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而ノ迷 ひらける名の草花  作者: 東東
3,絞める・聞々ぬ・まだ絞める
10/20

 ────苦しみと哀しみ、或いは恍惚、絞まる首に望んでいるモノがどちらなのかは、明日も判別出来ないだろう。


『──────:──────────』


 目を開き、最初に確認するのはカレンダーと時計。何も定まらないこの世界で、どうにか今の自分の立ち位置を決める、その為の動作。今日が昨日であろうと明日であろうと唯一、変わることのないその行動は、必ず望む結果をもたらしていた。

 だから、目が覚めた瞬間、全く疑いの余地なく、同じ行動を繰り返そうとして・・・、叶わなかった。

 カレンダーは、なかった。時計も、なかった。何故ならそれらを掛けるべき、壁がなかったからだ。最初に向けた視線の方向にも、存在を見つけられなくて他に向けた視線の先にも、何処にも、ない。壁どころか、何も、ない。あるのは唯一、全てを曖昧に包み暈かしてしまう、『彼ハ誰』の薄暗闇だけ。充満する、この、膜だけ。


 ・・・膜、だけ?


 意味が、分からなかった。把握、しきれなかった。ただ、自分と世界が曖昧で、たぶん、昨日よりも、明日よりも、ずっとずっと、曖昧で、だからいつも通りの結果が出ない行動の理由を探すより先に、現状を理解するよりもっと先に、身体は、どうにか他の日々と同じ結論を得ようといつもの行動を取り始める。

 本来なら曖昧な自分の立ち位置をカレンダーと時計で確認した後に、行うはずのソレ。

 伸ばした両手は、脳からの一切の指令を必要としないほど滑らかに、慣れきった仕草で首に巻きつく。親指が喉に、残りの指は全てうなじへ。指の腹が押し当てた首に体温と存在を告げて、首が告げられた存在に理解を示すのと同時に、ゆっくりと、全ての指は在るべき場所に収まるかの如く、喰い込んでいく。

 指の腹が少しだけ沈んだ頃、もっと鋭い存在感で爪が喰い込んでいく。圧迫感だけでは意味が無い、痛みがなくてはならないのだ。この身体が、今、ここに在るのだという事実。痛みを感じるほど、僕自身のモノであるという現実。

 引き伸ばされ、曖昧になってしまった自分と世界との境界を引かなければ、この身体を動かすことは出来ないし、動かそうと思うことすら出来ないのだから。

 息が、止まる。吸い込んだ瞬間か、それとも吐き出した後か。肺の中に空気が詰まっているのか、空っぽなのか、それすら分からないほど、考えられないほど、絞めつける。開いた目に映る世界が、ひび割れて見えてくる。耳の奥に、狂ったように叫ぶ鼓動。自分の周りにある世界が壊れていく予感。自分だけが切り離されていく確信。

 そしてその確信を得て、ようやく僕と世界は明確な線引きがなされ、目的が果たされる。喰い込んだ指を引き離す作業は、喰い込んでいる指が震えている為、なかなかすんなりとは行えない。おまけに身体自体に力が入っていないのだから、腕を動かすこと自体が一苦労で。


「・・・はっ、あぁ・・・!」


 ようやく開いた気道は、何かの壊れる音に似た、掠れた声を押し出してくる。押し出され、吐き出された声が耳に届いて、ようやく『僕』が成立し、世界から独り立ちするのだ。

 勿論、仮初めの独立で、次の目覚めの瞬間には、また同じことを繰り返すわけなのだが。それでも今は独立した身体を起き上がらせ、数回繰り返した瞬きの果てに目の縁に溜まった水分を振り払って鮮明になった視界で、世界を見渡す。

 見渡せど見渡せど、何もない世界。何かはあるのだろうが、はっきりと見えない世界。はっきりと見えないながらも見える全ては同じモノばかりで、違いが分からない世界。薄い膜が充満し、何一つ鮮明に判別出来ないこの場所は、『彼ハ誰』以外の何物でも無く・・・、


 何物でも無いが、何処なのかがさっぱり分からなかった。


 ・・・屋外、だった。それは間違いないが、それ以外に分かることがない。ただ、もう少し詳細に分かることを述べるなら、『彼ハ誰』の屋外の、ぼんやりした薄膜が充満した薄暗い道端で、周りには何の個性もない、如何にも『彼ハ誰』らしい建物が建ち並ぶ場所だった。

 そしてそこに敷き詰められている冷たいコンクリートの上に仰向けに寝転がっていたということだけは、分かる。他は、何も分からない。

 上半身を起こしただけの、座ったままの状態で改めて見渡してみても、そこが屋外で、『彼ハ誰』のよくある道端でしかないことに変わりはなく、瞬きしたところで順番を変えてその場所以外の時間が訪れるわけでもなかった。

 おまけに頭の中身は混乱しているのか、或いは何も入っていないか、もしくは順番を飛ばしてしまっているのかのどれかで、何故部屋でもない場所に寝転んでいたのかを説明する言葉は一言も入っていない。

 コンクリートに接していた背中や、今も尚、接している尻から湿った冷たさだけが伝わってきて、身体全体が冷え切っているのに、頭は冷えていないのか、沸騰したように落ち着きなく沸き立っている。

 つまり、何も冷静に考えてはくれない。思い出してもくれない。尤も今だけではなく、大体においてこの脳は役立ってくれることはないのだが。そう思えば、大して現状はその他の日々と変わらないのかもしれない。ふと、そんな思いついた当人である僕ですら納得出来ないような解釈を思いつきながらも、ゆっくりと立ち上がる。

 一応、冷えている尻や手が届く範囲の背中と、地面に接していたであろう肘や肩を軽く手で払う。手自体も少し汚れているようなので、払ったところで無防備に地面に接していた汚れがどの程度取れたのかは疑わしいが、そこは気分の問題だった。払った仕草さえしておけば、気分としては綺麗になったことになるのだから。

 気分として納得出来る程度に一通り払った後、最後に両手を叩き合わせて手の汚れも払って、一つ、溜息を零す。視線はいまだ、脳が命令をしてもいないのに何度も辺りへ投げかけられている。

 いくら見ても変わらない光景を、何度でも、諦められない何かを探すように見渡している様に、命令を下していない脳が疑問に思って・・・、すぐにその理由を見つけ出す。

 何かを探すように、ではないのだ。探しているのだ、確固とした目的としている物を。ここが『彼ハ誰』の何処で、一体何故こんな場所にいて、しかもどうして寝転んでいたのか、そんなことはもうどうでも良い。起きてしまったことならば、理由を追及したところで大した意味も無い。

 でも、どうしても探さないと気が落ち着かないモノがある。


 カレンダーと、時計だ。


『今』が何時なのか、目が覚めたのが一体何時の『今』なのか、これが確認出来ないうちは、足下が覚束なくて落ち着かない。常に足下が揺れているような、身体の芯が抜かれてしまっているような気がして心許ないのだ。

 世界と自分は、切り離されてしまった。切り離して、しまった。だから余計に、立ち位置がはっきりしていない状態を不安に感じてしまう。

 切り離したくて切り離した、自分を認識する為に自らの手で。

 でもそれは、立ち位置がはっきりすることが前提なのだ。『今』のようにはっきりしていない状態では、曖昧に同化して誤魔化すことも出来ず、僕だけが崩れ落ちてしまいそうになる。否、きっと崩れ落ちてしまう。崩れて・・・、今度こそ切り離せないほど、世界と同化してしまうのかもしれない。

 絞める、手すら動かないほどに。

 首を、左右に強く振る。もう探すのを諦めろ、諦めて、強く自分を持てと脳が必死で言い聞かせて命令した行動。

 でも、そんな行為はただ視界を無意味に揺らすだけで、他にどんな効果も発揮しない。足下は、一向に落ち着かない。ふらふらとして、じっとしていることすら難しく、自然、崩れ落ちないように一歩、足を踏み出すことになる。

 揺れて崩れそうな体勢を持ち直すために踏み出した足は、一旦、その意図通りに体勢を持ち直す。しかしそれも一瞬で、すぐにまたバランスを崩す身体が不安定になり、それを持ち直す為、また一歩を踏み出した。再び持ち直した身体は、やはりすぐさま体勢を崩していくので、更に次の一歩を踏み出す。

 繰り返される行為は、本来の目的をどうにか果たすのと同時に、全く違う結果もまたもたらす。現在の特定も場所の把握も出来ていないまま、この後に取るべき行動も考えつかないまま、足はひたすらに身体のバランスを取る為に交互に踏み出され、次第に把握出来てなかった場所から更に場所を変えていく。

 何処かに行こうという意思はないし、意図もない。その為、足が踏み出されるまま、身体はふらふらと場所を変えていく。

 目的地も方向性もなく、何も考えないまま・・・、身体の芯が入っておらず、動きも安定しない為、揺れる身体の動きに合わせて視線の向きすら安定しない。そして彷徨う視線は、範囲を一定としない視界の中、ふいに何度も何かを掠めていることに気がついた。

 掠めては、消えていく。否、視線が、通り過ぎてしまう。視界が、その範囲を変えてしまう。だから、捉えられない。でも、在った。間違いなく、見かけている。

 何度も、何度も、何度でも、見かけている。見かけた、その認識以外に何を見たのかが捉えられないのだが、確かに、見ている。何度も、何度も・・・、たぶん、同じモノ。けれど、同じではない『形』のモノ。

 見かけるそれを捉えたいと思い始めたのは、一体何が切っ掛けだったのか。それとも切っ掛けなどなく、全てが不確定の世界の中で、立ち位置さえも分からないでいる中、せめて一つでも確実なモノをと求めた本能的な行動だったのか。

 自分で自分の思考が掴めないまま、ただひたすらに追いかける。逃す理由は自分自身にあるけれど、それすら構うことなく追いかけて、そして・・・、見る、モノ。


 鮮やかな、薄い、揺らぎ、

 折れそうなほど細い、芯、

 引き裂きそうな、柔い膜、


 ────捉えどころのないそれらは、鮮やかさにおいてのみ、共通する、


 何故、掴めないのだろう?

 何故、届かないのだろう?

 何故、映せないのだろう?


 ふいに、泣きたくなるほどの苦しさが胸を圧迫する。鼻の奥が、感情に刺されて傷む。感情の波が原因で感じる傷みなんて、肉体的な刺激なく訪れる波なんて、一体どのくらいぶりに感じるのだろうと頭の片隅で小さく疑問に思う。

 たとえ感じていたとしても、今より先の時間で感じているなら今の僕には知りようもないことだけれど。

 これもまた知らない間に、気がつけば両目を閉ざしていた。ただでさえふらふらと歩いている最中、危険極まりないことだとは思うのだが、自覚がなかったのだから仕方がない。

 必死で視界にちらつくモノを捉えようとしていたはずなのに、勝手に瞼が落ちていたのにも気がつかないのだから、この目はどれだけ役に立たないものなのかと呆れそうになる。そしてその役に立たない目に自覚を与えたのは、背後から唐突に掛けられた聞き慣れているはずの声だった。


「灰茶」


 決して、大声を上げたわけではない。でも不思議と良く通る声は、勿論、目と違って塞いでいない耳に良く届いた。そして僕の中に入り込んだ声に反応することによって、目を閉ざしていたことに気づいたし、何か一つに気づくことによって、ふらついていた足下が多少、しっかりする。

 足場がほんの少し強くなったことで自然、声の主を求めて振り返れば、想像した通りの人がこちらに向かって歩いてきていた。

 外で見かけることなんて殆どない、自室にいれば頻繁に聞こえてくる声。驚きで振り返ったまま、動きが取れない。声の方向、物凄く急いでいるわけではないが、いつもよりは多少早いペースで近寄ってくる、その姿。膜を引き連れて現れたかのような、その姿。


 ギン、だった。


「なぁ、聞いた?」

「・・・え?」

「面白いモノ、あるって話」

「おもしろい、もの・・・」


 近づいて来たギンを待つように、足は止まっていた。今までの動きが嘘のように静かに止まった足に合わせて、あれだけ崩れ落ちそうだった身体もどにか持ち堪え始めている。

 何か、芯でも入ったのだろうか? ギンの、声で? 誰よりも『彼ハ誰』の住人らしいギンに、『彼ハ誰』に同化しそうなほどの友に、そんなこと、出来るわけがないと思うのだが。

 膜は、全く薄れていない。近づいているのに、一枚も剥がれていないような気がする。

 たぶん、ギンが持つ色彩が、膜の数を不明にするのだ。はっきりしないのが常の『彼ハ誰』にあって、誰よりも、何よりもはっきりとした色を持っているにも関わらず、その色彩の所為で膜に馴染みすぎるギン。屋内以外では、どれほど近づこうと見わけがつかない、『彼ハ誰』そのもの。

 ギンは、『彼ハ誰』でも珍しいほど、他に何も混ざっていない白の髪を持っている。しかも僕とは違い、やる気があるほどのストレート。つまり本当に真っ直ぐ。

 ただ、肩より少しだけ長いそれを、いつも項の辺りで縛っている為、そのやる気に満ちた真っ直ぐな髪が揺れる様を見ることは少ない。髪を解いたからといって、本当にやる気を感じるわけでもないのだが。

 そして瞳の色も、何も混ざっていない単色。銀色。他のどんな色にも見えないその瞳が、僕の呼びかけ方である『ギン』の由来だ。『彼ハ誰』らしく、分かり易い理由。

 ギンは他にも『シロ』と呼ばれることも多いが、呼ばれているのは『ギン』と合わせて殆ど二種類だけなので、わりと珍しい。誰かが誰かを呼ぶ際のそれを他の人と意見を擦り合わせたりしない為、大抵は複数の呼び方があるものだが、ギンの場合、この二種類しか特徴を思いつけないほど、ある意味において特徴が特出している人間だった。

 あと三歩ほどの位置で立ち止まったギンは、いつも通りの唐突さで尋ねてくる。主語すらなく、淡々と。こちらの理解を必要としていないかのような口調で、いつも通り・・・、いつも、通り?

 向けられている問いの意味が分からず、ただ無意味に台詞を繰り返しながらも、何か、とても小さなモノが胸に引っ掛かっている気がしていた。おそらく、気の所為。それ以外の何物でも無いほど、些細なモノ。

 ギンは薄暗い膜を幾重にも纏った先で、白い髪に微かな明かりを吸い寄せて、辛うじて見える意思らしきモノを銀色の瞳に宿らせながら、再び口を開く。唇は、見えない。開いていく、気配だけが感じられる。


「聞いてないだ?」

「何の、話?」

「見つかったんだってさ」

「だから、何が?」


 繰り返される話題は、先に進んでいる気配がない。同じことばかり繰り返す、個性のない会話。個性のない・・・、特徴のない、会話。

 でも、それは会話だけではない。押し並べて、この国では全てのモノが、全ての存在にないモノばかりだ。勿論、人も、同じ。『彼ハ誰』で個性や特徴なんて、見つけることも難しい。それが見つけられるなら、そもそもこの国は『彼ハ誰』ではなかったのだから。


 ────『死体』が、見つかったって。


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