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而ノ迷 ひらける名の草花  作者: 東東
4,絞める・叫々ぶ・まだ絞める
15/20

 今は、何時、なのだろう? それが、どうしても気になって仕方がない。目の前では、執拗に拒む『女』と、執拗の望む『男』の姿。伸ばされた『男』の手は『女』の拒絶をとうとう破り、その細い両肩を鷲掴む。『女』は『男』の手を振り払う為、とうとう僕から手を放し、『男』の胸を渾身の力で突き飛ばす。

 それでも離れない『男』の身体、それでも諦めない『女』の手。


「せっかく『男』に生まれたんだから、一度くらい『女』とヤッてみたいんだよっ! いいだろう? だって俺、『朝』の『男』の中でも絶対凄い方の『男』なんだって! それなら『女』を得る資格、絶対あるんだから!」

「そんな勝手な資格、あるわけないでしょう!」

「あるって! なぁっ! いいだろう? 『男』同士よりも、『女』同士よりも、『男』と『女』でやった方が、絶対気持ちいいって話なんだよっ! 俺、一回でいいから『女』とヤッてみたいんだって! アンタだって、気持ち良くなれるんだから・・・」

「私はそんな下らないことをやる為にここに来たんじゃありません! 私は『女』として、子供を得て育ててみたいと、その為に・・・」

「子供? なんだっ、だったら一石二鳥じゃん! 『男』の俺とやればいいんだろっ? なぁ、だったら俺としようぜ!」


 ・・・あぁ、そうか。そうだった。


 知ってはいたが、全く意識したことのない知識が目の前で繰り広げられる会話・・・、というより、噛み合わない叫び合いのようなそれで、今、たぶん人生で初めて意識された。

『男』と『女」、そして『子供』。

 そうなのだ、僕達、『彼ハ誰』の人間には全く意味の無い知識ではあるが、事実でもある知識。本来なら出会うことのない二種類の人間、でも、出会うのなら、出会って、望むなら・・・、叶う、かもしれないこと。


『子供』、だ。『子供』、本来なら、『シコウ』から齎される存在。


「もうっ、私は誰ともしたくないし、やらないわ! 『男』なんて欲しくないっ、『女』だって、もう、欲しくないわ! 私が欲しいのは、子供だけよ!」

「だから、俺が子供をやるって言ってるじゃん!」

「要らないわ! 『男』との出来る子供なんて、要らない! そんな汚らしい子供ではなくて、綺麗な子供が欲しいのよ!」

「汚いってなんだよっ、意味分かんねー! ってか、もうどうでも良いから、やることやろうって!」

「煩い!」


 叫び合いは、益々強くなる。目の前で掴む手も、振り払う手もその力をいっそう強めている。互いの主張を曲げることなく、互いの主張を聞くことなく、ひたすらに自分の意志だけを高らかに叫ぶ。それだけが、全て、それだけが、絶対。そう、言いたげに。

 噛み合わない会話、触れ合っているのに擦れ違うモノ、出会うことを許されていなかった存在達は、もしかすると奇跡的な何かで出会ったのかもしれないのに、どうしても分かり合えないのか?

 疑問が、浮かぶ。今まで全く考えたことがなかったくせに、目にしてしまえば抱かずにはいられない疑問。苦しいような、もどかしいような、哀しいような、虚しいような、感じる必要の無いモノを抱きながらも、どうしても思ってしまう、疑問。

『男』と『女』、出会っても、手を取り合えない者達。争うだけの、者達。


 この世界で、唯一、『子供』という『命』を自らの力で作り出せるはずの組み合わせなのに。


 ・・・無駄、なのかもしれない。

 ふと、そんな気持ちが胸に落ちる。何が無駄なのか、主語も分からぬままにただ全身の力が抜けるように、それだけを思う。何か、期待が砕かれたかのような、努力が無駄になったかのような、説明しがたい感情だ。目の前で揉めている二人に、何かを怒鳴ってやりたい気すらする。何を怒鳴りたいのかさえ、分かるのなら。

 目の前の、二人。この国には全くそぐわない、艶やかで鮮やかな、色のついた二人。僕達、『彼ハ誰』の人間より明らかに多くを持つ者達。漠然と、多くを持ち、世界に艶やかに存在する者は、何にも囚われることなく自在に在れるのだと思っていた。・・・いや、思っていたというより、今、そうではないのだと突きつけられて、思ってしまった、というべきか。

 多くを持つから多くの選択を持てる者達は、しかし複数の選択肢に囲まれて、こんなにも、こんなにも・・・、不自由だった。対になれるかもしれない存在に出会っても、分かり合うことなんて出来ないし、並んで語り合うことすら出来ない。ただひたすらに、お互いの主張をぶつけ合うだけ。ただ、それだけ。


 ────互いの名を、呼び合うことすら出来ないで。


「いいからっ、早くやらせろよっ!」

「触らないでっ!」


 叫びを、それ以上見ていることが出来なかった。その気持ちが、目の前の全てから視線を背けさせ、何処を見ようという意識もなく、視線を左手へ向ける。

 何の変わり映えもしない、『彼ハ誰』の町並み、その、一角。どれも同じに見える建物へ向かうはずの視線は、予定通りそこへ向かい、並んでいる違いの分からない構造物を眺めて・・・、あるはずのない、違いを見咎める。


 ひらひらと、靡く色。

 小さいのに、異様に目立つ色。

 並んでいる変わり映えのしない、くすんだ色の壁に、一点の、鮮やか過ぎる染みのような色。

 赤。

 艶やかな、赤。

 目の覚めるような、赤。

 一切の不純物を認めない、赤。

 その、赤が・・・、一点、そこに。

 壁に、壁に、壁に、


 何故か一葉だけ伝う、小さな、小さな、一葉。


 風もないのに、微かに揺れる赤。

 今にも壁から吹き飛ばされ、宙に舞い、地に落ちそうな赤。

 まるで、ひたむきに自分の存在を訴えているかのような、赤。


 赤、赤、小さな、まだ生まれてもいない、赤、


 走り出さなくては、

 手を差し伸べなくては、

 地に落ちるその身を受け止めなくては、


 はっきりと、それだけが分かっていた。でもそれなのに、足が動き出さない。確信が強すぎて、身体を逆に縛ってしまっている。

 衝撃が、動き出す切っ掛けを踏み潰して、息すら、難しい。眩暈がする。視界がぶれる。でも、赤だけは、赤だけは、赤だけは、ぶれることなく、視界の中心で揺れている。

 誘うように、揺れている。


「私はしたいんじゃないわっ、子供が欲しいだけよっ!」


 切り裂くような声が響き渡った瞬間、揺れていた視界が割れたような気がして、強引にその方向へ意識ごと視線を引き戻された。物理的な力にも似た、それ。

 正面で繰り広げられていた、噛み合わない世界。僅かの間、だったと思う。その世界から視線を離していたのは。しかしその僅かの間に、世界は大きく変わってしまっていたらしい。

 引き戻された視線が最初に捉えたのは、あれだけ強固に喰い込んでいたリトープスの手が振り払われ、宙に浮いている様と、『女』の右手が胸元の、合わさっている布の中に押し込まれる様だった。

 そして次いで視界に入るのは、二人の表情。何かの本に載っていたような、他の国には存在している野生動物が餌に食いつく様に似た、爛々とした輝きを宿した強い目を見開いているリトープスの驚きに支配された表情と、歯を食い縛り、目を剥き、全ての負の感情に理性を食い荒らされたかのような表情を浮かべている『女』。

 予感は、した。確信と言い換えても良いほどの、しかし具体的に何が脳裏に浮かんでいるのかはっきりとしない為に、確信ではなく予感とするしかないものが。

 瞬きを、した覚えがない。たぶん、しなかった。それほどに全ては瞬間的で、衝撃的で、取り返しがつかないほど刹那的だったのだ。胸元に差し込まれていた手が、何かを掴んで引き出される。細い、白い手が、もっと細い何かを掴んで現れ、身体を覆わんとするほど充満する膜を切り裂くように、高く、高く掲げられる。

 ぼんやりとしたこの国に残された、全ての光りを集めたかのように、掲げられたそれはこの『彼ハ誰』の往来にあって信じがたいほどの煌めきを見せ、呆然と流れる時間を瞬間としてその場所に縫い止める。

 針は、全て止まったのだ。縫い止められた、その瞬間に。動けるのは、縫い止めた煌めきだけ。掲げられたそれだけが、その瞬間に動くことが許される。

『女』の何も握っていない左手が伸び、リトープスの襟首を掴む。そしてそれと同時に、掲げられていた右手が掲げていた煌めきを振り下ろす。見開いた目で呆然とそれを見下ろしていた、リトープスの首元、掴まれて広げられ、剥き出しにされた太い血管が浮き出ている場所へ、吸い寄せられるように振り下ろされ。


 銀の煌めきは、赤に染められるのと同時に縫い止めていた時間を解き放つ、


 ・・・赤は、吹き出してこの国を染め変えるように舞い上がった赤は、先ほど見たあの一葉よりずっと鮮やかなのに、何故か鳥肌が立つほどおぞましく。

 ふいに聞こえてきた微かな雨音が、吹き上がった赤が地に落ちる音だと気がついた時、自分の口から意味を成さない声が迸っていることにも気づいた。けれど気づいた声よりもっと強い、鋭い声がそこにはある。吹き上がる赤と、同じ声が。

 仰け反ったリトープスから、『女』の手は外れていた。

 ただ、首筋に吸い込まれた煌めきは外れていない。そこから吹き出す赤も、終わりが見えないほど吹き続けている。リトープスの中から吹き出している赤、今まで、ほんの少しぐらいの量なら自分の身体からも流れたことはある。でもこれだけの赤が流れたことはない。流れる、わけがない。


 だって、こんなに流れたら────、『死んで』、しまうのだから。


 死、そう、死だ。

 見たことがないモノ、見ることがあったとしても、他者から齎される光景なんて、見るとは思っていなかったこと。他者から・・・、他者から齎される、死。

 眩暈が、する。足下が、揺れる。リトープスは、ゆっくりと背中から地面へ倒れていく。『女』は、宙を睨み据えて口から何かを迸らせている。倒れていったリトープスは、地面へ当たり、微かに弾み、それから動きが止まる。


 死、そう、死だ。


 他者から齎される死、それは他の国には多少あると聞く、死の形。

 けれどこの国にはほぼ存在しないモノ。だって、自分の命だって曖昧なのに、他者の命に触れることなんて、触れようと思うことなんて、この国の人間にはない。僕だって、思ったことはない。思う人の気持ちなんて、全く想像もつかない。他の国では起きることだと聞いていても、根拠のない噂話の一つぐらいにしか思えないでいたのに。

 死、でも、死だ。


 死が、齎されている、話に聞くだけの、他者から齎される死が。


 他者に危害が与えられる様なんて、与えられることがあるなんて、目の辺りにするなんて・・・、流れる血に誘われるように全身の血が下がっていく、その音が聞こえた気がした。

 しかし、視線を逸らすことが出来ない。

 足も、立っている感覚が乏しくなっているのに、動くことは出来ない。気がつけば、もう吹き出してはいないが赤は静かに流れ続けており、地面に広がっていっている。コンクリートが、味気ない色をしたそれが、鮮やかに染め変えられていく。

 染め変えられて、広がって、また染め変えて・・・、しかし、それもやがて止まる。流れる赤が止まったわけではない。そうではなく、流れるモノそのものに対する変化が要因だった。流れるモノ、つまり、赤の源、つまり、倒れているモノ、つまり、リトープス。見つめる先でその姿に、静かにゆっくりと、異変が訪れたのだ。

 あれだけ光り輝いていた瞳からその光りが失われ、色もまた失われたまま見開かれたそこに、微かに皹が入る。そして瞳から伝染するかのように顔に、手に、血が流れ続けていた首にも皹が入り、少しずつ広がっていた皹は、突如、盛り上がるようにして一気に膨れ上がる。

 まるで、身体に極端な空気が入ったかのような膨らみ方。

 服を着ている、その下がどうなっているのかは見えない。しかし地面に倒れたまま、再び仰け反るようにして身体が反り曲がったかと思うと、完全に腰が地面から浮いて、やがて・・・、音が、した。何か、硬質なモノが割れる、そんな、高く、澄んだ音が。

 響いた音に意識が引きつけられた瞬間を狙ったかのように、その次の瞬間、瞬きよりも尚、僅かな時間の果てに、仰け反っていたリトープスの身体は・・・、


 テーブルから落ちた硝子のように、簡単に弾けて砕け散った。


「き、え・・・、」


 消えた、無意識にそんな呟きが唇から零れる。膨れ上がって砕けたソレは、本当に硝子のように色がなく、光りを反射してその実態を失わせ、服も含めて砕けた後は散って、瞬き一つの後に全てが消え去ってしまう。

 何一つ、残さず。もう一つ瞬きした後には、コンクリートを染め上げていた赤すら、残らず。


 何も、なかった。何も、残らなかった。何も、何も、何も。


 そこにはただのコンクリートがあるだけ。何も残らず、何の色もない、他のどのコンクリートとも変わらない場所。瞬きの前、針が幾つか戻った先の光景なんて、そもそも存在していなかったのだと言わんばかりの『今』、何度瞬きを繰り返しても、戻ることのない瞬間。

 立っているのは、僕と、もう一人。『夜』の『女』、消えた『男』が手を伸ばした先の人。


 消えた、全て、消えた。

 当たり前だ、死んだのだから、消える。

 もう生きていないのだから、消える。

 生きていない者は、生きていないのだから残るわけがない。

 全て、消える。残らない、残るわけがない。

 だから、これは正しい。

 死んだのなら、それがどんな死に方だろうと、消える。

 生きていないのなら、それが何が理由で生きていられなくなったのだろうと、消える。

 残らないのだから、消える。

 これは、正しい。正しい、はず。


 ────じゃあ、消えなかった生きてないモノは、あの『死体』は、何故在った?


「あぁっー! あぁ、がぁーあぁっ!」


 脳裏に浮かんだ、疑問。

 薙いだ水面に、ふとした瞬間に浮かび上がる泡のような疑問は、突如上がった叫び声に踏み蹴散らされた。浮かんだ泡の形が認識出来ない間に蹴散らされ、何も分からなくなったまま、上がった叫びの形だけに視線を向ける。

 叫んでいたのは、『女』、赤く濡れた右手と、何物にも染まっていない左手で頭を抱え、髪を搔き毟っていた。長い髪が細い指に絡み、何本かは頭部から剥がれ、指だけに残っている。

 全身を激しく震わせ、叫び声を上げ続けている『女』は、まるで壊れた機械のように人間には見えなかった。同時に、人間以外の何物でも無いと思えるほど、人間らしく見える。もしくは、人間以外の、理性を持たない生き物に。


「私はっ、私は悪くない! アイツが、アイツがしつこいから! 私は悪くないんだから!」


 悪くない、悪くない、悪くないんだからっ・・・、と何度も繰り返される声に、何を言っているのか理解が及んだのは、抱え込んでいた頭に込めていた力を緩め、ゆっくりとその顔が持ち上がって視線が絡んだその時だった。

 あぁ、リトープスが消えたことを言っているのだと。リトープスを消したこと、消した・・・、いや、消した、のではなかった。


 この『女』は、リトープスを殺したんだ。


「私は悪くないっ!」


 風圧を、最初に感じた。次いで、冷たい熱を、首に感じる。目が覚めるごとに感じる、モノ。けれどこの手で与えられたものではない、他者によって齎されるモノ。

 喰い込む爪の感触は、自分のモノより鋭く、深く、喰い込んでいく。容赦ない力で、他者の痛みと熱が深く、深く入り込んでいく。苦しみではない、息が出来なくなろうと、血が流れなくなろうと、これは苦しみではないのだ。

 痛みだ、熱だ、痛むほどの熱だ。


「いいからっ、子供を寄越せっ!」


 声が、聞こえる。血を吐くような、声が。絞まる首、詰まる息、止まる血、意識が遠退く、世界が剥がれる、自分が希薄になり、境界が失われていく。『女』は、まだ叫んでいる。子供を寄越せと、叫んでいる。まだ、僕が得ていない子供を、寄越せ、寄越せと叫び続けている。目の裏に、何か、鮮やかな色を見た気がする。何時の時間かに、見た色を。

 いつの日か、同じような痛みと熱を、同じ場所に感じたような気がする。同じモノを、同じ、手から。全く同じモノを、全く同じ意図を聞きながら、そんな、気が。


 ────同じモノ・・・、でも、僕は同じでなくなってしまったのだと、遠くなる意識の果てに確信を見てしまっていた。

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