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而ノ迷 ひらける名の草花  作者: 東東
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18/20

「・・・命、だから?」

「何がですか?」

「命が、生まれるから・・・、命を、受け取るから・・・、だから僕は、こんなにも、不安定だったんですか? この国から、『彼ハ誰』から、剥がれ落ちそうになっていたんですか?」

「命なんて重いモノを受け取ることになったから、不安定になったのかと、そうお尋ねなのですか?」

「違うんですか?」

「半分合っていますが、半分は間違っていますね」

「はん、ぶん・・・、」

「確かに、命なんて殆どの人が生涯受け取らないような重いモノを受け取ることになって、安定を欠いていた部分もあるのでしょう。ですが、アナタは『彼ハ誰』の人間、全てを曖昧なまま受け取れる国の住人です、その事実だけでこれほど不安定になることはありませんよ。アナタが不安定になったもう半分の・・・、いえ、最大の要因はね、先に言った通り、その子が『誰ソ彼』の子だからです」

「どうして・・・、『誰ソ彼』の子を、僕に?」


 洩らす、問い。洩らされた問いを耳で聞き、初めてその問いの意味を知るような問いを、まるで問いかけている僕よりよく知っているように『シコウ』の人は問い直す。直されたそれをまた聞いて、改めてその問いを認識する僕に、その人は微かな笑みを唇に刻んで語り続ける。

 ・・・顔は、その容姿は未だに良く分からない。膜が阻むその容姿を知る機会はきっと一生ないのだろうと、何故かその時、どうでもよい確信をしていた。同時に、刻まれた笑みの形に、目が覚めるような心地になる。

『シコウ』の人間でも、笑みを持っているのか、と。僕の中で『シコウ』の人間が同じ人間に分類されていなかったこと、笑みという、感情的な動きすら持たないのだと思い込んでいた、その事実を突きつけられた気がして。

 とても酷い思い込みをしていた、その事実に動揺を覚えながらも、口は別の形を刻んでいた。刻んだ途端、増したような気がする掌の温かみに懐かしさに似た痛みを感じながら。


「アナタの、子供だからですよ」

「・・・え?」

「『彼ハ誰』の住人になれる、誰かの子供をお渡しするのではないのです。アナタの子供を、アナタにお渡しするのですよ。だから、『誰ソ彼』の子なのです」

「だからって・・・?」

「アナタの子供は『誰ソ彼』の住人なのです。だから、アナタの子供をお渡ししようとすれば、『誰ソ彼』の子を・・・、その子を、お渡しすることになるのです」

「あの、よく、意味が・・・」

「そして、アナタは受け取ることを受け入れた。その子は、アナタが受け入れることを受け入れた、アナタの子供です。アナタの子供を、私がアナタにお渡しすることを決めた・・・、いえ、お返しすることに決めた子供です。これで、アナタは変わる、私は、その兆しを見られた。・・・私は、もう、これで満足しないといけないのでしょうね」

「アナタは・・・、」

「こんな、嫌々満足しました、みたいな態度は良くないですね。・・・ふふっ、えぇ、心の底から・・・、」


 私は、もう、満足です、


「ありがとうございます」

「いえ、あのっ、」

「勝手なことをしてしまったこと、申し訳なく思います。本当に・・・、でも、きっと・・・、」

「きっと?」

「・・・時間、ですね」


 時間、その単語の意味を脳で理解するより先に、目の当たりにすることになった。否、そうではない。脳で理解出来ないほど、目の当たりにした光景が強烈すぎたのだ。時間にしてみれば、大した重なりになるとも思えないほどの時間だったのだが。

 耳が何かを拾った覚えはない。だから、音はしなかったのだろう。しかし目の前では何か、硬質なモノに入る皹のようなモノが『シコウ』の人の全身に入ったかと思うと、皹はすぐさま広がって・・・、割れて、崩れるのだと、陶器を床に叩きつけたような様が広がるのだと、その光景が目の前に浮かび、重なりかけたその次の瞬間には、重なりかけた光景ごと、全てが崩れ去ってしまう。

 割れた、のではない。崩れたのだ。砂で造った人型が、一粒ごとの砂に還るかのように。


 さらさらと、全てが消え去っていた。瞬きすら、必要とせずに。


 ・・・何も、残らなかった。割れた破片すら見ることが叶わなかった。一瞬たりともその欠片を残すなんて許さないと言わんばかりに、消えて。

 そっと見下ろした地面にも、当然、何も残っていない。瞼の裏のその姿すら、元より曖昧な形でしか映していなかった所為で、本当に映っていたのかどうか、自信がなくなるほどに消え始めている。

 死んだ、のだ。おそらく、決定的なまでの死が、訪れた。本人が語っていたように、重い罰として下された死。だからこそ、消えて、でも、完全に消えることはないのだと悟る。他の死のように、綺麗に消え去ることは許されないのだ。この死は、罰だから。

 下された罰であるが故に、崩れ去った肉体は・・・、『死体』になるのだ。それが、今は何故か、とても当然のことのように分かる。この世界には本来存在しない『死体』は、罰によって生まれ、そしてやがて晒されるのだ。


 刻まれる、今より後か、先の、僕の目の前に。


 身体は、脳からの命令を待つことなく、ゆっくりと動き出す。初めて立ち上がる、生まれたての何かの動物のような覚束ない仕草で立ち上がる自分の様に、人間だって動物なのに、動物じゃないと思っているんだな、と他人事のような感想を抱いて、少しだけ笑いそうになる。

 洩れそうになるその笑いを堪えた所為で震える身体は、立ち上がろうとする動きの邪魔になり、掌に包み込んだままの命を握り潰さないようにいっそう注意する羽目になる。この掌の存在は、絶対に潰すわけにはいかないのだから。

 息を詰めるような注意を払って立ち上がると、自然と耳を、目を、意識を周りに向けていた。不思議と、何も聞こえない。どこか現実味を失った記憶では、判然としないざわめきを洩らしていた草木の声が、耳に煩く聞こえるようになってしまっていた気がするのに、今は何も、聞こえない。昔から聞こえていたざわめきすらも一切聞こえず、自分と、もう一つの心音だけが耳を塞いでいる。

 目も、意識も同じことだった。何も、捉えられない。前方には全てが消えてしまった事実しか映らず、左右を見ても、何もない、いつも通りの『彼ハ誰』の景色が続くだけ。

 薄暗い膜が広がり、曖昧なままに世界が広がるだけの国。コンクリートの地面が続き、何故かざわめきすらも聞こえなくなってしまった草木が所々に点在し、目を凝らせば膜の向こう側に似たような建物がひっそりと建ち並ぶ、ただそれだけの光景。


 ────『・・・』、


 振り向いたのは、聞こえたからじゃない。見えたからでもないし、何かを感じてすらいなかった。でも、それなのに振り返った。振り返らずにはいられなかった。形にならずとも、理解出来ずとも、その行動を強いられたのだ。強いられ、そして従いたいと思ってしまった。思わせるだけの何かが、そこには在ったのだろう。

 振り返る、上半身を捻るようにして、視線の向きを変える。真後ろ。今まで、視線が向かっていなかった先。振り返り、捻られた身体に抗議されたかのように上半身だけではなく、身体ごと向き直り、見えていた世界の前後が入れ替わった先に広がる世界が、今までの世界と変わっているわけではなかった。

 相変わらず、膜は払われることもなく、『彼ハ誰』は『彼ハ誰』として在り続けている。その点に、一切の疑いを挟む余地はない。余地は、ないが・・・、世界以外なら、国以外なら、全ては変わってしまっていたのかもしれない。

 もしくは、変えてしまったのかもしれないが。


 変わらない世界の中に、全てが変わってしまった姿として、佇んでいる存在が、そこに。


 オレンジ色の柔らかい猫毛、

 ピンク色を一滴混ぜたような赤い瞳、

 目鼻立ちがはっきりした線の細い美しい顔立ち、

 細いのに全体的に幼い丸みを帯びた愛らしい雰囲気、


 薄暗い『彼ハ誰』の膜が幾重にも充満する中、それらの膜が一枚も意味を成さないほどはっきりした姿で、その子は佇んでいた。

 この国の、他の誰の瞳にも見たことがない鮮やかな色の大きな瞳を真っ直ぐに向けて、瞬き一つせず、ひたすらに、他にこの世界に存在するモノなんてないのだと言わんばかりの一途さでもって、僕を見つめている。

 剥き出しの白く、細い腕と足。纏っているのは見たこともないような、一枚の布の真ん中に首を通せるだけの穴を開け、そこに首を突き入れたような簡単な形をした服だけで、裸足で佇む姿は、一歩間違えば見窄らしくも見えただろう。

 しかしその簡素な服の色があまりにも鮮やかな、それでいて柔らかな白を混ぜ込んだようなピンクをしている所為で、その華やかな色合いが見窄らしさをひと欠片だって近づけない。服の裾から零れている手足の白さすらアクセントのようで、向けてくる瞳の強さがなければ、人形でも置いてあるのかと思うほど、現実味を欠いていた。まるで、先の光景のように。

 僕の腰にようやく届く程度の身長。つまり、小さな、小さな、まだ自分の全てを自分一人の責任では背負えない年齢に見えるその子は、じっと見つめ返すしかない僕の目の前で、細いその足を一歩、踏み出してくる。

 それこそ人形のような細さで自分の身体を支えて動く様は、見ているこちらに緊張を強いるほど危なげで、しかしも不用意に手を伸ばせないほど、不安を覚えるものだった。一瞬でも目を逸らせば、その間に倒れてしまうのではないのかと、そんな疑いすらもって見つめていると、ふいにその鮮やかな瞳が一つ、瞬きを告げる。一つ、また、一つ、と。

 何かの合図のようだと、漠然と思う。何かの合図だとして、一体何の合図だろうとも思う。何の合図か分かったとして、それは誰に当てたものなのだろうとも思う。思って、けれど本当は分かっていた。いくら何を思ったところで、きっと事実は一つだ。

 この場で、この合図を受け取るべき人間が僕しかいないという事実、ただ、これだけ。


 ふと、見下ろすと・・・、掌に大切に抱えていた花は、消えていた。

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