初老の辺境伯
神話の時代に大神マーグリーヴが太古の昔この世界に降り立った時、左手に携えていた林檎の雫が滴り落ちた際に生まれたと言われるシェリオス大陸。
神々に愛されたこの大陸には様々な国と人種が存在する。
その中で近年、大きな存在感を表している勢力が(ボーダーラント王国)である。
位置としてはちょうどヨーロッパ大陸をスカンジナビアを基点として九十度半時計周りに動かし、北アフリカのあたりだ。
以前は(諸王国)だったのだが先々代の王がそれを一つにまとめ上げ、大国の一角を担うまでになった。
そしてボーダーラント王国の南端にナルトラウシュ地方という土地がある。
元々国全体として豊かとは言えないのだが、その中でもさらに痩せた地方だ。
この領地を治めているのがウィール・ナルトラウシュ辺境伯である。
先王の時代は側近として『王の盾』と呼ばれる役職に付いていたのだが、代替わりした際に口うるさい旧臣を嫌った今の王が栄転という形で彼をこの地方の辺境伯に封じたのだった。
初老ながら元騎士である彼は今だに衰えを感じさせない体格と、元々持っていた鮮やかな金髪に歳月とともに生まれた白髪が混ざりまさにロマンスグレーの魅力である。
しかしそのロマンスグレーも浮かない顔をして頭を抱えていた。
「そこまで酷いのか……」
「はい未帰還の竜騎士が八十、帰還したものの再起不能の竜が十、健在ながら騎士を乗せて飛びたがらなくなった竜が三十。今回投入した竜騎士の損害は八割を超えます。今後軍団として運用する事は不可能です」
ナルトラウシュ領の中心地とも言うべき城塞都市ヴェルターにあるヴェルター城の一室で、十数枚の羊皮紙に目を落としながら腹心であるトレント主席行政官の報告を受けていた。
「よっぽど怖い思いをしたのか。飛びたがらぬなど、そんな話初めて聞いたぞ」
自嘲ぎみに応えていたがこの事が非常に重大な問題である事を彼らは認識していた。
それはこの竜騎士隊がナルトラウシュ辺境伯が持つ武力の中核とも言うべきモノだったからだ。
竜騎士というのはかなり昔から存在している兵種の一つなのだが竜というのは人の気に敏感で、特に戦場で発生する大量の殺気に当てられると興奮して制御が利かなくなり、敵味方の区別無く襲い掛かるという用兵上の欠点を持っている。
そのため高い攻撃力を有していながら戦争では使えず、平時における警護任務や儀礼用などでしか用いれなかった。
それを若き日に各地を旅していたナルトラウシュ辺境伯が手に入れたドラゴン育成の秘儀を使い、三十年という歳月を費やして作り上げたのが王国最強といわれた『王の盾』が有する竜騎士隊だったからである。
今ではその方法が各国に知られ始め少しずつ竜騎士が戦場に投入されてきているが、他の軍団に先駆けてそれを行ったインターバルは健在でナルトラウシュ辺境伯の虎の子であった。
「ラリオスはどうしている?」
「は、お館様の言いつけに従い謹慎されております」
ラリオス・メディソン子爵。
彼はナルトラウシュ辺境伯の義弟で先王の傍流にあたる。
元々は中央の貴族社会にいたのだが生来の粗暴さから先王の死後、社交界から遠ざけられる事になる。
後事を託されていた辺境伯がそれを見かねて自身の補佐として連れてきたのだが、性根が矯正される事は無く彼をはじめ周囲の者を煩わせていた。
「そうか、あいつが大人しくなったというのが今回の派兵による最大の収穫だな」
またも自嘲気味に笑うが、トレントの顔は引きつっている。
「そう思わないか?」
「いえ……、私の方からはなんとも」
今回竜騎士隊の出兵はメディソン子爵の発案だった。
辺境の地ナルトラウシュ。
その中でさらに辺境の名前すら付けられる事の無かった場所に突如として都市国家が現れた。
その事を知った彼はすぐさま討伐の為に出兵する事を辺境伯に進言する。
武勲を挙げる事で中央に返り咲く事を今だに夢見ていたからだ。
当初得体の知れない勢力を相手にする事を懸念し、まずは情報収集からすべきだとメディソン子爵を諭したのだが彼は頑として聞き入れなかった。
元来『辺境伯』とは辺境において侵入して来る異民族や周辺諸国と戦うのが本来の役割である(どちらかと言うと爵位ではなく役職の意味合いが強い)
そのため戦わないという選択肢が選べないので最終的に竜騎士隊のみで強襲し相手の出方を見るという事で落ちついた。
しかし圧倒的なまでの敗北を喫し『ウイールの竜盾』と呼ばれ勇名を誇った部隊を壊滅させる事となり、その責任を取らせナルトラウシュ辺境伯に謹慎を言い渡したのである。
「今もって信じられません。あの精鋭達が倒されるとは……。何かの間違だと思いたいです」
「目の前で起きている事に目をそらしても仕方が無いよ。俺が竜騎士隊を作った時も似た様な事を言われたもんだ」
かつて戦場を駆け巡った時の事を思い出した。
それまで誰も出来なかった竜騎士を戦場に駆る事で多くの物を手に入れてきた。
新たな力で得た物は結局より新しい力によって奪われてしまうのだろうかと考えてしまう。
「帰還してきた者は口を揃えて今まで見た事のない魔法で攻撃されたと」
「それどころかその魔法を見た者すらいないのでは話にならん。それに向こうか
らの反応が無いのも気になる、動きは無いのだろう?」
「ありません。彼らが我がヴェルター城に入るにはライラントバレーを通る事になります。監視させておりますが越えたという報告は上がっておりません」
ナルトラウシュ辺境伯は改めて頭を抱えた。
もちろん攻め込まれては困るのだが、まったく動かないというのも逆に不気味というものである。
領地に攻め込むつもりがあるのか無いのか、それとも攻め込んでこない理由があるのか。
「どう思う?」
「私には分かりかねます。そもそも半年前の定期視察の時はあの様な都市は存在しておりませんでした。たった半年であれだけの都市国家を建設する者達です、もっと慎重に行動するべきでした。それをいたずらに武を誇ろうなどと……」
暗にメディソン子爵を批判し、ギリッと歯軋りをした。
「そう言うな。言い出したのはラリオスだが最終的に決定したのは俺だし、自分にも驕りがあった。それに収穫がまったく無かった訳ではないしな」
「捕らえた捕虜の事ですか?」
「何か分かったか?」
「いえ、言葉がまったく通じませんので何も。ただ、豪華さはありませんが着ている服の生地や靴の上等さからいってそれなりの子弟であると思われますが」
「とにかく手荒な真似はせんように、場合によっては大事な人質に成り得るからな」
「信の置けるものに警備させております。問題はありません。それともう一つ」
「なんだ他に何かあったかな?」
「いえ、先刻ナイルズギルドのヘイタート殿の使いが来られまして……」
「ヘイ……? ああ、あの『肉屋』か……。何と言って来たのだ?」
ナイルズギルドとは人足をはじめとした人身売買を生業としているギルドで、ヘイタートはボーダーラント王国の庇護を受け奴隷売買を専門に行っている男である。
「それがヘグエイト族の娘を譲って欲しいと言って来ております」
ヘグエイト族とはナルトラウシュ領内に住んでいる魔族の系譜を持つと噂される希少部族である。
「すごい嗅覚だな、身代金の支払いを断った事をもう嗅ぎ付けたか。それにヘグエイトについても知っているんだろうな」
「恐らくは、さもなくばたかが娘一人を買い付けに王都から遠く離れたヴェルター城まで来はしないでしょうから」
以前国境を侵していた豪族を討伐した際、その豪族が支配していた部族に従属の証として人質に取っていた族長の娘を辺境伯が保護したのだった。
この世界では高位の者は身代金を支払い身柄を交換する慣例がある。
それに従いヘグエイト族に身代金を求めたのだが極貧の中にある彼らが支払える訳も無く、支払いを拒否したのだった。
「何か言いたげだな?」
「いえ、ただ私はああいう連中と馴れ合いたいとは思わないだけです」
「気が合うな、だがああいう汚い仕事を請け負う者が必要な場合もある。現に父親に見捨てられて宙に浮いてしまった可哀想な姫君を引き取ってくれるというんだからな」
あまり表情を変えないトレントだが、さらに無表情になる。十年近く共に仕事をしているいるナルトラウシュ辺境伯には分かっているが、彼の中で正義感が戦っている時の表情だ。
「不満か?」
「身代金が払えなければ当然の事かと」
「奴隷に落とされるお嬢さんは可哀相だと思うが、こちらとしてもタダ飯を食わせる訳にはいかないからな」
「かしこまりました、エメライン嬢は売却するという事で、私からは以上です」
一礼をするときびすを返し執務室の出口に向かう。
「待った」
ナルトラウシュ辺境伯が声を掛けトレントは振り向いた。
「彼女の事なんだが……」
「止められますか?」
「いや、売るのは良いとして、牢を代えよう」
「は?」
意図が理解できず首を傾げた。