第5話
「ねぇ、み・お!」
にやにやと笑いながら朱音が話しかけてきた時点で、何を話したいのか大概予想がついた。
それぐらい、ここ最近朱音はその話ばかりしている。
「なに……」
「その後笑顔の人とは会ってないの?」
私が思わず漏らした言葉……笑顔。それでか、朱音は学生帳を拾ってくれた人のことを「笑顔の人」と呼ぶ。ネーミングセンスがゼロであることを私は決して否定しない。むしろ全力で肯定する。
「会ってない。てか、そんな関わりもちたいと思ってない。」
「なんで!? 絶対運命の出会いだって! 実央が他人に興味をもつこと自体が珍しいし!」
なんだ、この言い方は。まるで私が冷たい人みたいじゃないか。いや、冷たくないとは言わないが。
「うるさい。運命とか信じてないから。」
「なんで!?」
朱音……さっきから「なんで」って言いすぎ。
少しは自分で考えるってことを……うん、朱音には無理か。
「自分の道は自分で変えるものでしょ? 人にいちいち左右されたくない。」
「んー……まぁ、実央らしいけど……人と関わることで何かが変わるってのもありじゃない?」
人と関わることで何かが変わる……。変わる方向が決していい方向だとは限らない。
変わった方向が、悪いほうだったら……人は一体どうするんだろう。
「実央?」
「朱音、図書館行きたいって言ってたけど行かなくていいの? 休み時間もうすぐ終わるよ?」
「ああ! そうだった! 忘れてた!」
朱音はそう言って走っていった。速いなー……と思いつつ私はゆっくり階段を上がる。
朱音の階段を駆け上がる姿を見て、思う。朱音はお兄ちゃんと関わって、何が変わったんだろう。
それは、いい方向に変わったのか。それとも……悪い方向?
……なわけないか。今、朱音はすごく幸せそうだから。
「実央! 急いでよー!」
「はいはい……」
のんびりと歩いてたら朱音に急かされてしまった。
あのまま放っておいたらきっと飽きずに朱音曰く「笑顔の人」の話から食いついて離れないだろうから、違う方向に意識を持っていかせようと、休み時間もうすぐ終わるってちょっと嘘をついてみただけなんだけどな。
時計も確かめずに人の言葉をあっさり信じてしまうところが朱音らしいよ。
それにしても、私に話しかけながら後ろを向いて階段を駆け上がるという器用なことをしてる朱音が危なっかしくて仕方ない。そのうちこけたりしないだろうか。
「てか、前見て歩かないと――っあ!」
「え? きゃっ!」
私が声を上げた時はもう遅かった。朱音は角を曲がってきた人と衝突してしまった。
あーあ……ホント、危なっかしいどころの話じゃないよな。
「いったぁ……わっ! ご、ごめんなさい!」
「いやいや。こっちこそごめん。大丈夫?」
どうしてだろう? 朱音がぶつかった男子生徒はどこかで見たことがある気がした。
「……? あっ! 青谷 実央!」
「……あぁ。生徒手帳……」
そっか、朱音いわく「笑顔の人」だ。こうやって改めてみるとやはり整った綺麗な顔をしている。
「え、何? この人があのえが――」
笑顔の人、そう言おうとした朱音の頭を私は軽くはたいた。そんなダサい名前、よく本人の前で言おうと思うよな。いや、本人の前だということを意識してるかどうかもあやしい。
「――たぁ! なんで叩くの!?」
「うるさい。……名前は?」
「俺? 牧瀬 真だよ。2年。」
2年……先輩、だったのか。
「だってさ、朱音。」
「なんで私なのよ。」
悪びれたり、危なかったという思いが全く感じられないむぅと膨れた朱音の顔を見てる限り、やはり本人の前という意識がなかったか、自分のネーミングセンスがいいと思ってるかのどちらかだ。
「君の名前は?」
牧瀬先輩がにこにこと笑顔を浮かべて聞いた。
「あ、私は木島朱音っていいます。」
朱音もにこにこと笑顔で答える。……なんだこのやり取り。
「木島さん、ね。よろしく。」
「よろしくです!」
よろしくって……何が?
あんまり他の男子と仲良くするとお兄ちゃんが怒るんじゃ……これぐらいは普通のあいさつか? まぁ、どうでもいいや。
「あの、牧瀬先輩って……」
「朱音。」
きっと私が言葉を遮らなかったらくだらない質問をしただろう朱音の言葉を私は素早く止めた。
「もう、何よ。実央」
「図書館。行かないの?」
「あー! そうだった!」
単純……。朱音は私の前をダッシュしていった。
いつになったら彼女は休み時間にまだ余裕があるということに気づくのだろうか?
「俺もちょうど図書館行くところだったんだ。」
牧瀬先輩はそう言って私の横を歩いた。
「そうですか。」
「木島さん……って可愛い子だね。」
なんだ、やっぱり朱音狙いか。この手の奴には慣れてる。朱音狙いで私に近づいてくる奴。お兄ちゃんがいるから無駄なのに。
「ダメですよ。」
私の丁寧だけど、鋭いその声に牧瀬先輩はきょとんとした表情を浮かべた。
「何が?」
「朱音、彼氏いるんで。」
私の一言に牧瀬先輩は何故か逆ににやりと笑みを浮かべた。
「……ふーん。」
普通は彼氏がいるといえば諦める奴らが多い。その前に私が睨みをきかせた時点で諦める奴もいるが。でも、こいつは違った。
「悪いけど俺、そう簡単に諦めないから。」
余裕のあるどこか楽しんでいるような瞳が、ものすごくムカついた。
こいつに敬意なんて払いたくない、と反射的に思った。
そして、決めた。
こんなムカつく奴に敬語なんて使ってやらない。
「無理。」
「は…?」
「朱音の彼氏、お前よりすごくかっこいいから。2人、すごくうまくいってるし。」
そう言っても、牧瀬は余裕をもった表情を変えない。自信のような、からかいのような色を瞳に浮かべている。だから、強い口調で言ってやった。
「というか、そんなこと私がさせない。全力で阻止する。」
私の睨みに牧瀬は足を止めた。
それを確認して、私は1人で図書館に入った。
「あ、実央!牧瀬先輩は??」
「消えた。」
「えー! 何それ!?」
正しくは置いてきた。でも、あいつが自らの意思で足を止めたんだから、置いてきたというのも不適切かもしれない。
「ねぇ! 牧瀬先輩と話した? どんな感じ?」
「最悪。」
興味津々という顔をしていた朱音は私の答えをきくと、一瞬驚いたような顔を見せた後、唇を尖らせて反論してきた。
「どうして!? 感じ良さそうな人だったじゃん。」
「私は嫌い。」
今、朱音は幸せ。お兄ちゃんも、朱音といて幸せ。
それを壊そうとする……あいつが嫌い。どうして壊す? 今、幸せなのに。
「嫌い。大嫌い。」
「誰が、誰を?」
さっきまで聞いていた声が後ろから聞こえ、驚いて後ろを振り返った。
そこにはやはり牧瀬がいた。
「……付いてきてたんだ。」
「少し考え事して止まってたけどね。」
「もー! 何が消えた、よ。実央。」
別に今言わなくたっていいじゃないか。そんなことを言ったら、こいつが突っかかってくることは間違いない。
「消えた…? 正しくは君が置いて行ったんでしょ?」
「お前が止まるのが悪い。」
私の冷たい言葉にも意に介する様子はなく、牧瀬は次の言葉を返した。
「普通一緒に行く、って言ったんだから待つんじゃないの?」
「あいにく、待つのが嫌いだから。あんたなんか待ってる時間、私にはない。」
これがテレビなら、私と牧瀬の間には間違いなく火花が散ってたことだろう。
「え、えっと……」
朱音は一人で戸惑って困った顔をしている。
「本借りたの?」
八つ当たりだとわかっていてもどうしても声に抑えきれない苛立ちが含まれてしまう。
「う、うん……。」
「じゃあ教室帰るよ。」
「それじゃあ俺も帰ろうかな。」
能天気な声についに私は怒りの沸点を超えた。
「お前は勉強でもしてろ。」
低く唸るような声で一言だけ言い放ち、図書館のドアを私は乱暴に閉めた。司書の先生の怒った声が聞こえた気がしたが、気にせず朱音の手を引っ張って歩いた。
「実央、なんでそんなに怒ってんのー!?」
なんで……?
私があいつを大嫌いだからだ!