土曜日
この日は朝から土砂降りだった。
「なりこ~! ごはんだよ~」
階段の下から声を張り上げる“風お姉ちゃん”に、真加瀬もめいっぱい声を張り上げてベッドの上から答えた。
「いらない!」
すると階段を上がってくる音がして、ドアのすぐ前で声がした。
「どっか具合悪いの?」
「違うよ……お休みなんだから……まだ、寝る」
「そう」
風はまだ何か言いたそうだったが、あきらめて下りていった。
「なんか、フラれたくさいよ~」
「うわー。記録更新だねぇ」
下からそんな声が聞こえた。真加瀬はふとんを頭から被って潜り込んだ。
「まだ、振られてないもん」
そう言いながら、彼は鼻をぐずぐずさせていた。
「……明日、終わったら……終わりだけど」
ふとんから手が伸びてきて、ベッドの横の棚に置いてあったラジオのスイッチを入れた。
《♪~……きーみーのー、笑ー顔―、わっすーれ~なーい~……♪》
ヒット中の人気女性アーティストの歌う失恋の歌が流れてきた。
彼はそれに隠れるようにしてくすんくすん泣き出していた。
「やっぱり錦野さんは、……来間君みたいなほうが、似合ってるもの。……いいんだ……。いつも、に戻るだけだもん……」
しばらくぐずぐずと音が続いていたが、またふとんから手が伸びて、今度はそばにあったティッシュの箱がふとんに引きずり込まれた。
鼻をかむ音がして、箱が押し出され、再び現れた手が、器用にゴミ箱にごみを投げ入れた。
「……やったー入った……、って、それどころじゃないってば……」
彼はまたくすんくすん言わせ始めた。
鼻をかむ時の顔は見えなかったので、かっこいいかどうかはわからなかったが、この状態はとてもじゃないが、かっこいいとは言えないだろう。
さて、やはり格好良くない顔を四つ並べているのは錦野家の面々だ。
休日のブランチに、“めんめん亭・とんこつ味”をすすっている。
乙女が珠子ににやりと笑いかけた。
「なんか最近、浮き浮きしてるが」
「げっ、何でわかるの」
「あたしを誰だと思っている。あんたの師匠であり母である錦野乙女だぞ」
「うっ。さ、さすが……」
「……アホくせぇ……」
星一のつぶやきを無視して乙女はたずねた。
「何があった?」
「へへー」
珠子はぐにゃぐにゃと照れて見せた。
「実はねー。とりあえず、彼氏できたっていうか……」
乙女、星一、そして父は箸を止めた。
「そうか!」
「それで、こんな土砂降り……」
「ううっ……僕の、珠ちゃんが……」
雨の勢いが増した。
「で、首尾は?」
「うん、明日、デートすんだー!」
母は満足げにうなずき、兄は、相手のことを思いやったのか眉をひそめ、父は座卓に突っ伏した。
にこにことして、つるっと最後の麺をすすり込んだ珠子は、どんぶりと箸を持ち「ごっそーさまー」と元気よく立ち上がった。乙女は笑顔でそれを見やる。
「よしっ、明日は赤飯だな」
「嫌だよ」
「そう言わずに作ってやれ、玉男」
台所に向かう珠子に星一が一言を付け加えた。
「まぁ、せいぜい頑張れば? バカやって、ボロ出して、瞬く間に嫌われねーようになー」
珠子は多少そんなことを危惧していたらしい。
「も、もう、兄ちゃんのバカ~!」
彼女に似合わず女の子のようなしぐさで怒り、走り去る姿に目を丸くした家族だったが、きっと心の中ではエールを送ったのに違いない。
その頃、川べりに拡がる町から少し離れた郊外に建つ菱沼の邸宅では、ゆいが自室で携帯を片手に怒鳴っていた。
「困るよ、どうすんのよ!」
いらつくゆいとは対照的に、相手の声は穏やかだ。
『……困るって言われても、俺も困るんだ。また、埋め合わせするからさ』
「高くつくわよ!」
『わかった、わかった。じゃあ』
通話は途切れた。
「もぉ~ぅっ! 祐樹~。覚えてなさいよ!」
彼女にとことこと近付く者がいる。三つか四つぐらいの男の子が、にま~っと笑ってゆいを見上げた。
「ゆうきって、あの、ゆいねえしゃまのおともだちの、ふりょうでしゅね?」
「……今回は格好良けりゃいいのよ。って、何盗み聞きしてんのよ! また勝手に人の部屋に入って! あっちへお行き、由二!」
「おこってらー。ふられたでしゅね?」
「小さいと思って、手加減すると思ったら大間違いよ。こら、待て」
「きゃー、ゆいねえしゃまがいぢめる~」
「あんたってやつは~」
ゆいに追いかけられた由二は、広々としたホールに走って行くと、目の前に現れた大きな影に隠れるようにした。
「しぇいいちにいしゃま~、たしゅけて~」
「兄さん、由二ったら、また」
ゆいや由二とは全く違う顔立ちの、ポーカーフェイスな兄は、二人を見比べると、足元の幼児をひょいと抱え上げて、ゆいにぽん、というかんじで手渡した。
「忙しい。邪魔するな」
ゆいはふっふっふっと不気味な笑みを見せた。
「みんなひどいでしゅ~。こんないたいけなようじを……」
「自分で言ってるような奴はぜんっぜん、いたいけじゃないから」
由二はほっぺびよ~んの刑を受けて、「ばあや~」と逃げていった。
「あ、そうだ!」
突然大事なことを思い出したらしいゆいは大声を上げ、兄ににらまれてしまった。
「ねぇ、兄さん、日曜日、暇~?」
ゆいが優しい口調になるときは、何か企んでいる時だと兄は知っている。
「暇など無い」
「え~っ。ちょっとだけ~」
「駄目だ」
兄はすたすたと行ってしまった。
「もうっ、兄さんのけちーっ!」
どうやら彼女は日曜の相手にドタキャンされ、偽って連れて行こうとした兄にも振られたようだ。
「こうなったら……」
それから彼女は知っている男子達に次々と電話をかけたが、皆、良い返事はくれなかった。なにせ、明日だ。そしてゆいは絵に描いたような高慢なお嬢様キャラで、一対一で向き合うには少々疲れる女の子なのだ。
彼女は気乗りしない様子で次の番号を押した。
『誰だ?』
「もしもしとか言ってよね」
『ほんとに、誰、だっけ?……』
「私よっ、私」
『ワタシワタシ詐欺?』
ゆいは携帯電話を投げそうになったが、一度目をつぶって自分を落ち着かせるようにしてから名乗ってやった。
「菱沼ゆいっ。わかった? 来間君」
『あ~。なんだ菱沼。へー。お嬢様が俺に何の用? ていうか俺の番号教えたっけ?』
「忘れたの? 腹の立つ奴ね」
ゆいは怒りをこらえるような、悔しそうな表情で、来間に明日付き合ってほしいと真剣に頼んだ。
『ふうん。……で、ダブルデートって、誰来んの? 俺の知ってる奴?』
ゆいは言いにくそうに言った。
「……珠子、と、真加瀬先輩……」
来間はしばらく黙り込んでしまった。
『そっか。わかったよ。じゃあ、行ってやる』
物言いが気に食わなそうなゆいだったが、それは言わないことにしたようだ。
「ありがと。助かるよ」




