第38話
今日の文化祭も無事終わり、最終日である明日の準備も終え、家に帰ると玄関に玲衣のものでも父のものでもないバカでかい靴が目に入る。
おそらく…いや、間違いなく明日の準備があるから今日泊まる場所に帰れと追い返した奴の靴だろう。
私はどういう状況かを聞くため、父がいるだろうリビングに入った。
「ただいま。」
「おかえり、実央。」
「…お父さん。やっぱりあれ、泊まるの?」
央兄さんに連絡しておくと叔父叔母が言ったからにはきっと由樹はしばらくうちに泊まるのだろうと予想は付いていたが…。
頷く父の姿を見てため息をついているといつの間にか由樹が私の後ろに立っていた。
「んだよ、人をあれ呼ばわりすんなってのっ。」
「…痛い。」
嘘。全然痛くない。
軽く頭をコツンと小突かれただけだ。
由樹自身も痛くしたつもりなど一ミリもなかっただろう。
それでも私が不機嫌そうな顔をして見上げると
「わ、悪い…痛かったか?」
とすぐに由樹は申し訳なさそうにする。
「冗談…。」
「なっ!お前なぁ!」
私が由樹の反応にクスクス笑っていると、お父さんが楽しそうに言葉を発した。
「実央は相変わらず由樹が来ると楽しそうだな。」
父の言葉に私は笑うのをやめて由樹の顔を見る。
「まぁ…由樹がうるさいから、自然に私もそうなるのかも。」
「誰がうるさいってー!?」
本当に。あまりにも昔と変わらない由樹の反応が面白すぎる。
玲衣が返ってきた後も、由樹の騒がしさは変わることなく…
玲衣も私も父もそんなにワイワイと騒ぐ方ではないために、由樹が一人いただけで、家の雰囲気がガラリと変わった。本当に由樹はうるさくて、バカで、単純だけど……彼のいる一日はとても楽しい一日であったことは否定しないでおこう。
次の日、当日準備のために早めに家を出て、教室に着くと、朱音が待ち構えていたように私が入ってきた途端に、駆け寄ってきた。
「ちょっと実央!昨日のあのかっこいい人誰!?」
どこかで聞いたセリフだな…。
あぁ、初めて朱音が玲衣に会ったときに言った言葉だ。
あの時より随分冷静だけど。
「…なんだ、朱音。浮気か?」
「そうじゃなくてっ!実央は噂の本人だから知らないかもしれないけど、すごい噂になってるんだよ!?」
何の噂か知らないが、朱音はやけに興奮している。
「噂って何の…」
「昨日の実央ちゃんと一緒にいた人。彼氏じゃないのかって噂。」
ちょうど今来たところのようである桜華が会話に加わってきた。
「彼氏…?由樹がか?」
「名前で読んでるの!?」
「…?由樹ってどこかで聞いて名前…。」
私の言葉に食いついてきたのは桜華。
うーん、と首をかしげたのは朱音。
「中学の文化祭であんたたちが厳つい、怖い、ヤクザじゃないかって噂した由樹でしょ。」
「…ああああああーー!!!あの実央の従兄の!」
朱音はやっと思い出したようで、大きく頷いた。
が、すぐに首をかしげて、不思議そうな顔をした。
「あれ、でもあの人ってもっとこわーいイメージだったんだけど…。いや、確かに厳つかったけど…今回はヤクザじゃなくてかっこいいって評判だったよ?」
そう言えば、朱音もあのかっこいい人誰、と聞いてきたっけ。
私からしてみれば由樹自身がそんなに変わったとは思わない。
逆にでかくなって厳つさが増した気がする。
あーでも180越えの高身長の由樹は、見方を変えればかっこよく見えないこともない。
ただし、牧瀬や朝霧先輩のようにイケメンと呼ばれる類ではなく、男前と言った感じかもしれない。
…性格はそれと程遠いものを感じるが。
いや、気前の良さとかは男前と言ってもいいのかもしれないが…お化け屋敷で怖がってる時点でダメだな、うん。
「そうそう、すごい噂で俺妬いちゃったー」
「…なんでお前がここにいるんだ、牧瀬。」
背中に立ち止まる気配を感じた瞬間にきっと牧瀬だろうと思った私は重症かもしれない。
ん?朝霧先輩だとは思わないのかって?
朝霧先輩は話しかけられるか、視界に入るかしないと…私にあの人の気配を感じ取るのは一生無理な気がする。
って、そうじゃなくて牧瀬だよな、牧瀬。
今良かったと思うのは、この教室にいるのが私と朱音と桜華だけだったってこと。
いや、牧瀬もたぶん他の人がいたらこんな風に入ってはこない…はず?
「お化け屋敷のお化け役の奴が実央とその男が抱き合ってたって噂流してて…」
「…?…あぁ、あのこけた時か。」
牧瀬は不安そうな顔から一転、とても嬉しそうな顔をした。
「こけたってことは、抱き合ってたわけじゃないんだよね!?」
「…あのな、牧瀬。仮に私と由樹がそういう関係だったとしても、わざわざお化け屋敷でそういうことをする趣味はない。」
私の言葉を聞いているのか、いないのか、牧瀬はただよかったよかった、と繰り返してた。
…なんか小躍りでもしそうな勢いだな。
私はチラリと姫野の様子を伺った。
が、姫野とばっちり目があってしまった。
姫野はにっこりと綺麗に笑って見せた。
「実央ちゃん、どうかした?」
「…いや。なんでもない。」
彼女が笑顔を見せる一瞬前の表情…。
それが彼女の本心だと思うのは私だけだろうか。
文化祭二日目。
今日は来るなとしっかりと由樹にくぎを刺しておいた…はずなのに!
「実央ー!今日もやってるなぁ!」
「……いらっしゃいませ、ご主人様。」
声が苛立ちを多く含んだものになったのは仕方ないだろう。
あれだけ来るなと言っておいた由樹がどうしてここにいるんだ!?
今日来てと誘ったのは愛央だけのはずだけど!?
「どういうことでしょうか…?ご主人様??」
由樹に向かってそう聞いたが、答えたのは後ろからひょっこりと顔をだした愛央だった。
「えっと…ごめん??ここに来る途中に、玲衣はバイトって実央から聞いてたから、ちょっと家によってみようかなって思って…そしたら家にいたのが由樹だけでね、実央の文化祭に行くって言ったら一緒に行こうってなって。…ダメだった?」
「…昨日こいつ来て、大騒ぎになったんだけど。」
いや、もうこれ以上噂がひどくなることもないだろうし、もういいけどさ…。
あぁ、でもやっぱり下手に噂つくられそうで嫌だ…。
「あれ?もしかして、愛央さん??」
「え?」
ひょこひょことこちらにやってきたのは朱音。
「あ!やっぱり!実央のお姉さんですよねっ。」
その声に全く邪気はなく、愛央が玲衣の元カノだということは知らないのだろうということを簡単に予測させるものだった。
「えっと…はい…?」
「あ、覚えてません?あの、玲衣さんと一緒の時に一度すれ違った…」
「あっ玲衣の彼女さん…。」
愛央のその言葉に照れた様子で肯定する朱音は、間違いなく真実を知らない。
そして私はすっかり失念していた。
事情を知らないバカ正直な奴がいたことを。
「え?玲衣ってずっと愛央のことが好きなんだったんじゃないか?」
由樹の言葉は空気を凍らした。
「…えっ…愛央って…実央のお姉さんの事だよね…?」
朱音の声は震えいていた。
きっと頭の中では軽くパニックが起きていることだろう。
愛央も戸惑っていて、もちろんそれは私もで、下手に何かを言うのはマズイ気がした。
「青谷さん、朱音!どっちかこれ運んで――」
クラスメイトがそう声をかけてきたが、流れている冷たい空気に気付いたのか、途中で言葉を止めた。
「…私、行くよ。」
「朱音。」
暗い表情でその場を立ち去ろうとした朱音の腕を私はとっさに掴んでいた。
「何?」
いつになく、冷たいその声は暗に私を責めてるように思えた。
どうして黙ってたの、と。いろいろ弁解したい事も謝りたこともある。
でも、いま何より私が言わなければいけないことは、きっとそんなことじゃない。
「私は朱音が好きだよ。」
必死に考えて出てきた言葉は、いつもは言わない、でもきっと伝わっているであろう言葉だった。
…なんでこんな的外れなことを言ってるんだろう、私は。
「ありがと。」
それでも朱音はそう言って呆れたように笑ってくれたから。
きっと決して間違った言葉ではなかったのだと思う。
朱音がクラスメイトの方へ走っていくのを見ながら、どことなく気まずい空気を破ったのは由樹だった。
「えーっと…もしかして俺、余計なこと言っちゃった?」
「もしかしなくても言ったな。」
ちらりと愛央の方を見ると、思ったよりも悲惨な顔をしていなかった。
それどころか、どこか強い意志さえ感じさせさえする表情だった。
その愛央を見て、言葉は何も必要ない気がしたけど、私は一応、言葉をかけた。
「…大丈夫?」
「うん、もう大丈夫だよ。」
私はその時、今までに一番綺麗な愛央を見た。
愛央と朱音と玲衣の三角関係は終息方向!
気になるのは実央の恋愛事情ですが…新しく出てきた由樹と桜華がカギを握る…かも!?