「オーッホッホ!」縦ロールの悪役令嬢、日本の婚活パーティーに現る!
王宮の夜会――
それは、公爵令嬢イザベラにとって、自らの高貴さと美を証明する戦場であった。
彼女は今宵も、最高級の香油と侍女のアリスが作り上げた、芸術的とさえ言える金色の縦ロールを誇らしげに揺らし、会場の視線を集めていた。
だが、その視線の色は、彼女が期待していた感嘆ではなく、冷ややかな失笑であった。
「……見て。今日も一段と『巻いて』いらっしゃること」
「まるで平民の食する『コロネパン』を頭にぶら下げているようですわね。あのような下品なセンスを持つ方が、王妃の座に相応しいと思っていらっしゃるのかしら」
扇子の陰で囁かれる嘲笑。
そして、その中心にいたのは、イザベラの婚約者である王太子のカイルだった。彼の隣には、野に咲く百合のように慎ましく、飾り気のない伯爵令嬢のマリーが寄り添っている。
「イザベラ、もう限界だ」
カイルが冷酷な声を響かせた瞬間、楽団の演奏が止まった。
「お前のその、頭にキンキンと響く高笑い……そして、そのくるくる巻いた異様な髪型。それを見るたびに、私は自分の心が削られていく思いだった。私に必要なのは、お前のような自己顕示欲の強い女ではなく、マリーのような清純な安らぎだ」
イザベラは、毅然と言葉を返そうとしたが、喉が熱く締め付けられて声が震えた。
「異様……? 殿下、今、わたくし自慢の金色の縦ロールを、異様とおっしゃいましたの!?」
「そうだ。毒々しい。今日限りで見たくもない! お前は私にふさわしくない!」
周囲から沸き起こる、一斉の嘲笑。それは津波のようにイザベラを飲み込んだ。イザベラは、自身でも良く分からない感情に身を固くした。
「毒々しい!? 失礼ね! この縦ロールに、わたくしが毎朝どれほどの時間と情熱を注ぎ込んだと思っていましてよ!? 」
いつもなら高笑いで返すはずの唇が、情けなく震える。強がりはしたが、心が折れそうだ。溢れそうになる涙を必死に堪えるため、彼女はうつむいた。その拍子に、丹精込めた縦ロールが力なく揺れる。
「そんなこと知らん! 興味もない! 婚約破棄だ! お前との婚約は、今、この場で破棄する!」
イザベラは言葉に詰まった。殿下の瞳には、軽蔑の色しかない。
(ああ……本当に。殿下は私を認めてはくださらないのね)
彼女の視界が、屈辱の涙で僅かに滲む。後ろで控えていた侍女のアリスが静かに一歩踏み出し、主人の背にそっと指先を触れさせた。それは「私がいます」という、無言の支えだった。
「わたくしの……高位の貴族令嬢としての振舞いは、間違い、だったのでしょうか……」
絞り出した掠れ声に、カイルは冷たく吐き捨てた。
「間違いどころか、異常なんだよっ! どこの世界にそんなバネみたいな髪型の令嬢がいるんだ! どこに『オーッホッホッホ! 』なんて高笑いをする貴族令嬢がいるんだ!?
もういいから、さっさと私の前から消えてくれ、見ているだけで不愉快だ!」
心に最後の一刺しを受け、絶望に瞳を閉じたその時だった。
会場の天井が眩い光に包まれ、時間が止まったかのように静まり返る。光の中から現れたのは、Tシャツに短パンという、この世の誰よりもやる気のない格好をした神様であった。
「やあやあ、揉めてるね。……君、イザベラだっけ?
君のその……突き抜けた個性と美学、この世界じゃ完全に宝の持ち腐れだよ。みんなの感性が君に追いついてないんだね」
神様は面倒くさそうに耳をかきながら、イザベラの縦ロールを指差した。
「ちょうどいい場所があるんだ。そこなら、君はそのままで『女神』になれる。ちょっと場所を変えて、自分の好きなことをやってきなよ。君の感性を笑わない奴らがいる場所へさ」
「……は? 女神? 何を言って――」
イザベラは戸惑いながらも、神様の言葉に、どこかに温かさを感じた。
「……わたくしを……笑わない世界……?」
(ああ……もし本当にあるなら……わたくしをこの場所から連れ去って……)
意識が吸い込まれるように遠のく中、イザベラは最後にそう願った。
次に目を開けた時。
イザベラは王城の夜会会場とは違う異質な空間にいることを理解した。
イザベラと侍女のアリスは、異世界のパーティ会場に立っていた。そこは、東京都内。
パーティーのコンセプトは、『趣味全開! コスプレ・サブカル婚活パーティ』。
「……お嬢様。状況を整理します」
侍女のアリスが、周囲を見渡しながらも、イザベラへ言葉をかける。あなた、どうしてそんなに冷静なのっ!?
「我々は、神により異界へ飛ばされました。神によると、ここは『レイワ』と呼ばれる時代の『ニホン』という島国だそうです。そして目の前の看板には『なりきり歓迎! 真剣な出会い』とあります」
「あら、夜会ではなく婚活パーティー。……結婚相手を探す集いですのね?」
イザベラは、目を瞬くと周囲を見回した。
「見てご覧なさい、アリス。あちらの方、耳が尖っていますわ。あちらの殿方は、全身を鉄の鎧で固めて……。あの方は、どちらの民族衣装……?
なんて奇抜で、なんて自由で、なんて素晴らしい世界なのかしら!」
アリスは素早くビュッフェから唐揚げを皿に盛ってきて、無表情に口に運んでから頷いた。
「はい。さらに、周りの方たちが持っている黒い板は、どうやら魔道具のようです。通知が来るたびに震えたり光ったりしています。
……ところでお嬢様、この国の揚げ物はいかがですか? このドロリとした白いソースをつけると絶品ですよ、ぜひお試しを」
アリスは口いっぱいに鶏の唐揚げを詰め込んでいた。ちなみに転移からまだ1分も経っていない。
「アリス、あなたこの世界に馴染むの早すぎません? それに口の周りがテカテカですわよ?」
そこへ、一人の眼鏡をかけ、背広姿……といっても、イザベラたちにとっては初めて見る服装なのだが……誠実そうな男性が、おずおずと話しかけてきた。
「あの……すみません。僕、佐藤と言います。それで、そのドレス、もしかして自作ですか? あと、その髪……ウィッグじゃないですよね? 巻きの再現度が凄まじくて……」
イザベラは条件反射的に、いつもの高笑いを披露した。
「オーッホッホッホ! この髪が作り物に見えまして?
これは2時間かけて、秘伝の香油と情熱を注ぎ込んだ、わたくしの誇りですわ!」
普段なら「うるさい」「高慢だ」と眉をひそめられる、周囲を煽るような振る舞い。だが、この会場の反応は違った。
「すげえ……キャラが立ってる!」
「悪役令嬢? 高笑い、最高! でも、なんのアニメのキャラかな?」
「お嬢様とマッチング……いえ、まずは連絡先交換を!」
高笑いをきっかけに注目されたイザベラは、周りから聞こえる声に目を丸くした。
「……なんですの? 誰もわたくしを『派手すぎる』とか『奇抜だ』とか『コロネパンみたいだ』とか言って嘲笑しませんわ。むしろ賞賛、されています……?」
アリスは、ビュッフェのポテトサラダを皿に山と盛りながら、イザベラに助言する。
「お嬢様、この国において貴女様の縦ロールはクオリティの高いコスプレと評価され、高笑いは完璧なロールプレイとして受け入れられるようです。
つまり、お嬢様はここでは主役です。殿方たちは、お嬢様を独占したがるのでは?」
アリスは黒い板に指先を滑らせた。
「先ほど、神から黒い板を授かりました。黒い板は、色々なことを調べられるようです」
アリスを見れば、両頬が大きく膨らんでいる。口の中には、ポテトサラダが目いっぱい詰め込められているのだろう、さっきまで皿の上にあったポテトサラダが消えているのだから。
そして、皿の上には新たにフライドポテトが乗っていた。よく、食べるな?
イザベラは、アリスの食べっぷりに呆れつつも、久しぶりに心からの笑みを浮かべた。
「あの王太子の審美眼が、いかに貧相だったかよく分かりましたわ。この地で婚活とやらをすることにします。アリス、まずは私にふさわしい殿方を見極めるために、爵位や領地の情報を仕入れてきなさい。
……ちょっとアリス、聞いていますの!?」
「承知いたしました。私は今からデザートコーナーのチョコフォンデュに突撃するので、それが終わってから取り掛かります。待ってください。
……ふむ、この湧き出るチョコレートにふわふわとした白き精霊を沈めることで、至高の甘味が完成するわけですね」
アリスはマシュマロを突き刺した串を、流れ落ちる褐色の滝へと差し入れた。咀嚼するたびにアリスの無表情な頬がわずかに緩み、その背後には花が咲き乱れている幻が見えるようだった。
繰り返し、繰り返し、まるで何かに取り憑かれたかのような手際で、彼女はマシュマロをチョコへと沈め、口へと運んでいく。みるみるマシュマロが消えていく。それはもう、みるみると。
「アリス! あなた、わたくしよりチョコフォンデュを優先するとは何事ですの! あと、口の端にチョコレートが付いていますわよ! 拭きなさい!」
イザベラがアリスに注意したその時。彼女は背後からの視線を感じた。視線の主は、会場の端で固まっていた女子グループだった。
「ちょっと……見て、あの縦ロールの女の人。もしかして有名レイヤーさんなのかな?」
「ありえないくらいクオリティ高い……。衣装の刺繍も重厚だし、何よりあのキャラの完成度……!」
女子たちが押し寄せたその時。
最初に勇気を出して声をかけた眼鏡の男性――佐藤は、文字通り物理的な波に飲み込まれていた。
「ちょっ、ちょっと皆、押さないで……!」
佐藤の困惑した声は、興奮した女子たちの「すごい!」「地毛!?」「美人さんだ!」「神すぎる!」という熱狂にかき消されていく。気づけば、彼は女子たちの華やかな波によって、イザベラの至近距離からズルズルと後退させられていた。
扇子の隙間からその様子を見たイザベラは、思わず目を丸くした。
「あら? そこの眼鏡の殿方、どこへ行きますの? わたくしに真っ先に声をかけるその勇気、褒めてあげようと思っていましたのに!」
イザベラの呼びかけに、女子たちの背後からひょこっと眼鏡が覗く。佐藤は押し出された場所で、苦笑いを浮かべながら眼鏡のブリッジを指で押し上げた。くくくいっ。
「あはは……すみません。僕なんかが独占してちゃ悪いかなってくらいの人気ですね、お嬢様。
……僕はとりあえず、あっちでローストビーフでも食べて待ってます。皆さん、落ち着いてお話してあげてくださいね」
彼は肩をすくめて戦場から一時撤退するように、穏やかな足取りでビュッフェカウンターの方へと消えていった。
追いかける間もなく、女子たちの質問攻めが始まった。
「お嬢様!? 今の男性は執事さんですか!? 『お嬢様』って呼び方、めちゃくちゃ萌えるんですけど!」
「違うわ。 あの方は……ええと、わたくしに最初に話しかけてきた……そう、名もなき勇者のような殿方ですわ!」
イザベラは口ではそう言いながらも、遠ざかっていく佐藤の背中を、ほんの少しだけ名残惜しそうに見送った。自分という存在に怯まず、それでいて一歩引いて場を譲る彼の態度は、今まで出会った傲慢な貴族たちとは決定的に何かが違うように思えたから。
「あの! すみません、その髪……地毛ですか!? 有名なコスプレイヤーさんですか!?」
「色と巻きが美しすぎて、もはや芸術作品……! 写真、撮ってもいいですか!?」
女子たちが差し出す黒い板――異世界の魔道具が、一斉にイザベラへ向けられた。フラッシュが瞬くたびに、彼女の黄金の縦ロールが眩しく光り輝く。
「ちょっと、順番に並んで!」「私もツーショット撮りたい!」と、押し寄せる女子たちの熱気はまさに戦場。
つい数秒前まで、佐藤の後ろ姿を名残惜しそうに見ていたイザベラは……。
「わあぁ! どの角度から撮っても絵になる!」
「お姉様、尊すぎます……!」
そんな黄色い歓声を次々と浴びているうち、残惜しさはあっという間に霧散した。扇子を優雅に広げ、凛とした笑みを湛える。そうしてイザベラは調子に乗った。
今のわたくしは、賞賛の嵐を一身に受けるべき、パーティーの主役ですわ!
イザベラは、今まで嘲笑の対象だった縦ロールが、芸術作品とまで崇められたことに歓喜した! 称賛されたから自己肯定感が漠上がり! 彼女はとても、チョロいのだ!
「オーッホッホッホ! コスプレ? シャシン? よくは分かりませんが、貴女たちがわたくしを賞賛していることは分かります。
よろしくてよ! よろしくてよ!
わたくしに敬意を払うとは、なかなかの審美眼をお持ちの令嬢たちね!」
イザベラは、コスプレという言葉もシャシンという言葉も理解できなかったが、喜んで受け入れた。
言葉の意味は理解できなくても、賞賛であることは理解できたから。イザベラは肯定されることを渇望していたから、水を得た魚のように心が躍る。
「わあ、生『オーッホッホ』だ! 本物(?)だわ!」
「声の通りが凄すぎる……! 舞台女優さんかも?」
大人気アニメ『神殺しの結界師』の主人公、白き巫女キリンの衣装に身を包んだミカと名乗った女の子が、イザベラの縦ロールに目を輝かせながら尋ねた。彼女の巫女服は自作のようで、見る人が見れば袖の合わせ目や刺繍の並々ならぬこだわりが理解できる力作だ。
「その縦ロール、どうやってキープしてるんですか? わたし、湿気ですぐ前髪が死んじゃって……。キリンのこの独特のハネを再現するのに、さっきもトイレで格闘してたんです」
「貴女、その……キリン? とかいう者の装束は実に見事ですが、自分に自信が持てない前髪のままでは、意中の殿方と話す勇気が霧散してしまいますわ。
アリス! この者にわたくしの整髪方法を教えなさい!」
「ミカ様。お嬢様のドリルは、時速40キロの馬車で疾走しても、たとえ爆風魔法の余波を受けたとしても型崩れしないのです」
チョコフォンデュに満足したのか、アリスはさっと戻ってきた。だがその手にソースのたっぷりかかった串カツを何本も握っていた。よく見ると口元がソースで汚れているが、彼女の表情は至って真剣だった。
「……私の絶妙な指捌きによって、イザベラ様の縦ロールは生み出されます。その秘訣は、愛する造形を生み出そうと願う『迷いなき心』。
具体的には、我が公爵領の最北端にのみ自生する『剛鉄草』の煮汁をベースに、高山地帯に生息する『粘着雪蜘蛛』の糸から抽出した特殊な分泌液を、特定の比率で調合した秘伝の香油にあります。
この香油をお嬢様の髪に塗り込み、乾燥魔法で一気に固めることで、鉄兜並みの硬度を誇る芸術品が完成するのです。
多少の物理攻撃や雨風ごときでは、お嬢様の縦ロールを崩すことは叶いません」
「剛鉄草の煮汁……!? 粘着蜘蛛の汁……!? どこで買えばいいのそれ……? 」
アリスの答えを、異世界風の冗談だと受け取った女子たちは爆笑。
「お姉様、かっこいい!」「相談に乗ってほしい!」「アリスさんも、面白い!」と、気づけばイザベラとアリスの周りは、殿方とのマッチングを忘れた女子会状態に。
「殿方と語るのは、まず自分を磨き上げて自信をつけてから! さあ貴女たち、次は扇子の正しい作法を伝授してあげますわよ!」
「「「お願いします、お姉様!!」」」
イザベラが女子たちに縦ロールの巻き方と扇子の正しい作法を説いている熱狂の輪に、数人の男性グループが、意を決したように歩み寄ってきた。
彼らもまた、このパーティのコンセプト通り、気合の入った衣装を身に纏った戦士たちだった。
「あ、あの! すみません、女子会の最中に。あまりの完成度に、我慢できなくて……!」
声をかけてきたのは、全身を黒いライダーススーツで固め、脇に昆虫を模したフルフェイスヘルメットを抱えた特撮ヒーローの男性。その後ろには、マントを翻す魔導師、そして背中に巨大な発砲スチロール製の剣を背負った大剣使いが続く。
「オーッホッホ、よろしいですわ! わたくしの魅力に抗えないのは、致し方なくてよ!
……して、その奇妙な兜や、身の丈を超える重そうな大剣は何ですの?」
イザベラが扇子を向けたのは、大剣使いの背中だった。
「これですか!? これは、僕が全精力を注いで作った『素材から剥ぎ取った風の骨大剣』です! これ、実は中身が発泡スチロールなんですけど……」
「発砲……? なるほど……? 要するに軽くて脆い素材ということですのね。
……賢明ですわ! 見た目だけで敵を威圧するのも、一つの戦い方ですわ! 貴殿のその、使い勝手の悪そうなほどのサイズの大剣、わたくしの縦ロールに通じる『装飾の美』を感じますわ!」
「わ、分かってくれるんですか!? 普通の子には邪魔そうって言われるのに!」
大剣使いの男性が感激に打ち震える横で、ヘルメットを抱えたヒーローが、黒い板を差し出した。
「あ、あの! 僕はその、あなたの『悪役令嬢』としての解像度の高さに痺れました! もしよければ、僕のヒーローポーズと、あなたの高笑いで……対決してるみたいな写真を撮らせてもらえませんか!?」
「わたくしと貴殿が……? オーッホッホッホ! 面白いですわね!
光の勇者と、野に咲く公爵令嬢。この『レイワ』の地で決着をつけようというのですわね。
アリス! 最高の構図を指図なさい!」
アリスは無表情に串カツを一気に頬張ってから、神から授かった『黒い板』を構えた。
先ほど女子たちが黒い板を向け、自分を記録していた様子を観察していたイザベラは、もはや「シャシン」が何たるかをしっかりと理解していた。
(……あれは鏡に映る己の姿を、永遠に黒い板へと封じ込める魔導の術ですわね!)
かつての世界では、肖像画一枚を描かせるのに高名な絵師を呼び、数日間も同じ姿勢でいなければならなかった。しかし、この世界では一瞬。その手軽さは、常に最高の自分を見せつけたいイザベラにとって、これ以上なく興味深い道具である。
「さあ、勇者殿! 構えなさい! どの瞬間を切り取っても、わたくしは完璧ですわ!」
イザベラは扇子をバサリと翻し、あえて背を向けた状態から振り返る見返り美人のポーズを決める。計算し尽くされた角度が黄金の縦ロールを揺らし、神々しく輝かせる。
「お嬢様、顎をあと3ミリ右へ。
……そうです。その角度こそが、相手を最も効率よく見下し、かつ縦ロールの巻きを強調する至高の角度。そのまま、先ほどの高笑いを最大出力で」
「オーッホッホッホ!! 勇者殿、わたくしの美しさの前に跪くがいいですわ!」
カシャッ、という小気味よい音が響いた。
「す、すげえ……! マジで悪役令嬢が降臨してる……!」
「見て見て、縦ロールのハイライトの入り方が二次元を超えてるよ!」
黒い板の中に閉じ込められた自分の姿を確認したイザベラは、満足げに鼻を鳴らした。
「ヒーロー様、もう少し右へ。お嬢様のドリルに刺さるくらいの勢いで踏み込んでください。お嬢様、顎を引き、扇子で相手を見下してください。
……はい、最高の瞬間、いただきます」
カシャリ、と乾いた音が響くたび、周囲の女子たちからも「カッコいい!」「絵になる!」と拍手が巻き起こるのだった。
女子たちやコスプレ戦士たちの喧騒が一段落すると、最初に声をかけてきた眼鏡の殿方こと佐藤が、手元の皿を差し出しながら近づいてきた。
「あの……お疲れ様です。すごい人気ですね。これ、もしよければどうぞ。ここのビュッフェで一番人気の『自家製ローストビーフ』です。さっき焼き上がったばかりみたいで」
イザベラは扇子を閉じ、差し出された皿を検分するように見つめる。
「……この桃色の断面、そして滴る肉汁。貴方、なかなかの目利きですわね」
優雅にフォークを使い、一切れ口に運んだ瞬間、イザベラの脳内に衝撃が走った。
「……っ!? な、なんですのこの柔らかさ! 噛む必要がありませんわ! 極上肉ですわ!」
「お嬢様、顔がだらしないことになってます。
……失礼、佐藤様。そのお肉、私にも一切れ……いえ、皿ごと毒味させていただけますか?」
「あ、はい、どうぞ。あっちにまだ山ほどありますから」
佐藤が苦笑しながら皿を差し出すと、アリスは瞬く間に肉を口へ運び、無表情のまま「……っ!」と目を見開いた。
「佐藤様。あなたはを『兵站将校』に任命します。このようなローストビーフを手に入れる手際、賞賛に値します」
「『兵站将校』って、ただ並んで取ってきただけなんですけど……。でも、そうやって美味しそうに食べてもらえると、持ってきた甲斐があります」
佐藤は照れくさそうに笑いながら、眼鏡のブリッジを指で押し上げる。くいっ。くいっ。
イザベラが優雅に、アリスはガツガツと肉を堪能していく。そして肉がなくなる頃、佐藤が茶色い球体をのせた皿をそっと差し出した。
「次、これ、食べます? 『外はカリッと、中はトロッと』……僕の理想の家庭環境みたいな食べ物です」
「……ほう。この茶色の球体、もしや魔物の卵?」
「いえ、たこ焼きです。勇気を出して一口でどうぞ」
イザベラが恐る恐る口に放り込むと、次の瞬間、内側から溶岩のような熱々の出汁とタコが弾けた。
「……っ!? ぬ、はふっ……!? あ、あづっ!!」
公爵令嬢としての矜持で何とか飲み込もうとする努力が口内の粘膜を焼いていく。悶絶し、白目を剥きかけたイザベラだったが、あまりの熱暴走に、とうとう我慢の限界を迎えてしまった。
「――ぶふぉぉぉっ!!!」
イザベラの口から、音速で茶色の球体が射出された。
まさにたこ焼きの形をした砲弾。不運にも、眼鏡のブリッジを直したばかりの佐藤のど真ん中に、吸い寄せられるように飛んでいった。
ペチャッ。
小気味よい音と共に、佐藤の額に熱々のたこ焼きが着弾。佐藤は「あふっ」と短く声を上げ、そのまま硬直する。
「……っ!! あ、熱っ!! 熱いですわ!! 佐藤、貴方、わたくしを暗殺する気!? 口の中に火竜を飼っているような熱さですわよ!
――って、あ、あら? 佐藤? 大丈夫ですの?」
イザベラは涙目で自分の口元を扇子で隠しながら、たこ焼きが額に張り付いた佐藤を覗き込んだ。
「あ……それ『たこ焼きの洗礼(物理)』です。まさか額で受けることになるとは思いませんでしたけどね……。
はい、お冷。僕も冷やすのに使いますね」
佐藤は熱さに耐えながら、額のたこ焼きをそっと剥がすと、自分のコップで額を冷やしながら遠い目をした。
あまりの恥ずかしさに手で顔を覆ってのたうち回るイザベラを余所に、アリスは自分で持ってきたローストビーフを咀嚼しつつ、イザベラに突っ込む。
「お嬢様、落ち着いてください。口元にソースと青のりがついています。拭きますか? むしろ『ドジっ子属性』として放置しておきますか?」
「拭きなさいよ! 誰がドジっ子ですの! 公爵令嬢に属性など不要ですわ!」
「佐藤様、お嬢様に『ドジっ子属性』が追加されました。
……おや、佐藤様の好意ポイントが何故か上昇していますね。チョロいのは、お嬢様だけではないようです」
イザベラは涙目で水を飲み干してから、乱れた扇子をバサリと広げ、微笑みを湛えて背筋を伸ばした。
「佐藤と言いましたわね。貴殿、先ほどからわたくしの『高笑い』や『物言い』に怯むどころか、楽しんでいるように見えますけれど?
それにわたくしのたこ焼きの直撃も受けましたけど、怒っていませんわね? わたくしに好意をお持ちと考えてよろしくて?」
「僕、仕事でいつも気難しいクライアントに振り回されてるんで。イザベラさんみたいに『私は私!』って突き抜けてる人、見てて清々しいなと思って。その……すごく素敵だし、好きですよ」
「……っ!」
まさかの直球な告白に、イザベラの黄金の縦ロールが「ピクッ」と震える。
前の世界では、誰もが彼女の個性を「過剰だ」「不愉快だ」と切り捨て、王太子でさえ最後には「毒々しい」と吐き捨てたのだ。それなのに、この眼鏡の殿方は、額をたこ焼きで焼かれるという惨事に見舞われたのに、聖者のような微笑みでイザベラを全肯定する。
(な、なんですの……この、心の奥底を揺さぶられるような感覚は……! これほど真っ直ぐに褒められるなど、わたくし、経験ありませんわ!)
扇子で顔を隠してはいるものの、耳たぶが林檎のように赤く染まっていくのは隠しきれない。敵の強襲には強いが、純粋な好意の直撃には無防備。そう、彼女は極めつけに「チョロい」のだ。
「お嬢様、完全の乙女心が露出しています。……世間ではこういう御仁を『チョロイン』、というそうですよ?」
「だっ、黙りなさいアリス! 誰がチョロインですか!
……コホン。よろしい、佐藤。貴殿のその、毒気に当てられても死なない頑強な精神と、わたくしの真実の姿を見抜く審美眼……高く評価してあげますわ。
わたくしの隣に立つことを、今日から許します!」
「あはは、光栄です。イザベラさん、周りに合わせるんじゃなくて、自分の美学を貫ける人って、今の日本にはなかなかいないから。本当に素敵だと思います。
……もしよかったら、その『隣』、永久予約させてもらえませんか? 僕と、付き合ってください」
ツンと顎をそらし、精一杯の威厳を保とうとするイザベラ。しかし、その手元で揺れる縦ロールは、まるで主人の喜びを代弁するように、先ほどよりもどこか柔らかく、幸せそうに弾んでいた。
こうして、高慢な令嬢と食欲旺盛な侍女、そして眼鏡のサラリーマン佐藤という、奇妙な三重奏が完成した。佐藤に先導され、意気揚々とビュッフェへと進むイザベラの足取りは、いつの間にか王宮の舞踏会よりも軽やかになっていた――。
婚活パーティから数ヶ月。東京都内の超高層マンションの一室では、かつてないほど高貴で騒がしい収録が行われていた。
「皆様、ごきげんよう! 麗しき我が民の皆様、本日もわたくしのチャンネルへようこそ! オーッホッホッホッホ!!」
画面の向こう側で窓ガラスを震わせるほどの高笑いを披露するのは、今やYouTubeの女王として君臨するイザベラ。その隣では、侍女のアリスが「公式設定:ガチ食いマネージャー」として、無表情にストップウォッチを構えている。
「お嬢様、無駄口はそれまでです。本日の企画は『二郎系ラーメン・全マシマシ・10分完食チャレンジ』。現在の同時視聴者2万人、用意は良いでしょうか」
「よろしい! 佐藤、この背徳のニンニクの山を攻略するわたくしの勇姿、1秒たりとも逃さず記録なさい!」
カメラを回しているのは、すっかり専属スタッフ兼・婚約者としての地位を固めた佐藤だった。彼はモニター越しの全マシマシの絶景に、遠い目をしながらツッコミを入れる。
「イザベラさん、それ公爵令嬢が食べていいビジュアルじゃないですからね。
あと、スパチャで『その縦ロールの中に、うずらの卵を何個隠せますか?』って質問が来てますけど、絶対にやらないでくださいよ?」
「やりませんわよっ!
……っ!? ですがこのスープ、なんと暴力的な塩分かしら……! 脳が、脳の細胞が一つずつ歓喜の悲鳴を上げていますわ! これは城門を粉砕する破城槌に喉元を突かれたような衝撃ですわね!」
イザベラが麺を豪快に啜り、その豊かな顔芸と異世界語食レポが炸裂するたび、コメント欄は爆速で流れていく。しかし、開始から7分。山を覆っていた白い悪魔が胃袋に収まり、極太の麺がその重みを主張し始めた頃、イザベラの優雅な所作に異変が生じた。
(……くっ、なんですのこの麺の弾力! 噛んでも噛んでも減りませんわ! )
イザベラの額に、薄っすらと真珠のような汗が浮かんでいる。彼女の自慢のドリル縦ロールが、限界に近い胃袋の悲鳴に同調するように、小刻みにプルプルと震え始めた。
イザベラが吐き出しそうな口元を扇子で隠し、必死に余裕の笑みを浮かべて水を一口飲むと、画面の端を流れるコメント欄に、空気を読まない無慈悲な指摘が踊り出した。
『お嬢様、目が泳いでるぞwww』
『明らかに箸の速度が亀まで落ちてて草』
『もうお腹いっぱいだろ? 正直に言いなよ、ドジっ子属性なんだからさ』
その煽りコメントが目に飛び込んできた瞬間、イザベラの眉間がピクリと跳ねた。図星を突いた煽りに、自慢の縦ロールがしおっ……、と力なく垂れ下がる。
「――っ! 誰ですの!? 今、わたくしに向かって、平民の如き卑近な言葉で煽りを入れた無礼者は!」
イザベラは、虚勢を張って、カメラをキッと睨みつけた。
「よろしいですか、よくお聞きなさい! これはお腹がいっぱいなのではなく、この至高の脂を、細胞一つ一つに深く吸収させるための、いわば神聖な瞑想の時間ですわ!」
『言い訳が苦しいwww』
『瞑想(ただの満腹によるフリーズ)』
『ドリルが嘘をつけないタイプ』
「うるさいですわっ! うるさいですわっ!
だいたい、わたくしが本当に限界だとしたら、今ごろ白目を剥いて佐藤にダイブしていますわ! こうして優雅に座っていることが、何よりの余裕の証拠……
……げ、ゲフッ
………………。
今のは何でもありませんわよ! オーッホッホッホ!!」
無理な高笑いのせいで、お腹周りのドレスのホックが「パツンッ!」と悲鳴を上げた。
「お嬢様、手の動きが止まっています。あと三口です。ここで止まれば、リスナーに『お嬢様の胃袋は平民以下』と書き込まれます。
……ちなみに背後でアリスさんが、三杯目に突入してます」
「なっ……! わたくしを誰だと思っていましてよ! この程度の小麦の塊、王家の理不尽な要求に比べれば、そよ風のようなものですわ!」
イザベラの瞳はわずかに潤み、意識が飛びかけていたが、カメラが回っている以上、公爵令嬢があきらめるわけには行かない。
(負けませんわ……! わたくしの矜持にかけて、この脂の海を泳ぎきってみせますわ!)
最後の一口を、まさに決死の覚悟で口に押し込み、喉の奥へと力業で送り届ける。その瞬間、彼女の縦ロールが大きく揺れた。
「……あ、お嬢様。そろそろ締めの挨拶、お願いします。顔色が若干、青のりより青いですよ」
イザベラは深く、深く、静かな呼吸で胃内の暴動を鎮める。そうしないと、大変なことになる。そして完食した丼を音を立てて机に置き、扇子をバサリと開いてカメラに視線を向けた。
『公爵令嬢の食レポ、絵面が強すぎるwww』
『今日も侍女さんが背後で替え玉3玉完食してて安心した』
「オーッホッホ! 二郎系ラーメン・全マシマシとやらも、わたくしの敵ではありませんでしたわ!
……さあ佐藤、次は『コンビニスイーツ全種類制覇・生配信』の準備をなさい!」
(『リバース・オブ・公爵令嬢』を披露することにならなくて、良かったですわ)
(……佐藤、早く、早くわたくしをカメラの死角へ……!)
「では、また来週っ!!」
逃げるように配信を終えたイザベラは、そのまま洗面所へダッシュした。
異世界転移系ユーチューバー、イザベラ。
彼女の食レポと侍女の食欲は、令和のネット社会を今日も激しく揺るがし続けるのであった。
撮影機材の放熱と、わずかに残るニンニクの香りが漂うリビング。
配信終了後の静寂の中、アリスは手際よく、お嬢様の口元から飛び出た麺の痕跡を高級ティッシュで拭い去りながら、内心で深い溜息をついた。
(……ふむ。神の言葉に偽りはありませんでしたね)
アリスは、手元のタブレットに表示された、凄まじい勢いで増え続ける登録者数と、好意的なコメントの奔流を眺める。
(かつて王宮の夜会で、あの浅慮な王太子や令嬢たちが嘲笑っていた縦ロールが、この世界では『悪役令嬢の神コスプレ』として崇められ、お嬢様の高笑いは『明日への活力が湧く』として、人気を博している……。
場所が変われば、お嬢様の矜持は、中毒性の高いエンターテインメントへと昇華されるわけです)
アリスは、佐藤が一生懸命にカメラの予備バッテリーを充電し、次回のスイーツ企画のためにエクセルでカロリー計算表を作成している姿を、無表情のまま見つめた。
(当初は『兵站将校』程度に見積もっていましたが、彼は今や、お嬢様の暴走を受け止める『盾』であり、私の食欲を支える『食料供給係』。
……実に、どの貴族よりも、この現代の平民の方が、私たちの胃袋と生活を守るに適した資質を持っていたということです)
アリスは、コンビニスイーツの試作品として佐藤が買ってきたとろける贅沢プリンの蓋を、音もなく開けた。
スプーンですくい上げ、その滑らかな黄色い実体を口に運ぶ。
(……ああ、これです。この、舌の上で脳が溶けていくような感覚。)
(お嬢様がこのネットの海の「女神」として君臨し続ける限り、この「令和」という地は、私にとっても果てなき美食の天国です)
(……神様、お嬢様はこの世界で生き生きとしています。あなたの言うとおり、お嬢様を『女神』と崇める者たちもいますし、お布施で問題なく暮らしていけそうです。以前の世界でのお嬢様はポンコツでしたが、適材適所なのですね。ありがとうございます)
アリスは、画面の中で自分の食べっぷりが切り抜き動画としてバズっているのを確認し、満足げに喉を鳴らした。
(……この世界に来て本当によかった。)
夕日に照らされた超高層マンションの一室で、食いしん坊でお嬢様が大好きな侍女は、この幸福な瞬間を噛みしめ、次の獲物へとスプーンを伸ばすのであった。
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