第54話
普段は滅多にこない2年生の教室。
高浜が止まった教室のドアを開けるとそこにはたった一人だけがいた。
おそらく穂波……だが、どこかで見たことがあるような……。
虐められてた時に直接見たとか、そんなことじゃなくて……今考えてもしょうがない事か。
「これはお前がやったことか?」
穂波の前まで歩いて、私は彼女に画鋲付きのスリッパをつきだした。
「……何のことかしら?」
「昨日の放課後、私の友人が靴箱を確認した時にはこんなものはなかったらしい。そうなると今日の朝に仕掛けられたことになる。私と高浜以外に登校しているのはお前だけだ。」
ところどころ嘘はある。
昨日の放課後は別に確認してもらっていないが、朝仕掛ける必要がないならここまで早く来る必要がない。それに、机を放課後に出していたらそれこそ警備員さんに発見されて終わりだ。
あと志乃子が登校してきているけど彼女がそれを知ってるとも思えない。
まぁ、真実を知るために必要で許される程度の嘘だ。
「……私がしたから、だから何?」
案外あっさりと彼女は吐いた。
ただそのにっこりと笑った表情が彼女の精神の異常さを表しているようで怖い。
「あなたが悪いんでしょ? どうして牧瀬君を誑かしたりするの? どうして私から牧瀬君を取るの? あなたも、あの姫野って女も!」
普段なら平気でいろいろ突っ込むのだが、彼女の目は異常である。
思わず何か言うのをためらうほどに。
精神が普通ではないと考えた方がよさそうである。
「落ち着いて、穂波……」
「ねぇ、はまちゃんもそう思うよね? こんな子が牧瀬君の隣にいちゃ……」
「お、お姉ちゃん!」
高浜も、私ももはやどうこの精神異常者を相手にしていいかわからなくなった時、1年の教室から騒ぎを聞きつけるには遠すぎるのに、志乃子はベストタイミングでこの場にやってきた。
穂波をお姉ちゃんと呼んで……。
どこかで見たという既視感は志乃子と似ているためだったか。
高浜はわざわざ穂波の名字を言うことがなかったし、志乃子と違って彼女がショートカットであったことが、姉妹だとわからなかった原因だろう。
「ご、ごめんね、実央ちゃん……最近お姉ちゃんの様子がおかしいことはわかってたんだけど……」
志乃子が早く来たのは自分の姉が朝早く出ることに気付いて、不審に思っていたかららしい。
そして姫野の虐めを目撃し、もしかして自分の姉がやってるのでは思った……ということか。
「今日、お姉ちゃんが実央ちゃんの靴箱に、な、何かしてるのを見て、で、でも私、どうしていいかわからなくて……パニックになって教室に戻って……で、でも! や、やっぱりダメだとおも、思って来てみたら……」
「ねぇ、志乃子。あんたも牧瀬君好きなんでしょ? この子じゃ嫌でしょ?」
穂波は一人状況が飲み込めていない……というよりも、わかろうとしていない。
周りの状況なんてお構いなしで自分の気持ちだけを口にしている。
「……お、お姉ちゃん。実央ちゃんは、す、すっごくいい子だよ? だから、だから、そんなこといわな――」
志乃子の言葉の途中で穂波は志乃子を突き飛ばした。
その力の強さは志乃子が倒れかかった机が吹き飛ばされてる事からよく分かる。
「なんでこんな時まであんたはいい子ぶりっ子ちゃんなの? そうやってお父さんとお母さんの気をいっつも引いて……あんたみたいなダメな子が……」
言葉を遮るのは、今度は私の番だった。
「自分の妹を突き飛ばすとはどういう神経だ? そもそも志乃子はダメな子ではない。いや、鈍くさいのは認めるが、決してダメな子ではないし、いい子ぶりっこするほどの器用さもない。そんなこと姉であるお前が良く分かっているだろう。」
「……み、実央ちゃん。もしかして、私の事、け、貶してる?」
……おかしい。フォローするはずがどうしてこんなことに。
軽く咳払いをして、おかしくなってしまった空気を正して、話を再開した。
「だいたい17にもなって親離れできてないというのは少し問題だと思うが。」
「な!?」
彼女のネックとするキーワードはどうやら親であるようだ。
「そうだろう? 志乃子が下の子であるがために可愛がられている事を今でも嫌がるなんて相当なマザコンファザコンとしか思えない。」
「あ、あの、み、実央ちゃん……」
うん、ちょっと精神が異常だからって恐れるなんて私らしくない。
やっぱりこういうのははっきり言った方がすっきりする。
「あ、あの人たちは志乃子にばっかり優しくして! 牧瀬君は私にすごく優しくしてくれたもの!!」
……え、親の愛を牧瀬に求めたのか?
いや、確かにあいつは誰にでも優しいところはあるが……
「でも、あんたのせいで牧瀬君は私に怒ったわ……牧瀬君があんなふうに怒ることなんてなかったのに……」
それで私が牧瀬を誑かしたことになってるのか、なるほど。
しかしまぁ、自分勝手というかなんというか……。
「私は牧瀬に怒ってくれなんて頼んだ事はない。あいつはあいつの意志で怒った。それと、牧瀬はお前の親じゃない。無償の優しさは親に求めろ。」
「求めてもくれないもの!!」
彼女の牧瀬への異常な執着は親の愛情を感じられなかったことから来てると見て間違いない。
愛情に飢えてる彼女にとって、誰にでもであっても、牧瀬の優しさというのはずっと欲しかったものなのだろう。
「……本当に?」
「え……?」
静かに私が言った言葉につられるように穂波の勢いが止まった。
やっと落ち着いて話ができそうだ。
「一度違うと思って目をそらすと、その後から与えられたものも見逃してしまう。そんな間違いを犯していないか?」
「な、なんなのよ、あんた……」
私は、その間違いを犯した。
確かに親の中にはどうしようもない親だっているが、志乃子を見ている限り、彼女を育てた人がそんなどうしようもない人だとは思えない。
「志乃子、お前の親はいい親なんだろ?」
「う、うん! ちょっと厳しいところもあるけど、みんなお姉ちゃんの事、だ、大好きだよ! お姉ちゃんはわ、私と違って優秀だから、期待されてる分厳しいだけだよ。」
志乃子の必死に伝える様子にその気持ちが伝わったのか、ふっと穂波が出していたある種緊迫した空気が消えた。
「……わかったわよ。話してみれば、いいんでしょ。」
「あぁ。」
「だからって、あんたと牧瀬君を認めたわけじゃないんだから!」
執着もここまでくればすごいと思う。
この執着も親からの愛情を感じられるようになれば薄らぐのか……?
穂波の執着に少し引いていると、何も言わずに状況を見守っていた高浜が口を開いた。
「穂波! ……牧瀬が青谷実央のものではないように、あんたのものでもない。だから、認めるとか認めないとかそんなことじゃないってわかるよね?」
……友情の力というのは、偉大である。
頑なだった穂波は高浜の方を向いて涙を流し抱きついた。
……いや、まぁハッピーエンドで結構なんだが。
「高浜。その台詞を春の自分に言ってやれ。」
「わ、私は! そ、その、あんたの生意気さがムカついたわけで牧瀬がどうこうってわけじゃ……その、穂波が……」
途中で高浜は言いにくそうにチラリと穂波の方を見た。
すると穂波は高浜が何を言わんとしているかがわかったらしく、にっこりと笑って口を開いた。
「あぁ、私がはまちゃんにも他の子にもあることないこと噂流してたから。でも、皆制裁のしかたが甘いし、姫野ちゃんの噂なんて誰も信じないから、仕方なく私が動くことにしたの。」
……どうして、志乃子みたいにぽやぽやした奴の姉がこんな風になるのだろう。
いや、志乃子がぽやぽやしてるからか?
最初に感じた恐ろしさを思い出させる発言に反応したのは私ではなく志乃子だった。
「お、お姉ちゃん! もう実央ちゃんに、ひ、ひどいことしたりしないで……」
志乃子の強い言葉に穂波は姉としてのプライドもあってか、高浜の時とは違ってプイッとそっぽを向いた。
その態度に志乃子はさらに何かを言おうとしたが、私が止めた。
きっと、穂波もわかっているのだろう。志乃子の姉だ。
牧瀬の事を私に何か害を加えるのはお門違いだと。
それでも好きな相手が愛情を向けている相手には嫉妬せずにはいられない。
……苦しく、ないのだろうか。
私からまた”恋愛”のふた文字が遠のいた気がした。
高浜が穂波の名前を出したときにあえて名字を出さなかったのはこのためです。
なんでこの子の兄弟がこんな性格なんだろう……ってたまにありますよね?
実央がウジウジと悩むタイプではないのでどうも虐め問題はいつもさっくりと終わってしまいます。
もうちょっと複雑にしてみたいのに……残念。
久々に連続更新です^^
でもそろそろテストなのでちょっと更新速度があやしいかもしれません(汗
広い心で待っていただけると幸いです。
拍手お礼小話のリクエストお待ちしてます^^