第23話
起きたのは夕方で、窓をみると雨が降っていた。
雨の薄暗い雲を、夢に見たのか、と変な納得をした。
携帯を開くと、メールが2通きていた。
一つは、牧瀬。9時。ちょうど、朝霧先輩とバスケをしていたころ。
『実央、何してるー?』
とかいうどうでもいいメール。
もう一つは、朱音から。
3時12分。私が寝ていたころだ。
私は表示された文章を見て、驚いた。
『実央……どうしよう。どうしたらいいのかな?』
一体、朱音に何があったんだ……?
それからすぐに私は朱音に電話した。
「もしもし。朱音?」
『実央……』
電話に出た朱音の声は明らかに沈んでいた。
「ごめん。寝てたからすぐに気付かなくて……」
『ううん……ごめんね?』
「謝る必要なんてない。で、どうかした?」
『……今日、玲衣さんと偶然会ったの。』
「それで?」
『家まで送ってくれたの。』
……これだけだとただの惚気にしか聞こえない。
家に帰る間に何かあったんだろうな。
『でね、帰ってる途中に……女の人が……』
泣いてる……
でも、女の人って……?
『玲衣さん……その人見て、固まって……ひっく』
「落ち着いて。ゆっくりでいいから。」
『うん……』
ススと鼻をすする音が聞こえる。
『それでね、その女の人も固まって……』
「うん。」
『お互い「久しぶり」って気まずそうに言って……』
「言って?」
『そのまま別れたの……。』
……それだけか?
いや、それだけと言っちゃいけないのかもしれないけど……
泣くほどの要素が何かあったか?
『でね、その人と会った後……玲衣さん、何も話してくれないの。』
「え……」
それは……確かに気になる、な。
でも、まさか……
『誰だったの? って聞いても、上の空で「あぁ」としか言ってくれなくて……』
「それは…」
『元カノかな? 玲衣さん、その人のこと忘れられてない感じだった……。』
もしかして、その女の人って……
「悪い。朱音。ちょっと用事が……また折り返し電話する。」
『うん。聞いてくれてありがとう。』
「いや。じゃあ」
『うん。』
携帯をパタン、と閉じて大きくため息をつく。
……玲衣には彼女はたくさんいた。
愛央と別れてから、自棄になってすごく短いサイクルで彼女を替えていたのだ。
朱音と出会ってからは落ち着いたけど。
それで、だ。
その自棄になって付き合ってた人と会って、玲衣は動揺するだろうか?
答えはNOだ。顔を覚えてない人もいるぐらいだろう。
玲衣があって、唯一動揺する女の人……。
私はその人と話すためにもう一度携帯を開いた。
『もしもし? 突然どうしたの、実央。』
「……愛央……」
『何、そんな深刻そうな声出しちゃってー』
「……玲衣に会ったんだね。」
電話越しに愛央がハッと息をのんだのが聞こえた。
『玲衣から、聞いたの?」
「……いや。彼女の方。」
『そっか……』
勢いで愛央に電話したものの、私は愛央に何が言いたかったんだろう?
何を伝えたくて電話したのだろう?
『私ね、やっぱりもう好きじゃないみたい。』
「愛央……?」
『彼女と楽しそうにやってる姿見て、よかったなーって思ったのよ。本当に。』
愛央は明るい声で続けた。
『すごく幸せそうだったし。……うまくいってるのよね?』
「……うん。」
『あーもーずるいな、玲衣は。私も早く彼氏ほしいよぉ。』
愛央の弾んだ声が途切れることなく聞こえる。
『でも、玲衣が幸せでホントよかった! これで私も心置きなく新しい彼氏見つけれるわ。』
「……そうだね。」
『今回偶然会えて、踏ん切りがついたのかな? もう、玲衣の幸せそうな顔が嬉しくて嬉しくて。』
「何度も言わなくてもわかってるって……」
愛央……
『あは。そうだよね?』
「うん。特に要件ないのに電話してごめん。」
愛央……
『ああ、いいのいいの。気にしないで。またいつでも連絡ちょうだい。』
「うん、そうする。バイバイ――」
『うん、バイバイ!』
愛央……ごめんなさい、愛央……。
「朱音に……電話しないと……。」
情けないことに、携帯電話を持つ自分の手が震えていた。
『……実央……』
朱音の暗い声。
私は……2人とも助けたかったのに……
「朱音。確認取れた。」
『何が……?』
愛央……ごめんね、ごめんなさい……。
「朱音が見たの、私の……お姉ちゃん。」
『え!? 嘘! お姉ちゃんいたの!?』
愛央のことも助けてあげたかったのに……。
「あの人、家でていっててさ。お兄ちゃんも気まずかったんじゃない?」
『そうだったんだ……』
「私の家。いろいろあるから。複雑すぎて話すのも面倒っていうか……」
そこまで面倒じゃない。簡単な話だ。
ようは連れ子である2人が付き合ってて別れたってだけだ。
でも……私と玲衣が義理の兄妹ってことすら知らない朱音……。
不安にさせたくない。私は1人の人を傷つけて、1人の人を傷つけたくなくて、嘘をつく。
「きっと、朱音に話すべきか迷ったんだと思う。」
『そうだったんだ……何か悪いな。玲衣さんに変な疑いかけちゃって。』
「まぁ……大丈夫なんじゃない?」
朱音、愛央、ごめんなさい……。
『あ、実央にもめちゃくちゃなこと言ってごめんね?』
「ううん……」
『なんか元気ない?』
ごめん、ごめん、ごめん……
「そんなことない……私、やることあるから切ってもいい?」
『あ、うん。いろいろごめんね。』
「いや……じゃあ。」
『バイバイ』
ぷーぷーと力なく音を出す携帯を手にしながら、私は心の中で何度も謝った。
ごめん、朱音。
嘘をついてごめん。ちゃんと本当のことを言った方がいいんだってわかってる。
でも…今はまだ嘘をつかなきゃいけない。ごめん、ごめん…。
ごめんね、愛央…。謝っても謝りきれない…。
私は…わかってたのに。
愛央の言葉が偽りだってことぐらい。
そして。私が電話すれば愛央が気を使ってそういうことを言うだろってことも。
気づいてたくせに…利用した。
愛央にそう言ってほしくて。私は朱音の味方をしていいんだっていう確証がほしくて。
それなのに、愛央から直接言葉をきくと、こんなにも心が辛い。
愛央を応援したいって心のどこかで思ってる。自分が…愛央にあんなことを言わせたくせに。
最低だ。ごめん、ごめん愛央…。
まだ玲衣のこと思ってるって電話での声聞いてわかったのに…。
ごめんなさい…愛央。
「実央~?? いるの?」
体がびくっと震えた。
玲衣だ……。朱音を送って帰ってきたんだ……。
少し遅かったな……どこか寄ってきたんだろう。
「玲衣……」
「? 実央? どうかした?? 何かあった?」
おそらく、今私の顔色はとてもひどいのだろう。
玲衣に何かあった? と聞かれるぐらいに。
「……今日、愛央にあったでしょう?」
玲衣の顔色が変わった。
明らかに動揺している……。そんなんだから、朱音にもばれるんだよ……。
「……朱音から聞いたの?」
「そう……。朱音から電話があった。」
「……なんて?」
「……元カノじゃないかって。忘れられないんじゃないかって。」
玲衣はふぅっと小さくため息をつき、ソファにゆっくりと座った。
顔は伏せているので、どんな表情なのかは分からないが、辛そうな声で玲衣は話し始めた。
「……僕は朱音が好きだよ。」
「知ってる。」
「でも……だから愛央を忘れたかっていうと、そうじゃないんだ。」
「そうだね。」
普通に考えれば、心の浮気なのかもしれない。
でも、違うんだ。玲衣は朱音を軽く見てるわけじゃない。
彼は朱音に対して限りなく誠実で真剣である。
ただ……玲衣は忘れられないんだ。
「愛央のこと……まだ好きなんだよ……」
玲衣の心の叫びに胸が痛くなる。
彼はどちらも真剣に愛しているからこそ苦しんでいる。
いや……どちらも真剣に愛していると思っているから苦しんでる。
彼は……ずっと、勘違いし続けてるのだと私は思う。
「俺が……捨てたくせに……」
一人称が「俺」になってる。
相当、まいってるみたいだ……。
玲衣は、苦労をかけさせたお義母さんのためにも、優等生であろうと努力した。
自分のことを僕と呼び、成績も常に上位をとるように徹底した。
玲衣が自分のことを「僕」と呼ぶのは一種の仮面なのかもしれない。
「愛央に……電話した。」
「!? 愛央の連絡先……! 知ってるの!?」
玲衣は目を見開き、身を乗り出して驚いた。
「……ごめん。ずっと隠してて……愛央との約束だったから。」
「愛央は……愛央はなんて?」
「……幸せそうでよかった、って。嬉しいって。自分も彼氏ほしいって……」
「そ……っか。そうだよな……」
玲衣は私の言葉を聞いて落胆の表情を見せる。
「でも……」
何をしたいんだ、私は。
こんなこと言っても、だれも救われないのに……。
朱音を助けたあげたいと思って、愛央に連絡して、あんなことを言わせたのに……。
どうして、こんなことを言おうとしてるんだろう? でも、言わずにはいられない。
「愛央は……愛央も……玲衣を忘れられてない。」
私の言葉に玲衣は目を見開いた。
「何言って……」
「嘘じゃない。無理やり明るい声出して……泣きそうなくせに……」
「そんな……」
朱音……ごめん。
結局、朱音を守りきることもできない。私は中途半端だ。
「朱音には兄妹だって説明しといた。……血が繋がってると思ってる。付き合ってたことは言ってない。」
「そっか……」
これは……すべては玲衣の選択で決まる。
そして、心のどこかで思ってる。お願いだから、朱音を、朱音の気持ちを裏切らないで、と。
でも、私の気持ちは玲衣には届かなかった。
「実央……」
「何?」
「携帯、貸してくれないかな……」
……朱音、本当にごめん。
「愛央と話がしたい……」
「……わかった……」
玲衣の決断に逆らうことはしなかった。
玲衣の手に携帯を渡しながら、私はひたすら心の中で朱音に謝った。
3日ほどお休みすることになりますが、どうか見捨てないでください!!