依頼は最後までお読みください
冒険者ギルドの壁には、今日も数え切れないほどの依頼票が貼られていた。
魔物の討伐から素材の採取、商隊の護衛、近隣の村から持ち込まれた細々とした仕事まで、その内容は様々だ。
新しい依頼が貼り出されるたび、金額を確認する冒険者は多い。相場より高い報酬が記されていれば、職員が壁から離れるより先に人が集まり、内容をろくに確認しないまま依頼票を剥がす者までいる。
報酬の高い依頼は、それだけで争奪戦になる。
朝のギルドでは、珍しい光景でもなかった。
俺は人の波が落ち着くのを待ってから壁の前へ行き、残っている依頼票の中から一枚を剥がした。
『報酬:銀貨四十枚+追加報酬
依頼内容:北の森に生息する角兎を二十匹以上討伐し、毛皮を納品すること。
期限:三日以内
備考:討伐した角兎は現地で解体し、毛皮を傷つけずに持ち帰ること。状態の悪いものは報酬の対象外とする』
北の森までは徒歩で半日ほどで、角兎そのものも経験を積んだ冒険者なら苦戦する相手ではない。
問題は、備考に記された条件だった。
二十匹以上を探して森を歩き回り、討伐したあと一匹ずつ解体し、傷をつけないよう毛皮を剥ぐ。そのうえ大量の毛皮を抱えて半日かけて戻ってくることを考えると、最初に目についた報酬ほど条件のいい依頼ではない。
受けられないわけではないが、他に仕事が残っているなら、そちらを確認してからでも遅くないだろう。
依頼票を壁へ戻そうとしたところで、横から伸びてきた手がそれを奪った。
「その依頼、俺たちが受ける」
振り向くと、四人の冒険者が立っていた。
最近このギルドを拠点にしている若手のパーティーで、討伐依頼を中心に受けている連中だ。何度か同じ時間帯に顔を合わせたことはあるが、話をしたことはほとんどない。
依頼票を手にした男が、俺を見て口元を上げた。
「悪いな。早い者勝ちだ」
「どうぞ」
「……いいのか?」
「ああ」
もともと壁へ戻すつもりだった依頼だ。
俺は残っている依頼をもう一度確認し、近くの村まで薬を届ける仕事を選んだ。報酬は角兎の討伐より安いものの、荷物は軽く、昼過ぎには戻ってこられる。
翌日の夕方、ギルドで昨日の四人を見かけた。
依頼は無事に達成したらしく、大量の毛皮が受付横の台へ積み上げられていたが、四人とも泥まみれで、服のあちこちに草や小枝が引っかかっている。疲れ切った顔を見る限り、二十匹を見つけて毛皮を持ち帰るまで、随分と苦労したらしい。
それでも依頼を達成したことに変わりはない。
俺が何か言うことでもなかった。
◇
数日後、俺はまた依頼票を眺めていた。
目に留まった一枚を壁から剥がす。
『報酬:金貨三枚
依頼内容:街道付近へ逃げ出した大猪一頭の捕獲。
期限:二日以内
備考:近隣の農家で飼育されていた個体につき、生け捕りにすること。負傷させた場合は報酬を減額する。推定体重、五百キロ』
大猪そのものは、俺一人でも苦戦する相手ではない。
問題は討伐ではなく捕獲だということだった。
五百キロ近い巨体をできるだけ傷つけずに取り押さえ、そのうえ農家まで連れて帰らなければならないとなれば、金貨三枚という報酬にも納得がいく。
さて、どうするか。
他の依頼を確認してから決めようとしたところで、また横から依頼票を取られた。
「これも俺たちが受ける」
先日の四人だった。
「どうぞ」
男が眉を上げた。
「また譲るのか?」
「受けたいんだろう?」
「ああ」
「なら構わない」
男は少しの間こちらを見ていたが、やがて仲間たちと顔を見合わせて笑った。
「まあ、俺たちに取られたら何も言えないよな」
何の話をしているのか分からなかったが、訂正するほどのことでもない。
俺は別の依頼を選んだ。
翌日、ギルドの前には巨大な檻を載せた荷車が停まっていた。
中では大猪が暴れ、そのたびに頑丈な檻が大きく揺れている。その横では、泥にまみれ、服のあちこちを破いた四人が報酬を受け取っていた。腕や頬には昨日までなかった傷も増えている。
今回も依頼は達成したらしい。
それからだった。
俺が依頼票を見ていると、あの四人が近づいてくるようになった。
『銀貨六十枚。山奥に自生する薬草の採取。期限は五日以内。採取場所まで片道二日』
『銀貨五十枚。沼地に生息する泥蛙三十匹の捕獲。期限は三日以内。すべて生きたまま納品すること』
『金貨二枚。貴族が飼育する希少な鳥の捜索。期限は五日以内。発見した場合は傷一つつけずに連れ帰ること』
俺が依頼票を手に取って内容を確認していると、彼らは次々とそれを持っていった。
山から戻れば四人とも足を引きずり、沼地から戻った日は全身泥だらけで、希少な鳥を連れ帰ったときには全員の腕に細かな引っかき傷ができていた。
どれも達成できない依頼ではない。実際、彼らは時間をかけ、苦労しながらも最後までやり遂げていた。
ただ、俺なら他に仕事が残っているうちは選ばない。
そんな依頼ばかりだった。
ある日、俺が持っていた依頼票を男が取り上げたあと、仲間の一人が笑った。
「最近、依頼を探すのが楽になったな」
「こいつが先に選んでくれるからな」
「報酬だけ見て取るより確実だ」
どうやら俺が条件のいい依頼を選び、それを彼らが先に奪っているつもりらしい。
これまで散々苦労して戻ってきているはずなのだが、それでも考えは変わらないらしい。
訂正しようかとも思ったが、彼ら自身が依頼を受け、そのたびに達成している以上、俺が口を挟む理由もない。
その日も俺は別の依頼を選び、ギルドを出た。
◇
それからしばらく経ったある日、いつものように依頼を探していると、壁の一角に見覚えのある名前を見つけた。
依頼票を剥がし、内容を確認する。
『報酬:金貨十枚
依頼内容:古竜グラディウスへの定期訪問補助。
期限:指定日のみ
備考:王宮竜医師に同行し、健康状態の確認、鱗及び口腔内検査を補助すること。古竜グラディウスは王国との友好協定下にあり、討伐対象ではない。いかなる攻撃行為も固く禁ずる。指定日の朝、王都西門前に集合すること』
毎年この時期になると出される依頼だった。
グラディウスは王国と古くから友好関係を結んでいる竜で、王宮から派遣される竜医師が年に一度、その健康状態を確認している。
冒険者に求められるのは、医師への同行と検査の補助だ。
危険な討伐ではないものの、巨大な古竜の身体を調べる仕事だけに、誰でも気軽にできるものでもない。俺も過去に何度かこの依頼を受けたことがあり、その中でグラディウスとは多少言葉を交わすようになっていた。
今年の指定日を確認する。
予定も空いている。
久しぶりに受けてもいいだろう。
受付へ向かおうとしたところで、横から手が伸びた。
またか。
「その依頼、俺たちが受ける」
依頼票を掴んだのは、やはりいつもの男だった。
だが、今回は手を離さなかった。
「いや、これはやめておけ」
男の表情が変わった。
「……なんだ。今日は随分と必死じゃないか」
「そういうことじゃない。これはお前たちが受けるような依頼じゃ――」
「今まで一度も止めなかったくせに、よほど俺たちに取られたくないらしいな」
「だから、そうじゃない」
男は俺の手元にある依頼票へ目を落とした。
最初に書かれた報酬を見て、その眉が上がる。
さらに、その下へ視線を動かした。
「古竜グラディウスか」
「最後まで読め」
「金貨十枚で古竜が相手なら、相当な依頼なんだろうな」
「話を聞け」
男は俺の手から強引に依頼票を抜き取った。
「これは俺たちが受ける」
四人はそのまま受付へ向かった。
俺も後を追う。
受付嬢は差し出された依頼票を見ると、四人を見回した。
「こちらの依頼を受けられるのですね?」
「ああ」
「では、依頼内容を最後までご確認ください」
「古竜が相手なら危険なのは承知している」
「そうではなく――」
「問題ない。俺たちならやれる」
受付嬢がこちらを見た。
俺は、これ以上言っても無駄だと小さく首を横に振った。
止めるべきことは止めた。
受付からも確認された。
それでも本人たちが受けると言うのなら、それ以上どうすることもできなかった。
◇
指定日の朝。
四人は王都西門へ向かわなかった。
依頼票に記された集合場所を確認することなく、古竜の討伐依頼を受けたつもりで、そのままグラディウスが住む山へ向かっていた。
やがて山中にある巨大な洞窟へ辿り着き、最奥まで進むと、眠っていた古竜グラディウスが足音に気づいて金色の目を開いた。
四人は武器を抜いた。
「古竜グラディウス!」
グラディウスがゆっくりと首を持ち上げる。
「……医師はどうした」
「何?」
「今日は検診の日だろう。医師はどこにいる」
四人が顔を見合わせた。
「何を言っている。俺たちはお前を討伐しに来た!」
しばらく沈黙が続いた。
やがてグラディウスが巨体を起こした。
洞窟の天井近くまで頭が上がり、その影が四人を覆う。
「……我を討つために来たのか」
「そうだ」
「そうか」
グラディウスは四人を順番に見下ろした。
「ならば始める前に、一つ確認しておこう」
「なんだ」
「我はこの国と友好を結んでいる。王国との条約があるゆえ、我がお前たちを殺すことはできぬ」
四人の表情に、わずかに安堵が浮かんだ。
「だが、我を討てず、生きて帰った場合はどうなる?」
その表情が消えた。
「……どういう意味だ」
「お前たちにもあるのではないか? 我を勝手に殺してはならぬ決まりが」
男たちの表情が変わった。
一人が荷物を探り、折り畳んでいた依頼票を取り出す。
四人の視線が、今度こそ依頼票を上から下へと動いていった。
『金貨十枚』
『古竜グラディウスへの定期訪問補助』
『指定日のみ』
『王宮竜医師に同行し、健康状態の確認、鱗及び口腔内検査を補助すること。古竜グラディウスは王国との友好協定下にあり、討伐対象ではない。いかなる攻撃行為も固く禁ずる。指定日の朝、王都西門前に集合すること』
討伐という文字は、どこにもなかった。
リーダーの男が剣を下ろす。
残る三人も、それに続いた。
「……申し訳、ありませんでした」
「聞こえぬな」
四人が揃って頭を下げた。
「申し訳ありませんでした!」
声が洞窟に響く。
グラディウスはしばらく四人を見下ろしたあと、再び巨体を伏せた。
「そこで待て」
「……え?」
「今日は検診の日だと言っただろう」
「ですが……」
「お前たちはその補助に来たのではないのか?」
四人は何も言えなかった。
逃げることもできず、その場で王宮の竜医師が到着するのを待つことになった。
◇
やがて洞窟へやって来た竜医師は、入口近くに立っている四人を見るなり眉をひそめた。
「なぜお前たちが先にここにいる?」
四人は答えない。
「この依頼は、私に同行して検診を補助するものだったはずだ。指定した場所と時刻も依頼票に記載されていただろう」
「それは……」
「まさか、それすら確認せずに直接ここへ来たのか?」
リーダーの男が視線を逸らした。
「……はい」
医師は眉間を押さえた。
そのまま洞窟の奥へ進むと、伏せているグラディウスを見上げる。
「グラディウス。検診を始めますよ」
「断る」
医師の足が止まった。
「……何かありましたか?」
「そこの四人に聞け」
医師が振り返る。
「……何をした」
四人は目を逸らした。
「答えろ」
「……剣を、向けました」
医師の表情が固まった。
「なぜ」
「討伐依頼だと……思っていて」
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがて医師が低い声で告げた。
「帰れ」
「ですが――」
「今すぐ帰れ。お前たちがいる限り、検診どころではない」
四人は言葉を失った。
「今回の件は、すぐにギルドへ報告する」
四人は何も言えず、洞窟を出ていった。
その背中を見送ったあと、医師はグラディウスへ向き直った。
「では、改めて検診を」
「断る」
「彼らは帰りました」
「知らぬ」
「口を開けてください」
「嫌だ」
「せめて鱗だけでも確認させてください」
「帰れ」
医師は額を押さえた。
しばらく黙っていたが、やがて諦めたように息を吐く。
「……では、他の冒険者を呼べば検査を受けてくださいますか」
グラディウスはしばらく考えた。
「何度か来ている、我に遠慮なく口を開けろと言う男がいただろう」
医師も少し考え、やがて思い当たったらしい。
「ああ、あいつですか」
「あれならよい」
「分かりました。連れてきます」
◇
その頃、俺はギルドで次の依頼を探していた。
例の四人はまだ戻っていない。
さすがに現地へ着くまでには依頼内容を確認しただろうと思っていたが、その後どうなったのかまでは知らない。
ギルドの扉が勢いよく開いた。
白衣姿の老人が飛び込んでくる。
見覚えがある。王宮で竜の治療を担当している医師だ。
老人はギルド内を見回し、俺を見つけるなり大股で近づいてきた。
「どうして今年はお前ではなかった!」
「お久しぶりです」
「挨拶はいい!」
「依頼を取られまして」
「取られた!?」
「はい」
「誰に!」
俺が答えようとしたところで、再びギルドの扉が開いた。
四人が入ってきた。
医師が振り返る。
「あいつらか!」
「はい」
「お前たち!」
四人の足が止まった。
「先ほどは……」
「先ほどではない! おかげでグラディウスが検診を受けん!」
「え?」
「口も開けん! 鱗にも触らせん! どうしてくれる!」
受付嬢も四人の姿に気づき、カウンターから出てきた。
「皆様には、今回の依頼についてお話があります。王宮竜医師からの報告も、すでに届いています」
四人の表情が強張った。
「俺たちは知らなかったんだ。古竜の依頼だったから、てっきり討伐だと――」
「依頼票に討伐とは一言も書かれていません」
受付嬢は依頼票の控えを取り出した。
「受付の際にも、内容を最後まで確認するよう申し上げました」
「それは……」
「依頼を受ける前にも止められていましたよね」
四人の視線が俺へ向く。
「俺は最後まで読めと言ったぞ」
男は何も言えなかった。
それでも、何か言い返す言葉を探しているのか、視線だけが落ち着かない。
受付嬢は依頼票の控えを置くと、四人へ向き直った。
「では、副ギルドマスターとして、今回の件に対するギルドの処分を言い渡します」
「……副、ギルドマスター?」
「ああ」
思わず声を漏らした男に、俺は答えた。
どうやら知らなかったらしい。
毎日のように受付に立っているから無理もないが。
つまり、今さら受付での説明が足りなかったとも、注意されなかったとも言えない。
何しろ、その受付をした本人が目の前にいる。
副ギルドマスターは四人を見回した。
「まず、皆様がこれまで他の冒険者の手にある依頼票を繰り返し取り上げていたことは、複数の職員が確認しています。当人が毎回そのまま譲っていたため問題として扱われていませんでしたが、それによって行為そのものが認められるわけではありません」
リーダーの男は口を開きかけたが、結局何も言わなかった。
「加えて今回、受付で依頼内容の確認を求められたにもかかわらず、それを怠ったまま依頼を受注。指定された集合場所へ向かわず、同行するはずだった王宮竜医師を置いて独断で現地へ向かいました」
四人は黙っている。
「そして、王国との友好協定によって討伐を禁じられている古竜グラディウス様へ武器を向けた」
「でも、俺たちは何も――」
「傷つけていないから問題がない、と?」
「……」
「グラディウス様が応戦されなかったから、何も起きなかっただけです。もし皆様の行為を王国からの敵対行為と判断されていた場合、四名だけの問題では済まなかった可能性があります」
四人の顔から血の気が引いていく。
「冒険者ギルドは、依頼主との信頼によって成り立っています。依頼内容を確認せず、同行者との取り決めを無視し、討伐してはならない相手を討伐しようとした者に、これ以上依頼を任せることはできません」
「以上を踏まえ、四名全員の冒険者資格を剥奪します」
「……そんな」
「なお、これはあくまで冒険者ギルドからの処分です。古竜グラディウス様との友好協定に関する件については、王宮から別途呼び出しがあります」
四人はその場に立ち尽くした。
「おい」
いきなり腕を掴まれた。
振り向くと、竜医師が俺を睨んでいる。
「行くぞ」
「どこへですか」
「グラディウスのところに決まっている!」
「今からですか?」
「今すぐだ! グラディウスがお前ならいいと言ったんだ!」
それを先に言ってほしい。
◇
洞窟の奥へ入ると、グラディウスはいつもの場所に伏せていた。
俺を見ると、金色の目がこちらを向く。
「遅い」
「俺は今日来る予定じゃなかったんだ」
「知らぬ者が四人来た」
「聞いた」
「剣を抜いた」
「それも聞いた」
グラディウスはしばらく俺を見た。
「焼いてよかったか?」
「駄目だ」
「噛んでよかったか?」
「駄目だ」
グラディウスが不満をぶつけるように大きく吠えた。
咆哮が洞窟の奥まで轟き、後ろにいた医師が慌てて両耳を塞ぐ。
「うるさい。駄目なものは駄目だ」
グラディウスは鼻を鳴らし、ようやく顔を伏せた。
「では、始めるぞ」
医師が道具を取り出す。
グラディウスが俺を見る。
「早く終わらせろ」
「そのために来たんだ。ほら、口を開けろ」
グラディウスはしばらく俺を睨んでいたが、やがて諦めたように大きく口を開けた。
医師がすぐに検査を始める。
俺は巨大な牙の横に立ちながら、数日前に四人へ言った言葉を思い出した。
最後まで読め。
今度依頼票を手に取る機会が彼らにあるかどうかは、もう分からない。
少なくとも俺は、これからも変わらない。
報酬を確認し、依頼内容を読み、期限を確かめ、最後に備考まで目を通す。
それから、受けるかどうかを決めるだけだ。




