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火曜日

 次の日。いそいそと登校してきた珠子は、午前中じゅう菜月に意味不明の笑みを投げつけながら教室の時計とにらめっこしつつ授業を受けていたが、昼休みになると弁当をかきこみ、デザートの牛乳プリンの余韻を楽しんでいる菜月の腕を引っ張って稲宗カフェテリア(要するに学食)から駆け出し、待ち合わせの約束をした体育館裏へと急いだ。

「そんなに喜ぶな」

「よ、喜んでないもん」

 菜月はどうどう、というように珠子の背を叩いた。

「人生初の彼氏だもんね。間に合わせとはいっても、舞い上がるのも無理はないけど」

「だから、舞い上がってないったら。あっ」

 珠子は右手に箸を持ったままだった。

「ほらほら、母ちゃんが持っといてあげるから、落ち着いてお話しするのよ?」

「う~」

「あ、いたいた。き、ん、の、さ~ん」

 桃山が嬉しそうにやってきた。その後ろに男子生徒がひとり。その後ろには木暮井がいる。男子生徒は始終うつむき加減で、ときおりちらちらとあたりを見回した。

 傍から見れば連行されているようにしか見えない。

「あ、先輩。どうもで……」

 菜月は途中で挨拶を放棄した。

 珠子などは初めて手品を見る子供のように口を開けて男子生徒に見入ってしまっていた。

 一言で言ってきれいな顔だ。

 はっきり言って、珠子よりも、ここにいるどの女子よりも、いや、学園中の女子と比べても、彼ほど“かわいい”という形容詞が似合う男はいないだろう。

 木暮井が間抜けな顔をしている後輩を正すように切り出した。

「えっと、錦野さん、こちらが真加瀬成之まかせなりゆきくん。真加瀬くん、こちらが錦野きんの珠子さん」

「あっ、ど、どうもっ! 初めまして、錦野と申しまするっ」

 菜月が小声で、バカ、と言ったのも珠子には聞こえていないだろう。

「……あ、ど、どうも……」

 見た目にぴったり合った、か細い声の真加瀬は、ひどく落ち着かない様子で珠子のおかしな挨拶にも気付いていないらしく、長いまつげの奥の黒い瞳をせわしなく動かし、身体をもじもじさせて、さらさらつやつやの黒髪や、きっちり上までボタンを留めたシャツの裾をいじっている。

「錦野さんがねぇ、どうしてもあなたとお話がしたいんですって。ちょっとだけ、聞いてあげてね? さ、あたしたちはおじゃまだから行くわね~」

「え? ちょっ」

「後は若いお二人で~。じゃねぇ」

 そそくさと去っていく三人を、えーっ、という顔で見送り、逃げるわけにいかない珠子はうつむいてぶつぶつと文句を言った。

「……艶先輩ったら。これじゃ、誤解される……」

 しかし、いつまでももじもじし合っていても仕方がないと腹をくくったらしい珠子は意を決した様子で、足を肩幅に開き、軽く握ったこぶしを腰の辺りで構え、気合を入れて真加瀬に話しかけた。

「真加瀬先輩!」

 語尾に“押忍”が付きそうな勢いで訴えかける珠子に、真加瀬は思わず身を引いた。

「はいっ」

 なんとなく彼は涙目になっている。

「あ、あああのっ、えっと、私、実は日曜日にそのど、ど、どどどど、うしても」

「牛?」

「あえいや、どうしても、デデデ」

 真加瀬はおびえながらも首をかしげた。

「デぇトっ!」

 珠子が声を張り上げたので真加瀬はびくっと飛び上がった。

「そう、そいつをやっつけなくちゃ、じゃなくて、そいつをしなきゃならなくなりましてっ。えっと、どうしても負けられない勝負でしてっ!」

「……デート? 決闘?」

 真加瀬の声は小さすぎて珠子の耳には届かなかった。

「そのようなわけでっ、こ、こんな、私ですが、どうかひとつ! 助けると思って、日曜だけでいいですから、な、なんとかそこをひとつ、お願いできませんでしょうかなっ!」

 軽いジャブぐらいの威力で真加瀬に言い終わった珠子は、ぺこりとほぼ二つ折りみたいなおじぎをした。

 無意識に両腕を片側に寄せた“いやん”なポーズをとっていることに気付いた真加瀬は、はっと我に返ると姿勢を正し、ばつが悪そうに顔を赤らめ、視線を泳がせながら蚊の鳴くような声で返事をした。

「えと、つまり、日曜にデートすればいいんですよね? ……はい。それぐらいだったら、なんとか……」

「ほんとですかっ!」

「あ、はい。……僕なんかで、よければ……」

 上体を起こした珠子は、涙を流さんばかりに嬉しそうな顔をして、真加瀬の両手をつかんだ。

「わぁ、ほんとにっ! やったぁ!」

 選挙中の候補者が支持者に返すような力強い握手をして真加瀬の両手を振りたくると、頭を振りながら「いい人だぁ」と連呼した。

「……僕……」

 真加瀬が遠慮がちにつぶやいた。

「僕も……ほっとしました。てっきり……」

「はい?」

「……恐喝でもされるのかと……」

 珠子は笑顔のまま動きを停止した。

「……体育館裏、って聞いて、それで……なんか、もっと、怖い人とかいるんじゃないかと……」

「い、いやだぁ。はは。そうですよね。艶先輩がこんなとこに待ち合わせ決めるから」

 ある意味恐喝に近いものがあるということに二人とも気付いていないようだ。

 心底嬉しそうな珠子と、ほっとした様子の真加瀬はにっこりと微笑み合った。

 放課後、二人は肩を並べて土手道を歩いていた。

 学校の前には“小川”というまぎらわしい名前の一級河川があり、学園の生徒たちや近くの小学校の子供たちはその土手道が通学路になっていた。川の向こうには隣町が望め、アーチ型の赤い橋梁越しの夕景は心和む眺めだった。

「……というわけでー」

「そ、そうなんだ……」

「でも、先輩がいい方で助かりましたぁ」

「え……お役に立てて、よかったです……あんまり……場……持た……」

「それにしても先輩って、ほんとに、きれい、じゃなくてかっこいいですよねー。すっごいお手入れとかしてるんですか?」

「そんなの、全然……」

「これだけかっこいいんだから、もっと堂々としてればいいのに。あ、でも、そしたらきっと大モテであたしの頼みなんか聞いてもらえなかったかな。でも、なんか埋まっちゃってますよ先輩。もったいない」

 真加瀬は寂しそうに笑った。

「……いいんだ。目立たないほうが……静かで……。女の子とか、初めはにこにこしてるけど……そのうち……気持ち悪いって……言われるし……たまに……変」

「あたしは気持ち悪いなんて思わないけどな」

「……最初は……だけど……やっぱり……性格……暗い……から……」

「そうかなぁ。じゃあ、試してみましょう!」

「え」

「気持ち悪いって思ったらあたしちゃんと言いますから。それまで友達づきあいってことで!」

 珠子は元気よく手を差し出した。

 真加瀬は初めて見る生き物のように珠子を見ると、おずおずと手を差し出した。

「あらためて見ても、ほんと、きれいな手だなぁ。なんか、申し訳ないけど」

 と言いながら、珠子は真加瀬と握手を交わした。

「……も、申し訳なくなんか、ないです……あ、あの……」

 きゃー、美人エキスー、とか叫びながら手を頬に擦り付けている珠子に、真加瀬は苦笑した。

「そーだ。先輩は先週来られたばっかりなんですよね。よしっ、じゃ明日あたしが学園内、案内しますっ!」

「え、あの、だいたいのところは、先生に……」

 珠子は人差し指を振ってちっちっちっと舌打ちして見せた。

「公式じゃないガイドですよぉ。楽しみにしててくださいねっ」

 傍から見ても嬉しそうな様子で家へ帰ってきた真加瀬は、夕食時、家族にそれを指摘された。

「なりこー。なんか、いいことあった?」

 テーブルの三方に座る女性達の中で一番若く見える女性が、きゃらぶきをつつきながら真加瀬に話しかけた。

「……また……なりこって言う……。えっと……友達……できた」

 ここは喜ぶところかと思われるのだが、真加瀬よりもはるかに男前な三人の女性は一様に箸を止めて真面目な顔で真加瀬を見た。

「どんなの?」

「どんなの、って、失礼だよ……るうお姉ちゃん」

「いきなり財布目当てじゃないでしょうね?」

「もう! ……こっちへ来てから、ふうお姉ちゃんにもらうお昼代しか持って行ってないでしょ」

「そっか。じゃ、あれか。顔か。で、男? 女?」

「お、女の子……。顔で、男、って聞く?」

「女かー。男よりは安心かなー。恐喝のおそれは少ないな。でも何日持つかなー」

「……ひどいな、なみお姉ちゃん。……錦野さんは、ちょっと……違うもん……」

「そっか、錦野っていうんだ」

 真加瀬はしまった、と言うように口元に手をやった。それを見ていた『風お姉ちゃん』は、困ったような顔をした。

「はぁ。誰か、いい男はいないかなぁ。……なりこに、男らしい仕草ってのを教えてくれるような。やっぱ周りが女ばっか、ってのは……」

「風ネエがさっさとおムコさんもらえばいいんじゃん。誰かいないの?」

「あのねぇ。私は一家をまとめるためにわき目もふらず、仕事一筋」

「その言い訳も、もう使えないよ?」

 風が、ぎりっ、と発言者の流をにらんだ。

「あ、あの。僕、おかしいかな……」

 ぽつりとたずねた真加瀬に流がきちんと答えてやった。

「あんた、冷静を欠くと、おネェっぽくなるよ? わかってる?」

「え……や、やだぁ!……」

胸元で両手を握りしめ、赤くなって怒る弟を見て、姉達は頭を振った。

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