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而ノ迷 ひらける名の草花  作者: 東東
1,絞める・触々る・まだ絞める
2/20

 ────痛みと苦しみ、絞まる首に一番強く感じているモノがどちらなのかは、今日も判別出来ない。


『七月七日:八時二十六分』


 壁にたった一つの主張のように掛けられたカレンダーと、そのカレンダーへの挑戦、もしくは共闘でも示しているかのような壁掛け時計へ視線を向け、本日、只今の日付と時間を確認する。

 お目出度い数字が二つ並んだ日付に、何の意味づけも出来なさそうな時間が示されていたが、別にカレンダーに並んだ数字がお目出度かろうと、刻まれている時間に何の意味づけが出来なかろうと、特に何かに困るわけでもなく、何か影響があるわけでもない。

 ただ、落ちていたらしい眠りから覚めるとほぼ自動的に行ってしまう自分の行動に、その確認作業が含まれているだけだ。定まる日なんて永遠に訪れない『今』というモノをとりあえず仮定して、目が覚めたばかりの自分の現在地を確定させる為だけの行為。

 それは目が覚めてすぐ、視線が現在地を探すより先に伸ばした自分の両手が、繋がった根元から続いているはずの首に絡まるのと同じような意味合いの行為でもある。


 喰い込む爪と、押しつけられる指先と、全身に廻る震えと、


 いつだって、意識しないままに最初に絡むのには左手で、その上に僅かに重なるようにして右手が絡む。絡んだ先の首に最初に喰い込むのは少しだけ伸ばしてある爪で、これは長すぎると痛みだけが特出して感じすぎるし、短すぎると痛みが圧迫感に打ち消されてしまうので、ぎりぎりの感覚が残るような長さに揃えられている。

 おそらく、髪の毛十本ほどの厚さ。これはこの身体の中で、唯一にして尤も気にしている部分だ。他に気にかけている部分など一つとしてないし、また、その必要も無い。指の腹がもたらす圧迫感も、痛みと苦しみも、何も気にせずとも感じることが出来るのだから。痛みと苦しみ。痛みと、苦しみ。与える、痛みと、苦しみ。


 詰まる息、

 溢れる涙、

 霞む意識、


 ・・・『コレ』は、今日もここに在る。


「灰茶」

「・・・ぅ、あぁっ、はぁっ」

「起きたの?」

「・・・はぁっ、はっ・・・、ぅ、ん」

「おはよう」

「は、よ・・・」


 目が、覚めた。

 目が覚めたことを、自覚した。向けられた呼びかけを合図に締めつけていた首から強張っている手を放し、痛みで流れる涙をそのままに、苦しみで切れる息を必死に空気を取り込むことで整える。合間に、淡々とかけられる答えの分かりきっている問いや、特に必要の無い挨拶にも応える意思を見せながら、更に空気を取り込んで、簡単には整わない呼吸をそれでも徐々に整えた。

 耳鳴りが、する。心音が、煩すぎる。

 呼吸が少し落ち着けば、途端に聞こえてくる諸々の音。何度でも繰り返す一連の行為のうち、この煩さだけは慣れないし、微かな不愉快を感じる気がする。騒がしさとは無縁のこの国にあって、煩わしいほどの音というのは慣れる日が来ないモノなのかもしれない。尤も、順番なんて言葉の意味が曖昧なのだから、たとえそんな日が来たとしても自覚することも出来ないのだろうが。

 ・・・自覚、自覚、自覚。無理に、決まっている。意味が無いに、決まっている。自覚、自覚、自覚。無理だろう。だって、自覚なんて強い形、今日も昨日も明日も、この曖昧でぼんやりとした国でお目にかかることなんて、滅多にない。


 この、何もない国────、『彼ハ誰』では。


「・・・これ、だけだよねぇ」

「ん?」

「これ・・・、」

「あぁ、それ? 灰茶のお目覚めの儀式?」

「別に・・・、儀式ってわけじゃないけど・・・」

「そうなの? でも灰茶、起きる度にそれ、やってるじゃん。謎の儀式だと思ってたんだけど?」

「儀式っていうほどのことじゃないよ。日課? 癖? ・・・うん、なんか、そんなの」

「日課、ねぇ・・・、まぁ、刺したりする人もいるって話だし、他にも同じようなこと、やっている人がいるかもだけど」

「いると思うよ、たぶんだけど。だって、普通にしててもぼやってしてるけど、目が覚めた時なんて、曖昧通り越して自分が形のある生き物だってことすら分からないぐらい、ぼんやりするだろう? だから・・・、ここに自分は在るんだって確認しないと、起き上がれないよ」

「確認出来なくても、いなくなることはないけどね。自分が生き物だって忘れたって、皆、生きてるんだし」

「・・・ま、それもそうだけど」


 耳障りな音が収まり、交わしている何も変わることのない会話に一旦の区切りがついたところでゆっくりと起き上がる。まだ、身体と世界の境界が曖昧で、自分の現在地がぶれている感覚が身体の端々に残ってはいるが、境界をきっちりと引く方法はこの国にはないので、この程度の曖昧さは当然の許容範囲だ。

 そうして横たわっていた一切の特徴がないベッドから足を下ろした形で座り直すと、一時的に血の流れを断たれた所為か、冷たく固まった首をまだぼうっとする頭を回すことで解していく。首から繋がる肩も凝り固まっており、強く引き上げては下ろす、という動作を繰り返すことでこちらも解す。小さく鳴る、骨の音。身体の中に微かに響くそれが本当に骨が奏でる音なのかどうかは、勿論、知らない。

 もう一度、視線を壁に投げかける。カレンダーと時計が掛かった壁に。カレンダーは先ほど変わらず、『七月七日』を示している。時計の方は、絶えず動き続ける針が、先ほどとは違う場所へ移っていた。『七時三十六分』、起き上がるには少しだけ早いか、もしくは多少遅いかの二択、どちらでも選べそうな時間。


 ────子供、だ。


「忘れてた・・・、ってか、今、思い出した・・・、の、かな?」

「何が?」

「いや、あのな? たぶん、今、思い出したんだけど・・・」


 子供を受け取るんだった、


「すっかり忘れてた。・・・まぁ、たぶん、忘れてたんだと思うけど」

「子供って・・・、マジか」

「マジマジ、大マジ。受け取れって言われたんだよ。僕が受け取れって、さ」

「うわー・・・、そりゃ、ご愁傷様」

「ご愁傷様って・・・」

「いや、だってご愁傷様だろ? そんな、子供だなんてさぁ・・・、だって、受け取れってことはそのまま育つまで受け持てってことだろう? そんなの、絶対面倒くさくて大変に決まってるんだからさ」

「まぁ・・・、そう、だよなぁ・・・」


 きっぱりと、成された断言。曖昧な、覚束ない肯定。脳裏に思い出した事実を受け取った光景を呼び出しているのだが、いつもと同じように・・・、否、おそらくいつもと同じように、呼び出す光景は蘇らない。一体いつ、どんな状況で、どんな人物に告げられたのか、映像としての記憶は何一つ、浮かばなかった。ただ、告げられた絶対のソレだけが残っている。

 子供を、受け取ること。新しい、子供。新しく、この『彼ハ誰』の住人となる子供。独り立ちするまで、子供が子供ではなくなるまで、その子供を引き受けるということ。

 それが一体どれだけの期間に渡るのか、全く想像がつかない。受け取った後すぐに大人になるのかもしれないし、もっと幼くなってしまうかもしれない。大人になったと思ったら、次の眠りの後には子供に戻っている可能性だってある。

 行きつ戻りつしつつ、失われた意識の後の時間が何処に辿り着くのか分からないのだから、体感としての時間がどれくらいになるのかは想像もつかないのだ。

 本当に、面倒なことになった。まさか子供を受け取る役を自分が受ける羽目になるとは、想像すらしたことがなかったのに。今まで一度として子供なんて存在について考えたことはなかったが、しかし漠然と、子供を受け取るのは人間が出来ている人、人格的に尊敬を集めるような人なのだろうと思っていただけに、人間がひと欠片も出来ていない自分が選ばれたこと自体が、想像もつかないほどの謎だったりする。

 ・・・引き受けたくない。決して引き受けたくないのだが、引き受けざるを得ない。どんな人物が子供の引き渡しを語ったのかは分からないが、語ったであろうその人物がどういう存在なのかは誰に聞かずとも自明なのだ。

 子供を連れる者、子供を引き渡す者、そんなことが出来るのは、そんなことが許されている者は、この『彼ハ誰』の人間ではない。


 ここは、何もない国。何も与えられていない者達の国。


 そんな国の住人が子供を与えるなんて役目を負えるわけがないし、全てを与えられているという国、『誰ソ彼』の住人ですら負えないのだ。与えられ尽くしているというその国の住人が、人間が持てる全てを与えられてるという国の者が、もう持ちきれない手で更なる役目を与えられるわけがないのだから。

『朝』でも、『夜』でもない。あの二つの国は、偏りすぎている。全く無いわけではなく、全てがあるわけでもなく、ただ、ないモノは全く無く、在るモノは有りすぎている。そんな偏りすぎた国の住人に、他の国の住人を増やす役目は負えないのだ。

 この『彼ハ誰』や、『誰ソ彼』と同じように。負えるのは・・・、他の国の住人を増やすなんて重要な役目を負い、全う出来るのは、『彼ハ誰』『誰ソ彼』『朝』『夜』の四国の住人ではない。


 ・・・『シコウ』の住人だ。


 四国全てを、しいてはこの世界全てを管理、調整するあの国だけが、あの国の住人だけが、国の存続に関わる重要な役目を負うことが出来る。

 他の四国の住人のうち、誰一人として足を踏み入れたことのない、どんな国なのか良く分かっていない、その国名が正式にどのような字で表されるのかすら知らない、呼び方だけを伝えられ、各国で勝手な字を当てているようなあの国だけが、あの国の住人だけが・・・、


 僕に、子供を受け取ることを強要できるのだろう、


 拒絶は、出来ない。

『シコウ』が、『シコウ』の住人が下した決定を覆したり拒絶することは、この世界に住まう者達には、『シコウ』の者達が運営する世界で生きている僕達には、決して許されていないのだ。何故、『シコウ』がそういう役割を持つ国なのか、何故、他の国は今の在り方をしているのか、知ってる者は、何処にもいない。

 少なくとも、四国の中にはいない。管理する側である『シコウ』の人間ならば、何か知っているのかもしれないが・・・、僕らは、知らない。何も、知らない。いつの間にか、与えられた知識以外には、何も。


 ────子供は、『シコウ』で生まれ、『シコウ』の住人によって、それぞれの国に齎される。


 一切を与えられない国・・・、『彼ハ誰』。

 全てを齎されている国・・・、『誰ソ彼』。

 女を失った男だけの国・・・、『朝』。

 男を捨てた女だけの国・・・、『夜』。


 そして、全てを管理、調整する国・・・、『シコウ』。


 この世界にある、四つと、一つの国。

 その中で、『シコウ』の話は噂に聞くことが多く、真偽の程が定かでないものばかりだが、それでも幾つかは確実な話がある。子供は『シコウ』で生まれ、それぞれの国に相応しい子供が生まれたら、その国の誰かを指名し、生まれた子供を渡しに来る。

 今回、僕が新たな子供の引き渡し先として指名されたように。・・・ちなみに、何を基準にその指名相手を選んでいるのかは不明だ。抗議すれば他の人に変えてくれるのかどうかも不明。そもそも子供が齎されること自体が滅多にないし、『シコウ』の人間に何かの抗議をするなんてチャレンジャーな人間はもっと滅多にいないだろうから、永遠に不明なままの可能性が高いだろう。

 ・・・そう、『シコウ』の人間の機嫌を損ねるかもしれない言動をする人間は、話にすら聞いたことがない。本当にいないのか、そんな無謀な人間は存在しなくなっているのか、どちらなのかは分からないが、とにかく話にすら聞かないのだ。

 世界の管理や調整を行っているという彼らの行動は他の四国の誰もが知らないことが多々あるのだが、それを問う者すら殆どいないだろう。四国を支配的に管理しているのだから、皆、彼らには下手に関わりたくないのが本音なのだ。関わりたくないし、目をつけられたくない、ということ。

 ただ一つ、どの国の人間も入る術を知らない国、ただ一つ、他の四国全てに自由に入れる国。

 あの特別な国の住人以外は『シコウ』に入る術を持たないし、他の四国は、基本的に入れる国は他三国の内、たった一つしかない。その国ですら、滞在期間も決まっていれば、訪れる術や回数も決まっていて、自由に他国で過ごすことは叶わないのに・・・、『シコウ』だけは違う。一体あの国が他の国と比べてどれほど無制限でいられるのか、これもまた、全くの不明だった。


 ・・・別に、だからといって物凄く知りたいのかって聞かれたら、そうでもないんだけどね。


 小さく胸の中で零す呟きは,別に知ることが出来ないが故の負け惜しみではない。正真正銘の本音、その一部なのだ。子供なんて受け取りたくないし、その子供が成長するまで身柄を引き受けるのも面倒で、出来るならば一切をお断りしたい。

 だからそういったことを『シコウ』の人間に訴えられるのかどうかが個人的に気になっているが、それだって自分が受け取り人に指名されてしまったから思うことであって、もし関わり合いになることがないのなら、『シコウ』がどういう国で、その国の人間がどういった存在であるかなんて、僕にとっては正真正銘、どうでも良いことでしかないのだ。

 そして他の三国の人間がどうかは分からないが、少なくともこの『彼ハ誰』では、殆ど皆が僕と同じ程度の関心しかない。『シコウ』だけではなく、他の三国にもさして興味は無い。むしろ、自国にもそこまで深い関心は持っていないし、更に言えば、自国どころか、自国民、もっと言えば近場の人間達・・・、否、近場どころでもなく、自分自身にすら関心らしい関心は持っていない。

『彼ハ誰』では、皆がそうだ。誰も、強い関心が持てない。何も、強い感情が抱けない。ぼんやりと、曖昧に緩やかに全てを認識して、ぼんやりと日常を過ごしている。

 起伏のない日々を、起伏なく受け入れている。自分と他に対する境界線も曖昧にしか認識出来ないのだから、これはもう、仕方がないことだったし、別にそれで不満を覚える者もいない。起伏がない日々に、今の僕のように突然の起伏をつけられることの方が、逆に不満を覚えるうくらい・・・、起伏のない日々を曖昧に享受しているのだから。

 この国は、ある意味とても平和なのだ。誰も、明日にも昨日にも今日にも特に関心を覚えないので、強い感情もなく受け入れ、諾々と過ごしていける。

 だから何か騒ぎになるような行動を起こすことはないし、他の日と違う行動を取ろうと思うこと自体ない。揉めごとや騒動なんて殆ど話に聞かないくらい起きないし、当然、犯罪なんて辞書にその単語が残っているだけというぐらい、この国では必要とされていない単語だ。つまり、そんな単語を使うような事態が起きない、ということ。


 微睡むだけの国、それがこの『彼ハ誰』だ。


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