第59話
少し短めかもしれません。
声も出さず大号泣した日の次の日の朝。
心を整理するためとか言って一日延ばすんじゃなかったと後悔した。
なぜなら、泣いた次の日に学校に行かなければならないというのは非常に苦痛であるから。
まぁ、私は朱音みたいに泣いて目がパンパンに腫れているという失態は犯さない。
さんざん泣いた後にしっかり冷やしたし、寝る直前までちゃんと冷やしていた。
朝起きてみれば、大した違和感はないように思われる、が……万が一、もしこれが誰かにバレてしまえば非常に気まずい。笑っただけであの反応、私が泣いたなんて何事だとなる気がする。
牧瀬にばれたりなんてしたら一番気まずい。
鏡で自分の顔がいつもと比べておかしくないか何度も何度も確かめてから私は朝食を食べるためにリビングへと向かった。
「……おはよう。」
朝起きてみれば、そこにいたのは玲衣と由樹。
愛央とお父さんはもう会社に行ったようだ。
……随分と早くないだろうか。
いつも父は私が起きてからしばらくしてから、出発する。
愛央の会社だってここからそう遠くなかったと思うのだが……。
疑問が顔に出ていたのか、玲衣が朝の挨拶と共に説明をしてくれた。
「おはよう。愛央が早めに会社行かなきゃいけないって行こうとしたら、お父さんは途中まで一緒に出勤したかったみたいで一緒に行ったよ。」
「そうか。」
2人とも、昨日の私の涙には触れない。
昨日、何があったとみんなが何度も聞いても私が答えなかったからかもしれないが、私には非常にありがたいことである。
ありがたい、ことなのだ……。
「あのさ。」
だからこそ、わざわざ自分で話題にするのも気が引けるのだが、こればっかりは聞かなければわからないのだから仕方ない。同じ対象物であっても自分が見るのと人が見るのでは一概に同じとは限らないのである。
「……目、腫れてない?」
昨日のことに関する事かと身構えてた2人は私がおそるおそる口にした疑問に失礼なことに大笑いした。由樹なんてお腹を抱えて、机をバシバシ叩きながら笑っている。
「あはははっ! 何を言うかと思えば……! はははっ! そんな顔して目が腫れてるだって! あはははは!」
「ふっはは! 大丈夫だよ、いつも通りの実央だ。よーく見るとちょっと目が腫れてるような気がするけど、気にならない程度だよ。」
玲衣は質問に答えてくれたが、由樹はお腹を抱えて笑ったまま答えようともしない。
そこまで笑う事じゃないだろう。何が面白いのか私にはさっぱりだ。
そんな顔してってどんな顔だ。私はいつもこの顔だ! 悪かったな!
「いてててて! 悪い! 笑った俺が悪かったって! なんで俺だけっ! いや、違う! 反省してるから! 痛い痛い痛い!」
全てのセリフを由樹の頬を思い切りつねることで伝えたのだった。
――――――
穂波を信じてない……ことはあるが、志乃子を信じていないわけではない。
しかし、万が一という事もある、という事で、事件の本人発覚後初の登校となる今日、私は早めの登校をすることに決めた。そして、学校に着いてすぐにその決断を後悔するのだ。
「もう大丈夫みたいだな。」
そう言ったのは、自分と姫野の靴箱を覗き込んで安堵した私ではない。
その後ろにいつの間にか立っていた、神出鬼没がお得意の彼である。
「……犯人は見つかったので。」
「そうか。」
誰だった? などと追及されなかったことは助かった。
志乃子の姉が犯人だというのは志乃子の事を思うと、少し気が引けるからだ。
しかし、この沈黙は気まずい。
結構な噂になったから牧瀬の公開告白の事は朝霧先輩も知っているだろうが、昨日の事までは知らない……、と思う。そんな事を考えているとこの沈黙が非常に気まずいものに思えるのだ。
「……牧瀬に、告白されたんだってな。」
「……そうですね。」
案の定、朝霧先輩はその事を知っていた。
決して触れてはほしくなかったが、その話題に触れてきた。
「……牧瀬の事を振ったのか。」
「食堂の事を言ってるんですか?」
「違う。」
つまり食堂の告白の後で、私が牧瀬の事をはっきりと振ったのかと、朝霧先輩はそう聞いている。
聞いているとは言っても、朝霧先輩の言葉はどこか確信に満ちていたから、私は答えることなく、質問を返したのだ。
「……どうして? 牧瀬から聞いて?」
「いや、牧瀬からは聞いてない。……ただ、お前が泣いたみたいだから。」
朝霧先輩の手がゆっくりと私の頬に向かって伸ばされているのを感じて、とっさに私はその手を抑えた。睨み合いの時間が、実際にはわずか数秒、体感では数分、流れた。
「……そんなに、私の目は腫れていますか?」
「いや。……でも、いつもと少し違うと思って。」
後付けの理由。
でも、そういう朝霧先輩の無駄に勘のいいところを好きだと思う。
私の恋愛について、これ以上続けてほしくなかったのに、朝霧先輩はさらに問いを続けた。
「お前は、誰が好きなんだ? お前が、大切じゃなくて、好きな奴は誰なんだ?」
「……私は、恋愛感情での好きが、ずっとわかりませんでした。」
あなたです。
朝霧先輩が姫野を好きだと知っているのに、そう言う勇気は私にはなかった。
ただ、何も答えないという選択肢は私の中にはなくて、気がつけば小さな声でまるで説明のように話していた。
「でも、やっとそれがどういう気持ちなのかがわかって、自分が誰が好きなのかがわかりました。……でも。」
きっと私は、朝霧先輩の事を突き放したかった。
後付けの理由が増えて行くことを恐れたのだ。
「そんなこと、朝霧先輩に関係ありません。」
好きで、笑わない子を、サイボーグを、やっているわけではなかった。
無意識のうちにそうなっていた。
でも、私はこの時初めて、無表情を意識した。
絶対に、ほんの少しだって、顔の筋肉を動かさないように、初めて意識した。
そうしないと、私は今にも情けない顔をしてしまいそうだったから。
とても冷たい反応だったと思う。
少なくとも、大切だと、そして好きだと思う人にする反応ではなかった。
牧瀬をふざけあいの中で突き放す時とは違う温かさのない、本当に冷たい反応。
そんな反応を私がもし、朝霧先輩や牧瀬、もちろん朱音や志乃子にされても傷ついたし、許せないような気持になっただろう。そして、それは朝霧先輩も同じだった。
バン!と靴箱全体が揺れたのではないかと思い切り私の顔の横に朝霧先輩の拳が叩きつけられた。
でも、行動と言葉は全く一致してなかった。
「……そうだな。」
それだけ静かな声で言うと、朝霧先輩は何事もなかったように背中を向けて立ち去った。
きっとこれが私が朝霧先輩が本気で怒っているのを見た、初めての出来事。