新たな転機 新しい力
武蔵乃学園中等部三年・加賀紀一郎(十四歳)
彼のさほど長くない人生の中で転機と呼べるものは二度あった。
一度目は彼が中学に入学して程ない頃、全校集会の壇上で生徒会長候補として熱弁をふるっていた鈴谷八重に出会った時だ。
全校生徒の前で凛々しく立つ姿に心打たれた紀一郎は彼女の元へ馳せ参じることを決意する。
それから鈴谷八重を慕う遠野や南部達と共に彼女を当選させるべく八面六臂の活躍で生徒会長の座に押し上げると、生徒会メンバーとして主に一般生徒と生徒会の橋渡し的な役割を担い、いわゆるトラブルバスターとして鈴谷八重の為に働く事になる。
その甲斐あってか無役ながら一年の終わり頃には生徒会四天王と呼ばれるまでになるほどになった。
それから二度目の転機が訪れる。
それは紀一郎が二年の終わり頃に流れたある噂が発端だった。
鈴谷八重が武蔵乃高校に行かず東京の高校へ進学するというものである。
もちろん唯のデマだったのだが、当時彼女の事になると目の前が曇ってしまう紀一郎は真に受けてしまい、卒業式を間近に控えた三月のある日一世一代の行動に出る。
しかしあっけなく振られた紀一郎は失意の後、抜け駆けはしないという生徒会四天王の間で結ばれていた紳士協定を破ってしまった事を言い訳にして生徒会を辞める事となった。
それから約三ヶ月。彼に新たな転機が訪れようとしていた。
「んぁ、へ?」
突然の出来事に耳まで赤くなる紀一郎は声にならない声を上げた。
少女の柔らかくざらついた舌の感触が紀一郎の思考を支配し、口の中に広がったチョコレートの甘い味と香りが彼の脳裏に焼き付く。
口付けを終え体を起こした少女は呆けた紀一郎を見つめ澄ました表情で声を掛けた。
「名前、教えてくれる?」
「えっ、え?」
「私はエメライン・スヴェル。あなたは?」
目の前にいる美しい髪の少女は出会ってから大分時間がたってからの自己紹介をする。
「君、日本語喋れたの?」
「名前は?」
「えっと、僕は加賀紀一郎……、です。日本語話せたんだ」
戸惑う姿が可笑しいのか口角を持ち上げた。
「ニホン語? 違うわ。私があなたの国の言葉を話しているんじゃなくて、あなたが私の国の言葉を話しているのよ」
「は? 何馬鹿な事……」
突拍子も無い話に目を白黒させる。
エメラインは少しこわばった表情になり何が起こったのか説明を始めた。
「メフィスの誓い?」
「そう、かつて女神メフィスの眷属だったヘグエイト族の乙女が生涯に一度、人生を共にすると決めた伴侶とそれ証として結ぶ魔法儀式なの」
「じゃあこうやって話が出来るのも……」
「ええ、口付けによって私とあなたの魂の一部が繋がったから。私も初めての事だから本当にそうなるとは半信半疑だったけど」
にわかに信じがたい話なのだがエメラインの言葉は信じずにはいられなかった。
これもメフィスの誓いに依るものなのだろうか。
「でもそんな大事な事、俺なんかに……」
紀一郎の問いに一瞬逡巡する。
「ごめんなさい」
「いや、別に謝らなくても。僕も、その急だったから」
彼女は申し訳なさそうにゆっくりと口を開いた。
「わたし、明日になると奴隷として売られてしまうから」
「ど、奴隷って」
日本では歴史の授業でしかおよそ聞かないフレーズに驚く。
「まさかさっきの太った奴に!? 何で……」
表情を曇らせたエメラインはゆっくりと首を縦に振る。
そしてゆっくりとした口調で自分の身の上話を始めた。
かつて自分が住んでいた地方を支配していたトーラスと言う豪族の下に人質として育ったこと。
それをナルトラウシュ辺境伯が滅ぼした後、この城に連れてこられたこと。
人質を不要とした彼がヘグエイトの族長に身代金の支払いを求めたが、族長であるエメラインの父親が支払いを拒んだこと。
そしてその為に奴隷に落とされ売り飛ばされてしまう事などを話した。
「奴隷として売られてしまえば買われた男に、戯れにメフィスの誓いをさせられてしまう。せめて誰と誓いを結ぶかは自分で決めたかった。だから……」
「それで僕とメフィスの誓いを?」
「ごめんなさい。ここにはあなたしかいなかったから」
エメラインの性格からなのか、ハッキリとした物言いに紀一郎は何とも言えないがっかり感に襲われる。
下駄箱にラブレターが入っていて呼び出されたら人違いでしたみたいな状況にどうリアクションして良いのか戸惑っていると。
「でもあなたの事は嫌いじゃないわ。ここにいる間ずっと気遣って優しくしてくれた。私を襲う事だって出来たのにしなかった」
「当たり前でしょ、そんな野蛮な事する訳いじゃん。そこらへんの変態と一緒にするなよ」
「私の裸を覗こうとしたり夜寝てる時に触ろうとはしてたけどね」
「な!? 何でそれを」
「気づかないわけ無いでしょ? でも許してあげる。だけどかわりにお願い」
「ん?」
「朝までずっと、手を離さないでいて……」
そっと紀一郎の手元にエメラインは手を伸す。
「うん……」
手を握ると彼女の不安を示すように手の震えが伝わって来る。
紀一郎はその震えをかき消す様にに力強く握りしめた。
それから二人は藁で出来たベッドに寝そべり色々な話をした。
「あなたの事なんて呼んだら良い?」
「呼び名? えっと、うちの家族は『きぃ』って呼んでるかな」
「もしかして言葉が喋れるようになる以外に何かあったりする?」
「うーん、後は考えが分かるようになって私に嘘が付けなくなる事とかかな?」
「うそ! マジで?」
「うそ」
いたずらな表情に狼狽する。
「えっ? 本当は?」
「さあ? どうかしら」
「メガシ屋のカツサンドが絶品なんだよ。多分世界で一番上手いカツサンドだね」
「本当に?」
「今度おごったげる」
「うん、約束だよ」
「あぁ絶対」
どれくらい話をしただろうか、いつしか二人は眠りに付いていた。




