第9話 世界の代理人は、私を観測している
森の空気が、張りつめている。
銀色の制服の少女は、感情のない目で俺を見ていた。
「識別名:未定」
淡々とした声。
「観測完了。追加質問を行います」
「やけに事務的だな」
「感情は処理の妨げになります」
即答。
バグが、俺の背後で小さく震える。
「仕様外さん……この個体、危険度は執行者より低いですが……」
「ですが?」
「執着します」
なるほど。面倒くさいタイプか。
少女は一歩近づく。
「質問。あなたは“誰”ですか?」
またそれだ。
俺は肩をすくめる。
「それを聞く前にさ」
「はい」
「そっちが名乗れ」
少女は一瞬だけ停止した。
瞳の奥で、演算が走る。
「……識別番号:L-17」
「番号じゃなくて」
「個体名は不要です」
「俺に聞いといてそれかよ」
わずかに、少女の眉が動く。
「……あなたは、名前を持たない」
「持てない、が正確だ」
「違います」
少女は即座に否定する。
「持たないという選択をしている」
バグが息を呑む。
「それは……!」
少女の視線が、バグに向く。
「付随要因を確認」
その瞬間、バグの輪郭が乱れる。
「やめろ」
俺が一歩出ると、少女は視線を戻した。
「安心してください。分解はまだ行いません」
「まだ?」
「観測優先度が変更されました」
少女は、ほんのわずかに首を傾げる。
「あなたは、予測と違う行動を取る」
「人助けした件か?」
「はい」
間。
「敵対するはずの存在が、民意を獲得した」
「悪いことか?」
「管理上、非常に悪いです」
即答だった。
でも。
その声はほんの少しだけ柔らいだ気がした。
「……理解不能」
少女が小さく呟く。
「あなたは、世界に拒否されている」
「知ってる」
「それでも世界を守る行動を取る」
「別に守ってるつもりはない」
俺は笑う。
「目の前に困ってる奴がいたから助けただけだ」
少女の演算が止まる。
ほんの数秒。
「……非合理」
「だろうな」
沈黙が落ちる。
バグが、小声で言う。
「仕様外さん……この個体、揺らいでます」
「揺らぐ?」
「はい……命令優先順位が変動しています」
少女は、ゆっくりと俺を見る。
「再質問」
「何だ」
「あなたは“誰”ですか?」
今度は、少しだけ違う響きだった。
俺は、答えない。
まだ、その時じゃない。
「……未定だ」
正直に言う。
「でも」
少女の瞳が、わずかに動く。
「“未定”は仮置きだ」
空気が、震える。
「いずれ決める」
少女は沈黙した。
数秒後。
「記録」
【対象:未定】
【自己定義意思:確認】
「……興味深い」
「は?」
「名を持たぬ存在が、自らを定義しようとしている」
少女は、一歩後退する。
「本日は排除を行いません」
「助かる」
「理由:観測継続の価値があるため」
さらっと言うな。
「次に会う時」
少女は言った。
「あなたが誰か、教えてください」
バグが小さく声を上げる。
「接触継続フラグ……立ちました……」
「フラグって言うな」
少女は振り返り、森の奥へ消えていく。
去り際、ほんの一瞬だけ。
「……未定」
そう呼んだ。
番号ではなく。
通称でもなく。
“個体”として。
静寂が戻る。
バグが、じっと俺を見る。
「……ヒロイン候補増えましたね」
「なんでそうなる」
「観測対象に“興味”を持ちましたから」
俺はため息をつく。
「面倒なのに目を付けられたな」
「はい。でも」
バグは、少しだけ笑った。
「あなたを“消す”ではなく、“知る”を選びました」
俺は空を見上げる。
世界はまだ、俺を拒否している。
でも。
世界の側の誰かが、俺を知ろうとしている。
それは、悪くない。
こうして俺は、
世界の代理人に観測され続ける存在になった。
名前は、まだない。
だが。
選ぶ日は、確実に近づいていた。




