第32話
愛央の話を聞き終えた私は思わずため息をついた。
「……愛央、言っていい?」
「ダメ、言わないで。」
うん、ごめん。
否定の返事が返ってきても言う。
「それはないでしょ。」
「わかってるわよー!だから言わないでって言ったのに!」
玲衣の電話での態度は確かによろしくない。
愛央が怒鳴りたくなる気持ちもわかる。
でも…怒鳴る時に、愛央は言葉を間違えた。
玲衣は傷ついてた。自分の選択が本当に正しいのか悩んでた。
愛央を傷つけた罪悪感が強かったに違いない。
なのに本人から傷つけられたと言われれば…辛いことこの上ない。
「どうするの?」
「どうするも何も…別に、玲衣には彼女がいるんだし……」
「玲衣の事は聞いてない。愛央がどうしたいかを聞いてる。」
「私?わたし、は…」
愛央は一瞬悩むような表情をして、次の瞬間には今にも泣きだしそうだった。
「どうもしないよ…。玲衣の彼女を傷つける理由が私にはない。」
本当に?そんな泣きそうな顔して??
それが愛央の本音?
「…行動に移すかどうかは別にして、愛央は玲衣をどう思ってるの?どうなりたいの?」
「だからっ。」
「ここには私しかいないけど。」
それでも嘘をつく意味がどこにあるの?
ぶわっと愛央の目から涙があふれてきた。
「好きだよ。もう一回やり直したいよ。」
やっと本音を吐いた姉に私はそっとティッシュを差し出した。
全く…無駄に本音を隠すんだから…。
ケーキが来る前でよかった。店員さんに何事かと思われるじゃないか。
「にしても、愛央も朱音も変な趣味してる。」
「ふぁにが?」
愛央は割とすぐに泣きやんで、ケーキが来たときには満面の笑みを浮かべていた。
…食べ物に弱いところとか、朱音に似てるよな。
「汚い。飲み込んでから話して。」
「ん……ごめんごめん。で、何が?朱音ちゃんって…玲衣の彼女だよね?」
そこまで来たら何かわかると思うけど…。
「男の趣味。」
「そう?結構玲衣とか好かれやすいタイプだと思うけど。」
「まぁ、人間的には。でも、彼氏にするにしては人に優しすぎる。」
だから罪悪感と恋愛感情がごっちゃになってこんなことが起きるんだ。
「ふーん、実央は自分だけに優しくしてほしいタイプなんだ。」
「そうはいってない。ただ、玲衣は嫌いな人にまで優しくする。あぁいうのは理解できない。」
「あー実央はそういうタイプだよね。」
嫌いな人には徹底的に関わらない。
怒ることもしなければ、優しくするなんてもってのほか。
「でも私は玲衣のそういうところが好きだよ。大嫌いな人のくせに、弱ってるところ見ると手を差し伸べちゃうところ。」
んー…理解できない。
玲衣の優しさは…時に人を傷つけてると思うのは私の気のせいだろうか。
「朝霧君と牧瀬君はどっちのタイプなのかな?」
「は?」
なんでそこで2人の名前が出てくるんだ?
「牧瀬君は結構皆に平等に優しくしてそうだよね。その点朝霧君は心を許した人だけって感じがするなぁ…。」
まぁ、確かにそんな風に思わないでもないけど…
「…なんで牧瀬と朝霧先輩?」
「え、だって実央が仲いい男子ってその2人ぐらいじゃない。あとは親族だけって感じ。」
「別にあいつらだって仲がいいわけじゃない。」
「またまた~そんなこと言って~」
愛央は私の言葉がてれ隠しか何かだと思っているのか、軽く言葉をかけてきた。
別に何も照れてないんだけど。
「本当。あの人たち、今お姫様守るために大変みたいだし。」
「お姫様??」
2学期。
一人のお姫様が学校へと舞い戻ってきた。綺麗で可愛くて誰もに好かれるお姫様。
でも、みんなお姫様に手を出そうとしない。
なぜなら、お姫様には2人のナイトがずっと傍にいて守っているから。
「……何それ。」
「物語風に言うとなかなか伝わりにくいものなんだな。」
「実央、あんた話す気ないでしょう。」
「………。」
愛央は小さくため息をついたが、それ以上追及するようなことはしなかった。
私が本当に話したくないことは絶対に言わないって知っているから。
その後、私と愛央はショッピングをしたりして、夕方近くに帰った。
家に着いたら、誰もいなかった。
あの話しあい以来、お父さんは結構早く帰ってきてたんだけど…まぁ、仕事だし仕方ない。
でも…一人だと思いだす。大切に守られるお姫様の事を。
新学期。
私は当然のように昼食を中庭でとろうとしていた。
そこに牧瀬と朝霧先輩がいるから、と言ったわけじゃない。
いなくても私はそこで食べただろう。そこが私の指定席だったから。
だからこそ、牧瀬と朝霧先輩が違う女の子を連れてそこに座ってるときはどうしていいかわからなかった。
「………。」
「あ、実央。この子、知ってるー?」
私がどうすべきかためらっていると、牧瀬に気付かれてしまった。
牧瀬の言葉遣いや様子はいつもと変わりなかった。
でも、近くにいる女の子の存在にらしくもなく戸惑った。
口を開いた女の子は綺麗な高い声をしていた。
「あの、同じクラス…だよね?」
「…………あぁ、休学してたっていう。」
そういえば先生が何か言ってた気もする。
あまり聞いてなかったが。
「その様子じゃ名前は覚えてなさそうだね。」
「姫野 桜華って言います。よろしくねっ。」
彼女は名前負けしていなかった。いや、名前通りと言うべきか。
桜のように綺麗で、お姫様のように可愛らしく咲き誇る華。
それは、私には手に入らないもの。
「…よろしく。」
「えっと、名前聞いてもいいかな?」
「青谷実央。」
「うん、実央ちゃんねっ。」
花が綻ぶようにふわり微笑む姿は牧瀬と朝霧先輩と並んでいても何の違和感も感じさせない彼女の愛らしさを引き立てていた。
「私、本当は真君達と同級生なんだけど、休学期間が長すぎて留年になっちゃったんだぁ。」
「…そう。」
私の短い相槌に姫野は困ったように顔をしかめた。
「えっと…何か気に触ったかな?」
「別に。」
「桜華、これが実央の基本だから。気にしない、気にしない。俺なんていつもどれだけ無視されてることだか…。」
牧瀬が軽く笑いを交えながらそう言うと、姫野は安心したように息をついた。
いつだったか…高浜達に囲まれたときに言われた言葉を思い出す。
『牧瀬君に名前呼ばれてる子なんていっぱいいるんだっつーの。』
確かに、牧瀬が女子を下の名前で呼ぶのは珍しいことではない。
しかし、牧瀬が女子に下の名前で呼ばれているのは初めて聞いた。
と、いうことは?
「姫野と牧瀬は付き合ってるのか?」
「えぇぇ!?な、なんでっ?」
姫野は目を丸くして聞き返した。
隣の牧瀬は険しい表情をしている。…なんでだ?
「違うのか?」
「違うよ。俺と桜華は幼馴染。」
牧瀬は普段からは考えられないような平坦な声で答えた。
いつもへらへら笑ってるだけに無表情になると迫力がある。
「…文句があるなら言った方がいい。」
「別に文句なんてないけどっ!」
その言い方、明らかに何か文句があるだろう。
はっきり言えばいいのに。
そう思った私は牧瀬をムッと睨みつけた。
そうなれば普段ならすぐに謝ってくるのに、今日は牧瀬はにらみ返してきた。
「ま、まぁまぁ。2人ともそう怒らないで…ね?」
「真、姫野と仲良くしてくれって青谷に頼むつもりだったのにいいのか?」
「…わかってるよ。」
と牧瀬は口で言いながらも顔はどうも不満げだ。
…って、なんだって?そんなこと頼む必要ないだろう。
愛想のいい笑顔。柔らかい笑み。
ほわほわとしたその話し方。
人が寄ってきそうな要素を多く持ってる。
「その頼み、必要なさそうだけど。」
「そうだよっ!ちゃんと真君達の助けがなくても大丈夫だもんっ。」
むぅと頬を膨らまして姫野は牧瀬を睨んだ。
しかし牧瀬は私の時のように睨み返したりせず、優しく笑った。
「ほら、桜華、見ての通り警戒心ないから。」
「そっちか。」
私に護衛をしろと。
……めんどくさ。
「そんなに大切なら自分で守れば?」
「学年が一緒ならそうするんだけど……。」
「留年したのは私のせいじゃないもんっ。」
相変わらず姫野は膨れて牧瀬を睨んでる。
…よく飽きないな。
「はいはい、そうだね。」
「もーっ、真君っ!」
こうやって2人の様子を見てると本当に幼馴染なんだな、と思う。
牧瀬の姫野に対する態度とか、あしらい方とか。
「俺達と仲いいってので姫野が何かされる可能性は高いだろうし…」
「大丈夫だよ!それぐらい私が返り討ちに――」
「無理だな。」
あーあ、ばっさり切り捨てられた。
まぁ、悪いけど私も朝霧先輩と同感だ。
「噂のある私と一緒なら安心、ってこと?」
「まぁ、そういうことになる、ね。」
「そう、わかった。」
あっさりと受諾した私に牧瀬はえっと声を漏らした。
「何?」
「いや、実央は嫌がりそうな気がしてて。」
「どういう風の吹きまわしだ?」
朝霧先輩の言い方、酷いな。
確かに、断っても別に良かった。
私が朱音から悪い虫を遠ざけようとするのには理由がある。
朱音が好きだから、玲衣が好きだから。
2人が好きなことに理由はない。ただ、好きだと思ったから好き。
好きなものを守りたいと思うから守る。好きなものと近くにいたいと思うから仲良くする。
私の中にあることはそれだけ。
だから、好きではない姫野の盾になる理由はなかった。
でも、姫野が傷つくことで、牧瀬達が傷つくなら?
それは嫌だ。
2人は友達だと、勝手にかもしれないが、そう思ってるから。
とはもちろん口に出さないが。
「気が向くこともあるんですよ。」
私がそれだけ言うと朝霧先輩は優しく笑った。
「実央、おかえり~…?その人は…姫野さん??」
「姫野桜華ですっ。よろしく!えーっと…・?」
「あ、木島朱音ですー」
朱音は人懐っこい笑顔でへらっと笑った。
もっといい表現がないのかって?
………いや、へらっとが一番合ってる。
「朱音ちゃんね!よろしく!あ、私の事は桜華って呼んでね。」
「じゃあ、私の事も朱音でいいよーっ」
あれだ、少女マンガでの冒頭シーンっぽいな。
私はその他大勢か??あれ、じゃあ主役は朱音?それとも姫野??
2人の間の会話に割って入ろうとも思わない私は、自分に話題が来るまで頭の中でどうでもいいことを考えながら2人の様子を見ていた。
「それにしても、実央と桜華がどうして2人で?」
たぶん教室中の人間がそう思ってるだろう。
現に教室のドアを開けた時不思議そうにこちらを見つめる視線を大量に浴びた。
「牧瀬と朝霧先輩が護衛してくれって。」
「失礼しちゃうでしょ~?私、みんなより1つ年上なんだし、大丈夫なのに…。」
姫野はやっぱり、むぅと頬を膨らました。
それに対して朱音は珍しく苦笑いをした。
「いやぁ、きっと牧瀬先輩たちも心配なんだよ。」
「も~大丈夫だって言ってるのになぁ。」
「あの…姫野さん?」
クラスの一人の女子がおどおどといった様子で姫野に声をかけた。
「なぁに??」
「あの、ちょっといいかな?」
「うん、じゃあまたね、朱音、実央ちゃん!」
ばいばーいと手を振る姫野に朱音は律義に振り返していたが私はただ見送るだけだった。
「ライバル出現だねぇ、実央。」
「何のライバル?」
何にせよ、私に勝ち目はなさそうだが。
口喧嘩なら勝てる気がする。
「ほら、牧瀬先輩たちの事とられちゃうよ~」
「あいつらはそもそも私の所有物じゃない。」
にやつく朱音。
せっかく可愛い顔をしてるのに、どうしてそういう笑い方をするかな…。
「そういえば、さっきの珍しく作り笑いだったけど…?」
へらっと笑う、わかりやすい朱音の作り笑い。
人に警戒心というものを基本的に抱かない朱音にしては珍しい。
朱音はあー、と言って少し視線を床に落とした。
「…ほら、桜華、志乃子に似てない?」
「あぁ、そんなこと…。」
確かにぽやぽやした感じは似てるかもしれないが…
「全然違う。」
ぼんやりとそう思っていただけのはずなのに、私の口から出た言葉は妙に確信めいていた。