開幕劇 それぞれの日常
とある地方都市河原崎町。かつて世界戦争までは石炭と軍事重工業で栄えたものの、敗戦にエネルギー革命、大都市へのアクセスの悪さ等々、様々な要因により衰退の下り階段を一段ずつ歩み続けるよくある地方都市だ。
もはやそんな物は無いのに河原崎工業地域なんて言っちゃってる町である。
その町にある中高一貫の(武蔵乃学園)に、一人の少年が現国の授業を受けていた。
彼がいる中等部三年の教室には、心地のよい午後の風が吹き込み、初夏の暑さを和らげる。
授業を進める教師の話を右から左に聞き流しながら、ボーっと窓の外に広がる河原崎町の景色を眺めていた。
「おい加賀、加賀紀一郎! 今言った所をもう一度言ってみろ」
ふいに授業を進めていた現国の教師が声を荒げた。
「す、すみません、聞いてませんでした」
言い訳するでも反抗するでもなく、紀一郎は謝罪の言葉を口にする。
「外ばっかり見ていないでちゃんと話を聞け。そんな事じゃ上には行けても良い大学に入れないぞ」
いわゆる教師がよく使う紋切り型の小言だが、今回の場合は完全に失敗だった。
「大学って……、この世界にあるんですか?」
そう言って紀一郎は窓の外に視線を向ける。すると教室内がざわっとなり、失笑や冷笑ため息など、十人十色の反応があふれた。
紀一郎の視線の先には四階校舎の窓からあまり綺麗とは言えないが、生徒達にとって見慣れた河原崎の町並みが見える。
しかし、問題はその先にある光景である。
そこは草木があまり生えていない赤茶色の荒野が地平線を作り、一本の大きな濁流の川が流れている以外何も無い世界が広がっていた。
日本列島とは思えない光景であり、かつてこの河原崎町が存在していた場所とは明らかに違う。
それは昼間の景色だけでなく、太陽が落ちると見える満点の星空も日本があった世界、少なくとも地球では無い違う惑星にこの町が存在いる事を示していた。
事の発端は約一ヶ月前、四月のある日。
それは非常に不正確で、人によっては周囲が急に真っ暗になり気が付くと世界が変わっていたという人もいれば、光に包まれたと言う人もいる。十人に聞けば十通りの答えが返ってきた。
分かっている事は河原崎の町が丸ごと異なる世界へ移動していたと言う事である。
授業が終わり終業のHRが始まる前の空き時間に、クラスの男子が話しかけてきた。
「ぷっすっすす。カロカロ氏w 須田先生氏をいじめては駄目でござるよ。先生氏、泣きそうになってたでありまつぞw」
「別にいじめてないし。それとカロカロって、何で増えてんだよ」
紀一郎は話しかけてきた小太りの男子に返す。
中学に入学したての頃に自己紹介をするオリエンテーションがあったのだが、黒板に名前と抱負を黒板に書くという教師の思い付きで紀一郎は黒板に名前を書いたのだが、あまり上手に書けず加賀の字がカロ賀としか読めなかった為それ以来、カロと呼ばれるようになったのだった。
「いやぁよく考えると加賀の賀も、上部分はカロでつからなw 拙者大発見でござるw」
紀一郎はげんなりした顔で彼を見た。
「実は拙者、新しく名刺を作る事にしたでありまつ。そこでデザインの感想を聞かせてほしいでありまつ」
そう言って大学ノートを差し出す。紀一郎はそれに目を落とした。
そこには中学生が描いたにしては上出来なデザインと、天文学部部長・揚屋友広の大きな文字が描かれていた。
「へー、やるじゃん。これお前が描いたの?」
「いえいえ、拙者いくら多才といえども多忙の身、イラスト部の盟友にデザインを考えてもらったでつ」
お前別に忙しくないだろ。
そうツッコミを入れたくなったのだが、世界が変わった後ただのオタク部だった天文学部が、宇宙の法則を見つてみせる! そう息巻いてそれまでの怠惰さが嘘の様に精を出して活動しているのを紀一郎は思い出した。
「てか何で名刺?」
「拙者も天文部部長という重責を担うことになりまつたから、名刺くらいは用意しないと格好が付かないでありまつよw」
中学生の彼がわざわざ名刺を作ろうとするのも、湧き上がる意欲の発露する一部なのだろう。
「最近がんばってるみたいじゃん。何か分かったの?」
「ぷっすす、カロカロ氏。分かるどころか、新発見の毎日でありまつよw 世間に発表するにはもう少しまとめる必要がありまつが、ぷっすすっすw 待っていて下され」
「ま、まあ期待しないで待ってるよ」
絵に描いた様なオタクしゃべりを見せられた紀一郎は辟易して返す。
「カロカロ氏、世界が新しくなったというのに、無気力でありまつな」
「訳の分からない所に飛ばされてんだぞ。普通はダースーみたいに落ち込むのが普通で、お前みたいにはしゃぐ方がおかしいんだよ。それに今のところ生活にあんまり変化無いじゃん。まあテレビは見れないけど元々NHKと民放一局しか見れなかったから、あんまり変わらないしね。俺にとってこの世界は、コーラが飲めない程度の差しかないのよね」
「カロカロ氏、そんな死んだ魚の様な目でこっちを見ないで下され。去年までは生徒会であんなにがんばって活動していたではありませぬか。それなのにっ……、あっ」
揚屋はしまったという顔をする。同時に紀一郎もまた目を泳がせ暗い顔になる。
「ご、ごめん……」
さっきまでのオタク口調を忘れて普通に謝る。
「いいんだけどね、て言うかやっぱりみんな知ってるのね」
「ま、まあ……。うん、ごめん」
揚屋は申し訳なさそうに自分の席へ戻っていった。
その夜、夕食を食べた後自室の机で宿題のノートを枕にうたた寝をしていた紀一郎を、母親のけたたましいノックの音が叩き起こした。
「きい、友達から電話!」
「え? あー、分かった。すぐ行くから」
紀一郎が返事を返すと、ぺたぺたとスリッパの音が遠のいていった。
「もしもし」
一階にある電話の受話器をとる。
「カロ? 俺々。いま大丈夫か?」
一瞬誰なのか悩む。
受話器越しから電話の主が、かなり興奮しているのが分かる。
「ん?あぁ、揚屋か。相変わらず他の奴がいない時は口調が全然違うな」
「そんな事ぁいいんだよ。それよりお前に頼まれて欲しい事があるんだ」
一瞬、耳を疑う。
「頼み? いいけど、なんかあった?」
「鈴谷生徒会長に会えるように、算段を付けて欲しいんだ」
「お前が会長に!? 正気か?」
揚屋の話に顔を歪めた。
「まじ、マジ」
「あのさぁ、俺が何で生徒会を抜けたか分かってんっしょ?」
「あー、分かってる。分かってるけど、ぶっちゃけそんな事を言ってる場合じゃないんだよ。お前しか伝が無いんだ、頼む」
三年に進級してつるみ始めてから初めて聞く真剣な口調に、眉間にしわを寄せ悩んだ後、紀一郎は軽くため息を吐いた。
「OK、分かった。今から連絡とってお前ん家に電話するように頼んでみるよ」
「ごめん、まだ学校に居るんだ。明日でいいから話が出来る段取り付けて欲しい」
「まだ帰ってなかったの?」
「うん、もうちょっと居るつもり」
「そっか…… ただ俺も今は関わり無いから、必ず話が出来るとは限らないからな。やってはみるけど」
「すまん……。なるべく急ぎで頼む」
そう言うと勢い良く電話が切れた。
どんな事情なのか気にはなったのだが、自分には言いたくなかったのだろうと勝手に推し量って自分を納得させた。
受話器を一旦置いた紀一郎は何度か深呼吸をし頭をかくと、もう一度受話器を取った。
以前はみんな携帯電話やスマートフォンを使っていたのだが、河原崎町がこの世界に移動してしまった後は使用するのが困難になってしまったので、電線を使ういわゆる家電話を使っている。
最初は不便に感じたものだが、今ではさほど不便さは感じていない。
何度か続いた呼び出し音の後、電話がつながる。
「もしもし。えっと、加賀紀一郎といいますけど、鈴谷八重さんはいらっしゃい
ますか?」
かしこまって話し始めると、受話器の向こうから小悪魔な感じの可愛らしい声が聞こえてきた。
その声を聴いた瞬間、紀一郎は顔面が熱くなるのを感じた。
「物資の備蓄はまだまだあるじゃないか!」
「いえ、ですから今という事ではありませんが、このままではいつか、いずれ物資が枯渇してしまいます」
「だからといって市民生活に負担を強いるのは本末転倒だ! 市民の為に自衛隊があるのであって、自衛隊の為に市民があるわけではない! それに、そうなる前に日本に戻る方法を見つけ出す事の方がよほど重要だ」
「しかしこの世界を調査するにも物資が必要ですし、外には何があるか分からない以上、一般の方を危険にさらす訳にはいきません」
「当たり前だ、その為に君達がいるんだ!」
「――――」
「――――」
夕食後訪れた来客としている会話…… といえるかどうか怪しいやり取りが行われている。一方がもう一方に怒鳴り散らしているからだ。
河原崎町が日本列島にまだあった頃、たまに役人の人や一部業者の人が町長宅の鈴谷家を尋ねて来る事があったが、謎の町が移動して以来ほぼ毎日、特に自衛隊の幹部の人が尋ねて来る様になっていた。
「あーぁ、またやってる……」
一階のリビングで行われているそれに辟易し、自室で勉強していた少女はつぶやいた。
それは二階にある彼女の自室に居ても話しの内容が分かる程、大きな声だからだ。
断片的ながら聞き取れる話の内容も、実の父親であっても賛同しづらい内容だったし、自分の父親が他者に対して無礼な態度で接している様は、彼女にとって不快な物だった。
その不快さを紛らわすように勉強机に置かれたコーヒーカップに手を伸ばす。
「あ、」
夕食後、自室に持って来ていたコーヒーだったが、中身がすでに無くなっている事に気付いた。
父親が喚き散らしている時に一階へ行くのは気が乗らなかったのだが、直接話をしているリビングを通るわけではないので、さして気にせず席を立ち自分の部屋を出る。
階段を降りていると、丁度リビングから出てきた陸上自衛隊の正装を着た男と鉢合わせになった。
襟には二佐を示す階級章と、何かを表す勲章らしき物が胸元につけられていて、自衛隊の事など分からない彼女にも、かなり偉い人物だと推測できた。
「あら藤原さん。もう帰っちゃうんですか?」
高校一年とは思えない、気を持たせる表情と声を出す。
「どうもすみませんお嬢さん。いつもお邪魔してしまって、もう帰りますので」
なんとも居心地の悪い様子で返す。独特の雰囲気を持つ彼女に、どう接していいのか掴みかねているのが見て取れた。
「いえ、こっちこそごめんなさい、パパがいつも怒鳴ってて」
申し訳なさそうに、頭と視線を落とす。
「とんでもない事になったからね。お父さん、鈴谷町長も大変なんだよ」
そう言いフォローを入れるが、連日鈴谷啓一の家へ説明や陳情をしに訪れては、その度に声を荒げ罵倒に近い様な事を言われてきた藤原二佐の表情は、苦々しい物になっていた。
「以前はあんな風に怒鳴ったりする様なパパじゃなかったんだけど……」
「権力は人を変えてしまう事があるからね」
言った瞬間に藤原二佐はまずいと思ったのだが、彼女は気に留める風も無く、
クスッと笑った。
「藤原さんも変わっちゃったんですか?」
「我々自衛官は権限を持っていても、権力を持ってる訳では無いからね。それに僕達は矛を納める事を訓練されているから」
「なら自衛隊の皆さんが居てくれたら、安心ですね」
「え…… その、まあ」
社交辞令のつもりで言った言葉だったのだが、なんとも歯切れの悪い言葉が返ってくる。
彼は嘘が付けない性格なんだなと、心の中で値踏みする。
そして歯切れの悪い理由も彼女には分かっていた。
それは連日藤原二佐やその他の自衛官が鈴谷家を訪れる理由だったからだ。
河原崎町がこの世界に来て以来、当然ながらそれまで日本全国から運ばれて来ていた様々な物資がこの町に届けられる事は無い。
食料品や衣類などは半工半農の町なので何とかなっても、石油をはじめとしたいわゆる戦略物資が供給されないのは極めて深刻な問題なのだ。
そのため日常生活における戦略物資の使用を制限しなければならず、また何が起こるかわからない現状では、防衛の為自衛隊に戦略物資を優先的に回すのがどうしても必要なため、図らずもこの町の最高責任者となった鈴谷町長にご説明、陳情する事になる。
ただ残念な事に鈴谷町長や町議会の主要なメンバーは、自衛隊に対してある種イデオロギー的に反発する考えを持っていた。
また長年のシビリアン・コントロールという考えに染まり、自衛隊に対する優越意識が藤原二佐達の進言に反発してしまうし、住民に対して不自由な生活を強いてしまう施策をする事に、どうしても踏み出せないでいた。
そもそも政治家というのはばら撒くのは得意だが、その逆は当然不得意なのだ。
何より藤原二佐が言った様に、しがない町長でしかなかった彼がまるで総理大臣になった様な感覚に憑り付かれ、かつて多少考えが硬くても柔和だった鈴谷町長を、別人の様に変えてしまったのだった。
「ま、まぁ、そういうわけで。今日はお暇させてもらいます」
苦笑いを浮かべる。彼女は何とも申し訳ない気持ちが込み上げてくる。
「ええ、皆さんにもよろしくって伝えてください」
「はい、森野基地司令に言っておきます。あの人鈴谷お嬢さんを町で一番の美人だってよく言ってましたから。では、失礼します」
最後はきりっとした敬礼をして藤原二佐は鈴谷邸を後にする。
手を振り見送ると、今度は家の電話が鳴り出した。
「はーい、鈴谷でーす」
「もしもし、えっと、加賀紀一郎といいます。鈴谷八重さんはいらっしゃいますか?」
電話を取ると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。電話の相手は一つ年下の後
輩、加賀紀一郎からだった。
「カロ? 久しぶりー。元気してた?」
「か、会長? ええ……、まぁ。おかげ様で」
声だけでも紀一郎がテンパってるのが分かった鈴谷八重は、得意の悪戯な笑みを浮かべる。さっきのお嬢様然とした姿からはまるで別人だ。
「中学の卒業式以来ね、どうしたの? 生徒会に戻りたくなった?」
「いや、そういう訳じゃ……。い、そ、んな事無くは無い事は無いんですが」
「何それ? どっち?」
鈴谷八重は失笑を漏らした。
一瞬、間をおいて紀一郎が切り出す。
「それはもういいとして。電話したのはクラスの揚屋って奴がいまして……」
「揚屋君? 誰だっけ、記憶に無いんだけど」
「見た事はあると思いますよ。ほら、あの(揚屋のから揚げ)の息子」
「あー。あの太った男の子か。知ってる。部長会議で見た事あるよ。漫研の子だっけ?」
「天文部です」
「そうだっけ? しゃべり方がアレだったから、そこだけ覚えてる」
「その揚屋なんですけど、会長にどうしても話したい事があるらしいんですよ。それでまあ申し訳ないんですけど、あいつの話を聞いてやって貰えませんか?」
鈴谷八重はくすくすと笑った。
「カロ、あなた生徒会辞めてもやっぱりそんな事してるのね」
「??」
電話の向こうで紀一郎が戸惑っている。
あまり会ってもうれしく無さそうな相手なのでどうするか一瞬考えたのだが、紀一郎の紹介なら大丈夫だろうというある種の安心感があり、彼の頼みを受ける事にした。
「いいわ。揚屋君の話を聞いてあげればいいのね」
「ありがとうございます」
「じゃあ彼の家の電話番号教えて貰える?。この後掛けるから」
「それが最近部活に目覚めたらしくて、今も学校に居るそうです。だから明日どっかの時間、開けてもらえますか?」
鈴谷八重は少し間を置いた後、にやっと口角を持ち上げ悪い顔をした。
「じゃあ明日迎えに来てくれる?」
「えっ! 迎えに…… ですか。でも学校の休み時間とかの方が……」
「女子高生ともなると色々忙しくって、朝くらいしか時間が取れないのよね。それにケータイ使えないから待ち合わせしづらいし」
「まぁそうですけど……」
うろたえる紀一郎を畳み掛ける。
「じゃ決まり。そうだ、久しぶりに(揚げから)が食べたくなったから来る前に買って来てね。じゃ、明日七時半に。ばいばーい」
鈴谷八重は紀一郎の返答を聞かずに電話を切る。何かと理屈をこねたがる紀一郎には、反論をさせずに行動させるのが一番だとこれまでの付き合いで分かっていたからだ。
ちなみに予断だが、あげからとは揚屋の人気商品のから揚げの事である。
なんとなく晴れた気持ちになった鈴谷八重は、満足げに台所へ向かった。