第57話
その後、愛央は疲れていたのかすぐに深い眠りに落ちた。
しかし、私は眠れずにいた。
牧瀬が好きな人ではないという結論は出たが、好きだと思う人がいない。
私に好きな人がいないという結論であると考えればいいのだが、その答えを心が納得しない。
ベットにしばらく横になっていたが、眠れそうもないし、結論も出ないしで、私はとりあえず水でも飲もうとベットから置き上がってリビングにむかった。
愛央は美登さんの名前を寝言で呼びながら幸せそうに笑っていた。
……愛央が、恋愛のことでこんな風に笑えるようになって、本当によかった。
まぶしい光に目を細めながらリビングに行くと、そこには由樹がいた。
……あぁ、そう言えばまだこいつアメリカに帰ってなかったんだ。
今回は滞在が長すぎている事があまりも自然になっていた……というか、こいつはあの愛央帰宅騒動の時どこにいたんだ?
「ふあぁぁ。ん? おぉ、実央。おはよー。」
「……言っとくけど、今夜中の12時過ぎてるから。」
寝てたのか、寝てたんだな、由樹。
いったい何があってこんな時間まで寝てるんだか。
由樹は別に昼夜逆転生活を好んで行う奴じゃないし……。
「知ってるって。ちょっと頭痛かったから寝てたんだよ。」
「……由樹が風邪? 明日嵐が来るぞ。」
そう言いたくなるぐらいに由樹は健康優良児である。
私は今まで一度も由樹が風邪で寝込んだなんて話を聞いたことはない。
まぁ、私も人の事が言えないほどに滅多に風邪などは引かないが。
「何言ってんだ? 明日は天気予報で晴れって言ってたぞ。それと、風邪、ってわけじゃないと思う。……なんか、頭使いすぎて疲れた、みたいな。」
「頭を使いすぎた? ……由樹が?」
「あぁ、まぁ寝たおかげか、頭痛は治まってるんだけどよ……。」
ダメだ、嫌味が何一つとして通じてない。
いや、最初から嫌味が通じる相手だとは思っていないが、それにしても由樹の様子がおかしい。
覇気がないというか、いつもの元気が全然感じられない。
「どうした? 何かあったのか?」
「うーん……なんて言うかさ、うまくいかねぇもんだなぁって思って。」
いつも楽観的な由樹がこうも悩むもの……。
自分でも短絡的すぎると思ったのだが、ついさっきまで、愛央と恋愛について話していたせいもあって、ふと由樹の悩みが恋じゃないかと思った。
「好きな女の子に振り向いてもらえないのか?」
「――ぶっ! な、なんでそれを!?」
見事に図星だったらしく、私の隣で同じように飲んでいた水を思いっきり吐いた……幸いにも、流しにむかって。
汚い、と目で訴えるとごめんと小さく由樹は謝った。
タオルで口元を拭くと、そのタオルをギュッと握りしめて由樹は呟いた。
「……女の子の気持ちって難しいよなぁ……俺には全然わからねぇ。」
独り言のようなそれは、とても由樹らしくなかった。
それがとても嫌だった。
「人の気持ちなんて本当の意味で理解することは誰にもできない。そんなことで立ち止まるなんてお前らしくない。由樹らしくない由樹なんて由樹じゃない。何も考えずに行動すれば、自分らしくいられるんだろ?」
少しムッとした響きの声だっただろう。
由樹はこちらを向いて驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑った。
そして乱暴にぐしゃぐしゃと私の頭を撫でた。
「お前も可愛くなったなぁ。」
「意味がわからん。髪が乱れる、止めろ。」
「そういうところは可愛くねーなー」
そんな事を言いながら由樹は私の頭を撫でる手を止めなかった。
口では止めろと言いながらも、その手に絶対的な安心感を覚えてしまう私は結局そのままにしてしまうのである。
「お前はこんな時間に起きてきて、何かあったのか?」
「……恋愛感情で、好きだと思う人がわからないんだ。」
前は由樹に相談するだけ、とか言っていたのに、今もこうして相談してしまってる分、私は由樹を頼りにしている。たぶん……由樹が間違いなく、私と全く違った価値観から物事を判断するからつい意見を聞きたくなってしまうのだろう。
「じゃあ、好きな奴がいねぇってことじゃねぇの?」
「そう思ったんだが……それに、納得できない心がある。」
「じゃあ、いるんだろうな。頭より心のが正しい。」
由樹の言葉には説得力があった。
彼が自分の心にいつも正直に生きている人間だからこそかもしれない。
由樹は一度止めていた手をもう一度動かして、私の頭をぐちゃぐちゃにした。
「まぁ、その時になったらわかるだろ。」
聞いた事のある言葉を、由樹が言った。
……いつ聞いた?誰から?どんな状況で?
『ごちゃごちゃ考えずに何となく感じろ。その時になったらわかる。』
あの時、あの人も私の頭を乱暴に撫でた。
あの後、姫野へのいじめがあって、朝霧先輩は姫野が好きなんだなぁって思った。
……私を信頼できないほどに。
そこまで考えて、異和感に気付いた。
あの時、私は何を思った?
信頼されてないことに傷ついた。泣きそうなほどに悲しくなった。
それは何故?
……同等の信頼を返してくれると信じていた。
自分が信じている人に自分の事を疑われると傷つくというのは言い訳だった。
そんなこと、わかりたくなかったけど、愛央の話を聞いてまで、その言い訳を通すのは無理があった。
きっと朝霧先輩以外の他の誰でも私は「……馬鹿? そんなことするほど暇じゃないけど」ぐらいで終えることができた。傷ついても、謝ってもらえればすんなり許せた。でも、朝霧先輩に疑われたことは謝られても心にしこりを残した。
何故言い訳を?
……自分の気持ちに気付きたくなかった。
朝霧先輩の、姫野への愛情を見たから。
私は、朝霧先輩に、見返りを求めたのだ。
何となく感じろ、その時になったらわかる……頭より心の方が正しい……ね。
2人の言ってることは本当で、とても正しかった。
「実央……? 実央? 大丈夫か、顔色相当悪いぞ? な、泣きそうって言うか、大丈夫か?」
声は完全にパニックに陥っていたが、真夜中であることをちゃんと考慮しているのか決して大声は出さなかった。由樹にも常識があったんだなぁとかどうでもいい事を考えていた。
泣きそうな顔をしていることも、顔色が悪いことも自覚があった。
それでも、泣かなかったのは、泣きそうで泣かなかった姫野や志乃子の事が脳裏にあったからかもしれない。いや、ただ姫野や志乃子と同じ気持ちであっただけなのかもしれない。
自分の好きな人が他の人を好きだという事実は、苦しいけれどそれを逆にどう外に出していいのかわからない、そんなものだった。
何を、どんな風に、言葉を返せばいいか私にはもうわからなかった。
それを察したのか、それ以上なにも問わずに、そっと優しく肩を持ってくれた由樹の胸で荒れた感情の波が治まることをただただ待っていた。
次の日の朝。
思ったよりも心の中は落ち着いていた。
自覚した次の日に、朝霧先輩に会わなくていいという事があったかもしれないが。
今日は土曜日、学校は休み。
特に用事もない私は愛央や由樹と取りとめのない事を話したりして過ごしていた。
由樹は、昨日の事をおくびにも出さず、普段通りにしてくれた。
その優しさに一日だけ甘えようと、私はそう決めた。
いろいろと整理するためにも一日だけ休んで、そして、次の日には、必ず。
次の日には、必ず……?
次回の更新をお楽しみに^^