かもしれないなんて、この『彼ハ誰』では勘違いの可能性が高いし、たとえ勘違いでなかったとしても、自分の思う人なのかどうか、擦れ違うだけ、少し見かけるだけでは判別がつかない。
おまけに勘違いしたまま声を掛け合っても、声すらも曖昧に聞こえるのだから、それすらも信用出来ないのだ。だから、意味の無い疑問を持たないよう、行動をしないで済むよう、初めから誰も見つけないように歩くのが、この国の常識でもある。
たとえすぐ傍にあっても、相手が誰であるのか分からない。擦れ違う人が誰であるのか判別出来ない。交わす言葉が自分が思っている相手とのものなのかすら、保証されていない。────そして、たとえ何も分からずとも、認識が間違っていようとも、間違ったまま,全てが流れてしまう。流されて、しまう。
『彼ハ誰』ではこれが日常で、当然の事実だった。
・・・当然、なのに下を向いて、その当然の事態が訪れないように気をつけてしまうのは何故なのだろうという疑問が、ふと、脳裏に零れていく。いつも気になるわけじゃない。少なくとも、記憶にある昨日にはこういった疑問を抱いた覚えはなく、予想ではあるが、記憶にない明日にもこういった疑問を抱く余地はない気がする。
それなのに、今は少しだけ、気になる。珍しく,気になる。この『彼ハ誰』のごく自然な在り方に疑問を抱く余地なんて、何処にもないはずだというのに。抱かなくて良い疑問。それを抱えながらも、足は自然に進み続ける。何処か、たぶん、僕もよく知らない約束の場所に向かって。
『シコウ』から下されたこの決定が、いつもと違う僕を生んでいるのかもしれない。
じっと動く両足を眺めているうちに、有り得そうな一つの可能性を思いつく。今までの自分と違う点。これからの自分を変えてしまう点。これがきっと、今までに無い疑問を抱いてしまう要因なのではないかと、そんな可能性。子供、子供、子供・・・、シコウ、シコウ・・・、『シコウ』によって引き受けさせられる、『子供』。
生まれる子供なんて、見たことがない。どんな姿をしているのかも、知らない。子供、子供、子供・・・、この手に、受け取るべき子供。欲しいだなんて、一度も思ったことがない、子供。子供、子供、子供・・・、
「私に、譲ってください」