第61話
……私は、初めて授業をさぼって、保健室というものを悪用した。
頭痛がすると言えば保健室の先生は快くベットで寝ることを承諾してくれた。
ベットの中でギュッと自分の体を守るように丸くなって、振られたという事実を噛みしめていた。
言われた直後は、ただ酷い事を言われたと言う事しか理解できなかった。
……振られた、それだけだと言うのに、それを酷いことだと私は認識した。
どうして?
……朝霧先輩の言葉に、躊躇が全くなかったから。
朝霧先輩が私の方を見て言ってくれなかったから。
朝霧先輩がわざわざ好きという言葉を私から引き出してまで振ったから。
いっぱいあるけれど、それを一つにまとめれば、朝霧先輩が私の事を大切に思ってくれてなかったことがわかってしまったから、だと思う。
私は牧瀬にできれば告白しないでほしいと思っていた。
告白されたら、ちゃんと誠実に答えを返そうと思っていた。
それでも答えるのにたくさん躊躇って、たくさん勇気が必要だった。
全部、全部、牧瀬を傷つけたくなかったから。牧瀬が大切だったから。
でも、朝霧先輩の言葉に躊躇いなんてなかった。
止めておいた方がお前のためだと言わんばかりのニュアンスで、誠実さなんてどこにもなかった。
私の気持ちを早めに止めておきたかったのか、わざわざ好きなのかどうかまで聞いて、振って。
私は、サイボーグなんかじゃない。
傷つくんだって、朝霧先輩は知ってくれてると思ってたのに。
私に傷ついてほしくないと思う程度には大切だと、姫野と比べればその信頼性や大切さは低くても、その程度には大切だと思ってくれてると、信じていたのに。
あんな風に牧瀬に説教したくせに。
「やめておけ」と言う言葉にあなたの気持ちなんてどこにも含まれていない。
私への忠告ぶって振っただけだ。
不器用な慰め方しかできない人でも優しい人だとそう思っていたのに。
あんな酷い振り方をする人なんかじゃないと思っていたのに。
泣きそうなくらいに苦しい中で、私は泣かなかった。
泣いてしまえば、認めるようなものだったから。
こんなに酷いと思っても、私は結局朝霧先輩が好きなままであることを――
――――――
「青谷さん、具合はどう?」
5時間目の終わりにそう保健室の先生に尋ねられて、私は大丈夫です、と言った。
その言葉は自分に言い聞かせるものでもあった。
教室に戻るために保健室のドアを開けると、
「実央! 大丈夫!? 実央が具合が悪いなんて、明日嵐が来るんじゃっ――!」
目の前に朱音の顔がアップで映った。
長年、一緒にいると発想が似通ってくるのか。
……いや、私由樹じゃないし、そこまで珍しいことではないと思うのだが。
「あ、朱音ちゃん……保健室だから静かにしないと……み、実央ちゃん、大丈夫……?」
「私は無理矢理2人に連れてこられただけで別にあんたの事心配してるわけじゃないから。……まぁ、一応大丈夫かどうかぐらいは聞くけどさ。」
志乃子に、姫野まで……
三者三様の反応だが、それぞれに心配してくれるのが伝わってくる。
持つべきものは友、ということか。
大丈夫、と一言答えて、保健室をでた。
その後、教室に帰る途中に、
「実央、やっぱり具合が悪いわけじゃないでしょ。放課後、会議だからね! ……志乃子、部活サボりなよ。」
朱音はにやりと笑った。
……はぁ。その笑顔が若干腹黒く見えるのは、玲衣の影響だろうか……。
「さ、サボりません! ……今日は、この前試合だったのでお休みです。だから、実央ちゃんの話、き、聞くから!」
こう、朱音の言葉だけなら軽くあしらえるのだが、志乃子に真剣に言われると否定したりすることを戸惑ってしまう。
「……はぁ。どうせ私も強制参加なんでしょ。」
嫌そうにため息をつく姫野も、実は私の事を心配してくれてる事がなんとなくわかってしまうから、放課後の会議を断ることは私にはできなかった。
――――――
「で、何があったの? あの流れからして問題は明らかに朝霧先輩だよね。」
小学生のころ班を作ったように4つの机を集めてくっつけると、他クラスの志乃子がHRが終わってその席に着くなり朱音はそう口を開いた。
「……振られた。」
事実を簡潔にそれだけ言うと、妙な沈黙が流れた。
「「「え?」」」
3人そろってポカンとした顔でそう言うものだから、小さく笑ってしまった。
その笑いが治まってから、小さく息をついてから、3人に向き直って説明した。
「朝霧先輩が好きだと気付いたんだが、振られてしまったんだ。好きだと言ったら、止めとけと言われてしまった。」
「「「えぇぇ!?」」」
そんなに私が朝霧先輩を好きなことは意外だったろうか。
連続で3人そろって驚かれてしまうと、笑う前に戸惑ってしまう。
「え? ……ちょっと待って。本当に振られたの?」
朱音が確認するように聞いたのに周りの2人もその問いを支持するように頷く。
「? あぁ。」
「本当に、本当に?」
2回目の「本当に」にやけにアクセントをつけて、信じられないと言うように朱音は確認してきて、やっぱり周りの2人も同じ疑問を持ってるのか、私の方をじっと見ている。
「……だから、そうだと言ってるだろう。」
「あり得ない!」
「う、嘘……ですよね?」
「はぁ?」
言葉は違えど、私の答えに対して全て否定的なものであった。
……いったい何故3人ともこんな反応をするんだ?
「だって朝霧先輩、実央の事好きそうだったじゃん! 実央の家庭の事でも実央のためにすごく頑張ってたじゃん!」
「あの人は……私に自分を見ていただけだ。」
私の事に自分の辛い過去を見て、心配しただけ。
ただ、それだけだったのだ。
「そんなこと……」
「そうなんだ。」
私は決して声を荒げることなく、しかしはっきりと言った。
その口調のせいか、一度全員が黙ったのだが、志乃子が恐る恐ると言った様子で口を開いた。
「……み、実央ちゃんは、それでいいの?」
「どういう意味?」
「や、やめておけなんて、そ、そんな返事にもなってないような返事で、い、いいの?」
いいわけがない。
でも、それが朝霧先輩の返事なのだ。それ以上を求めて、何が返ってくる?
「……これ以上の何かが、返ってくると思う?」
「そ、そんなの、き、聞いてみなきゃ、わからないよ!」
「わかるだろう!」
普段滅多に声を荒げない私と志乃子が言い争っていることに、姫野と朱音がポカンとしているのはわかっていたが、それでも止められなかった。
「わ、わからないよ! そんな風に諦めるなんて、み、実央ちゃんらしくない!」
「諦めないかどうかは私の勝手だろう!」
「私はあきらめない!」
言葉を一瞬止めた私に、志乃子は意志の強い瞳で、強い口調で、言った。
「私は! 諦めないもの! 無理だって、私みたいなのじゃ代わりにすらなれないってわかってても、何度好きな人の事を聞こうと、好きって言っても一度も本気で受け取ってもらえなくても、諦めないもの!」
どもることなくはっきりと言い切った志乃子は泣いていた。
志乃子の言葉が、涙が、じんわりと胸に沁みこむ。
「……はっきりさせる方が実央らしくてかっこいいと思うよ?」
朱音がにやりと笑った。
かっこいいと言われるのが実は好きだと知ってるのは彼女くらいだろうか。
「……はっきりと振られたら、慰めてくれるか?」
らしくないとわかっていたが、そうお決まりのセリフを言ってみた。
「慰める訳ないでしょ。」
おそらく肯定の返事をしようとしていただろう朱音と志乃子を遮って発言したのはそれまで黙っていた姫野だった。
「いい? 私が何度、失恋したと思ってるの? 彼女できたって嬉しそうに報告されたこと3回、好きな人ができたって相談されたこと5回、誤魔化されたこと1回、はっきり断られたこと1回。全部で10回! 全部同じ人! 1回や2回ぐらいで泣きごと言ってんじゃないわよ!」
まさか、朝霧先輩の想い人である彼女からこんな風に説教されるとは。
なんだかおかしくなってしまい、私はくつくつと笑っていた。
「な、何笑ってるのよ!」
「くくっ……いや? なんだかんだ言って、私が振られれば慰めてくれるのだろう?」
「なっ! 慰めないわよ! ……いや、まぁ、相当落ち込んでたら人として当然ぐらいには慰めるけど!」
自分の事を信じてくれている人を裏切るような奴で、嫌いだと思っていた姫野。
想いを伝えて、答えが返ってこなくて、全力で怒った姫野。
吹っ切れたように親しい人の前で本性を現した姫野。
好きな人の好きな人である姫野。
私は今の彼女が嫌いじゃない。
「お前の事、結構好きだぞ、桜華。」
「なっ!? ば、バカなこと言ってないでさっさと行きなさいよ!」
彼女の言葉の後に「実央」と聞こえたのは幻聴か、否か。