第52話
「え!? あの姫野がっ?」
「あぁ、表立っては全くやってない分、性質が悪いな。」
朱音の驚いた顔を横目に私は口の中に卵焼きを放りこんだ。
あまり広まってほしくない噂を話す場所に選んだのは食堂。
もっと人がいないところの方がいいのでは、と思うかもしれないが、木を隠すなら森の中、話を隠すならもっと多くの話の中、というわけである。
実際、これだけガヤガヤとした場所で他人の話を意図せず聞くことができるとは思えない。
「いったい何が原因で……」
「さぁな。しかし、あの一時期の荒れてたのが原因とは思えない。皆うまく騙されてたからな。」
「……きっと、牧瀬先輩たちの事……だよね?」
志乃子の言葉に私は何も答えなかったが、それ以外理由が思い浮かばなかった。
「っていうか、志乃子どうしてあの時私にも言ってくれなかったのっ!?」
「そ、それは……あの時、朱音ちゃん話になる状況じゃなかったというか……」
その通りである。
全くもって話ができる状況じゃなかった。
あの状況を作り出した張本人がどうして何も言ってくれなかったのだ、などと言うとは思わなかった。
「そ、そういえば、あの後お兄さんとは……」
待ってましたと言わんばかりに朱音はにんまりと笑った。
「うっふっふー」
「志乃子、浮かれ病がうつるぞ。朱音から離れろ。」
朱音が気色悪い笑い方をしたのと同時に私はそう言った。
「浮かれ病って何よ! 浮かれて何が悪いのよ!」
……浮かれてる事を否定しないところがもうダメだな。
志乃子は私の言葉と朱音の言葉にどうしていいのかわからず、私の方を向いたり朱音の方を向いたり、首をぶんぶんふって、傍から見たら明らかに挙動不審であった。
「どしたの、宮沢ちゃん。」
「キャア!」
……悲鳴だった。
それは疑いようもない悲鳴だった。
その悲鳴は一瞬にして周りの注目を集めたが、特に大したことが起きてないとわかると、すぐに皆自分たちの食事、もしくは話に戻った。
悲鳴を上げられた牧瀬は珍しく戸惑った笑い方で志乃子に問いかけた。
「えっ、ごめん……肩に手を置くの、嫌だった?」
「ち、違うんです! ほ、他の事が頭がいっぱいだったから、び、び、びっくりしちゃって……」
顔を真っ赤にさせて弁解する志乃子に微笑ましい気持ちになったのだが、ついこの間の話を思い出し、申し訳ないような苦しいような複雑な気持ちになった。
そして、そんな気持ちを持った自分がとても嫌だった。
しかし、少しばかりしんみりとした気持ちは次のやり取りによって一瞬で吹き飛ばされてしまう事になる。
「そう? ところで、宮沢ちゃんは木島ちゃんと実央の間で何を困ってたの?」
「あ、そ、それは、その、朱音ちゃんがう、浮かれ病というものらしくて、み、実央ちゃんが朱音ちゃんから離れるようにって……で、でも私、朱音ちゃんびょ、病気には見えなくて……」
病気には見えない?そりゃそうだろう、浮かれ病なんて実在しないぞ。
そこにいた3人全員がそう思っただろう。
一瞬の沈黙。
そして、
「「あはははは!!!!」」
「っく、はははっ!」
その場は爆笑に包まれた……はずだった。
しかし、牧瀬と朱音に一拍遅れて私が笑った瞬間、また沈黙が訪れていた。
「……笑った……。」
その言葉を言ったのは誰だったか。
牧瀬か、朱音か、志乃子か。
もしくは誰でもない他の人か。
志乃子が悲鳴をあげた時のような一瞬の注目ではない。
多くの人がこちらを見ていた。
「青谷実央が笑った!」
いや、そこまで注目を集めることか、と思ったが、自分の周りにいた3人が愕然としてこちらを見ているのに気付き、自分の感情表現の希薄さを今更ながらに思い知った。
うーん……そういえば、声をあげて笑ったのは久しぶり、か?
それにしてもあまりにも失礼ではないだろうか。
人が笑ったのを見て指までさしている奴がいる。
人に指さしちゃいけませんと子供のころに習わなかったのか、とそんな下らないことばかり考えていたのに、一つの言葉がそんな平和な状態を壊した。
「……可愛い……」
自分に向けられた言葉だとは思わなかったのに、顔をあげたら牧瀬の視線がまっすぐとこちらを見ていてた。
何故か、私には彼が次に言う言葉が想像できた。
だから、何度も言うなと否定を目で訴えたのに、必死に首を横に振ったのに。
彼はそれを「可愛い」という言葉の否定だと受け取ったのか、「可愛いよ」と言わなくてもいい事をまた言って、そしてついに今、この状況では決して存在してほしくなかった言葉がそこに出てきた。
「俺、やっぱり実央の事、好きだ。」
面白がって囃したてる声も、嘘でしょと叫ぶ金切り声も、何があったかわからなかった人に説明しているような声も、すべてが私には遠かった。
間違いなくはっきりと認識できているのは、誤魔化すつもりのない牧瀬の真剣な瞳と、今にも泣きそうな顔をして、でも決して泣かない志乃子だけだった。
話を隠すならもっと多くの話の中。
それは決して間違っていたとは思わないが、人の恋愛話なんて美味しい話にはどいつもこいつも食いつくという事だ。
……それとも、その前に私が注目を集めてしまったせいだろうか。
ちゃんと断ろうと、そう決めていた”次の”告白はまさかの公開告白となったのだった。
……だから?
返事を先延ばしにする理由になるのか?
周りにたくさん人がいるから?
どうせ公開告白の時点で結果は噂で回る。
志乃子がいるから?
これ以上彼女が傷つくことなんてない。
……でも、この前みたいに冗談にしてしまえば、何だそう言う事かって周りは沈静化するかもしれない。
志乃子の傷が浅くて済むかもしれない。
そんな考えが頭をよぎった。
けれど、牧瀬がただこちらをずっと見ていたから。
ヘラヘラ笑っていなかったから。
そして、その真剣な瞳を一度裏切ってしまったから。
もう大切な人を騙すなんて、裏切るなんて、そんなのもう嫌だから。
牧瀬が私に向けた真剣さを少しでも返せるようにと、真っすぐその瞳を見返して、はっきりと告げた。
「私は誰かと恋愛関係になることを考えたことはない。それは牧瀬、お前も例外ではない。」
牧瀬は笑った。
でも、それは私が惹かれたあの笑顔ではなかった。
「おっと、つい早まっちゃった。そんな風に結論出さないでよ。せめて実央に誰か好きな人ができるまでは粘らせてよ。それが俺になれるように頑張るから。」
どうして、断ったのに。
こんな辛いことをしたのに。
そんな言い方、卑怯だ。
ダメだなんて言えない。
人の気持ちがどうであろうと、私に答えが求められていないなら、それを否定することは私には許されない。
「……勝手にしろ。」
その声が震えていたからだろうか。
視線に耐えかねて食堂を立ち去った私を追いかけてくれた朱音が寄り添って歩いてくれた。
何度も背中を撫でてくれるその手に、涙が出そうになった。
ただ、私と同時に食堂を出た志乃子は私が向かう方向とは全く別の方向に走っていった。
後で志乃子のクラスの人に聞いたら、志乃子はあの後早退したらしい。
仕方ないことだと、牧瀬も、私も、もちろん志乃子も誰も悪くないという事ぐらいわかっているのに、罪悪感のような痛みが私の心を蝕むのを感じた。
衝撃展開でしたねー。実央ちゃんが笑ったことに、牧瀬君の告白。
実央が笑うのは何でもないことにしようとずっと前から決めてました。
特別じゃない日常が楽しいものですからね。
牧瀬の告白は予定外です。
牧瀬が暴走しましたw
さて、次の回もちょっとした衝撃展開が待ってる予定です^^
あとお礼拍手を追加しました。
前回私の管理の不手際で、拍手を何度か送ってもらっても次のお礼画面にならないというミスがありました。申し訳ありません。
ちゃんと次のが見れるように修正しましたので、是非拍手いただけると嬉しいです。
ちなみに追加したお礼小話はこの前予告していたものです^^