第49話
『あなたたちは逃げただけじゃない!』
姫野の言葉が今も耳に焼きついて離れない。
牧瀬の想いを知らないふりをした私は、牧瀬に説教をする権利はない。
それでも姫野を助けられるのは牧瀬だけで――
私の思考は額に添えられた手で遮られた。
「まーた眉間に皺寄せてる! お弁当の手も止まってるし……」
ムスッとした顔の朱音と心配そうにこちらを見る志乃子が目に入る。
あぁ……そうか、今昼ごはんを食べているんだった。
姫野が一人で教室で食べるようになってから、朝霧先輩と牧瀬も教室で食べるようになったようで、今日は久々に中庭で3人で食べようという話になったのだった。
「桜華のこと、考えてたの?」
「……あぁ。」
「あれからずっとあのまんまだもんね。虐めに発展してないのが奇跡だよ。」
あの後、姫野の態度が変わることはなく、周りは完全に腫れものに触れるような扱いだ。
それでも虐めに発展してないのは、自分の言葉が効いているのだと思うのはたぶん過信ではない。
放課後、姫野が去った後に何人かの女子が姫野の事で騒いでるのに、「くだらないことをするな。いずれ自分たちに返ってくる。」と言っただけなのだが。
言葉の意味はそのままで、酷い事をすればそれは必ず自分に返ってくるいう意味だったのだが、彼女たちはどうやら私の呪い云々の話であると思っているようだ。
しかし虐めには発展してないものの姫野はクラス……いや、学校で完全に孤立状態となっている。
その解決の糸口は牧瀬が握っていて――
頭の中の考えがループしかけたその時、一人の女子生徒が割と大きい声で友達に話しかけながら近くを走り去って行った。
「朝霧先輩と牧瀬先輩が桜華のことでそこで揉めてるらしいよ!」
……朝霧先輩と牧瀬が、揉める?
「あの2人が揉めてるの? ……って、実央! 行くのっ?」
朱音の声が後ろから聞こえてきたが、返事はせずさっきの女子生徒を追いかけた。
その先には……
「お前しか思い当たる原因はいない。」
「知らないよっ! あそこまで桜華が荒れる原因なんて!!」
言われていた通り、朝霧先輩と牧瀬が揉めていた。
「あそこまでじゃなかったら思い当たる原因はあるのか?」
「なんでそれを琢磨に言わなきゃいけないんだよっ。俺と桜華の問題だろ!?」
「しかし、あの状態を放っておけと言う方が無理だ。些細なことでも思い当たることがあるなら改善しようとしろ。」
朝霧先輩の言葉に牧瀬は言い返す言葉を失ったが、それでも決して納得した様子ではない。
「……朝霧先輩、牧瀬。」
「実央……」
これは、チャンスではないだろうか。
牧瀬に姫野の苦しみを知ってもらうチャンスなのではないだろうか。
「目立ってる。場所を変えよう。」
そう言うと朝霧先輩と牧瀬はしまった、という顔をした。
どうやら言い合いに夢中で人の目を気にする余裕がなかったようだ。
朝霧先輩と牧瀬と一緒に人目のないところまで移動して、話を再開した。
「……私は、姫野があそこまで荒れている原因を知っている。」
牧瀬に向かってそう言うと、牧瀬は俯いた。
「……だって、他にどうしろって言うんだよ。俺にとって桜華は幼馴染で、それ以上には絶対に思えない。でも、そんな酷い事をどうして本人に伝えられる?」
その気持ちは、私は痛いほどにわかってしまう。
だから、きっと私には牧瀬を責めたりすることなどできない。
辛そうな顔をしている牧瀬から目をそらし、朝霧先輩に向き直った。
「朝霧先輩。姫野が牧瀬を好きな事は知っていますよね?」
「あぁ。」
きっと牧瀬が朝霧先輩に何があったのかを言いたがらなかったのは、その事でさらに姫野を傷つけたくなかったから。
もしくは、自分のした行為の酷さを無意識にわかっていたからかもしれないが。
それとも――……いや、今はただ自分のやるべき事をやろう。
「牧瀬は、姫野の告白に返事をしませんでした。」
「実央!」
牧瀬の怒鳴り声に一瞬言葉を止めたが、すぐに気を取り直して何事もなかったかのように私は言葉を続けた。
「……好きも、ごめんも、何も。ただ、言葉の意味に気付かないふりをしました。その事に姫野は気付きました。」
事実だけを淡々と。
朝霧先輩。あなたは牧瀬の親友だから。
きっととても怒ってくれるでしょう?
「真。自分がやった事の意味、わかってるか?」
「しょうがないだろ!? 他にどうすればよかった?」
「普通に断ればよかっただろ!? 告白する奴は振られる覚悟はしてるんだよ! お前だってそうだろ!?」
それまで静かに話していた朝霧先輩が声を荒げた。
牧瀬はぴたりと言葉を止め、気まずそうな顔をした。
おそらく、朝霧先輩の言葉に納得したのだろう。
そして、私もまた朝霧先輩の言葉に、牧瀬の顔に心の中で唇をかみしめた。
牧瀬は振られる覚悟はしていた……。
牧瀬の表情から牧瀬が朝霧先輩の言葉に納得したのを読み取ったからか、朝霧先輩はまた落ち着いた声で話した。
「でもな、まさか何も返ってこないとは想像してなかっただろう。……真、お前は自分が断るのが怖くて、姫野の気持ちから逃げただけだ。姫野はそれがわかったからあんなに荒れてるんだろうな。」
朝霧先輩の言葉に牧瀬はとても驚いていた。
「俺は、そんなつもりじゃ……」
「そんなつもりじゃなくてもそうなんだよ。」
その言葉が最後だった。
「……桜華と、ちゃんと話すよ。」
そう言った牧瀬の目はしっかり前を見据えていた。
牧瀬がいなくなったその場所で、朝霧先輩の視線を私は感じていた。
「……んで、お前はどうするんだ?」
聡い朝霧先輩はやっぱり私が直接牧瀬に言わなかった理由に気付いているようで、私は姫野の言葉を聞いてからずっと考えていた事を口にした。
「もし……もし、次があるなら、その時はちゃんと断ろうと、本心を言おうと思っています。」
実はあの時の告白、気付いていた、なんて今更言っても牧瀬を傷つけるだけで、そんな無意味なことはしたくない。
でも、姫野の言葉は胸に突き刺さっていて、だから次があるなら、私は今度こそ牧瀬に自分の本心を伝えようと決めた。それが、私なりの牧瀬の気持ちへの誠意。
「お前、そもそも誰かと恋愛関係になるってこと、考えたことあるのか?」
「ないですよ。」
私の気持ちに恋愛感情の「好き」というものはない。
何を持ってそれを定義するのかがわからない。
そのことを朝霧先輩に言うとちょっと呆れたように私に尋ねてきた。
「じゃあお前のいう「大切」っていう奴の定義は何だ?」
確かにそう言われると、何も思い浮かばなかった。
愛央が、玲衣が、父が大切なのはなぜ?
家族だから?その答えでは朱音が、志乃子が大切な事に当てはまらない。
そもそも家族だから大切なんだと言うのはDVを受けているようなところには全く当てはまらないことである。
身近にいるから?
クラスメイトは身近にいると言えるが、大切かと問われればNOである。
もちろん、一年間一緒に過ごしたことでそれなりの情はあると言えばあるが。
由樹はしばらく遠く離れていて、あまり連絡もとっていなかったが、間違いなく自信を持って大切だと言える。
大切だと思ったから、と言う理由が一番しっくりくる気がする。
私の納得した表情を見て朝霧先輩は言葉を続けた。
「一瞬前には大嫌いだった奴が一瞬後に好きになってたりする。気持ちなんて曖昧で不確かなものだ。ごちゃごちゃ考えずに何となく感じろ。その時になったらわかる。」
そう言うと朝霧先輩は乱暴に私の頭をぐしゃぐしゃっとなでてその場を立ち去った。
それと同時に予鈴が鳴って私も慌てて教室に帰ったのだった。
予鈴が鳴ったー……やっと実央の恋が動き出す予感……。
長い、長すぎる、ここまでの道のり……。
いつも読んでくださっている方々、本当にありがとうございます。