第4話
学校の下駄箱で靴を履き替えていると、無駄に元気のいい声が届いた。
「実央! おはよう!」
後ろを振り返ると満面の笑みを浮かべた朱音が立っていた。……きっと、今日のお兄ちゃんの誕生日を祝うための計画を頑張って立ててきて、立てただけで幸せになってきたんだろう。
「おはよ。」
「どうしたの? 元気ないじゃん!」
「いつもと変わらないけど。」
何言ってんの? と言わんばかりに私が朱音を見上げると、朱音はニコニコした表情のまま
「うん、まぁ確かにね。」
と言った。
「………」
たまに朱音の言いたいことがよくわからない。
いや、今日のテンションの高さが特別なだけかもしれないが。
私と朱音は話しながら教室へと向かった。
「あ、昨日玲衣さんどうだった?」
「適当にごまかしといた。」
「実央のことだし「何買ったの?」って聞かれても「いろいろ」とか答えてたんでしょ?」
ぴんぽーん、正解です。賞品は何もないけど。
「お兄ちゃん、自分の誕生日忘れてるみたい。」
「ホント!?なんかやる気でてきた!」
それじゃあ、今までやる気なかったのか…とかいう揚げ足を取るようなことは言わないでおこう。
「そう言えば実央、学生証あったの?」
少し不安そうな表情で朱音がそう尋ねた。
「なかった。落としたのかもしれない。」
私の答えに朱音は驚きと焦りの混じった目で私の方を見た。
「え!?あれって住所とかも書いてるんじゃない??」
「書いてる。」
「やばいじゃん、実央!!」
実際に落とした本人である私よりも朱音の方がずっとあせっていた。
「まぁ…なんとかなると思う。」
「思うって…もし悪い人に拾われたら…」
もしそうであったとしても、過去に戻って私が学生証を落とさないようにすることなんてできやしないから仕方ない。
「いい人に拾われたことを期待しておく。」
「もう、実央!」
朱音の怒った声とともに授業開始のチャイムが鳴った。
それからちょうど4時間後、再び同じようにチャイム鳴るとともに朱音は大きくため息をついた。
「はあぁぁぁ…しんどかった!」
別にテストがあったわけじゃない。6時間授業のうちの4時間。
普通に授業があって、普通に昼休みまでの授業が終わっただけ……なんだけど、朱音は相当疲れたらしい。おかしいな、私が見てる限りでは4時間のうち半分以上は寝ていたと思うんだけど。
「お疲れ。」
「実央はしんどくないのー!?」
「別に。」
朱音みたいに寝てないけどしんどくないよ、と心の中で付け加える。口に出さないのは、さすがにこれを言うと機嫌を損ねる可能性があるからだ。
「むー……いいよね、頭いい人は。」
私の成績は確かに上のほうだけど。一つの授業だけでしんどくなるほうがおかしいと思うし、それ以前に……・
「朱音は努力が足りない。」
「うるさいなー! 勉強が嫌いなの!」
朱音の言葉に私は思わず小さく呟いてしまた。
「苦手の間違い――」
「本当のこと言うなー!」
朱音は本気で怒ってるわけじゃない。でもたまに、本当のことを言うと本気で怒る人がいる。
理解しがたいけど。図星をつかれるのが嫌だという人の心理なのかもしれない。
「ほら、実央! お昼食べに行くよ。」
「私は今日お弁当持ってきてないから購買でパン買ってくる。」
「そっか。先に中庭で待ってるね!」
学校にある、中庭のベンチ。そこでいつも朱音と2人でお昼を食べている。春はぽかぽかしてて暖かくて外でご飯を食べるのが気持ちいい。最近暑くなってきてはいるが、別にとくに動くわけではなく、ご飯を食べるのだけなので、外で食べるのがまだ気持ちいい。
「これだけあればいっか……。」
買ったパンはチョコパン、あんパン、シナモンロールの3つ。甘いパンばっかり。見かけによらず……と言って間違いないとは思うが。私は甘いパンが好きだ。購買で買うとついこうなってしまう。
だからできるだけお弁当を自分で作って持ってってるんだけど、昨日はずっと学生証を探してた。
そのおかげで寝るのが遅くなった。で、寝坊した。
まぁ、たまには甘いパンをおなかいっぱい食べるのもいいだろう。少しテンションあがり気味で私は廊下を歩いてた。そしたら、後ろから声をかけられた、と思った。
「ねぇ……」
どうやら私じゃないらしい。男子と接点なんて一度も持ったことがない。間違っても声をかけられることはほとんどなかった。
「ねぇ!」
それにしてもずいぶん鈍い人だ。さっさと気づいてあげればいいのに。
「ねぇ、そこの人!」
きょろきょろとあたりを見回す。いい加減声をかけてる人がかわいそうになってきた。声をかけられてる人は誰だろう?
「青谷 実央! きみのことだってば!」
「え?」
どうして私の名前を知っているのだろうか。
悪い噂のせいか……? ある意味有名人だな。
「さっきからずっと君のこと呼んでんだけど。」
「私……? 何の用があって?」
残念ながら私に話しかけてきた男の人に全く見覚えはない。
染めているのか割と明るい茶色い髪に、優しそうな、しかし、間違いなくイケメンと言われる部類に入るだろう人。
「いきなりだなぁ……」
いきなり、と言われても用件がなければ声はかけないだろう。
「まぁ、いいや。これ、学生証。落ちてたよ?」
「あ……。」
拾ってくれたんだ。いい人に拾われてよかった。学生証見たから私の名前を知っていたのか。
「俺昨日ショッピングモールいてさぁ、歩き疲れてたんだよね。それでベンチ座ろうと思ったらこれ見つけたんだ。」
別に説明は求めてないんだが。そりゃあショッピングモールに行かなきゃまず見つからないだろう。ベンチの近くってことは……携帯取り出した時か。
「で、見てみたら同じ学校じゃん? 俺ちょっとびっくりしたんだよねー。」
「……」
ちなみに言うと私は感想も求めてはいない。
「あ、それ個人情報書いてあるんだし今度から気を付けなよ!?」
「これからはポケットには入れないようにする。」
注意は素直に受け取ろう。カバンに入れとけば問題ないだろう。拾ってくれた人はまだ前に立ってる。
……? 何かほかにも用事があるのか?
「……それだけ?」
「え、あぁ……」
私の言葉に前の人は少し困ったような顔をした。いったいどうしたのだろうか。なぜそんな顔をしているのか少し気になるが、優先順位から言って昼ごはんの方が大事だ。
「そう。じゃ。」
「ん……じゃあ。」
そういえば。今更ながら、何かを忘れているような気がする。
何かを、していないような。
……あぁ、そうか、そういうことか。
「ねぇ。」
「ん?」
「ありがとう。それだけ。」
その人は少し驚いた顔をしたけど、次の瞬間には満面の笑みを浮かべていた。
「どうしたしまして!」
その人の去っていく後姿を見ながら私は心の中でとても驚いていた。
人にお礼を言われたぐらいで、あそこまで笑顔になれるのか……。
なんか、すごいいい笑顔だった気がする。教室で女子同士で見せる、あの作り笑いなんかじゃない。
ものすごく、いい笑顔だった。どうしたらあんな風に笑えるのだろうか。
あの笑顔を見せた人を心の中で少し尊敬する気持ちが生まれた。
中庭に歩いて戻ると、朱音が拗ねた表情をしてベンチに座っていた。お弁当はまだ開けられていない。どうやら私が来るまで待ってくれていたみたいだ。
「実央!遅いよ!!」
「ああ、ごめん。」
朱音は私の手の中にあるパン以外のものを見つけて大きな目をさらに開いた。
「あれ? それ学生証じゃない? 見つかったの?」
「拾ってくれた人がいた。」
「へ~、よかったね! 同じ学校の人が拾うなんて運命じゃない!?」
朱音の考え方って、たまにおめでたいところがあると思う。拾ってくれただけで運命ならば、運命を経験している人が世の中に一体何人いるだろうか。
「名前、なんていうの?」
そういえば、名前聞いてなかった。
まぁ、いいか。どうせもう関わることもないだろうし。
「実央?」
「笑顔……」
ほぼ無意識で私はその言葉を言っていた。別にもう1度会いたいとか思わない。学生証拾ってくれただけだし。でも……もう1度あの笑顔を見てみたいとは思う。
「笑顔? そんな名前なの!?」
「………」
朱音のボケは軽く無視しながら、私は黙々とパンを食べた。
その間、彼の笑顔が頭から離れることはなかった。