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「あなたに水をやる義理などございませんわ」~種まきの月に追放された枯れ聖女、隣国で豊穣の女神と呼ばれるまでの話~

作者: uta
掲載日:2026/09/27

「役立たずの『枯れ聖女』など、この神殿にはいらん。婚約も破棄する」


豊穣を司る大神殿の中央。


王太子ラウルの声が、大理石の柱に反響した。


集まった貴族たちのざわめき。向けられる侮蔑の視線。


その中心に立たされているのが、私──セレスティア・エルデフィオール。


(……はあ。とうとう来ましたわね、この日が)


私は内心でため息をついた。


表向きは、静かに一礼したまま。


「花ひとつ咲かせられぬ聖女など、聞いたことがない。ミレーユを見ろ。彼女こそ真の豊穣聖女だ」


ラウルが手を差し伸べた先。


栗色の巻き毛の少女が、可憐に微笑みながら手をかざす。


「ふふ、ご覧になって。こんなに綺麗な花が、一瞬で咲きますのよ」


ぱっ、と。


祭壇に、色鮮やかな花々が一瞬で咲き乱れた。


「おお……!」

「なんと華やかな……!」


貴族たちが沸き立つ。


(そうですわね。とても綺麗。……三日で枯れて、実ひとつ結ばない徒花ですけれど)


私は淡々とその花を眺めた。


土から養分を根こそぎ奪うだけの、見せかけの奇跡。


あの子は悪くない。悪いのは、それを『価値』と信じ込む、目の曇った男のほうだ。


「セレスティア。何か言うことは?」


ラウルが勝ち誇ったように見下ろしてくる。


私は顔を上げ、琥珀色の瞳で真っ直ぐに彼を見た。


「かしこまりました。追放、謹んでお受けいたしますわ」


「……なに? 泣いて縋りもせぬのか」


喚くとでも思ったのだろう。ラウルが拍子抜けした顔をする。


私はドレスの裾を軽くつまみ、優雅に礼をした。


(この国、来年の収穫は壊滅ですわね)


十年。


私が『種まきの月の巡り』という神事にこっそり組み込んできた輪作、堆肥、品種改良。


この国の農業を、誰にも気づかれず陰で支えてきた十年間。


そのすべてを、今この瞬間に手放す。


少しの未練もなかった。


「ああ、そうそう」


去り際、私は足を止めて振り返った。


「あなた方が奪った私の畑の種、あれは私にしか芽吹かせられませんの」


「……どういう意味だ?」


きょとんとするラウル。


私は、この上なく穏やかに微笑んだ。


「──それでは、良い収穫を」


扉が閉まる音を背に、私は神殿を後にした。


もう二度と、あの祭壇に戻ることはない。


──ちなみに私、前世では現代日本で農学部を出て、農業試験場に勤めておりました。


そのまま過労で命を落としましたけれど。


おかげで土のことなら、この世界の誰よりも詳しいのですわ。


◆


追放された私が向かった先は、隣国リンド。


それも、誰もが避ける『二十年不毛の呪われた土地』だった。


国境近くの、荒れ果てた辺境。


乾いた大地に、ひび割れた地面。


風が吹くたび、白い砂埃が舞う。


(塩害と、土壌の酸性化。それに水はけの悪さ。呪いでもなんでもありませんわ)


私は膝をつき、土を一握りすくった。


指の間からさらさらと零れ落ちる、生気のない土。


前世で農業試験場に勤めていた私には、一目でわかる。


これは、直せる。


時間さえかければ、必ず。


「──何をしている」


背後から、低く鋭い声がした。


振り返ると、長身の男が立っていた。


氷のように冷たい蒼氷の瞳。首筋には、銀の鱗の紋様がわずかに覗いている。


竜人の血を引く辺境伯──『氷の将軍』ガーヴィス・リンドバルド。


冷酷無比と噂される男。


「この土地に、何の用だ。物取りなら容赦はしない」


「まさか」


私は立ち上がり、土のついた手を払った。


「取引に参りましたの。この土地、三年で豊穣の地に変えてご覧に入れます」


ガーヴィスの眉が、わずかに動いた。


「……戯言を。二十年、誰も何も育てられなかった土地だ」


「ええ。ですから、誰にもできなかったことをするのです」


私は真っ直ぐに彼を見据えた。


「その代わり──私に、ただ静かに土をいじる日々をくださいませ」


(もう祭壇はうんざり。派手な儀式も、崇める視線も。私はただ、良い土と、育つ作物が見たいだけ)


ガーヴィスは長い間、黙って私を見ていた。


やがて、低く呟く。


「……できなければ、どうする」


「そのときは、私を笑い者にでもなさってくださいまし」


迷いのない私の返答に、彼は初めて、探るような目をした。


「……妙な女だ。だが、その目は嘘をついていない」


冷酷と噂される瞳の奥に──民を憂う、深い翳りがあることに、私はまだ気づいていなかった。


◆


翌日から、私の地道な作業が始まった。


まずは土壌診断。


酸性に傾いた土には石灰を。痩せた土には緑肥となるマメ科の植物を。


段階的な休耕。共生植物の配置。そして──聖女の力。


「土壌再生と、豊穣の恒久化」


花を一瞬で咲かせる派手な奇跡はできない。


けれど私は、荒れた大地を根源から蘇らせることができる。


前世の農学知識と、この力を融合させれば──不可能はない。


「あんた、本当に毎日土ばかりいじってるねえ。みんな逃げ出したこの土地に、わざわざ来る物好きがいるとはねえ」


声をかけてきたのは、この地に残った数少ない古老、ノーラだった。


日焼けした皺深い顔に、優しい笑み。


「物好き、で結構ですわ」


私は麦の種を蒔きながら微笑んだ。


「ノーラさん。半年後、ここで採れた麦でパンを焼きましょう」


「はは、そりゃあ楽しみだ。……本当に採れたらの話だけどね」


そのとき。


畑の隅に立つ、枯れかけた一本の老木が目に入った。


葉を落とし、幹もひび割れ、もう何年も枯れているように見える。


でも──根は、まだ生きている。


私はそっと幹に手を当てた。


「大丈夫。まだ、間に合いますわ」


力を注ぐ。


地中深くの根に、水と養分の巡りを取り戻す。


ゆっくりと。優しく。


すると。


ぴきり、と枯れた枝から、小さな緑の芽が吹き出した。


ひとつ、ふたつ、みっつ──


「な……枯れ木に、芽が……」


息を呑む声。


見れば、いつの間にかガーヴィスが立ち尽くしていた。


蒼氷の瞳を大きく見開いて、芽吹く老木を見つめている。


彼はしばらく動かなかった。


そして──ゆっくりと、深く、頭を下げた。


「……すまない。俺は、あんたを噂で判断していた。役立たずの追放聖女だと。……許してくれ」


武骨な、しかし真っ直ぐな声。


辺境伯が、名もなき追放者に頭を下げる。


(この人、噂とはずいぶん違いますのね)


「頭をお上げくださいませ、辺境伯様。私はただ、土を診ただけですわ」


その誠実さに、私は少しだけ、胸が温かくなった。


照れているのか、彼の首筋の鱗が、わずかに色づいていた。


◆──一年後


一年が過ぎた。


かつて『二十年不毛の呪われた土地』と呼ばれた辺境は──


見渡す限りの、黄金の麦畑に変わっていた。


風が吹くたび、麦の穂が波打つ。


豊かに実った黄金の海。


「女神様! 今年も大豊作だよ! セレスティア様のおかげだ!」


去っていった民が、次々と戻ってくる。


新しい家が建ち、市が立ち、子供たちの笑い声が響く。


人々はいつしか、私をこう呼ぶようになった。


『豊穣の女神』と。


(……女神、ですか。前世じゃ、過労死した試験場職員でしたのに)


私は苦笑しながら、麦の穂をそっと撫でた。


報われる、というのは、こういう気持ちなのですね。


「セレスティア様や。これ、初物の麦で焼いたパンだよ。約束、守ってくれたねえ。……ありがとう。本当に、ありがとう」


ノーラが、湯気の立つ素朴なパンを差し出した。


皺だらけの手が、私の手を握る。


じんわりと、温かいものが胸に広がった。


家族を早くに亡くした私にとって──


この温もりは、ずっと忘れていた『居場所』の味だった。


「……こちらこそ、ですわ。ノーラさん」


そのとき。


畑の端で、大きな背中が震えているのに気づいた。


ガーヴィスだ。


黄金の麦畑を前に、彼はこっそりと──涙を拭っていた。


「……ガーヴィス様? どうかなさいまして?」


「な、なんでもない」


慌てて顔を背ける『氷の将軍』。


「涙を拭っていらっしゃいますわ」


「……ただ。民が、飢えずに冬を越せる。もう、誰も去らずに済む。それが……」


言葉に詰まる。


冷酷無比と恐れられた男が、麦畑を前に、子供のように泣いている。


民のために泣ける人。


そのぶっきらぼうな優しさに、私の凍りついていた心が、また少し、ほどけていった。


「良いお顔ですわ、ガーヴィス様」


「……からかうな」


首筋の鱗が、真っ赤に色づいていた。


◇──一方、その頃。エルデン王国。


「なぜだ! 豊穣聖女がいるのに、なぜ実らない!?」


王太子ラウルの怒声が、玉座の間に響いた。


報告書を握りつぶす手が、震えている。


国中の畑が、枯れていた。


「ラウル様……私、精一杯咲かせておりますわ。でも、どうして三日で枯れてしまうのか……」


ミレーユの声も、怯えを帯びている。


だが──彼女の咲かせる花は、三日で枯れ、実を結ばず、土から養分を吸い尽くすだけ。


形骸化した『種まきの月の巡り』。


輪作は行われず、堆肥の知識は失われ、痩せ細った土地が連鎖するように凶作を生んだ。


備蓄は底をつき、民は飢えた。


「そんなことは分かっている! 家臣ども、備蓄はどうなっている!」


だが、彼はまだ理解していなかった。


いや、認めたくなかった。


自分が追放した『枯れ聖女』こそが──


この国の豊穣を、十年間ずっと支えていた、ただ一人の存在だったことを。


「殿下。神殿の書庫から、これが……。セレスティア様が残された『農事記録』にございます」


青ざめた老臣が、一冊の古びた帳簿を差し出した。


ラウルが乱暴にページをめくる。


そこには、十年分の記録が緻密に綴られていた。


どの畑に、どの作物を、どの順で植えたか。


土壌の状態、堆肥の配合、収穫量の推移──


「これは……十年分の、記録だと……? 数字が、すべて……」


ラウルの顔から、血の気が引いていく。


数字は、嘘をつかない。


この国を実らせていたのは、派手な花などではなかった。


地味な作業着で、誰にも褒められず、黙々と土をいじり続けた──あの女だった。


「この国を実らせていたのは、派手な花などではなかった……あの女だったのか……セレスティアを連れ戻せ!」


遅すぎる叫びが、飢えた王国に虚しく響いた。


◆


「戻ってきてくれ! お前がいないと国が滅ぶ!」


リンドの辺境。


黄金の麦畑を背にした私の前に、みすぼらしい姿の男が跪いていた。


かつて私を公衆の面前で追放した、王太子ラウル。


華やかだった金髪は乱れ、碧眼には涙が滲んでいる。


「頼む! 昔のよしみだ! この通りだ!」


(昔のよしみ、ですって)


私は静かに彼を見下ろした。


感情は、揺れなかった。


もう、この男に向ける熱など、とうに枯れ果てていた。


「ラウル殿下。ひとつ、お尋ねしても?」


「な、なんだ。なんでも答える」


「あなたは私を、なんと呼んで追放なさいましたか?」


ラウルの顔が強張る。


「そ、それは……」


「『役立たずの枯れ聖女』。たしか、そう仰いましたわね」


淡々と。


怒鳴りもせず、責めもせず。


ただ静かに、事実だけを置いていく。


「花を咲かせられない。派手な奇跡を起こせない。だから無能だと。──では、その無能が去った国は、今どうなっておりまして?」


「……っ。それは……」


言葉を失うラウル。


私は懐から、一冊の帳簿を取り出した。


私が十年書き溜めた、もう一冊の『農事記録』。


「土壌の再生には、最低でも三年かかります。輪作の周期を戻すのに、さらに数年。あなたが壊したものは、そう簡単には元に戻りませんわ」


数字が、すべてを語っていた。


誰の力で、あの国が実っていたのかを。


「だ、だが、お前の力があれば……頼む、戻ってきてくれ!」


私は帳簿を閉じ、彼を真っ直ぐに見た。


「あなたに水をやる義理などございませんわ」


凛と、冷たく。


「セレスティア……!」


「枯れた花に注ぐ水はございません。──次はご自分で耕してみては? 土は、正直ですのよ」


膝をついたまま、ラウルは何も言えなかった。


派手な奇跡を『価値』と信じ、地道な努力を踏みにじった男の末路。


「お引き取りを。ここは、リンドの土地。あなたの居場所は、ありませんわ」


私は踵を返した。


背後で崩れ落ちる男を、二度と振り返ることはなかった。


◆


ラウルが去った後。


リンド王国は、私を正式に国賓待遇で迎えた。


かつての不毛の辺境は、豊穣の地として名を馳せ、各地から人と物が集まる交易の中心地となった。


民は豊かになり、子供たちは腹を空かせることなく眠れるようになった。


夕暮れ。


黄金に染まる麦畑を、私は一人歩いていた。


「……セレスティア。少し、いいか」


呼び止める声。


振り返ると、ガーヴィスが立っていた。


いつになく、緊張した面持ちで。


「ええ」


彼は口下手だ。


言葉を選ぶのに、いつも時間がかかる。


しばらく黙った後、彼は麦の穂に目を落とした。


「この土地は、死んでいた。二十年、何も育たなかった。……俺も、諦めかけていた」


風が、麦の海を渡っていく。


「だが、あんたが来て、種を蒔いた。荒れた土に、緑が戻った。民が笑うようになった」


ガーヴィスの首筋の鱗が、じわりと色づく。


「……ガーヴィス様」


「……それだけじゃない」


彼は、まっすぐに私を見た。


蒼氷の瞳に、夕日が映って揺れている。


「あんたが蒔いた種は、俺の土地も、俺の心も実らせた」


不器用に。


でも、真心を込めて。


「……傍にいてくれないか」


飾らない、朴訥な求婚。


派手な花束も、美辞麗句もない。


けれど、これほど誠実な言葉を、私は知らなかった。


(ああ。……この人となら)


凍りついていた心の、最後のひとかけらが、ゆっくりとほどけていくのを感じた。


私は、そっと微笑んだ。


「では、来年の種まきの月まで──」


「……まで?」


「じっくり考えさせていただきますわ」


ガーヴィスが、ぽかんとする。


そして、私が悪戯っぽく笑っているのに気づき──


みるみる首筋の鱗を真っ赤に染めた。


「か、からかっているのか……!」


「ふふ。土いじりと同じですわ。良い実りには、じっくり時間をかけるものですのよ」


黄金の麦畑に、二人の笑い声が溶けていった。


◇


それは、秋の終わりのことだった。


収穫を終えた辺境の館に、一人の来訪者があった。


みすぼらしい旅装。


やつれた頬。


かつての愛らしさに、深い翳りを落とした少女。


「……セレスティア、様」


栗色の巻き毛の、その少女は──ミレーユ・ラフォンテーヌ。


エルデン王国で『豊穣聖女』ともてはやされた、あの少女だった。


「あなた……よくもまあ、この地に顔を出せたもんだねえ」


ノーラが警戒するように前へ出ようとするのを、私は手で制した。


「ノーラさん、お待ちを。……ミレーユさん。何をしにいらしたの?」


ミレーユは震える手で、胸元の花束を差し出した。


それは──三日で枯れる、萎れた花束だった。


彼女が咲かせられる、唯一の花。


「私……私、何も知らなかったんです。私の力が、土から養分を奪うだけの、実を結ばない徒花だったなんて」


涙が、頬を伝う。


「ラウル様は、それを知っていて……私を、都合よく担ぎ上げただけだった」


震える声。


後悔と、怯えと、幼い罪の告白。


「あなたを追放に追い込んだのは、私です。……謝って許されることじゃないのは、分かっています。でも──」


ミレーユは、萎れた花束を握りしめた。


「私、知りたいんです。本当の実りって、何なのか。……教えてください」


私は、しばらく彼女を見つめた。


(この子もまた、被害者だった。すべての種には、芽吹く力が眠っている)


真実を知らされず、派手な奇跡だけを求められ、そして使い捨てられた。


三日で枯れる徒花。


だが、正しい土と、正しい知識があれば──


その花にも、いつか実がなるかもしれない。


たとえ、今は枯れて見えたとしても。


「ミレーユさん」


私は、そっと微笑んだ。


「土は、正直ですのよ。──手を、汚す覚悟はおありかしら?」


少女の菫色の瞳が、大きく見開かれる。


「……はい。この萎れた花に、いつか実がなるのなら。私、何だってします」


涙を拭って、こくりと頷いた。


「よろしい。では、まずはその萎れた花束を、土に還すところから始めましょう。──新しい種を蒔く時間ですわ」


枯れた聖女が、豊穣の女神になったように。


次は、この徒花が、実を結ぶ番かもしれない。


新しい種が、今、蒔かれようとしていた。


──それは、救済と再生の、始まりの物語。

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