第55話
姫野には志乃子が事情説明して、穂波の代りに必死に謝っていた。
姫野はあんたが謝ることじゃないって言ってたけど、なんだかんだで許したのだろう。
彼女はきっと、言葉よりも優しい人間である。
しかし、いつもとは違うタイプの人間を相手にしたせいか、今日一日酷く疲れた。おもに、精神的に。
家に帰ってきてホッとした私に、さらに面倒なことが待ち受けているなんて誰か予想できただろうか。
「あ、実央。おかえりー」
「あぁ、ただいま……って、愛央!?」
愛央の言い方があまりにも自然だったからそのまま流してしまいそうになったが、ここに返ってくる事をあんなに嫌がっていた愛央がどうしてここに……
私の顔が驚いていますとはっきりと語っていたのだろう。
愛央はすこしムッとした顔で文句を言うように言った。
「何よー。実央がいつでも帰って来いって合鍵渡してくれてたんだからそんなに驚かなくてもいいじゃない。」
「いや、別に悪くはないが……どうして突然帰ってくる気に?」
「玲衣との問題が完全に片付いたって言うのもあるし……」
この時私は動揺しすぎていた。
玄関に置かれているもう一足の見覚えのない靴に気付かないほどには。
「お父さんに紹介したい人ができたから。」
とても嬉しそうに笑った愛央の隣にスーツを着た愛央より少し年上と思われる男性がいた。
……紹介、したい人、ね。
「……すみません、お邪魔しています。」
「いえ……」
驚いた。非常に驚いた。
流れからしてこの人と愛央が結婚を前提に付き合ってると見て間違いないだろう。
男性は家に上がっていることに非常に申し訳なさそうな顔をしてる事からして常識はあるようだが、愛央に押され負けたところをみると愛央には甘い……のか?
それとも申し訳なさそうな顔をしているのは建前……。
いやいや、今は相手の性格について分析してる場合じゃないだろう。
しかし、お父さんに紹介したい人ができたから帰ってきたといってるあたりから、お父さんだけに事前に知らせてるとかはなさそうだ。
お父さんの仕事中は愛央達も仕事中だろうし、昨夜や朝知っていれば、お父さんの性格であれば私たちに知らせるだろう。
……っていうことは、お父さんにも来ることを知らせてないと見た方がいい、よな。
「愛央。お父さんに連絡は……?」
「え? してないよ。」
やっぱり……。
どうして愛央はいつまでたってもこういう突拍子のないことばかり……。
「普通、電話なり何なりしてお父さんの予定を聞くべきじゃないか?」
「だってサプライズの方が面白いでしょ?」
……やめとこう。
私が何を言ったって無駄だ。
驚きすぎてお父さんの寿命が縮まらないことだけを祈っていよう。
――――――――
「た……」
ただいまの”た”しか言えなかった父は愛央がこの家にいることで十分に驚いていたというのに、紹介したい男性が言われると倒れるのではないかと心配するほどであった。
父よりほんの少し前に返ってきた玲衣は愛央と男性の事は知っていたようで、2人の事に対して笑顔を振りまく余裕さえ見せていたけど。
……その笑顔が妙に恐ろしく見えたのは気のせいと言うことにしておこう。
しかし、疑問なのはこの会議に私が必要なのかという事だ。
「結婚と突然言われても……な。」
男性は愛央の会社の上司で、美登 和樹と言うらしい。
そして、予想通りというべきか、2人は結婚を前提に付き合っていて、今回は結婚の許可をもらいに来たらしい。
お付き合いの報告とかではなく、結婚の許可……うーん、できちゃった結婚よりは順序として間違ってないのか?
別に順序があってなければいけないとは言わないが、まぁ、愛央はなぁ……。
「和樹さんはいい人だよ、それに……」
「いい人とか、そういう問題じゃないんだ。愛央、お前は何年この家に帰ってこなかったと思ってる?」
お義母さんが亡くなったのが私が小学6年生、つまり愛央が高校1年生の冬。
そして愛央は今年で20歳。もう4年か……。
父の言葉は愛央の痛いところをついたらしく、愛央は何も言い返すことができず、でも納得できないといわんばかりの顔でムスッとした。
「和樹君……わざわざ家に来てもらって申し訳ないが、こういう状況なので……」
「はい……あの、私はどれだけでも待ちますから。」
美登さんの言葉に愛央が伏せていた顔をバッとあげた。
とても驚いた表情をして。
「……2人の結婚に反対なわけじゃないんだが……」
「じゃあ、どうして!」
父は愛央に似た優しそうな風貌に似合わず、とても無口である。
だからこそ私と父の擦れ違いが成立としたといっても過言ではない。
……父と似ている私に話させるのも酷だと誰か思ってくれないものだろうか。
しかし、玲衣は何が楽しいのかニコニコと状況を見守るだけ。
ため息をついて、私は口を開いた。
「あのさ、愛央。忘れてるみたいだけど、あんたお父さんの娘なわけ。しかも最初に亡くしたお母さんにそっくりな性格をした。そんな娘と16歳から4年も一緒に生活できなくて、家に帰ってきたと思ったら結婚するよバイバーイで納得できると思う?」
「……ごめん、お父さん。」
申し訳なさそうにしている愛央は私の言葉でやっと父の「何年いなかったと思ってる」という発言の意味を正しく理解したようである。
少し考えればわかると思うのだが……愛央がいろんな意味ですごいと思う。
お父さんからしてみれば、16歳なんてまだまだ可愛がってあげたい年頃であっただろうに。
……なんか、私、おばさん臭くなってないか?
「いや、付き合う事に反対をするつもりはないよ。ただ、結婚はもう少し待ってほしい。」
父は少し落ち込んだ様子の愛央にそう優しく言うと、美登さんの方に向き直った。
「どうする? 泊まっていくか?」
「いえ、明日会社に行く用があるので今日は家に帰らせてもらいます。」
美登さんは穏やかに首を振った。
仕事がたまっているのだろうか、明日は土曜日なのに社会人というのは大変である。
「あ、じゃあ私も……」
「愛央は明日、仕事ないだろう? 今日は泊まっていくといい。」
「じゃ、じゃあ見送りに!」
美登さんはさっきと同じように首を横に振った。
「大丈夫。お父さんとお話でもしな。……では、また後日改めて伺います。」
「あぁ。」
見送りを断られた愛央は完全に拗ねていて、お父さんと話すどころではなさそうだ。
お父さんは愛央と話したいみたいで懐柔に必死だけど。
玲衣は相変わらず楽しそうにニコニコ笑ってる。
見送りのつもりではなかったが、言いたい事……聞きたい事かな。もあったので、私は部屋を出た美登さんの後を追った。
「美登さん。」
「あぁ、実央ちゃん。見送りなんていいのに。」
「いえ。聞きたい事があったので。」
「何かな?」
穏やかな笑顔は別に嫌いじゃないが、どうも胡散臭さがぷんぷんする。
まぁ、彼女の父親に挨拶する男の笑顔なんてそんなものかもしれないが。
「美登さんって、本当はすごく性格悪いですよね?」
「……何でそう思うのかな?」
美登さんは思ったよりも図太いらしく、私の言葉にもあまり動じた様子を見せなかった。
「あなたがどれだけでも待つって言った時、愛央はとても驚いてました。ということは、普段は待ちそうにもないということ。あと、玲衣があなたが困ってるのを明らかに楽しんでいました。玲衣はいい人に対してそんなことをできるほど冷たくないから、やっぱりあなたの性格が悪いのだろうという結論になりました。」
美登さんフッと少しだけ皮肉気に笑った。
「ご想像にお任せします。」
常識はあるようだったが、あの笑い方と言い、あの最後の返し方と言い……思ったよりも彼とは仲良くできそうだ。
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